9.わたし、くっせざる!
枯れ枝を集めて火起こしが終わり、一息ついて私も岩場に座ると、クレコが干し肉を差し出してきた。
クレコの方を見るとすでに、お上品に座って片手に水筒を持ち、くにくにと肉を噛んでいる。
どうぞ、今日の夜ご飯ですよー。そんな声を聞きながら、私もくにくにする。
よかった。いまから食料を取ってこいと言われる可能性も考えていたのだ。
家にあった冷凍して保存していた肉は重くて置いてきたのであるが、少し切ってもってくればよかったかと後悔していた。
久しぶりに干し肉を食べると顎が疲れるが、これも良い運動のような気がする。
「冒険者ギルドについてそういえばお話の途中でしたね」
ぷはッと旨そうに水筒の水を飲んだクレコが言った。
「コココさん……いや、コナさんは一般的な冒険者についてはご存知のようでしたが、ではそもそも何故冒険者ギルドという組織ができたのか知っていますか?」
「知らないです」
「では帝国に冒険者はいるのかどうかは分かりますか?」
「……いなかったと思います。少なくとも私は会ったことがないですし、冒険者に関連した施設も見たことがありません」
「そう、正解です。カビレイ帝国には冒険者も冒険者ギルドの関係者も一人もいません。
なぜなら、冒険者は反帝国を掲げて作られた組織だからです。
もっと具体的に言えば、帝国との戦争に備えて、となりますが」
クレコの言に、私は首を捻った。
周辺諸国が帝国の脅威に怯え、様々な施策や連帯を行っているのは知っている。
けれど、一般的な冒険者は対人というよりも対モンスターに特化した賞金稼ぎのイメージである。
山賊や盗賊討伐等の例外はあるだろうが、冒険者はあくまで冒険者であり、対人が専門の、しかも数万という規模の集団戦のために日夜訓練をしている、兵士の代替にはならない。
かといってミムヤのように選ばれたエリートによる特殊作戦部隊にもならないだろう。
それにしては弱く、特化した異能や技能もない者らが大半である。
「冒険者ギルドは良く考えられた組織であり、複数の利益を国々にもたらしておりますが、うーん、何から説明すれば良いか、ちょっと面倒なんですよね」
クレコはすっと空になった水筒の口を私に向けた。
私は右手から水を出して、その中を満たした。続きを促すように黙したまま。
「ありがとうございます。おお、程よく冷えていて美味しいですね!
ええと、そもそも冒険者ギルドは大陸の中心にあるオーデルワリア国が発案したもので、加盟各国が毎年決められた分担金を払う形で経営されています。
冒険者は加盟している国であれば自由に行き来ができますが、主な加盟国はオーデルワリアの東方および帝国の北方にある小国群になります。
現在私たちが向かっているドバド王国もその一つですね。これらの小国に共通するものは何かわかりますか?」
「帝国からの脅威、ですか?」
「はい、そうです。
より言うのであれば一国でその脅威に抗えるほどの力がない国ということになります。人口においても社会制度においても、金銭においても。
専門の兵士を養うというのは多くの時間とお金と労力が掛かります。
装備や訓練場、運用管理、給与等、様々なコストが発生する一方で、平時においては直接的な利益を生み出さないのが兵士です。
故に小国は専門の兵を多く雇い続けることが難しくなります」
「しかしその一方で、まともな兵でないと帝国には歯が立たない」
「その通りです。帝国が急速に領土を拡張できた理由の一つは国家の直属である正規軍を、つまりはそれまで傭兵と貴族の私有兵の寄せ集めが主であった他国と比べて練度が遥かに優る軍を、組織したことにあります」
クレコの言葉に深く頷く。
ミムヤにいた頃、ゴリマッチョの上官が酒を呑みながら何度も自負するように言っていたことを思い出した。
曰く、一人一人の戦闘力は元より、集団での行動や迅速な情報の集約と拡散、適材適所の人材配置から自軍の損害および戦況の正確な把握、そして愛国心に至るまで、あらゆる点において私有兵や傭兵の集まりは帝国に歯が立たない。
帝国の水準ではそれは軍とすら呼べない。
けれど、国内で貴族たちが相争い、国の施策と法律も貴族の領土・領民までには届かず、生まれによって身分も固定されるといった旧習に囚われている他国では、そもそも国家レベルで画一かつ統率の取れた兵を組織する基盤ができていない。
だからこそ、帝国は他国の百年先をいっているのだ、と。
「帝国の軍の先進化は、社会システムの変革の結果の一つに過ぎない。
そのため、帝国軍に質の面で追いつくためには、即ち国家の在り方自体を変える必要がある」
「おお、アホの子のコナさんの口からとは思えない単語がすらすらと出てきていますね。
その領域では流石は帝国の軍人さんといったところでしょうか」
「ただの受け売りですが」
というか、誰がアホの子だ、誰が。
じろっと睨んでやったが、メイドはどこ吹く風で干し肉を右の奥歯でにくにくしている。
「まあ、一般的にはその通りなんですけど、違いがあるとすれば帝国というハンパでない軍事力を持つそれはそれは強大な国家が近くにあって、実際に周囲の国が侵略されるのを目にしているっていうことですね。
そうすると国の上から下まで身分差なく、兵力を向上させる必要があるという強烈な危機感を持てるわけですから。
しかし社会の基盤が整っていない状態で軍事だけを先進化しようとすると当然ひずみが生じます。
帝国よりも遥かに非効率な国家運営をしている国が、経験も知識もない非効率な方法で帝国レベルの兵を賄おうとした結果、その総数は減り、しかも集めた兵は帝国との有事の際のために国境や首都に集結させている状態になりますので、国内に軍事力の空白地帯ができます。
即ち、治安維持もままならず、モンスターや盗賊がやりたい放題になるということです」
「そもそも他国はまだ警察と軍隊の分離ができていないということですね」
「ええ、その通りです。警察に似た役職があるところもありますが、軍の部門の一つであったり、実際の制圧は軍の力を借りたりしています」
「……そしてそこで登場するのが冒険者ということですか」
「そうです。
国境内の森や山のモンスター退治、それに武力を伴う犯罪人の拘束が、依頼という形で冒険者に降りてきています。
最も、そうすると冒険者に犯罪人や犯罪の容疑者を拘束・殺害する権利や、モンスターの狩猟をする権利など、色々な特権を付与しなければならなくなるのですが……。
私も詳しいことは分からないのですが、オーデルワリアが上手いことやったみたいですね」
「冒険者は国境を跨いで、他国の人間もやってくるといいますが、帝国であれば他国民にそのような特権を与えることは絶対にないと思います」
「それもまた帝国の脅威が成しえることなのでしょう。一国では到底抵抗できるわけがないと皆分かっていますから。
国家を跨いだ冒険者ギルドは、ある種の国家を超越した軍事組織の前触れなのかもしれません。
または、巨大な連合国家の基礎となるか。そのあたりはオーデルワリアの狙いと手腕にかかっていますね。
……そしてそろそろ不思議に思うでしょう? どうしてコナさんにこんな話をするのか」
クレコの中ではもはやコナという名前が浸透しきってしまったようだ。とても自然に声を向けてくる
「なぜならですね、街に着いたらコナさんにも冒険者になってもらおうと思っていまして」
唖然とする私の様子を見てクレコは続けた。
散々かみかみした肉をごくんと飲み込んで。
「ユタゲ様も私も冒険者内ではけっこう融通がきく立場なので、コナさんの身分を隠したまま冒険者にするぐらいは簡単できますよー」
「どうして私が冒険者になる必要があるのですか?」
帝国の最精鋭部隊と言われるミムヤの隊員が、反帝国の組織に加入するとはなんて皮肉だろうか。
幾ら脱走した身分とは言え、個人的にも気持ちの良いものではない。
裏切りに裏切りを重ねるようで、心が苦しい。
帝国側からみれば、端から内通していたと取られても不思議ではないだろう。
「先ほど話した通り、冒険者であれば自由に国境を跨ぐことができて、動きが取りやすいからですよ。
それに私とユタゲ様も冒険者であるので、いろいろと都合が良いんですよねー」
「私は……私は、まだ自分のことを、カビレイ帝国民であると思っています」
「あら、それは残念です。冒険者になってもらうことはもう確定事項ですので。
――まあ、帝国の方たちには無理矢理奴隷にされた挙句に冒険者にさせられたとすれば納得していただけるのではないでしょうか」
心無きクレコの言葉。
思わずローブの上から鎖骨を押さえる。
奴隷の徴。荊の刺青。取返しのつかないことが起こり過ぎていて、心臓が異様なほど速く乾いた音を上げている。
胸を抑えて俯いた。呼吸が難しい。だが、その背中をさすってくれる人など、もういない。
ミムヤにいたころが思い出される。
世界最強を謳う部隊は、その冷酷さのために国外は元より帝国内にあっても恐怖の対象として孤立していたが、内部には確かに優しさがあった。
隊員は家族として厳しいながらも支え合っていた。まるで厳寒の中一つの暖炉を囲んで温め合うように。
脱走という事実が重くのしかかる。あの時は、もうただ辞めることしか考えることができなかった。
精神は摩耗し、活力は底をつき、まともに思考もできずに、心の向くままに逃げて逃げて逃げた。
意識をぐるんとして奈落の底に落としたい感覚。自分を殴って嬲って虐めたい衝動。
ほんっとうに私はねむねむねむだ。もう、生きるのが、苦しい。
頭を掻きむしって、あぁあぁぁと呻く。冷たく見下されている視線が分かる。
――クぅー。
その時、愛らしい声が森から聞こえてきた。
そして声の後に森から現れたるは、つやつやながらぷにぷにでふわふわの水色の胴体に、愛らしい青の目をしたハミちゃんである。
ハミちゃんはまるで泣いている赤子に向かう母のように一目散に私に飛び込んでくる。
「おろ、おろろろろろろろ?」
毒舌メイドが変な声を上げる。が、そんなことは気にせずに私たちは抱き合って再会を喜んだ。
実はハミちゃんはずっと私たちを後ろから付けてきていたのだ。
その姿は見えず音も聞こえなかったが、何故かずっと見守ってくれている感覚があった。
いざという時に私を助けてくれるために。
「こちらはご主人様との闘いの時にもいた、コナさんの使い魔ですかね? 改めてみると可愛らしいですねー」
そう言ってクレコはハミちゃんに手を伸ばした。恐らく撫でようと思っただろう。
だが、ハミちゃんはきッと目を光らせたかと思うと、次の瞬間には伸ばしてきた手の人差し指を噛んだ。
「痛た! 痛たたたたたたた!」
よくやった! そいつが巨悪の根源だ! ――なんて喜んでいる場合ではなく。
「こら、放しなさい」
仮にも奴隷主であるこのメイドの気分を害したらどんな仕置きをされるのか分かったものではない。
命令されれば、ハミちゃんと別れさせられてしまうことだってあり得るのだ。
私が口を掴むとハミちゃんはすぐに放した。
えらい。そんなばっちぃもの口に入れてはいけません。
ハミちゃんは口を離した後もじーとクレコを睨みつけている。
「……なんか怒られている感じですね。というか、どことなく不思議と、ううう、懐かしい気がしてきます」
クレコは困ったように苦笑した。ハミちゃんのことが苦手なようで、強く言うこともできないでいる様子である。
その様はさながら主人と召使いのよう。
……あれ? つまりヒエラルキー的に、ハミちゃんが一番上で、私が一番下!?
いや、でもハミちゃんは私のペットだし……。ううむ、なんという三角関係か。
奴隷になった一日目の夜はこんなふうに更けていった。
ハミちゃんの乱入によって会話は有耶無耶になったが、私たちは改めて口を開くことはなかった。
クレコとしては伝えることは伝えたのだろうし、私としても話しても無駄と思ったからだ。
クレコは無防備に体を横たえぐっすりと寝ている。
見張りを命じられた私はハミちゃんと仮眠を取りながら、周りを警戒していた。
木々は騒がしく、これからの日々に何か影を落とすようにざわりざわりと揺れていた。
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