VI パーティーの日の夢
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『いいか、ランティス。失敗は許されない』
(これは夢だな)
その日の夜、私は不思議と速やかに眠りにつくことが出来た。在学中から不眠症に悩まされているのに、だ。こうした日に見る夢は決まって一つの懐かしい夢。
『我がアスター家の者は国を支える宰相になることが決まっている。如何なる時でも冷静に、策を講じる必要がある』
八歳の頃の私の手を引く兄は、十も歳が離れていることもあってとても大きく見えた。幼い頃の私はよく兄の真似をして度の入っていない眼鏡をして、兄の後ろをちょろちょろとしていたものだ。
そんな私に兄は我が家で行うとある小さなガーデンパーティーを仕切らせた。我が家の広い薔薇園に椅子とテーブルを並べ、たくさんのお菓子と飲み物が並ぶ会だった。
「見なさい。彼がトランクス伯爵だ」
兄はシルクハットにちょび髭を生やした恰幅のいい壮年男性を指差す。
この会はイセ・カイージンの伯爵をもてなす会で、規模は小さいながらも諸外国からも注目されるパーティーとなっていた。私は兄の婚約者に教えられながらテーブルの手配や招待客の管理といった裏方の作業を手配していた。通常これは女性の仕事であるが、将来的に予算を動かす立場になったときにこういった催し事の裏で何が必要とされているかを学ぶ必要があると言われたのだ。
(失敗しないように、失敗しないように……)
幼い私はこのとき、緊張しきっていた。それ故に、兄が用意したイセ・カイージン達の大好物であるという「オニギリ」と「ミソスィル」を、メイドに持ってくるように指示し忘れてしまっていたのだ。会の半ばでそのことに気がついた私は焦る。兄も、兄の婚約者も歓談に夢中で相談することが出来ない。
(どうしよう、これは失敗だ……。「オニギリ」も「ミソスィル」も最初から出してないと、皆、お腹がいっぱいになってしまう)
その時、私に声を掛ける者が居たのだ。
「ねぇ、困ってるの?」
心臓が止まるかと思った。
私の背後に立っていたのは、私と同世代の令嬢。お団子にした煌めく白い髪と、シルバーの瞳をした妖精のような少女であった。透き通るような白の肌で無邪気に笑う浮世離れした姿に思わず私は見惚れてしまう。
(なんて可愛らしいんだ!)
「聞いてるの? 困ってるんだったら助けるよ」
白い髪の令嬢は両手で私の肩を掴むとガクガクと揺らし始める。この頃の私は、臆病な性格をしており、どもりながらこう答えた。
「こ、こここの『オニギリ』と『ミソスィル』を出すのを忘れてしまったんだ。失敗は許されないのに、し、失敗、してしまって」
この少女に話してもどうにもならないのに。私は俯きながら『オニギリ』らを指差す。
「な〜んだ、そんなこと!」
妖精はその場で華麗にターンをしてニカっと笑った。鋭い犬歯を見せて、両手を大きくあげる。
「失敗したらね、も〜っと大きい失敗で覆い隠したら良いんだよ」
「?」
ステップを踏みながら彼女は上機嫌で私の前から姿を消した。ただただ呆気に取られた。そのような暴論が許されて良いのか。しかし、彼女はこの後、私に『自分の思うように行動するとはなんたるか』を教えてくれたのだ。
「にわか雨だ!」
それからすぐのことだった。パーティー会場に急なにわか雨が降ったのだ。大人たちは慌てて建物の中に避難する。春直前の雨は少し冷たいのか、身震いをしている人もいた。
(雨が降るわけなかったのに……!)
私はパーティーの手配で雨対策をしていなかった。毎年この時期は晴天が続いていたため、雨の日のことは考えていなかったのだ。
(どうしよう……)
これではパーティーは失敗になってしまう。
《失敗は大きな失敗で覆い隠すんだよ》
先程の彼女の言葉。この言葉の意味は正直よくわからない。だけれども、失敗を使うという彼女のヒントで私はとある機転を思いついた。
「こちらに温かい『オニギリ』と『ミソスィル』があるので是非食べて温まってください」
そう、私は出し忘れた『オニギリ』らを、さもこの状況を見越していたかのように皆に提供したのだ。
「おぉっ、これは……ニホンのおにぎりと味噌汁……!」
「兄が用意したものです。身体が温まりますよ」
参加者の人々は皆、『オニギリ』と『ミソスィル』に釘付けだ。実は前々から興味を持っていたとか、温かい食べ物に救われるだとか、とにかく評判が良かった。
幸いにして、にわか雨はすぐにやみ、パーティーは再開された。野外に用意していたパーティーセットがびしょ濡れになってしまったと思って、私が様子を見ると、とある違和感に気が付いた。
(折角のお菓子が濡れて台無しになって――ない?)
「ふふふ……」
このにわか雨は、きっと、雨ではなかったのだ。あの妖精はお菓子を全て奪ってしまったのだろう。そしてその証拠隠滅を図るべく水で雨を降らせた。
(なんたる強欲。目的のために手段を選ばないなんて!)
私は彼女の生き様から、自己を見直すことにしたのだ。
その後、年若い私がパーティーの手配を成功させたことにいたく感動した伯爵は、私にプレゼントを与えてくれた。
多くの学術書、研究書――そして動物柄の下着である。
伯爵のくれた書物は私を大きく成長させてくれた。そのため、私は伯爵のことを大いに尊敬している。
伯爵亡き後も一年に一回、子孫が必ず贈り物をしてくる。伯爵はこの世界の下着を改革した方であったので……送られてくるのは勿論下着だ。動物柄が好きだったのは小さい頃だけなのだが、子孫の方が今でも動物柄が好きだと思って送ってくるのを無碍には出来ないなと思っている。
ちなみに、あの白い髪の令嬢のことを兄に調べてもらったが、何もわからなかった。あれからずっと探しているが白い髪の令嬢など聞いたことがないし、見たこともない。
(あの子が私を変えてくれたのだ)
あれは所謂、初恋という奴だったのだろう。
(もう一度……あの白い髪の令嬢に逢えたなら……)
逢えたならば――必ず――。