桜哀れ
4月1日。その日が関東の桜満開予想だった。
今年でもう何回目になるのだろうか。主人と娘は毎年のように2人で花見に行く。私は花粉症なので、彼が気を使ってなのか、それとも、彼と娘で何か特別な時間を過ごす感覚になっているのか。そんなことを考えながら、私は2人が花見で食べる弁当を作っている。
メニューは、おにぎり、から揚げ、卵焼き、あとは、みそ汁だ。完全に彼の好みで、娘の意見は全く反映されない。
調理の合間で、朝の情報番組をテレビで見るのが、ここ数か月の習慣になっている。今朝は、桜満開の報道が多い。今年も春が来たなと考えていたが、「しまった」とテレビを消した。感覚的な行動で、特に理由はなかったが、私の中のどこかがそうさせた。
「おーい、クーラボックスって、小さめのなかったけ?」
主人も花見のための準備を進めている。ちなみに、この我が家には、クーラボックスは1つしかない。彼はまめな人だ。そして真面目な人だ。クーラボックスが必要なたびに、小さめのものを探す。
「ないから、あきらめて(笑)」
彼は、休みの日でも平日と変わらず朝5時過ぎには起床する。今日も私より早く目覚め、シャワーを浴びて、遅れて起きてきて私と洗面所で合流してキスした。そこから別々に準備を始める。まるでビジネスパートナーのように、それぞれに役割を全うする意思と少し気を許した感じが、ともに歩んできた十数年を感じさせる。
弁当も2人分作り終え、朝食をテーブルへ並べているとすでにアウトドアな恰好の彼が朝ご飯をつまみに来た。どうやら準備はあらかた終わったみたいだ。
「もういけるの?あの娘はまだ寝てるんじゃないの?張り切りすぎよ」
「いいんだよ、待っている時間も花見だからね」
「気持ち悪いわね、朝から気取らないで」
確かそんな話を、本当に気さくな話をしながら、私は彼とコーヒーを飲んでいた。
「理沙も起きたらすぐにでれるだろ、準備もそんなにないだろ」
「何言ってるあなた、理沙はこの春で中学2年生になるのよ、りっぱな女なんだからね」
「...」
彼は何も言わなかった。だが、彼の気持ちは理解していた。私だって、毎年プラス1年されるこのセリフを吐きたくはない。
少し間が空いたが、その間にも彼と何気ない会話を繰り返し、朝ごはんも片付いた。
「そろそろ起こしていいんじゃないの?」
そう伝えると、彼は少し重そうな腰を上げて、娘の名を呼びながら2階へと階段を上って行った。
「おい、理沙、そろそろ起きて準備しろよ、もうすぐ出発するぞ」
理沙からの返事は無いまま、だいたい15分くらい経過した。
「絵里、そろそろ車に弁当積んでもらっていいか?俺はもう車に乗ってまってるから」
そう伝えると、彼は玄関のほうへ向かった。
弁当箱を保冷バッグに詰めて、私も彼を追うように玄関を出て、車へ向かう。外は気味が悪いくらい春っぽい陽気で、遠くを眺めると、山がかすれていたので、今年も花粉が厳しいそうだ。
「あなた、弁当後ろに積め込むわよ」
「ああ、ありがとう」
緊張しているのか、どこか辛気臭い彼。
「なあ、絵里。今年はお前も一緒にくるか?」
予想外の言葉に、一瞬戸惑った。その言葉が何を意味しているのか、まったく理解できなかったからだ。彼の理解できないところなんて、シャンプより先にリンスを使う謎の行動くらいで、逆に言ってしまえば、それ以外の全てを理解しているつもりでいる。ただ、ごくまれに今みたいに、読めない時がある。
「この日、毎年のこの花見だけは、忘れないためにって、あなたが決めたでしょ」
「そうだよな、ごめん、って泣くなよ、」
目から涙がこぼれていた。
「花粉症だからね」と精いっぱいの笑顔を彼に向けた。
彼は車に乗り込み、エンジンをかけて、窓を開けた。
「じゃ、行ってきます」
無駄に陽気で、無駄に元気なその一言を残して、車はわが家を出発した。
部屋に戻り、私は理沙の部屋に向かった。線香に火をつけ、理沙に話しかける。
「理沙、今年もお父さんが花見に連れて行ってくれたよ、よかったね。理沙が生きてたらもう中学2年生だよ。小学生の時みたいにちゃんと桜好きなままかな?もしかして、彼氏とか作ってたりしてさ、お父さんとはいかない、なんて喧嘩してたりしたかな。今年はね、お母さんも行きたかったんだけどね、やっぱり怖いの。ちゃんと繰り返さないと、なにか大事なものが捨てられる気がしてね。しかも、花粉でさ、か花粉で涙がとまらないの、、」
「...」
理沙が死んでから、4年目の春。理沙は桜が好きだった。そして、主人と花見に行くのが好きだった。正直、理沙を忘れた日なんて、1日もない。ただ、私たち夫婦は、この日、花見をする日だけは、理沙を忘れないように、4年前の花見の日を再現して、忘れないようにしている。そんな哀れ。