9.蓄える
アレスが倒れるような形で眠りについて数刻後。
気持ちよさそうに背伸びをしながらゆっくりと目を開いた彼は、それまでの暢気な様子とは一転した俊敏な動きで周囲を警戒した。
義父に仕込まれた観察眼で周囲を観察するも、眠る前と比べて不自然に変化した点はない。
扉は開かれたままだが、そちらはアレスが開けたままにしていたのでそのままになっている、と考えたほうがよいだろう。
懐の荷物がなくなっていないか調べてみたが、そちらも問題はなかった。
窓もないということもあって時間間隔だけは取り戻せなかったが、とりあえず問題はなさそうだ、とアレスは結論づけた。
次の瞬間、先ほど――眠る前のことだ――に聞かされたリトルの言葉を思い出す。
『……周囲に結界が貼ってあるから、モンスターが入ってこれないんだ』
「……あ」
アレスは今までの行いがとんだ無駄骨であったことに気づき、顔を林檎のように赤らめた。
あまりの羞恥に叫びだしたくなってしまうのを必死に抑え、うつむきながら髪を掻きむしる。
その手から普段の己では到底出さないであろう体温が認められたので、自分がどれほど恥ずかしがっているのかをまざまざと認識させられ、アレスは余計にみじめな気分を覚えた。
――いや、仕方ない。もしものことだってあるし、これは職業病みたいなもんだから。
唸りながら顔を隠すこと十数分後、アレスは心の中でそう言い訳を繰り返しながらゆっくりと立ち上がったのだった。
「あ、おはよー」
ぐっすりだったねー、とリトルが笑う。
衣服の乱れなど、眠ったと思わしき様子は見受けられないが、寝不足による衰弱のようなものも見られない。
立て続けに見せられる彼女のどこか超然とした側面に、彼女の言っていることは本当なのかもな、とアレスは思った。
「ああ、おはよ――」
おはよう、と言いかけてアレスは気づいた。
眠っていないということは、己が眠ってからの一部始終を見ていた可能性も高いということ。
――もしかして、あの有様を見られたか……!?
「ねえ、顔真っ赤だよー、なにかあったのー?」
「う、うるさい!」
アレスの顔をからかうリトルに必死に反論を行いながら、扉の近くへと歩いて行った。
周囲に影は見つからないが、遠くからかすかに足音や吐息のようなものが聞こえる。
アレスはしばらく扉の前にへばりついたままでいたが、やがてなるほど、と頬を緩めて笑みを浮かべた。
何か思いついたようだ。
「アレス?」
「なあ、リトル。ここは何時間以内に出ないといけないとか、そういった制限時間はないんだろ?」
「たぶんないと思うけど……」
「そうか。それなら――」
――あいつらを大量に倒してからでも遅くないだろ?
そう語るアレスに、リトルがにやりと笑みを返す。
「なるほど、ここで信仰を高めておきたいってことだね」
「そりゃあ、こんだけ訳のわからない場所ならそこらへんちゃんとしとかないといけないしな。……っと、その前に」
アレスは懐から鑑定の杖を取り出して、空中に軽く振る。
振り終わった杖の先端がぼんやりと光ると、アレスは何かを読んでいるかのように空中へと視線を走らせた。
「なるほど、中々の内容だな」
特に弓、これは拾い物だとアレスは笑う。
アレスは鑑定の魔法の効果で、持ち物の詳細が判別できるようになっていたのだ。
鑑定結果は往々にして視線に直接映り込むような形で現れる。
それらが術者以外に見えることはないため、周囲から見ると宙をぼんやりと眺めているかのように見えるのだった。
その内実はこのようなものであった。
・マジックミサイルの杖が2本
・炎の杖が1本
・治癒の杖が1本
・異次元の杖が1本
・鑑定の書が1冊
・治癒の書が1冊
・氷の書が1冊
拾った矢は祝福も呪いもない、ありふれたものだった。
その中でも特筆すべき内容だったのが弓だ。
材質は樫の木と非常に頑丈な植物で作られていて、さらに魔法の力で燃えないよう保護されている。
もし火の中に落としてしまったとしても傷ひとつ付かないだろう。
――もっとも、それは持ち主の健在を保証するわけではないが。
さて、とアレスは弓矢を構えてつぶやく。
「アイツらを狩りに行きますかね」
不敵な笑みを浮かべながら、アレスは扉の向こうへと足を踏み出した。
◇ ◇ ◇
「――こんなもんか」
祭壇のある部屋で生肉を抱えながらアレスは独り言ちた。
狩りの結果が予想以上に優秀だったのだ。
扉の近くに気配があれば音でおびき寄せ、遠くから弓矢で撃退する。
近くに奇襲があれば部屋の内部に戻り、安全圏から魔法などで攻撃する。
ただそれだけの行動を行ったというのに、最終的に倒した敵の数は十数体を超えていた。
「だいぶエゲツない手を使うねー」
「そりゃあこれが最善手だろうしな」
アレスは何でもないように答えた。
彼の属する諜報部隊は、基本的に裏工作やスパイ、時には暗殺といった手を使用するために存在する部隊である。
そこの出身である彼にとって、手法の優劣など――個人的な心情や、あるいは情報戦におけるメリットは置いておくとして――存在しない。
より有利だと考えることができれば利用し、そうでなければ利用しない。ただそれだけである。
――それよりも、とアレスは思う。
「この結界ずいぶんと頑丈だな。予想以上だ」
元々の計画では狩りをここまで続ける予定はなかった。
というのも、どれほど頑丈だとしても結界をすり抜ける存在が大なり小なりいるだろうと考えていたのだ。
そのため部屋の結界もあくまで保険程度に捉え、本体はその部屋の広さと考えていたのだが――
――実際のところ、魔物のすべてを一切部屋に入れることなく倒すことができたのだった。
どうやらこの結界の仕掛けは、アレスの予想をはるかに超えて優秀なものとなっているようだ。
すごいな、と素直に驚嘆の念を口にすると、ここの魔物が弱いっていうのもあるんだけどね、とリトルが付け加える。
どうやらさらに強い魔物となってくると、結界と言えども完全な防護は不可能なようだ。
魔術的手段を用いるとはいえ、結界とはいわば盾のようなものだ。盾に一定以上の力が加われば砕けてしまうように、結界も一定以上の力が加われば砕けてしまうのは道理と言えた。
「となると、奥の方に進んだら別の防護策を用意しないといけないな」
「確かにね」
あ、でも、とリトルが思い出したように言った。
「生贄をたくさん用意してくれれば、ボクがもっと安全な結界を張ったりしてあげられるよ!」
「結局そこに行くのかよ……」
よっこいしょ、とアレスは外見に似合わない掛け声を出しながら、祭壇へと大量の肉を捧げた。
肉とはいうものの、後ほど使うための毛皮や食事のために使った一部を除いてほとんど原型そのままで、死体と言ってしまったほうが良いような有様だ。
それらが山のように祭壇の上に積まれていて、もはやどれがどの肉――あるいは死体――なのか判別がつかないようになっている。
血は防腐処理も兼ねてある程度抜いていたものの、やはり限界もあるのか、祭壇の上から赤い筋がひとつまたひとつと流れだしていた。
「生贄を捧げるのはこれだけでいいのか?」
「OKだよ! それじゃあもう少しだけ待ってて」
リトルがそう返すと時を同じくして、祭壇がまばゆい光に包まれた。
あまりに急な出来事に思わず目を閉じてしまうアレス。
幸い音などは流れていなかったので、物音がないか集中して何も問題が起きていないことを確認する。
どうやら本当に光に包まれているだけのようだ。
光が落ち着いたのを見計らってアレスが目を開くと、祭壇は傷ひとつ沁みひとつない綺麗な状態に戻っており、肉の山も血の跡もどこにも残されていなかった。
それと時を同じくして、アレスは己の身体が温かくなっていることに気が付いた。
身体を動かした後の物理的な発熱とは違い、より抽象的な、あるいは心象的な部分が温かくなっているのだ。
これが信仰を力に替えるための力なのだと、アレスは直感的に理解した。
「それでさ、この後はどうするの? 階段降りる?」
「いや、今日はこのまま休むことにするよ」
リトルの問いかけにアレスはそう答えた。
可能な限り早く踏破するべきではないかという思いはある。
しかしこれだけ不確定要素が多い場所だ、あまり逸った行いは取りたくなかった。
それに、今のアレスは純粋に疲れているのである。
もちろん疲労した身体で強力な魔物と敵対したくないというのもあるが、それ以上にただ骨を休めたかった。
そういった思いを込めたアレスの言葉に、リトルは納得した様子で頷いた。
「それじゃあオレは寝る。おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
毛皮を繕った毛布に寝転がって目を閉じる。
やがて息が眠るときのそれに変化したのを見て、リトルはやわらかい笑みを浮かべた。