第一章:運命の舞踏会
帝国暦三七二年、春。
王都フェルナールは、桜の花びらが舞う季節を迎えていた。
宮廷の庭園では、毎年恒例の「春の舞踏会」が開かれる。
貴族たちが集い、若き令嬢たちが未来の伴侶を探す、華やかな夜。
その中心にいたのは、帝国最強の魔導貴族──シャトレー家の侯爵令嬢、フレデリカ・ミルヴィア・シャトレー。
黒い絹のドレスに身を包み、銀の髪を月のように輝かせた彼女は、誰からも畏怖と称賛を一身に集める存在だった。
魔力の才能は帝国随一。
美貌は詩に詠まれるほど。
しかし、人々は彼女を「氷の令嬢」と呼んだ。
「また、誰かを蹴落とすのね……」
「あの目、まるで獲物を狙う獣みたい」
そんなひそひそ話が、背後で囁かれる。
フレデリカは知っていた。
自分が、運命の悪役であることを。
前世──彼女は、異世界転生ものの小説を読んだ少女だった。
その物語の主人公エリカ・フェスターは、平民出身ながらも清らかで優しく、やがて王子と結ばれるヒロイン。
そして、その邪魔をする悪役令嬢──フレデリカ・ミルヴィア・シャトレー。
彼女はエリカを陥れ、魔術で王城を襲い、最終的に処刑される。
それが、物語の「定め」だった。
──でも、私はそうじゃない。
前世の記憶を思い出したのは、十歳の頃。
以来、フレデリカは運命を変えるために生きてきた。
エリカを傷つけず、王太子とも距離を保ち、静かに生きる道を選ぼうとした。
なのに──
「フレデリカ・ミルヴィア・シャトレー、王太子殿下より、共に舞うよう仰せつかっております」
突然、宮廷執事が声をかける。
フレデリカの心臓が、ズクリと鳴った。
王太子──ジャック・オリヴァー・フェルナール。
物語のヒーロー。
そして、前世で彼女が恋い焦がれた、唯一の男。
彼は、漆黒の燕尾服に身を包み、琥珀色の瞳でこちらを見つめていた。
微笑みは優雅で、しかしどこか冷たい。
「お待ちしておりました、フレデリカ嬢」
声は、蜂蜜を溶かしたように甘く、毒を含んでいた。
フレデリカは深く息を吸い、舞踏室へと足を踏み入れる。
──運命が、動き出した。