婚約破棄された令嬢は国外追放されたけれど、隣国皇子の溺愛に救われて逆転しました
「――リリアナ・クローディア。君との婚約を破棄する!」
その瞬間、社交界最高と称される夜会は凍りついた。
黄金に輝くシャンデリアの下、王太子エドワード殿下が冷ややかな声で私を切り捨てる。理由は、第二王女アリシアをいじめたという根拠なき虚言だった。会場の視線が一斉に私へ突き刺さるが……私の胸は不思議なほど静かだった。
(……これが、あなたたちの仕組んだ筋書きなのですね)
勝ち誇った笑みを浮かべるアリシアが、「勝った」と言わんばかりに両手を強く握る。
いいでしょう……あなたがそのつもりなら、最後までこの茶番を演じ切ってさしあげますわ。
「理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
「君は第二王女アリシアをいじめた。数々の証拠が上がっている」
作り物の証拠を揃え、衆目の中で断罪する……そんな予定調和の茶番に、私は静かに頷いた。
「承知いたしました。婚約破棄を受け入れます」
「な……!」
エドワードの表情がわずかに揺らぐ。
婚約破棄を突きつければ泣き叫び、許しを請うとでも思っていたのか。そんな醜態をさらしてみせるほど、私は従順ではない。ドレスの裾を優雅に持ち上げ、背筋を伸ばして会場を後にした。
屋敷に戻るころには、既に「悪女リリアナ」の噂が実家を覆っていた。召使いたちは目を合わせようともせず、まるで疫病を避けるかのように距離を取る。
――長年仕えてくれたはずの人々までが、このように。
「リリアナ様、お父様がお呼びでございます」
執事に促され、重い足取りで父の待つ書斎へ向かう。扉を叩いて入ると、視界に飛び込んできたのは机に山積みになった書簡の束。おそらく私を断罪する文ばかりだろう。父は沈痛な面持ちで私を見上げ、深く息を吐いた。
「……リリアナ。お前の立場は、もはやこの国にはない」
「……承知しております」
声を震わせずに答えると、父は眉を寄せ、苦渋をにじませる。
「お前を庇えば、クローディア家そのものが終わる。だから……国外へ行け」
「国外……」
「隣国フェルディナント帝国にいる叔母を頼れ。ここにいては……お前はただ潰されるだけだ」
言葉の一つひとつが胸に突き刺さる。
それは父の愛情からではなく――家を守るための冷徹な判断。
けれど、その苦悩を責める気にはなれなかった。
私は静かに裾を持ち上げ、一礼した。
「……ご配慮に感謝いたしますわ。必ず、生き延びてみせます」
父は顔を背け、わずかにかすれた声で答えた。
「……リリアナ。どうか幸せを見つけてくれ」
その一言だけが、かろうじて親としての情であると信じた。
そして私は、その日のうちに馬車に揺られ、国境を越えた。
窓の外に広がるのは見知らぬ大地。
胸の奥に広がるのは――孤独と、かすかな自由の匂い。
(ええ……たとえ一人でも、私は前を向いて歩いてみせますわ)
夜風に髪を揺らしながら、私はただ静かに拳を握った。
帝国にある叔母の屋敷に身を寄せて三日。疲労と緊張で眠れぬ夜を過ごしていた私のもとへ、突然皇族の使いと名乗る人物が現れた。
「リリアナ・クローディア殿。皇太子殿下がお迎えにあがれと」
「……皇太子殿下が?」
あまりに唐突な言葉に目を瞬く。
それでも叔母に背を押され、私は使者に従った。
王宮に着いたとき、胸の鼓動は耳を打ち破るほどに早まっていた。
そして広間の扉が開いた瞬間、そこに立っていた青年に息を呑んだ。
長身、漆黒の髪、真紅の瞳。
まるで夜そのものを閉じ込めたような威厳を纏いながら、微笑みはひどく優しい。
「初めまして。帝国皇太子、アレクシス・フェルディナントだ」
圧倒的な存在感に思わず膝が折れそうになる。
けれど彼は一歩近づき、私と視線を合わせるように穏やかに言った。
「君を迎えに来た」
「な、なぜ……私を?」
震える声で問い返す。
だが彼は一切の迷いなく、言葉を紡いだ。
「婚約破棄の一件、すべて調べた。君が罪を着せられたことも、第二王女アリシアの仕組んだ罠であることも。我が帝国の諜報網を侮ってもらっては困る」
その言葉に、堪えていたものが崩れ落ちそうになる。
誰一人信じてくれなかった真実を……この人は迷いなく肯定してくれる。
「どうして……そこまで私に?」
「理由など単純だ。初めて見たときから……君に心を奪われた」
真紅の瞳が熱を帯び、私の心を射抜いた。
「君の誇り高さも、誰にも媚びずに生きようとする強さも……俺は一瞬で惹かれた。だからこそ、君を欲する」
「……!」
甘い言葉に心臓が跳ね上がる。
彼はさらに近づき、私の手をそっと取り、騎士のように口づけた。
「リリアナ。俺の婚約者に――いや、妻になってほしい」
その低く熱を帯びた声は、甘美な呪いのように胸に絡みつく。
抗う術など、最初からなかった。
帝国に渡って数か月。
私はアレクシス殿下――いえ、もはや「私の婚約者」となった彼と共に穏やかな日々を過ごしていた。
だが、運命は再び私を祖国へと導く。
皇太子妃として正式に婚約を発表するにあたり、帝国は王国へ書簡を送り、両国合同の夜会が開かれることになったのだ。
煌めく会場の中央。
アレクシスにエスコートされて入場した瞬間、ざわめきが一気に広がる。
「リリアナ様……生きていらしたの……?」
「いや、それどころか……帝国皇太子の隣に……?」
憶測と驚きの声が飛び交う中、私の視線は――あの二人に注がれた。
エドワードとアリシア。
顔色を変え、信じられぬものを見るように私を凝視している。
「リ、リリアナ……なぜここに……」
「どうして……どうしてあなたが皇太子殿下と!」
アリシアの顔が引きつり、声が裏返る。
私は静かに笑みを浮かべ、アレクシスの腕に寄り添った。
「ごきげんよう、殿下。アリシア様。ご健勝そうで何よりですわ」
皮肉を込めた挨拶に、アリシアが悔しげに唇を噛む。
そのとき、アレクシスが一歩前に進んだ。
「王国の皆々様。俺は帝国皇太子、アレクシス・フェルディナントだ。今日ここに、我が婚約者――リリアナ・クローディアを紹介する」
広間がどよめきに包まれる。
その圧倒的な宣言の後、アレクシスの声がさらに冷えた。
「ちなみに彼女を断罪し、国外に追放したのは王国の王太子殿下だとか。だが、我が諜報の調べでは……実際に悪事を働いていたのは、第二王女アリシアであると判明した」
群衆の中から抑えきれぬ驚きと嘲笑が溢れ出す。
「証拠はここにある」
アレクシスが合図すると、帝国の侍従が証文の束を広げる。そこにはアリシアが侍女を買収し、偽の証拠を捏造した手紙や金銭の受け渡し記録が残されていた。
「う、嘘よ! 全部嘘だわ!」
「アリシア……これは……?」
狼狽するエドワードの声も空しく、証拠は動かぬ真実を突きつける。
私は一歩前に出て、アリシアを見下ろすように微笑んだ。
「お芝居はここで幕ですわ。あなたの作り上げた舞台の上で、最後まで踊って差し上げました。ええ、とても見応えのある滑稽劇でしたわね」
「……っ!」
アリシアの顔が蒼白になり、膝を震わせる。
その横でエドワードも唇を噛み、言葉を失っていた。
「リリアナ……」
「殿下、言い訳など不要ですわ。私には、もう二度と関わらないでいただきたいの」
私は静かに告げ、アレクシスの差し伸べた手を取る。
真紅の瞳に見つめられ、胸が甘く熱を帯びる。
「行こう、リリアナ。君を辱めた者たちに、もうこれ以上振り返る必要はない」
「……はい」
高らかなざわめきに満ちた広間を背に、私たちは悠然と歩み去った。
その瞬間こそ、私の復讐は成り、そして――新しい未来への扉が開いたのだ。
夜会を後にした私たちは、王城の庭園に出た。
月光が白い花々を照らし、静寂の中で風がやさしく頬を撫でる。
アレクシスが私の手を引き、振り返る。
真紅の瞳は先ほどまでの冷徹さを失い、ただ私一人を映していた。
「リリアナ。君が流した涙も、奪われた居場所も……すべて取り戻させる。だが、それ以上に」
彼は私を抱き寄せ、その胸に閉じ込めるように強く腕を回した。
「これからは、俺が君の笑顔を守りたい」
「アレクシス様……」
熱が胸の奥から込み上げ、思わず彼の胸に額を寄せる。
あの日、すべてを奪われたと思っていた私に、これほどの愛を注いでくれる人が現れるなんて――夢のようだった。
「俺は帝国の皇太子だ。君を幸せにする力も、地位も、未来もある」
「……はい」
「だが、それ以上に……君をただ一人の女性として、心から愛している」
囁きと共に、唇がそっと触れる。
冷たい月明かりの下、私の頬だけが熱に染まっていた。
「リリアナ、俺と生涯を共にしてくれるか?」
「……ええ。もちろんです」
返事をした瞬間、彼の瞳が深く喜びに輝く。
世界がどう変わろうとも、この人となら乗り越えられる。
そう確信できるほどに、私は愛されていた。
そして……「悪役令嬢」と呼ばれた私の物語は、ここから本当の幸福へと続いていくのだ。
◇ ◇ ◇
その頃、王都では異変が起きていた。
「第二王女アリシア様の素行に疑念あり」
「王太子殿下が無実の令嬢を捨てたのではないか」
そんな噂が密やかに流れ始め、やがて貴族社会を席巻する。
発端はクローディア家の動きだった。
家を守るため表立って庇うことはできなかったが、彼らは娘が冤罪であることを証明すべく、水面下で証拠を集め続けていたのである。やがてその全てが王都の裁定の場で明らかとなった。
「……そんなはずはない!」
「リリアナが陥れられただと? でたらめを!」
声を荒らげるエドワードとアリシア。だが、偽造された証言や買収の記録、侍女たちの告白まで揃った今となっては、言い逃れなどできるはずもなかった。
会場に満ちるのは、軽蔑と失望の視線。かつて羨望を集めた王太子と王女は、もはや嘲笑の的にすぎなかった。
王は重く告げる。
「エドワード。お前を王位継承権より外す。辺境で静かに余生を送れ」
表向きは「療養」とされたが、誰もが失脚と理解していた。
一方、アリシアには修道院への幽閉が言い渡される。
権勢を誇った姫は、二度と宮廷に戻ることはなかった。
――こうして、二人は自ら蒔いた種によって没落する。
人々はようやく思い知ったのだ。
「悪女」と罵られた令嬢こそ真に潔白であったと。
やがてその名は隣国フェルディナント帝国にて大きく称えられることとなり、後世には「慈愛の皇妃リリアナ」として記録されるのである。
◇ ◇ ◇
「リリアナ、君が隣にいてくれるなら、私はどんな未来でも恐れはしない」
アレクシス皇子――いいえ、私の愛する人が優しく囁く。
その腕に抱かれながら、私は静かに微笑んだ。
冤罪も、追放も、涙もすべてを越えて――
今、確かな幸福がここにあるのだから。
最後に――【神崎からのお願い】
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