6.わたし、あん、どぅ、とろわ!
目蓋を開けると、日の光に直に見てしまい、すぐに瞑った。
月はその残滓すらも余さず消え失せ、天には凛々しい日輪が座している。
起き上がろうとして、全身がどんよりと重いことに気づいた。鉄の全身鎧を二重に着込んだような鈍さである。
「あら、おはようございますー。まあ、もう正午を回っていますがー。ご機嫌どうですかー?」
のんびりと間の抜けた女の声が聞こえて来た。重たい頭を擡げて見やると、私の家だったものの残骸の中にメイドがいる。
彼女は散り散りになったものを物色するように手を忙しくしている。
「な、に、して、るん……です、か」
口を開くのもまた重く、言葉の一音一音が鉄球のようにゆっくりごろごろと喉を通りぼてっと地におちる。
「いやー。コココさんずっと気絶していて暇でしたしー。ここでどんな生活をしていたのかなーと。
でも随分質素ですねー。いくつかの服と、簡易な食糧ぐらいしかないじゃないですか。
日記を見つけたのですが、初めの三日で終わってますし。
でも『ねむねむねむ』と『こなこなこな』という謎の言葉で埋め尽くされているのはちょっとホラーぽかったので良しです」
「……こな、こな、こな……」
人のプライバシーにずかずかと入ってくるメイドに精一杯の呪詛を述べる。
「あら、そんな恨めしそうな顔をしないでくださいな。
コココさんはもう私の奴隷なんですから。私にはあなたを隅から隅まで知る義務があるんですよー」
メイドは宥めるような口調で、煽るような言を吐いてくる。だがそれで思い出してしまった。思い知らされてしまった。
そうだ。そうだった。私は奴隷になってしまったのだった。社会の最下層。思ったことを言うこともやりたいこともできない。
あらゆる能動的なことに対して『否』や『非』が付けられる。主人の一存で虐げられ殺される矮小な存在。
クレコは近寄ってきて、被っているメイドキャップを取った。
封を解かれたようにふわりと一瞬浮かんで艶やかに落ちた髪は光魔法の象徴である金の色をしている。
「ちょっと探しましたが、コココさんの髪を隠すよい帽子はないみたいですね。
なので、仕方ないですがこれを被ってください。髪を全て収める形で」
渡されたキャップを受け取り、言われるがままに被る。そして気づく。いま私の手を動かしたのは、本当に自分の意志だったのか?
「素直で良い子です。ちょうどいいからテストしましょう」
クレコは私に直立に立つように命じた。
私は重々しい身体で四苦八苦しながらも立ち上がる。
それはまるでリンゴの実が木の枝から地に落ちるように当然のこととして。
魂を絞るような衝撃が感情を揺さぶる。だが、それを表に出すことはできない。だって、許されていないから。
痛感する。
気を失う前にクレコが行った裁判にした魔法。
あれの効果は、確かに私のとても深いところまで根付いてしまっている。
彼女は言った。『全能の神よ、罪深き彼女の肉体を私の口で縛り、業深き彼女の魔力を私の言葉の中にお収めください』。
それは神の名の元の制約。
彼女の言う『奴隷』とは、私の身体と魔法の一切合切の自由を奪うことにあったのだ。
「はーい、じゃあ、テストしますよー。これから私の言う通りに動いてくださいね」
幼子をあやすように言うメイドは、にやりと意地悪に笑い、声を張り上げた。
「まずは、伸びの運動ぅ! 息を吸いながら腕を前から上げてー」
私の口は肺に空気を入れ込み、腕は糸でまくられるように上がってゆく。
「息を吐きながら、腕からおろすぅー」
入った空気が抜けると同時に、糸が切れるように腕が下がった。
「これを私の掛け声に合わせて二回しますよー。はい、いち、にー、さん、し! いち、にー、さん、し!」
掛け声に合わせて二回息を吸って吐きながら、腕を上下した。
「いいですね! では続きましてー、腕を振って脚を曲げ伸ばす運動ぅ! 踵を引き上げ、腕を交差した状態から、腕を横に振って脚を曲げ伸ばす。腕を振り戻して交差しながら踵を下ろしてあげる! これも掛け声に合わせて二回しますよー! いち、にー、さん、し! いち、にー、さん、し!」
身体はクレコの指示通りに動き、彼女は満足そうに頷いた。
「よし、じゃあ、最後です。最後はちょっと難しいですよー。その名も恥ずかしい振る舞いに慣れる運動ぅ!」
ああもう、名前だけで嫌な予感がする。
「両足を肩幅に広げて脚を曲げて、両手を胸の前でピースサイン! そしてそのままのポーズで腕を突き出す! ほら笑って笑って、ピース、ピース!」
ピースという言葉に合わせて笑いながら腕を前にだす。
「ぷっ……くくく。いいです、いいです。
はい、これは私の声に後に続けて言いながら、行ってくださいね。はい、アン、ドゥ、トロワ!」
「アン、ドゥ、トロワ」
アンで足をまで、ドゥで胸元でピースサインをして、トロワでそれを前にだす。もちろん、無理矢理な笑顔で、である。
「はい、アン、ドゥ、トロワ!」
「アン、ドゥ、トロワ」
「ふふふ! うわー、コココさん何してるんですか、恥ずかしいですねー。人生楽しそうですねー。羞恥心っていうものがないんですかねー。
え、もう一回やりたいんですか? 仕方ないですねー。はい、アン、ドゥ、トロワ!」
「アン、ドゥ、トロワ」
自分でも顔が真っ赤になっているのが分かる。クレコはその赤いを頬をぷにぷにと人差し指で何回か押した。
「いやぁ、とってもおもし……いえいえ、テストは成功ですね。魔法は掛かってます。
コココさんは私の奴隷ちゃんです。あ、もう自由にしていいですよ。自由にお話や、身体を動かしてください」
言われると同時に、体の支配権は再び私に帰ってきて、思わず倒れこんだ。
思考の海は荒れに荒れていて、まともに考えを集中することができない。
「どうですか? 奴隷になって、どんな気持ちですか?」
「……控えめに言って生きていることを後悔するぐらい嫌です」
「そうですか、でもせっかく手に入れた命なのですから、大切にしてくださいね」
そう言ってクレコは手を差し出す。
私は僅かな逡巡の後、その手を取った。命令されて取るぐらいなら、自らとってやる。つまり、やけっぱちの心境である。
「じゃあ、行きましょうか。この魔境の森から出て、人々の営みがある街まで」
にっこりと笑うクレコ。その時、全くもって悔しいがその涼やかな顔には確かに光魔法を使うに相応しい清さがあるように思えた。
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