2.出会う
……と……きて……
「ん……」
「ちょっと! 早く起きろこの寝ぼすけ!」
大きな声に驚いて、アレスは意識を取り戻した。
現状が把握できない彼は、なにが起こったのかわからない様子で辺りをきょろきょろと見渡している。
「え、オレ、死んだはずじゃ……」
「ピンポンピンポーン、大せーかい! まだまだ脳みそは腐ってないみたいだね!」
未だ何が起こっているのかわからないアレスの肩に、ひとりの女性が手を乗せた。
「アンタ誰……って、ちょっと! 近い!」
呆然とその様子を受け入れていたアレスだったが、女性の顔をしっかりと認識すると、途端に顔を赤らめて後ずさった。
真っ白な肌にこれまた真っ白な髪を腰の辺りまで伸ばし、爬虫類のような鋭い瞳孔をした赤い目を光らせている。
顔立ちは妖艶な美人といった風で、余計にその鋭い目が目立って見えた。
身長は180cm弱と女性であることを差し引いても大柄で、露出は少ないながらも身体のスタイルがわかる白いワンピースを着ていた。
表情はどこか無邪気でいたずらっぽい一方で、どこか老成した雰囲気も漂わせている。
すっかりゆでだこのようになったしまったアレスを見て、女性はおかしそうに笑った。
「アハハッ、諜報部なんだからこういうのには慣れてるんじゃないのー?」
「う、うるさいっ! オレはまだまだ成長途中なんだよ!」
思わず反論するアレスだったが、次の瞬間、頭にふと疑問が過ぎる。
――まて、こいつオレのことを『諜報部』って言ってなかったか?
諜報部は国の暗部である。
特に機密情報を取り扱うこともあってか、大臣や王家のなかでも一部のものにしかその存在は知られていない。
構成員の内実もそのひとつであった。
アレスは思わず女性の顔を見る。
可能な限り王族や大臣の顔を記憶から引っ張り出してみるものの、彼女のような顔つきをした人間は見たことがない。
それだけじゃない、とアレスは内心で付け加えた。
今いるこの空間、それ自体も奇妙なのだ。
先ほどまで彼がいた真っ黒な空間とは違い、ここは一面白でおおわれている。
それも雪のようなものによって白くなっているといった様子ではなく、空間そのものが真っ白だと考えざるを得ないような状態である。
ふたたび混乱しはじめたアレスを、女性はけたけたと笑って、
「もー、さっきキミが言ってたでしょ?」
「言ってたって……ち、近い?」
「違うって! もっとその前!」
「……死んだ?」
「そう! さっきの切れ者っぷりはどこ行ったのさ! キミは死んだんだよ!」
もー、と女性が頬を膨らませる。
アレスは口をぽかんと開けたまま周囲を見渡すと、
「じゃあ、ここは死後の世界なのか……?」
とつぶやいた。
「んー、その通り! って言いたいけど、実は不正解なんだよねー」
「不正解って……じゃあここはどういう場所なんだ……?」
「生と死の間っていうか、あの世とこの世の間っていうか……」
あー! こういう説明は苦手なんだって! と女性が匙を投げる。
「まあそんなことはどうでもいいんだよ!」
「いや、どうでもはよくないんじゃ」
「いいの! そもそもキミ、この後生き返るんだから!」
「……生き、返る?」
その言葉にアレスがぴくりと反応した。
しかしなにか希望を持ったというよりも、次々とやってくる情報に困惑し通しといった様相である。
「そ、まあ厳密にいえば、キミがあの洞窟に入る前に記憶だけを引き継いで戻るって感じだけどね」
身体の状態とか、荷物とかは基本全部戻っちゃうから気を付けなよ、と女性は付け加えた。
「そんなこと急に言われても」
「まーそれはそうなんだけどねぇ」
というかさ、とアレスが付け加えた。
「アンタは誰なんだ? オレのこと妙に知ってるっぽいけど」
「あー……そうか。そうだよねー」
女性はしばらくの間、言いづらそうに頭をわしゃわしゃと撫でていたが、ずいと顔を近づけると、
「ボクはチッツァ=リトル。これからキミをサポートさせてもらうしがない神様だよ、よろしくね!」
「……チッツァ=リトル……?」
アレスは信じられないといった様子で口を開けている。
「チッツァ=リトルって、男神じゃ……!」
「アハハ、確かにキミのところではそう信仰されてるみたいだけど、神ってホントのところは性別とかないからねー」
たまーに降臨するときは男の姿で来てるけど、今回は女の子の見た目でキミのサポートをすることにしたんだ!
農耕と文化と光を司る神、善の善なるものともよばれるチッツァ=リトルを名乗る女性は屈託のない笑顔で笑った。
「……そんなこと言われてもなぁ」
「確かにこれだけじゃ信じられないよねー」
じゃあさ、とチッツァ=リトルがニヤリと笑う。
アレスはその笑顔に嫌なものを感じた。
「例えばさ、ここで普通の人間じゃ把握できないようなもの――例えばキミしか知らないものを話したら信じてくれるよね?」
「ま、まあそうだが、そ、それより――」
「なら昨日の夜のおかずでも……」
「やめろ!」
◇ ◇ ◇
「――まあ、アンタの言うことを信じるとして」
あまりにも正確な情報の数々にアレスは白旗を挙げた。
しかし、まだ疑問に思うことはある。
「アンタほどの大物が、なんでオレのサポートをしてくれるんだ?」
「それはね……」
と答えの寸前で、リトル――言いやすい風に略して良いと言われたので、下のほうを取ってリトルとすることにしたのだ――が口を閉じる。
ごくりとアレスが唾を飲む音が、やけに大きく聞こえた。
「なんと……」
「なんと?」
「…………」
リトルが真剣な目でアレスを見つめる。
妖艶さと獰猛さを併せ持つ瞳孔で見つめられて、アレスは思わず逃げ出したくなった。
ゆっくりと、リトルが口を開く。
「……言えないんだなこれが!」
「おい」
思わず抗議の声を上げるアレスだったが、リトルはどこ吹く風といった様子だ。
「そんなこと言われてもなー。これは神々の盟約で決められちゃってるから、ボクがおいそれと破っていいようなものじゃないんだよねー」
「どんな内容なのかとかも言えないのか?」
「ムリだねー」
強いていうなら、とリトルが付け加える。
「時が来た、としか言いようがないなー」
「時が来たって……」
んな大雑把な、とアレスはため息をついた。
「……まあいい、これ以上アンタに質問しても得るモンは少なさそうだしな」
「えー? ボクはこうやってお話ししてるの楽しいんだけどなー」
「んなことどうでもいいから、とっとと本題に入るぞ」
「ひ、ひどい……! 仮にも神相手にそんな塩対応するなんて……!」
「そりゃこんなふざけた姿見せられたら敬意とかどっか行くわ」
「ほんとにー? このナイスbodyを見てもそんなこと言えるかなー?」
スルーして話を進めようとするアレスに、リトルは胸元を強調して近づいた。
露出の少ない服から突如として現れた谷間を見て、アレスは顔を真っ赤にした。
「ちょ、そ、それは」
「それはー?」
「ズ、ズズ、ズズズ」
「ズ・ズズ・ズズズ?」
ズルいだろ……。
アレスは消え入りそうな声でそうつぶやいた。
「……な、なんかいえよ」
「……いや、なんだか……意外っていうか……」
意外、までにやけに間を空けてリトルは言った。
アレスは「笑いたければ笑うがいいさ……」と返すと、小さく体育座りをしてそのままそっぽを向いた。
完全に拗ねてしまったようだ。
その様子を見て、リトルがおろおろと慌て始める。
「ゴ、ゴメンって! さっきはつい……」
「ふーん……」
「なんどだって謝るから、お願いだから機嫌直して、ね?」
リトルは必死の形相でアレスの機嫌を直そうと奮闘する。
さきほどまでの超然とした様相はすっかり霧散し、今の姿はまるで弟に嫌われまいと必死になる姉のようである。
その様子が少し可笑しく思えて、アレスはくすりと笑った。
「ちょ、ちょっとひどいじゃん! 人が必死になってるのに!」
「人じゃなくて神だろ」
「そーいうのを屁理屈っていうの!」
この意地悪、とリトルが頬を膨らませる。
その姿があまりに神らしくない可愛らしいものだったので、アレスは再び笑った。