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図書室で

 アメリアは自分を見下ろすその瞳から、目を逸らすことができなかった。人ならざるものの証だと聞いてきた金の瞳からは、恐ろしさは感じられない。

 早春の柔らかい陽射しを受けた、金の髪が輝いている。ふんわりと肩にかかるその髪は、襟に巻いた薄絹と同じように淡く、上着の青色がほのかに透けて見える。

 髪や瞳だけではない。唇や肌の色も、同じように淡く、ほんのり輝いているようにさえ感じられるのは……アメリアの気のせいだろうか。


 だが、それ以外に変わったところは見えない。確かに髪や瞳は普通の人と違う。でもそれは色が違うというだけだし、まして「竜」を伺わせるところは微塵もない。ひそかに恐れていたような、とがった爪や牙などないようだ。


 あまりに長い間、まじまじと見つめていたせいだろうか。ヴィルフリートが僅かに困ったように首をかしげた。だがアメリアはそれにも気づかず立ち尽くしている。


 ――これが……、この方が、竜。


 確かに、ギュンター子爵も言っていた。見るからに人間離れのした、恐ろしい外見では決してない、と。しかしアメリアはこれまで、どうしてもその姿を思い浮かべることができなかった。

 こうして会ってみれば、それも仕方のないことかもしれなかった。まさかこんな美しい外見をしているなどと、どうして想像することができるだろう……? 


 それだけではない。どんなに恐ろしい方かと恐れていたのに、アメリアに微笑みかける表情は優しかった。強張っていたアメリアの身体から、少しだけ力が抜ける。

 そこで初めて自分が、夫となる相手に挨拶もせずに立ち尽くしていたことに気がついた。


「し、失礼致しました、ヴィルフリート様。アメリアでございます」


 慌てて頭を下げて挨拶をするが、本来なら当然言うべき『末永くよろしくお願い致します』という言葉が、どうしても口から出せなかった。


 ヴィルフリートはアメリアのそんな逡巡など気が付かぬようだ。口元に笑みを浮かべ、ひたすらアメリアを見つめている。そんな相手にどうしていいか分からず思わず下を向くと、レオノーラが笑った。


「ヴィルフリート様、お茶をお持ちします。どうぞアメリア様を座らせておあげなさいませ」


 そう声をかけられ、ヴィルフリートは初めて気が付いたように頷いた。


 その後お茶が運ばれ、向かい合って腰を下ろした。しかし横で見ているレオノーラが思わず苦笑してしまうほど、二人の会話は弾まなかった。

 アメリアが緊張して口数が少ないのは分かるが、ヴィルフリートまでが黙り込んでしまうのでは話にならない。もっともヴィルフリートのほうは始終うっとりとアメリアを見つめているので、決して気まずいわけではなさそうだったが。




 竜の「(つがい)」への無条件な恋慕というのは本当なのだわ、とレオノーラは思った。話には聞いていたが、実際目の当たりにするとやはり驚く。いや、今初めて目にするものではない。昨日、眠るアメリアと密かに対面したときから、ヴィルフリートはそうだったではないか。


 昨日の夕方、眠るアメリアの部屋から出てきたヴィルフリートは、完全に恋する男になっていた。

 自室へ戻っても膝の上に広げられた本のページが繰られることはなく、時折ドアの方を見ては溜息をつく。


「ヴィルフリート様、もう一度会いに行かれては?」


 見かねたレオノーラが声をかけたが、ヴィルフリートは首を振るだけだった。


 そして一夜明けて、間もなくアメリアも目覚めるだろうと身支度をさせようとして、レオノーラはまた驚かされた。


「それではなく、明るい色の方が良いのではないか?」


 今まで主が、用意された服に注文をつけたことなど一度もなかった。服に拘ったところで、別に今までは見せるような相手もいなかった……と言ってしまえばそうかも知れないが。

 少しでも良く見せようと思うくらい、アメリアに惹かれているのだ。


 ――良かった、お相手に巡り会えて。ヴィルフリート様も、これで幸せになれる。


 乳母として、ヴィルフリートを赤子の時から慈しみ育てあげてきたレオノーラは、目を閉じて主の幸せを祈るのだった。


 それでも、黙って座っているばかりではどうにもならない。二人の様子に流石に不安を感じたレオノーラは、ヴィルフリートに「竜の城」を案内するように勧めた。


「これからはアメリア様の城でもあるのです。ヴィルフリート様、よく説明して差し上げて下さいね」


 そしてそっとヴィルフリートに耳打ちをした。


「黙って見とれていたのでは、アメリア様が困ってしまわれます。城を案内しながら、会話をしなくてはいけません。好きなものや気になることなど、いろいろ聞いてさしあげるのですよ」


 主とはいえ、彼にとってレオノーラは母親と変わらない。生真面目な顔で頷くヴィルフリートに励ますように笑いかけ、レオノーラは二人を送り出した。




「ええと……では上から行こうか」


 城の案内などしたことがないヴィルフリートは、正直何をどうしていいのか分からなかった。そもそも物心ついてからこの方、客など迎えたことがない。


 ――とりあえず彼女が、邸内で迷わなければいいのだろうか。


 そんなことを考えながら階段を登りきると、ヴィルフリートは廊下を見回した。奥から順に、説明すればいいのだろうか? そう言えばレオノーラが「寝室は開けてはいけません」と言っていた。


「この奥には寝室がある」

「はい」


 それだけ言って通り過ぎると、つい他の部屋も同じような説明になってしまう。そのせいであっという間に二階の案内は終わってしまい、気詰まりなまま一階へ降りてきた。


「ここは図書室だ」

「図書室、ですか?」


 アメリアがヴィルフリートを見上げた。初めてアメリアの方から目を合わせてくれて、ヴィルフリートは自然に口元をほころばせる。


「ああ。中を見たいか?」

「はい、ぜひ!」


 アメリアの目が輝いた。



「まあ……! すごいご本ですね!」


 膨大な量の本が書架に整然と並べられ、広い図書室を埋め尽くしていた。歴代の「竜」達は基本的に城の中で一生暮らすので、皆読書好きになる。無論アメリアは知らないが、代々集められてきた本は、王宮の図書館にも匹敵するかもしれない。


「本が好きか?」

「はい。ですが、あまりたくさん読ませてはもらえなくて……」


 嫌な思い出でもあるのか目を伏せるアメリアを見て切なくなり、ヴィルフリートの声は自分でも驚くほど優しくなった。


「いつでも好きなときに、本を読んで構わない」


 高い書架を見上げていたアメリアは、それを聞いて思わず振り返る。


「本当ですか?」

「ああ。手の届かない本があれば、私に言うといい」

「ありがとうございます! 嬉しいです」


 アメリアが初めて笑顔を見せた。ヴィルフリートにはそれがたまらなく愛おしい。

 その後ヴィルフリートは、図書室の中を興味深げに歩くアメリアに、貴重な古書や珍しい図版などを示してやった。


 アメリアはヴィルフリートの説明を聞きながら戸惑っていた。

 夫となる「竜」と聞いていたものは、心配していたよりもずっと感じの良い方だった。恐ろしい相手だったらどうしようかと、ずっとそればかり心配していたのに。

 不安でたまらなかった「竜の特徴(しるし)」も、少なくとも今は分からないし、アメリアに話しかける態度も優しい。


 ――私が心配しすぎたのかしら?


 せっかく邸内を案内してくれても、これまでは緊張のあまり会話らしい会話にならなかった。

 どうしようかと案じていたが、図書室と聞いて思わず声をあげてしまった。果たして図書室は素晴らしかった。今まで義父にあまり本を読ませてもらえなかったアメリアは、知らずに笑みを浮かべでいた。


 そんな彼女にヴィルフリートは、いつでも読んで良いという。そして本棚や古書について教えてくれる彼の声がさっきより楽しそうに聞こえるのは、きっと気のせいではないだろう。

 素晴らしい本にいくらか興奮気味だったアメリアも、ようやく落ち着いてきた。そして初めて自分から、ヴィルフリートを見上げた。


「ヴィルフリート様……も、本がお好きなのですか?」


 すると彼はアメリアを西の窓辺へ誘い、長椅子に掛けさせた。

 そして自分は座らずに、アメリアの前に跪く。


「え、あの!?」


 驚いたアメリアは、ヴィルフリートに両手を取られて何も言えなくなってしまった。

 淡い金色の瞳が、まっすぐに彼女を見つめる。


「アメリア……、そう呼んでもいいか?」

「は、はい。ヴィルフリート様」


 頬を真っ赤にしたアメリアが呼びかえすと、ヴィルフリートは目を細めた。


「ギュンター子爵から、少しは私のことを聞いているかな? 私は『竜の特徴(しるし)』を持って生まれた」


 その瞬間、思わずびくりと震えてしまったのを、ヴィルフリートに隠すことは出来なかった。


「ああ、聞いているんだね」

「すみません、私……」


 気を悪くされたかと俯いたが、ヴィルフリートの声は変わらない。


「いいんだよ、アメリア。……私は『竜』だから、一生ここで暮らすことになる。庭へは出られるが、敷地の外へ出ることは、許されていない。だから、代々の『竜』は本好きが多いんだ。時間はたっぷりあるからね」

「ヴィルフリート様……」


 穏やかな口調のなかに、僅かな翳りが滲む。顔を上げたアメリアに、ヴィルフリートは柔らかく微笑んだ。


「だから、アメリア。本当に……よく来てくれた。君に会えて嬉しいよ。私はずっと、(つがい)を……。君を、待っていた」


 その目から溢れる想いが、熱の篭った口調が、何を意味しているか。今日初めて会ったアメリアでも、それが分からないはずはない。

 いや、今日初めて会ったのだからこそ。


 ――どうして貴方は、そんな目が出来るのですか。どうして、私なのですか……?


 そう問いたくてたまらなかった。だが思慕を隠そうともせず微笑むヴィルフリートを前にして、アメリアは何も言えそうになかった。




 夕食がすむと、アメリアはレオノーラに促されて湯浴みを済ませた。案内されたのは、寝室だとヴィルフリートが言っていた部屋。レオノーラはドアの前で言った。


「中でお待ちください。ヴィルフリート様は後からいらっしゃいますから」


 そして一瞬気遣うような笑みを浮かべると、ドアを開けた。中には灯りが用意されているようで明るい。

 一気に心細くなり、アメリアはレオノーラを振り返った。だが優しく微笑みながらも、レオノーラはそれ以上何も言う気はないようだった。

 仕方なくアメリアは、躊躇いながらも寝室へ足を踏み入れる。後ろでそっとドアが閉められた。


 中には長椅子と小さなテーブル、年代ものの大きな家具もいくつかあるようだ。

 そして部屋の中央に、大きな寝台が置かれている。見てはいけないものを見たような気になって、アメリアは慌てて目を逸らした。


 他には部屋の両側に、ひとつずつ別のドアがあった。片方は位置からして、さっきアメリアが身支度をした部屋と通じているようだった。ならばもう一方は……。


 視線をやると同時に、そのドアが開いた。アメリアはびくりと身を震わせる。


 ヴィルフリートがそこに立っていた。



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