みまもることと救いの手
夜、救急救命センターに連絡が入る。
「バイタルサインをお願いします。特に意識レベルを教えてください」
呼吸や血圧、脈拍などが報告され復唱してメモを取っていく。
「事故の原因は?ロードバイクで山道を下っていて崖から落ちた!?」
ロードバイクはそれなりにスピードが出るはず。
薄暗い中、山道で速度を出すのは冒険しすぎにもほどがある。
「夜間にスピードを出すのは冒険しすぎですね」
連絡をひとしきり終えると、年配の医師が取りまとめた。
「皆さん、今日は忙しくなりそうです。よろしくお願いします」
やがて救急車が到着し救命活動が始まる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
処置を終え、一命をとりとめた患者の患部をしっかりと包帯で固定する。
ストレッチャーに乗った患者は救急病棟に運ばれていく。
「皆さん、お疲れさまでした。順番に休憩に入ってください」
年配の医師がそう告げると、最初のローテーション私は休憩に入った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ★
「ロードバイクの人、助かってよかったですね」
一緒に休憩に入った実習生が私に話しかける。
「そうね、命あっての物種だから助かってよかったよ。はい」
私は栄養ドリンクをマグカップに入れ炭酸水で割り、炭酸水を実習生に渡す。
「よく考えますね、こういうこと」
「ん?栄養ドリンクは量の割に栄養がギュッと濃縮されてるからね」
「はいそうですね」
「だから炭酸水とかお湯とか水で割るの。果汁100%飲料と一緒よ」
「ああなるほど」
実習生はそうってメモを取り始める。
疲れた体にはじける炭酸を気持ちよく感じていると、内線電話が鳴った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ★ ★
「先日急患で運ばれてきたエナドリの飲みすぎの中学生な、亡くなったそうだ」
若い先生が休憩室に連絡に来た。
「遺族が夜間通用口から来るから、着たら案内を頼むってさ」
それだけ言うと若い先生は休憩室を出る。
連絡役大変だなと思い見送ると、実習生が落ち込んでいた。
「先輩……その子の対応したの私で、そのときは元気だったんですよ……」
「そっか。辛いね」
「どうして飲みすぎちゃったんでしょうか?」
休憩室のパソコンを操作し患者のカルテを見つけ、実習生を呼ぶ。
「こういう眠気を吹き飛ばす成分には中毒性があるから、かな」
マグカップを軽く揺らし、実習生に気づきを促す。
「体が慣れて、量が増えて、致死量に達したと?」
受験勉強に気合入れようと、毎日飲んでいたとカルテには記入されている。
「助かるかどうかって神様が決めることなんでしょうか……」
「看護師の看には看取るの意味もあるから、ね?」
実習生を元気づけていると、若い先生が顔を見せる。
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「冒険と死は背中合わせってことだから、限界点を見極めてほしいよな」
先生はそう言うと、私物のドリッパーを紙コップの上に置く。
「限界点を超えた先には臨界点が待つだけだってのに」
休憩室のポットからドリップコーヒーにお湯をそそぐ。
「全力は必要なときにだけ出せばいい。そうだろ?」
コーヒーを一口すすり、若い先生は実習生に問いかける。
私には若い先生の言いたいことはわかる。
実習生はどうかなと思い、顔色をうかがう。
「え、え~と……」
やっぱり?マークが踊っていた。
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「そうねえ、長距離走と短距離走があるとして今はどっちの時間と思う?」
「休み時間です!」
そう来たかと、心の中で思う。
長距離走と返してほしかったのに斜め上の答えが返ってきた。
「まあ仕事、特に夜勤は長距離だ。休めるときに休んどくといい」
「そのかわりなにかあったら、短距離の感覚で全力疾走ですね?」
「そ。オンオフの切り替えと全力の出し方、これは常に覚えとこうな」
「全力も、ですか?」
「ああ。いつも力をセーブしてたら、全力の出し方忘れちゃうから」
若い先生はそう言うとまたコーヒーを口に含む。
その手にした紙コップを見て私はあることに気づいた。
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「まあまじめに手を抜けってことだ」
「センセ、それ自分だけにわかる言葉」
若い先生に近づいて私は一言口をはさむ。
「そうか?結構わかりやすく噛み砕いたつもりだぞ?」
「どこが。それに検尿カップですよ、それ」
「ん?新品だぞ?」
「はいはい。備品の消耗理由はうまいことやっときますね」
(まったく大学生の時からこうなんだから……)
私はこの若い先生、通称センセと出会ったときが頭をよぎる。
☆ ☆ ☆ ☆ ★ ★ ★ ★ ★ ★
センセとは社交ダンス会場で出会った。
「あの~なにやってるんですか?」
同じ大学の医学部と看護部の交流イベントで、壁の花の男性がいる。
好奇心がうずき、声をかけた。
「ん?勉強。命を救うために医者を目指してんのにダンスはな」
面倒くさそうに言うと男性はまたタブレットを見る。
「えいっ」
私は軽く息をつき、掛け声とともにタブレットの電源を落とす。
「なにをする!?」
「そういうのはみんなわかってます。今は息抜きの時間ですよ、センセ」
「先生?俺が?」
自分を指さして、センセは私に質問してくる。
「そ。息抜きの時間なのに勉強してるからセンセ。踊りましょうよ」
皮肉たっぷりにセンセと呼ぶ私にセンセは壁から離れ手をかざす。
「ったく。一回だけだぞ」
社交ダンスは通常、男性が女性をリードしていく。
実力差があれば女性が男性をリードする場合もある。
私もそのつもりで、センセの手を取った。
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(あのときは手玉に取られたんだよね……)
完全にリードされたことを思い出していると思い出が連鎖反応を起こす。
「センセなにしてんです?そろそろ実習ですよ?」
「受け持ちの患者が季節を感じたいっていうから鳥を捕まえにな」
「鳥獣保護法って知ってます?それにそれタモで魚捕まえるやつです」
タモと鳥かごを持ったセンセは私の声で足を止める。
「なん……だと……?」
「昆虫採集に変えましょう!私も手伝いますから」
「網とかごは?」
「近くのホームセンター行きましょう!さあ!」
「待てって。寮にこれ置いてから――ってだから待てって!」
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(結局受付で注意されて動画や写真に切り替えたのよね)
センセは医学部なだけあってIQは高かった。
(その反動かSQが低いというか視野が狭いというか)
IQは知的指数と呼ばれている。
一方でSQとは社会的知能、またの名を社会で生きるための知的指数。
(だから会う度に交流して話を聞くことや観察力の大切さを教えてきたのよね)
その甲斐あって今に至る。
センセは医療の腕は確かなものがあり、実に優秀だった。
病院に来てメキメキと頭角を表し、担当指導医からもお墨付きをもらっている。
社交性は低いのもストイックな感じがいいと看護師では人気があった。
(そう、このセンセは私が育てた)
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私は昔を懐かしみ胸をはったあと、大きく息を吐く。
(仕事に一途すぎですよ、センセ)
冒険して熱い視線で信号を送っても、いつもセンセは患者や命を見ていた。
(現実を知って大学中退や退職、世を去る人が多いからなあ)
別れを幾度と繰り返す中、私とセンセは今も命を救い続けている。
病院は24時間動いている。
救える命を救うのが医師と看護師の勤めと、私も頭の中ではよくわかっていた。
理解と感情は別物とはよく言ったものと思う。
(命を救うのと同じぐらい次を作るのも大切なんだぞ)
マグカップに口をつける。
栄養ドリンクの炭酸割りは空になっていた。
(たまには冒険に出てくださいよ、センセ……)
冒険に出るのは宝物を得るためと聞く。
宝物は目の前にあると気づきを促すのよと、昔先輩から教わった。
(そうよね。まだ希望はある)
心を奮い起こしていると、時計の針が12時を指す。
その瞬間、連絡が入る。
「私聞いてきますね!お二人はそこでゆっくりしててください!」
実習生は即座に動くと、そそくさと休憩室を出た。
「ゆっくりって言われても……」
立ち尽くす私の肩がズンと重くなる。
「サンキュ。アドバイス助かった」
私にだけに聞こえる声で、センセが耳元でささやく。
「あと見守るの意味、ちゃんと教えてやってくれな。患者はうれしいんだからさ」
パッと顔を上げていつもの調子でセンセは私に話す。
「なにを?どう?」
「みまもるって書いて看護だろ?」
「自分で伝えてこそ意味があるんですよ」
私は軽く笑いながらセンセに伝えた。
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「救急車きます!症状は急性アルコール中毒です!」
実習生が戻ってきて連絡の内容を告げる。
「本当に!今夜は!冒険する!人が!多いな!」
センセはコーヒーを一気に飲み干すと紙コップを握りつぶしゴミ箱に入れる。
そして休憩室から出て、急性アルコール中毒用の指示を冷静にテキパキと出す。
(ちゃんと言えたかな?ちゃんと笑えたかな?まだ心臓バクバクいってるや)
センセを見ながら、私は早鐘を打つ心臓おさえるため息を整える。
なんとか平常心を取り戻すと、センセの担当指導医がやってきて私にたずねた。
「命の意味について、指導はいると思うかね?」