4.わたし、しぬ!?
死が近づいてくる。
まだまだ私の身体は健康体で、あと数十年はだらだらと生きる準備ができているというのに、外部からの強制的な終わりが迫ってくる。
それに対して私は――うわぁわぁぁぁぁぁぁぁ、と泣きじゃくることしかできなかった。
「ちッ、つまらん」
しかし死は母でも父でもなく、泣けば遠慮するものではない。
髪を鷲掴んでいたユタゲは、ぺっと私を投げ捨て、剣を構えた。
「だが、その怯えも一興と言えば一興か! ほらもっと泣いて喚いて無様になれ」
ほらほらほらと、ユタゲの足が私の頭をぐりぐりとする。
屈辱。けれど、甘んじて受ける。
クぅー! とハミちゃんが飛び出してきた。
そのままユタゲを威嚇するので、慌て掻き抱いて、懐の中に入れてしまう。敵意はないです! 降伏です!
「ごめんなさい。ごめんなさい! 命だけは助けてください!」
「嫌だ。私はな、人を殺すのが一番好きなんだ。お前は弱い癖に私の娯楽を奪うな」
絶句する。なんという正真正銘の殺人鬼。
清々しいまでに己が欲に愚直なこと。
「あのあの、私を殺そうとする理由は楽しいからですか? 他になにか……私がミムヤにいたときに何かしたとかではなく……?」
「当たり前だ。お前程度が私に何かできるわけがないだろう。
殺人が大好きなんだ。その意味ではミムヤの奴らには感謝している。
特に強いやつ、強さを誇っているやつらを屈服させて殺すのが至上だからな!」
「ひ、ひ、ひぃぃ」
涙がちょちょぎれる。とんでもない怪物に目をつけられてしまった。
「そういえば、貴様みたいな弱虫のミムヤは初めてだな。
他のやつらは死の間際まで決然としていて、ケケケケケケケケ、あの心臓を穿った時の快楽は忘れられぬものがあるが、まあ、仕方ない。
大丈夫だ。寛容な私は貴様が恐怖するのを赦し、それを愉しむことにしたからな」
四つん這いになって黒の悪魔から懸命に離れる。ケケケケと狂笑を後ろから聞いて、本当に私が怯えているのを愉しんでいるのを理解する
立てばそのまま切られてしまうのではないかという恐怖感が腰を竦ませる。
セコ、セコ、セコと四つ足で進んで、掴んだのは白い服の布。
まだ、あの殺人鬼に比べたら話が通じそうな、メイドである。
「あらー、かわいい。赤ちゃんのハイハイみたいでちゅねー」
人の無様な姿を見てのその言葉にむかっ腹が立たないではないが、今は絶体絶命、背に腹を変えられぬ時である。
私は懸命に乞うた。
「あのあのあの、わ、わたしまだ死にたくないんです。殺さないでください。見逃してください」
「うーん。とはいってもコココさんを逃がしても私たちには何にも得がないですからね。
というか下手したら私までご主人様に殺されちゃいますねー」
「わ、わたしは、み、みず魔法が得意です。この魔法なら誰にも負けないです。きっとお役に立てます。
だから、なんでもしますから、どうか殺さないでください」
「あらあらあら、最強たるカビレイ帝国の、天下無双で鳴るミムヤとは思えないセリフですねー。情けないですねー。
わがまま赤ちゃんのコココちゃん。同僚の方が見たら泣いちゃいますねー」
メイドの言葉は刃となって、殺人鬼より一歩先に私の心臓を抉る。
「知ってまちゅかね? 侵略国家である帝国の急先鋒ミムヤは、帝国内では英雄かもですが、それ以外の国では憎悪の代名詞なんですよ。
だからコココちゃんを殺したら人々から賞賛を受けるんです。
あなたは死を望まれているんでちゅねー」
「私は……! ――私は、もうミムヤではないんです」
「おろ?」
「脱走したんです。一年ぐらい前に。もうこれ以上、人を殺したくなかったから」
後半は嘘だ。他人のためではない。罪悪感などはない。
死線を潜り抜ける日々に、次は自分かと恐怖に付き纏われる日々に、ただ精神が摩耗してどうしようもなくなっただけだ。
「おろろろろ?」
「お願いします。助けてください」
白黒のメイド――クレコは、じっと私の顔を見つめた。
「はあ、どうにも苦手なんです。その髪と瞳の鮮やかな青色。昔を思い出してしまいます」
そう言うと、クレコはすっと左手を差し伸べてくる。
「いいですか、私の左手の掌にあなたの手を乗せて、これから言うことを復唱してください。そしたら助けられるかもです」
私は右手を乗せながら、黙ってうなずいた。
「良い子です。ではいきますよ」
――天地の創造主に告白します
「天地の創造主に告白します」
――私、コココ・ミムヤは
「私、コココ・ミムヤは」
――盗みを働きました
「! あ、あの、盗みなんて……」
「繰り返しなさい。コココ・ミムヤ。助かりたいのであれば」
「――ッ! ……盗みを、働きました」
――私の手足は己が欲の垢に穢れきっています
「私の手足は己が欲の垢に穢れきっています」
――醜い垢が落ちるまで、私は自分の意志で四体をあなたに捧げます
「醜い垢が落ちるまで、私は自分の意志で四体をあなたに捧げます」
――どうか奇跡の光にて私をお縛りください
「どうか奇声の光にて私をお縛りください」
――主のご慈愛に感謝いたします
「主のご慈愛に感謝いたします」
告白が終わるや、クレコの左手から光の縄がでてきて、瞬く間に私の両手を胸の前に合わせる形で縛り、両足も太ももから合わせる形でぐるぐる巻きにされた。
縛られた!
だが、最初に来る驚きはそこではない。
「光魔法だなんて……まさか、そんな」
魔法は神の恩寵。魔法使いは内なる信仰心を糧として奇跡を呼び起こす。
そして、その恩寵は三種に大別することができる。上位より、聖霊魔法、光魔法、その他の魔法である。
聖霊魔法は奇跡の中の奇跡。
”聖霊”という創造主の位格の一つの名を冠している通り、主の御業の一端であると言われている。
その存在は伝説級であり、行使できる者は数百年に一人、人類が危機に瀕した時にのみ現れるという。
聖霊魔法の術者は死後に列聖されることが約束されている。
列聖とはすなわち人を超えた聖人、天使の一翼になることを言う。
ちなみに、今代においては聖霊魔法の術者は確認されていない。
光魔法は聖霊魔法に最も近き魔法。
または、主に直線で結ばれし魔法、主の御業の残香とも呼ばれる。
聖霊魔法に比べると行使できる魔法使いの数は数千倍となるが、それでもその他の魔法使いよりは遥かに少ない。
光魔法の術者は、その行使のレベルにもよるが、少なくとも教会より司祭の地位を与えられる。
その他の魔法は、その名の通り、聖霊魔法でも光魔法でもない一般の魔法である。
私の水魔法もここに属する。
つまり何が言いたいかと言うと、目の前のメイド服を着て、しかも殺人鬼に仕える、クレコという女は、少なくとも司祭様の地位であるということだ。
「えぇ、えええぇ」
「あはは、驚きましたか?」
光魔法は主に代わって人々を『癒し』もしくは、『罰する』魔法。
そして私を縛る光の縄は明らかに罰の方である。
「私、なにか罪を犯したのですか……?」
「先ほどご自身で言ったではないですか。『盗みを働きました』と。悪い手足は縛っちゃいましょうねー」
「あ、あれは無理やり」
「あら、光魔法の術者である私が嘘をついたというのですか? あなたは異教徒の類いですか?」
「な、そんなことは決して……!」
「現に罰は実行されあなたの手足は縛られている。それが罪人である何よりの証ですよ」
にんまりと笑う聖職者メイド。
「分かったら黙ってください。いまからご主人様とお話をしないといけないのですから」
そう言ってクレコは私を乗り越えていく。
その先に待っているのは剣を肩にかけてつまらなそうにしている殺人鬼である。
全然納得がいっていない。
けれど、そんなことを言っていられないのも確かである。
私は自身を騙して縛ったメイドのか細い背中に、心の中で応援を送るしかなかった。
「お待たせしてしまい申し訳ございません」
「全くだ。さっさとその女の縄を解いて渡せ」
「それが、状況が変わってしまいました、ご主人様」
「……。まさか、クレコ、私の邪魔をしようというのか?」
ユタゲより黒い殺気が矢のように四方に放たれる。クレコの背中がぶるりと一度震える。
だが、メイドは毅然と言い放つ。
「ここは矛をお収めください」
「なるほど、お前も死にたいのだな」
一歩一歩、ユタゲがクレコに近づく。一歩近づくごとにクレコの背中がぶるぶると震える。
「ユタゲ様、彼女は私たちの目的のために必要な人材です」
ユタゲの歩は止まることはなく、進み続ける。
しかし、クレコもまた、震えながらも一歩も退くことなく対峙している。
「もしかすれば、もしかすればですが、コココさんはあの方と関係があるもしれません。
そうでなくても、彼女の力を私たちが自由に使えれば、この先役に立てるでしょう。
このレベルの術者で、殺さずに生け捕りにできるはまたとない機会です」
私は目を瞑り、ただ祈っていた。
死が、死が迫りくる。覚悟もなにもミムヤにおいてきた。
イメージは裸の、いや、肌すら剥がれた、剥き出しの生身に、刃が突き立てられるような。
ひたすらに怖くて、ひたすらに生きたくて。
「この小娘をどうするつもりだ?」
「自由を奪い、私たちのために働かせます。つまり、奴隷とします」
「できるのか?」
「これほどの魔法の才と戦闘術に長けた者には通常はできないでしょう。
ですが、見て下さい。彼女のこの怯えよう。
自身の運命を決めるというのに、ただ現実から逃避して祈るだけ。
その心はとうてい戦士とは呼べないでしょう。まさに“小娘”が相応しい。
小娘程度であれば奴隷に落とすなど容易いことです」
「ふん。――おい、小娘! こっちを向け」
突如、髪を鷲掴みにされ、引き摺り上げられた。眼前には真っ黒な髪と目の白い女が牙を剥いている。
「クレコに感謝するんだな。見逃してやる。
ただし、逃すからにはもっと強くなってもらわなければ、殺しがいがある奴になってもらわなければ困る。いつまでもあんまり弱いままだとぷちッと潰してやるからな」
顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、何度も深く頷く。すると、吐き捨てるように投げられた。
「それとクレコ、こっちに来い」
「はい」
「これは私の娯楽を邪魔した仕置きだ」
「は、――がぁッ、はッ」
ユタゲの黒剣が、クレコの腹にめり込んでいる。いや、貫通している。
ずずず、と刀身はゆっくりと彼女の腹の中に入っていき、ついに鍔に当たって止まった。
白黒のメイド服を、赤の血がじわじわじわと浸食していく。
「……はい。申し訳ございません」
「ふん」
ユタゲは腹から剣を抜き、バサァッと一振りして血を落とすと、そのまま鞘にしまった。
クレコは腹に空いた穴を押さえることもせず、礼儀正しく手を前に組んだままである。
「後はまかせる。私はもう帰る」
「承知いたしました。私どもも、ことが終われば、すぐに戻ります」
クレコが述べ終わるのを待たずして、もうユタゲはかつかつと、魔境の森の出口へ向かって歩いていってしまった。
腹に穴の空いたメイドはその間不動の姿勢であった。やがて、主人の姿が見えなくなると、ゆっくりとこちらを向いた。そして、
「いやー、ちょっと死にかけましたね。でも、何とかうまくいけました! ブイブイです!」
腹から血を出しながら、笑顔でそんなことを言ったのである。
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