⑪特訓の開始
レオンが現実世界に戻るのを見届けてから、かわいいかわいい俺の妹が待つリーリアの家へと急いだ。
コンコンとノックしてから、玄関の扉をひらく。
するとアイシャはリーリアに、絵本を読んでもらっているところだった。
普通農民の家に生まれた子どもは、文字が読めない。
というのも文字が読める必要なんてないし、むしろ読めないほうが得だと考えるあくどい人間が世の中には多数存在するからだ。
農民が文字を読めないと、なぜ得をするやつが現れるのか?
その理由は、簡単だ。
……契約書の内容をごまかして書き、ちょろまかすることが可能になるからだ。
胸くその悪い話だが、これがこの世界の現実なのだから仕方がない。
実際俺もおそらく、これまでかなりの額を損してきたものと思われる。
なので勉強は苦手だが今後は読み書きができるよう、ちょっと努力をしていかなければダメだなと思っている。
そうすれば、アイシャにも教えてやることが可能だしな。
ちょっと話が脱線してしまったが、リーリアが絵本を読むことができる理由。
それはとても彼女らしいものだ。
勤勉な性格のリーリアはたまたま村を訪れた放浪の民を捕まえ、教えを乞うたのだ。
そのため簡単な文章のみではあるものの、彼女は文字を読むことができる。
「あら、カイト。もう話は終わったの?」
椅子から立ち上がり、リーリアが聞いた。
するとアイシャ唇をとがらせて、俺が答えるより先にちょっと残念そうに言った。
「えー! 絵本、まだ途中なのに」
その表情もとても可愛いが、お兄ちゃんさみしい!
そんな感情が、ダダ漏れになってしまったのだろう。
リーリアはあきれたように笑い、それからアイシャに優しく穏やかな口調で告げた。
「アイシャちゃん、また遊びに来てね。今度は一緒に、クッキーを作ろう!」
大きな瞳をキラキラと輝かせ、コクンと大きくうなずくアイシャ。
「いつもありがとう、リーリア。本当に助かるよ、アイシャもめちゃくちゃ楽しかったみたいだし」
「こちらこそアイシャちゃんが遊びに来てくれるの、本当に楽しいから! だってアイシャちゃん、めちゃくちゃいい子だもの。ねー?」
椅子からぴょんと飛び降りたアイシャを、強くハグするリーリア。
アイシャも嬉しそうにキャッキャと笑い、リーリアの背中に腕を回した。
こういう時、思うのだ。
両親はいないけれど素直に、天真爛漫にアイシャが育ってくれているのはきっと、村の人々の協力があってこそだよなって。
そんなふうにひとりしんみりしていたら、アイシャはさっさとおばさんに挨拶をして、玄関に向かってしまった。
「こら、アイシャ! ちょっと待ちなさい! おばさん、リーリア、ありがとね。今度はなにか、手土産を持ってくるから」
俺も大きな声で、礼の言葉を口にした。
すると奥の部屋からおばさんが出てきて、ちょっと憤慨した様子で答えた。
「なに言ってるの! アイシャもカイトも、どちらもうちの子みたいなもんでしょう? だから変な気を遣わないの! これだけいってももしまだ申し訳ないって思うなら、そうねぇ……。カイト、あんたももっと頻繁に、顔を見せなさい! 分かったわね?」
「うん、分かったよおばさん。いつも本当に、ありがとう!」
ガバっと勢いよく頭を下げて、もうすでに家の外に出てしまったアイシャのことをあわてて追いかけた。
だけど実はちょっとほろりときて泣きそうになってしまったのは、みんなには内緒だ。
……転生に気付いてから、どうも涙もろくていかんな。
「お兄ちゃん、早く! おうちまで、競争ね」
アイシャがうしろを振り返ってぴょんぴょんと跳ねながら、俺に向かい大きく手を振る。
「おい、ずるいぞアイシャ! 絶対に、負けないからな」
笑顔で妹のあとを追いかけた。
***
その翌朝。4時少し前に約束の場所である裏山に到着すると、そこにはやる気満々な感じのレオンがもうまちかまえていた。
「おはようございます、カイトさん! さわやかな朝ですね」
びっくりするくらい大きな声で、朝の挨拶の言葉を口にするレオン。
だからあわてて、声のトーンを下げるよう言った。
「おい、レオン! 今はまだ、朝の4時前だぞ。農家の朝は早いっていっても、真冬でみんなまだ寝てる。もう少し静かにしてくれ」
口をぎゅっと一文字に結び、大きくうなずくレオン。
これではまるで、アイシャに言って聞かせてるのと同じではないか。
それにちょっとあきれながらも、用意してきた鉄製の棒を手に取った。
「悪いがレオン、念のため俺に保護魔法をかけておいてくれるか? たしかお前の魔法を使えば、一回は死を回避できるんだよな? さすがにお前に殺られることはまだないと思うが、変に怪我をして帰ったらアイシャに心配をかけちまうから」
「分かりました、カイトさん。では、失礼して……」
レオンが瞳を閉じて詠唱を始めると、昨日と同じように虹色の光が彼の体を包んでいった。
そして再び目を開け、俺に手のひらを向けると、その光は今度は俺のことを包み込んでいった。
あたたかく柔らかな光の効果か、まるで心身ともに浄化されていくみたいだ。
これまで呪いをかけられたことは何度もあっても、こんなふうに保護魔法をかけてもらったことはない。
だからなんとなく不思議な感じもするが、こいつの伸び代と俺にたいする異様な知識量を思えば、万が一ということもありえなくはない。
あと俺のほうは寸止めが可能だが、こいつは距離を見誤る可能性だってある。
それで死んだら、まじで死にきれない。
「サンキュー、レオン。んじゃ、はじめよっ……か!」
最後の一音を発するタイミングで、手にしていた鉄棒を思いきり振り上げる。
するとレオンはギョッとした様子ではあったもののすぐさまその動きに反応し、サッと避けた。
「くっ……、いきなりですか!? あれがもし当たってたら、俺下手したら即死ですよ!」
涙目で、必死に訴えるレオン。
「アハハ、ごめんごめん。だけどこの世界、いちいちヨーイドンの合図なんかねぇだろ? これからはいつ俺に襲われるか分からないくらいのつもりで、心して過ごせ」
ゴクリと、唾を飲み込むレオン。
しかし俺の言葉を素直に受け止めて、彼は真剣な表情に変わった。
こうした真っ直ぐなタイプの人間は、飲み込みも早い。
ニンマリと上がる、俺の口角。
緊張した面持ちで、大剣を構えるレオン。
「んじゃさっそく、はじめよっか」
するとレオンは、また少し戸惑ったような表情を浮かべた。
「えっと……。カイトさん、あなたの武器はもしかしてそれですか? だったら俺も、大剣じゃないほうがいいのでは……」
なので俺は悪役さながらな顔で、ゲラゲラと笑いながら答えてやった。
「ギャハハ! 調子に乗ってんじゃねぇぞ、クソ雑魚魔法剣士が。お前の相手は、これで充分だっつーの!」
中指を立て、煽る。なのにこの馬鹿は頬を紅潮させ、またしてもふるふると身悶えた。
……俺ガチ勢、まじで扱いづれぇ。
そのいら立ちも込めて、レオンに向かい全力で駆け出した。
大剣と鉄製の棒が交わり、鈍く重い金属音が鳴り響く。
中が空洞になっている鉄の棒がちょうど家にあったから、あらかじめ綿をパンパンに詰め込み、なるべく音が響きにくいよう対処済み。防音対策も、バッチリである。
まだ薄暗い中、真冬の早朝特訓が静かに幕を開けた。