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上流階級の者が名乗ったら、名乗り返さなければならない。
「ぼくはポーチカで、この人はユランです。旅の途中でこの町に来ました」
ポーチカはそつなく平民風の礼をした。
「まあ、ポーチカ様? ポチと名前が似てらっしゃるのですね」
ファリナシア・ソレイルと名乗った少女は面白そうに品良く笑った。その仕草がポーチカにはとても“お嬢様らしく”見えた。腕の中の“ポチ”が名前に反応したのか尻尾を振る。
「あ、すみません。子犬と一緒にするのは失礼でしたでしょうか」
「いえ、とんでもありません。ぼくもポチって呼ばれてるんです。ぼくは気に入ってますよ」
そうですか、とファリナシアは安堵したように微笑み、執事の方に視線を向けた。
「私共はソレイル商会、その長を務めておりますソレイル家のものでございます」
少女の横で、執事服に身を包んだ老爺が丁寧に頭を下げた。
「お嬢様が大事にしている子犬を連れ戻していただき誠に感謝しております。旅のお方とのことですが、私共にできることであればお申し付けください」
「いえそんな」とポーチカはすぐに首を横に振る。
「そんなつもりでその子を連れてきたわけでは」
口ではそう言いながら、ポーチカにはそんなつもりがないわけでもなかった。
見るからに上等そうな首輪をつけていた子犬であれば、裕福な飼い主に大事にされていたのだろう。助けて連れ帰れば何かしらの礼をもらえるかもしれない、と。
ソレイル商会。
セシリカの町に拠点を置き、国内外で手広く商売をしているのはポーチカも知っていた。
まさかそんな大資産家の飼い犬だとは思わなかったが。
──何にせよ、一旦は断るのが礼儀だ。
まあ、とファリナシアは手で口を押さえた。
「見返りも求めないなんて、立派なお方……」
“ポチ”を抱き締めたままファリナシアは、「ぜひ」と一歩ポーチカに近づく。
感情のこもった口調に、ポーチカは少し戸惑ってもいた。
「このわたくしのために御礼をさせていただけないでしょうか。そうですね……」
ファリナシアは背後で様子を窺っている門兵達を一瞥した。
「ここに長居するとお仕事の方にご迷惑でしょうから、まずは我が屋敷でおくつろぎになられては」
ポーチカがユランを見やると、ユランは無表情に腕を組んでいる。
「断る。面倒だ」
憚ることなくそう言い捨てた。
ファリナシアは目をぱちくりさせ、執事は顔を強張らせていた。
やっぱり、とポーチカは内心で苦笑いする。
「──すみません、せっかくのお誘いですが」
「ですが……ではせめて我が屋敷でお食事くらい」
「……」
ここまで申し出てくれているのだ。
応えたい気持ちもあるし、きれいなお屋敷でおいしいものを食べたい気持ちもポーチカにはある。
しかし。
「礼をされる理由はない。さっさと解放してくれ」
ユランがにべもなく言い捨てて、ファリナシアは怯えたような顔になる。
「ちょっと、ユランさん……」
「お話はお済みのようですな」
タイミングを見計らっていたのか、門兵が顔を出した。
「ああ終わった。行くぞ、ポチ」
ユランはポーチカの脇をすり抜けてさっさと出ていこうとする。
──ユランさんは上流階級の人が嫌いだ。
知ってはいたが。
相手の権威を考えれば、後々どう影響するかもわからない。無下に扱うべきではないはずだ。
しかしこうなってしまうとユランに従うほかない。
「ファリナシアさん」
ファリナシアははっとしたように顔を上げてポーチカを見た。
「失礼なこと言ってごめんなさい。お気持ちはいただきますね」
顔をまた赤らめ、少女は目を伏せた。
「それではぼく達はこれで」
ファリナシアに頭を下げ、鼻を鳴らす“ポチ”に「じゃあね」と手を振った。
門兵に連れられるユランの後を追い、今度こそ町への門を通過した。
§
手頃な宿を見つけ、ひとまず旅の荷物を降ろす。
「……汚いな」
狭い部屋を見回してユランが呟く。
「この安さなら仕方がないですよ」
「虫が入り込んできそうだ」
「文句言わないでください。それならあのソレイル家の申し出を受ければよかったんですよ」
ポーチカは荷解きをしながら不満そうに言い返す。
「あわよくば客室の一つくらい貸してくれたかもしれないのに。きっと広くてきれいでしょうね」
「ふん」とユランは鼻を鳴らした。
「挨拶だの服装だの食事のマナーだの、ああいうのはおれには向かない。おれは育ちが悪いもんでな、あんたと違って」
おや、とポーチカは思った。
「なんか卑屈なこと言いますね」
ユランは舌打ちをすると、「虫が出たら何とかしろよ」とベッドに寝転んだ。
「それはいつものことですけど……」
ポーチカは溜息混じりにユランが脱ぎ捨てたコートを拾い上げ、椅子の背に掛けた。
「でもぼくは買い出しとか行ってくるんで、とりあえず虫が出ても自分で対応してくださいね」
「あっ、おい」
ユランの焦った声を背に聞きながら、ポーチカは必要な荷物を持って宿を後にした。




