3.わたし、やっちゃう!
月夜の晩。
魔境の森の中。
次の斬撃も、やはり気味悪く笑う女の方からであった。
「放出系の水魔法を、放出した後も制御し、あまつさえ剣の形にしてしまうとは、さすが、コココ・ミムヤさんですね。
ですが、水は液体ですし、とても柔らかいように思うのですが、剣としての役割は果たせるのでしょうか?」
メイドの疑問には答えてやらない。というか、答えずともすぐに分かるだろう。
迫りくる剣戟。手に持つ鉄の剣は鋭く研がれ月光を反射し、業物の一振りであることが一目で見て取れる。
――水は岩を穿つ。寂々と時を置きながら岩に落ちる一滴のしずくも、落ち続ければやがて穴を開け、水の道を作る。
古来より伝わることわざにヒントを見出したのは五年ほど前。
結局それって、何千万、何億万ものしずくが岩に当たったことによって起きたんじゃないかと。
だったら、魔法で人工的に瞬時に億の水を叩きこめれば同じことが再現できるのではないかと。
ことわざから抱いた仮説は簡単に裏切られた。
瞬時に奥のしずくを叩きこむための訓練を続けた結果、そもそも、高速で水を叩きこめば大概のものを穿つことができることを知った。
その結果生まれたのが、剣の形を成しながら高速で流れ続けるこれだ。水流剣と名付けた。かっこいい名前だろう。
女が袈裟懸けに振るった剣を水流剣で受け止める直前に、水の流れを最速とする。
イメージはハエの羽ばたき。つまり、目で追える範囲を超えたもの。
本物の速度をどこまで実現できているかはそれこそ観測のしようがないが、その効果は十分。
鈍い音が水と鉄の剣の間より生じた。
かち合った瞬間に上に弾かれたのは女の鉄剣。
女は弾かれた勢いを利用するように、後方へジャンプし、私との距離を置いた。
尋常ならざる身体能力。純粋な剣術では絶対、勝てないだろう。でも――。
女は手に持つ剣の、かち合った箇所を見やる。そこはざらざらと水流により削られている。
――魔法はそれ以外における優劣を容易く覆す。
「おおー。すごいすごい!」
パチパチと拍手して褒めるメイド。
「あの、私はあなたたちと闘いたくないです。ここでひっそりと暮らしたので、帰ってくれませんか?」
「五月蠅い」
改めて提案を投げかけてみるが、メイドはにっこりとしたまま、対峙する女に言下に断られる。
殺人鬼の女は興味深そうに削られた痕を眺めていて、やがてにぃぃと笑い、またケケケケと突撃をしてきた。
横凪ぎの一閃。また鉄と水が交り、先の展開と同じように鉄が弾かれる。
しかし、女は弾かれた勢いを今度は攻めに利用することにしたようだ。勢いのまま一回転し、二撃目を繰り出してくる。
だが、それも同じ。また水に弾かれる。斬り、弾き。斬り、弾き。斬り、弾き。斬り……。
気づけば、何十合と切り結ぶ。
「おお、ご主人様があっちいったりこっちいったり跳ねたり飛んだりしながら……おう、おう、おう! こんなの初めてですー!」
絶え間なく続く打ち合いは、また女が後ろに飛ぶように引くことによって終わった。
前回との違いは、女の身体全体が傷だらけになっていることである。
「冷気。それも氷が混じったもの」
女の言葉に頷く。
先ほどの打ち合いの最中、私は自身から半径一メートルほどの空間に冷気を出していたのである。
「片方で水の剣を作りながら、他方では全身から極小の氷を無数に潜ませた冷気をだすか」
水流剣をつくることも、体中から冷気を出することも、平行して魔法を行使することも、どれも一般の魔法使いには到底できぬこと。
故に、私は”ミムヤ”の一員となった。
「もうやめませんか? ……次来たら本気で撃退しますよ」
「そいつぁは大歓迎だ」
警告むなしく、女は三度かかってくる。
剣戟を受け止めた水流剣で弾くが、女のスピードはさっきの比ではない。
自らが傷を負うのを構わず、受ければ致命的となる一閃が暴風雨のように降り注ぐ。
近づけば冷気によって手足は凍える筈であるが、全く影響を受けていないどころか、圧迫は増している。
冷気に潜む氷が女を切り裂く。血が飛ぶ。黒革の鎧が赤く染まってゆく。
氷が裂いた肉の、そこから飛び出した血がぴしゃっと頬についた時、悪寒が背筋を走った。
ダメージは明らかに相手の方が大きい。だが、押されているのは自分。まるで、血に飢えた悪鬼のよう。女の気味の悪い笑みはますます深まり、ケケケと狂気の奇声はより高まってゆく。
微かな違和感がひっかかる。
ああ、もう、駄目だ。殺らなければ、――殺られる。
「覚悟してください。――殺ります」
女が縦に振るった一閃。それを水流剣で止める。
だが、弾くのではない。
鉄の剣は水の剣を中に入っていた。だが、水を半ば断つところで斬撃は止められ、そこで滞留した。
理屈は単純だ。さっきまで弾いていた水流の流れを弱め、じょじょに剣戟の勢いを失くしたのだ。水流剣の本質が水であり液体である故のなせる業である。
つまり、私の剣は、彼女の剣を捕まえた。
「逃さない」
水流剣を後ろに引く。すると、その中に捕らえられている剣も引かれ、それを持つ女も近づく。
纏う冷気は彼女の足へ向け、動きを止めることに集中する。
そして、私は女に向かって大きく口を開いた。
「!」
この時、初めて女の驚愕の顔を見た。
口腔内に生まれる魔力の渦。極限にまでそれを細くし、弓で矢を引くようにきりきりに力をため込む。
女は剣を放し、離脱を試みた。だが、女の脚は私の冷気に捕らわれている。もう遅い。
口から放たれた青の光線が、一直線に女に向かい炸裂した。
遠くに吹き飛ばされる女。砂煙があがり、飛んで行った方向が覆われる。
放った魔法の原理は水流剣と同じ。何十万もの滴を高速で敵に飛ばすというもの。
水流剣は剣の形を成しながら回るが、こちらは放出系の魔法らしく打ちっぱなしである。
いまの私の持つ、最大火力の魔法。単純だが、水線砲と名付けている。
「まさか、二つではなく、三つ……三列平行魔法。さすがに三つの魔法を同時に行使する方は初めてみましたね」
そう言ってパチパチと拍手をするは、のほほんとしたメイドである。
「そんな余裕があるのですか、あなたの主人はただでは済んでませんよ」
「”あなた”なんてそんな、クレコと呼んでください。私たちの仲ではないですか。それに、ようやく面白くなってきたところですー! わくわくーです!」
メイドは両腕の肘をわくわくとした感じで揺らす。メイドのわくわく。略してメイワク。
……砂埃が晴れてゆく。
「あなたたちは何者なんですか?」
「あら、そういえばご主人様の名前はお伝えしていなかったですね。
というか、まだ気づかれていないのですね?
けっこう名は知れていると思っていましたが。……特に帝国の方たちには」
「――え?」
一陣の風が吹いた。その風は消えかかっていた砂埃にとどめをさした。
視界が晴れた先にいた女が持っていたのは――黒剣。柄から刀身、切っ先に到るまで、黒に塗り潰された刃である。
ああ、なぜ、今まで気づかなかったのか。
月のない夜のような黒の長髪に、白の肌。そして髪よりもなお黒く、絶望の淵から産まれたと言われる黒の一振り。
――黒の厄災。
かつて、ミムヤでの上官に言われたことがある。
試すな、闘うな。ただ逃げろ。
がむしゃらに逃走しろ。
やつが見えなくなっても、体力と魔力が続くかぎり逃げ続けろ。
さもなければ、死の黒剣が容易くお前の首を刎ねるだろう。
それはミムヤにおいて遭遇したこと自体が退却の理由として許される唯一つの存在であった。
それは十年ほど前に突如現れ、多くの仲間の命を奪っていった化物であった。
「ユタゲ・セイエン様。ご主人様の名前です。ご存知ですかね?」
「あ、あ、あ……」
血だらけの女――ユタゲは左手に持つ黒剣を肩において、私を見据えている。
帝国は、ミムヤは、多くの犠牲を伴いながら十年間突如現れた敵の力を慎重に測ってきた。
どれほどの戦力を投入すれば、彼女を止めることができるのか。
だがその試みは悉くが失敗した。どれほどの戦力を送り込んでも結果は常に同じであったからだ。未だにその底は見えていない。
――分かっていることは、今のお前が百人いてもユタゲという化物には勝てないということだ。
上官の言葉を思い出す。
私は部隊にいた時に出会ったことはなかった。けれど噂は常に聞いていた。顔を見知った仲にも、殺された者がいた。
鉄の剣を振るっていた時とは覇気がまるで異なる。傷つき血を流しているのは彼女だというのに、勝てる気がまるでしない。
「ふん」
鼻をつんと上げて、小馬鹿にしたように鳴らしたユタゲは、次の瞬間には目の前から消えていた。
「え……」
右からの衝撃。命を削る斬撃。
かろうじて合わせた水流剣は、しかし黒剣の前に弾くこともできずに裁断された。
「――!」
足場に氷を張る。全力でこける。
黒剣が水流剣を切った勢いのまま迫る。
左手と右腕から氷の盾を出す。右腕から一枚。左手から一枚。
剣が一枚目の盾に当たる。
両膝を曲げる。ジャンプの態勢。
一枚目は紙のように切られたが、二枚目で僅かに速度を殺せた。
跳躍する間際。斬撃が私の脇に迫った。
「ぐぅ」
跳躍にて後ろに避難をしながら久方ぶりに斬られた痛みに呻いてしまう。
傷は浅い。五体は十分に動く。
だけど心に受けた衝撃は計り知れない。
水流剣も、防御の魔法も役に立たない。
つまり、絶望。
「ハミちゃん! 力を貸して!」
言葉と同時に、魔境の森の中に隠れていたハミちゃんが物陰からさっと飛んできた。
私は着地と同時に口を大きく開ける。ハミちゃんもまたお揃いで口を開ける。
魔力の渦を両手と口に。渾身の力と魔力を込め、溜めて溜めて、解き放つ。
「おお! その水色の蛇は使い魔でしたか! 主従合わせての魔法ですね!」
二列平行の水線砲。
水の光線が空気と土を裂きながら直進する。
戦場で使用すれば敵兵は台風の前の野草のようになぎ倒されてゆくだろう。
戦況をひっくり返す、私の最強の魔術行使。
だが、それを前にして、ユタゲは、黒の厄災は、ただ黒剣を一度振るっただけであった。
まるでうざったい羽虫を払うかのように。
そして、私の最強は霧散霧消する。
儚く脆い、羽虫のように。
思わず、膝が崩れ落ちる。――格が、違い過ぎる。
何事もなかったかのように二つの水線砲を消し飛ばしたユタゲは、不満気に首を捻った。
「クレコ! クレコ、クレコ、クレコ!」
「はい、何でしょうかご主人様」
「こいつは駄目だ。全然駄目だ。どうしようもなく駄目だ」
「あらあら、ではやはり?」
「ああ、殺してしまおう。やっぱり切り刻んでやろう」
「あらー、残念です。私は大道芸のようで面白かったのですが、少し弱すぎちゃったですね」
「そうだ、弱すぎだ! ならばもう殺すしかない!
ざくざくざくと。心臓をざくざくざくと。――ケケケケケケケケケケッケケケ!」
悪鬼が迫りくる。私は全身が震えて膝が落ちた状態から立ち上がることができない。
「実はですね、コココさん。
あなたはまだお若いですから、今後もっと強くなる可能性があるようであれば、今回は見逃すことも考えていたのですよ。
だけど、もうユタゲ様はコココさんを見限ってしまったのです。
残念無念ですねー。
こうなったらもうどうせ殺されちゃいますので、最後に盛大に抗ってくださいな」
種明かしをするようにメイドが明るい声で言う。
一歩一歩、死が近づいてくる。下を向けど目を瞑れど分かるその殺気。私の心臓を一心に見つめている悪魔。
強くなる可能性があればだって?
そんなもの、私にあるはずがないじゃないか。
私はただの脱走兵だ。闘いの世界から逃げて逃げて、この辺境で追手に怯えながら暮らしている臆病者だ。
「つまらん。貴様は本当につまらん」
ここに到って抵抗の素振りすら見せない私に腹が立ったのか、腹を蹴られた。
吹き飛ぶ私。
息が詰まる。無様に腹を抱えてげぇげぇとえずく。
その眼前の土を、ちりちりと黒剣が撫でた。
「首を切ろうか、心臓をecごうか」
髪を鷲掴みにされ上に引っ張られた。目の前には狂気に歪んだ顔。
「なあ、どっちがいい? 首か心臓か? やっぱり心臓か? 心臓だな! ……ケケケケッケケケッケッケケケケケケー!」
魔境の森にて、悪魔の権化のごとき怪物の歓喜の声が響き渡った。
拝啓。殿下。
脱走してごめんなさい。
どうやら私、殺されちゃいそうです。
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