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人ならざるもの

「噂、とは?」


 ギュンター子爵は表情も変えなかった。アメリアは言ってはならぬことを言ったかと一瞬怯んだものの、何でも尋ねるよう言われたのだからと思い直した。


「間違っていたらお許し下さい。町ではこう言われています。――この国のどこかに竜がいて、竜が成年になった時、王家の血を引く娘を生贄に捧げなくてはならない、と」


 子爵は肯定も否定もしない。ただ黙ってアメリアを見つめている。


「それは……本当なのですか?」

「あなたはどう思いますか」


 落ち着いた声音で問い返され、アメリアは言葉に詰まった。


「……分かりません、これだけでは。調べてみましたが、建国史以外には、神話に出てくる竜の話しか見つけられませんでした。……それに」

「それに?」

「『竜の花嫁』という言葉も、どこにも」


 ギュンター子爵はしばらくじっと、アメリアを眺めていたが、やがて立ち上がって近くの書棚から、古めかしい革装の本を持ってきた。


「おそらく、貴女の知りたい答えはここにあります。ですが、残念ながらこれはお見せすることが出来ません」


 アメリアの目はその本に引き付けられた。子爵が膝の上で開いたページには、年代を感じさせる色あせたインクの、かすれ気味の書体が並んでいる。おそらく手書きの、相当古い本だと思われた。


「なぜですか」

「王家には王家の事情があります。すべてを知らせることは出来ないのです。不満でしょうが、私が抜粋してお教えします」

「……はい」


 下を向いたアメリアの表情を、子爵は見逃さなかった。


「構いません。思うことがあれば言いなさい」

「はい。……実際に拝見出来ないのでは、私には嘘でも分かりません」


 思い切って言うと、子爵は満足そうにうなずいた。その口元には笑みが浮かんでいる。


「そうですね。では、仮にこの本を差し上げたとして。書かれていることがすべて真実か、貴女に分かりますか?」

「……え」


 さすがにアメリアは虚をつかれた。


「……そこまで考えたことは、ありませんでした」


 そこへノックの音がして、お茶が運ばれた。優雅な所作で女官が出て行くのを、アメリアはぼんやりと眺めていた。

 子爵は一口喉を潤し、さらに続ける。


「疑えばきりがない。信じる、信じないは貴女次第。これからお話するのは、まさにそのような内容です」

「私次第……」


 呆然と繰り返すアメリアに、子爵はわずかに身を乗り出した。


「私は貴女と同じように『竜の花嫁』に選ばれたご令嬢を、これまでにもここへお招きしたことがあります。ですがこの話をするのは、貴女が初めてです。――そうですね、母上」


 アメリアと同じ瞳の老婦人は、穏やかな笑みを浮かべて頷いた。


「理由は簡単です。これまでこの部屋へ招いた令嬢たちは、誰も貴女のように自ら訊ねることをしなかった。恐れ、諦め、嘆き……、そのような感情で、何も考えられなくなっていたのです」

「……私にも、恐れる気持ちはありますし、嘆いてどうにかなるならば、いくらでも嘆きます。ただ……」

「ただ?」


 穏やかに先を促す子爵に、アメリアは思い切って言った。


「私はただ運命を受け入れて、諦めるということができないのです。なぜそうしなくてはならないのか、どうしたらほんの少しでも、自分の望むようにできるか……。貴族の娘らしからぬことかもしれませんが、どうしてもそう考えてしまうのです」


 王家の定めに逆らう気かと、もしかしたら叱責されるかもしれない。そう思って俯いたアメリアに、思いがけず優しい声がかけられた。


「そう、そんな貴女だから……私はお話しする気になったのです。貴女には話す価値がある。むろん今はまだ言えないこともありますが、いずれすべてを貴女が知ったときに、自分で判断するといい」


 そして子爵は話し始めた。


「建国史と建国神話を読まれたのなら話は早い。この本の記述も、そこから始まっています。初代ゲオルグ王が竜に加護を願った際、自らの妹を差し出されたということはご存じですね」

「はい、読みました」

「その先は関係者以外には知られていません。王族の方々も、すべてをご存じの方は多くない。――いいですか。それ以来、王家には『竜の特徴(しるし)』をもつ者が生まれるようになりました」


 ――竜の、特徴(しるし)


 首を傾げるアメリアに、子爵は頷いて続けた。


「身体のどこかに、竜の血を引く証、たいていは鱗ですが……それをもって生まれてくるのです。他に外見も、髪の色素が薄く、瞳も完全な黄金(きん)色。普通の人間(ひと)より、少しだけ寿命も長い」


 アメリアは息を呑んだ。そんな話、聞いたこともない。


 その時初めて、ギュンター子爵の母だという女性が口を開いた。


「現在この世界に、神話にあるような本物の『竜』はいません。ですが、その血を引いたと言われる、ほんの少しだけ人と違うものがいるのです。この国の『竜』とは、それを指します」


 アメリアは冷たい塊が引っかかったように感じ、思わず喉に手をやった。息苦しいのに、息を飲むことができない。


「そしてもう一つ、竜の性質を受け継いでいるとされる部分がある」


 子爵はアメリアの目を覗き込むように言い、アメリアはひどく心が騒ぐのを感じた。


「竜は(つがい)を求めるのです」


 それは、知らない言葉ではない。なのに何故か、初めて聞く言葉のように響いた。


(つがい)……ですか?」

「そうです。人が伴侶を求めるよりも、さらに一途に純粋に、生涯ひとりの相手を」

「そんなことが……」


 初めて聞く話に引き込まれかけ、アメリアはそこで気がついた。


「――まさか」

「そうです、アメリア殿。貴女はまさに『竜の花嫁』となるのです」




 王宮差し回しの馬車の向かいにはギュンター子爵が座り、アメリアの様子を眺めていた。アメリアは膝の上でかたく手を組んで、ぼんやりと窓の外に目を向けていた。気づけばだいぶ日が傾いていて、かなり長い時間王宮にいたのだと分かる。


 ――「竜の花嫁」というのは、生贄になることを隠すための、都合の良い言葉だと思っていた。まさか本当に、その名の通りだったなんて。


 あの後も、細かい注意や説明は続いた。

 場所は明らかにされなかったが、とある北の山の中に「竜の城」と呼ばれる城があるそうだ。「花嫁」は王宮が手配した馬車で、三日かけて送り届けられる。出発は春の祭りの前日で、その三日間の旅に必要なもの以外、荷物を用意する必要はない、とも言われた。


 冷静に考えれば、生贄として死ぬことはないと分かったのだから、喜ぶべきなのかもしれない。義父の決めた、顔も知らぬ相手に嫁ぐのと、何も変わらないのではないか? 

 アメリアは小さく首を振った。


 ――相手が人間(ひと)であるならば。


「竜の特徴(しるし)を持つ者」と、ギュンター子爵は言った。

「ほんの少しだけ人と違うもの」と、子爵の母君は言った。


 どれだけ違うのだろう。自分は人間(ひと)ならざる者の、伴侶とならなくてはいけないのか。

 義父に命じられれば、たとえどんな相手でも仕方ない、そう覚悟していた。だがまさか相手が「竜」だなんて……。


「アメリア殿、もう間もなく着きます」


 言われるまでもなく、馬車の行く手にはカレンベルク伯爵邸が見えてきている。


「何度も申しますが、くれぐれもご家族には一切洩らされぬよう」

「……はい、分かっています」


 アメリアは頷いた。その声が震えていることに、アメリアは自分でも気がついた。



「カレンベルク伯爵殿、アメリア殿を遅くまでお預かりして申し訳ない」


 馬車が到着すると義父の伯爵が、さも心配していた顔で出て来た。もちろん本心は、自分の知らないところでアメリアが何を聞かされたのか、それが気になるというところだろう。

 アメリアはギュンター子爵の指示通り、俯いて口をきかない。


「アメリア殿は少々動揺されているので、どうぞ休ませて差し上げて下さい。よろしければ伯爵には、私からご説明を……」


 そこでアメリアは言葉少なに挨拶をし、部屋へ戻った。

 あとは子爵が、何とかしてくれるのだろう。実際アメリアだとて、義父のような無神経な人物と話したい心境ではない。それに、動揺しているのも事実だった。




 夜が更けて、雨が降り出した。アメリアは寝返りをうって窓の方を向く。鎧戸を締めてあるので外は見えないが、次第に激しくなってくる雨音を、聞くともなしに聞いていた。


 初めて王宮へ行き、沢山の、信じがたい話を聞かされた。疲れ果て、早めに床についたはずだった。それにも関わらず一向に眠ることが出来ず、暗闇の中で冴えてゆくばかりの意識を持て余していた。


 眠れないでいると、自然に同じところへ考えが行ってしまう。


「竜の花嫁」の意味を知ったのは、果たして良かったのか。生贄と花嫁と、どちらが幸せなのだろう。何度自分に問いかけても、自分の心が見えてこない。


「私も昔『竜の花嫁』となるべく育てられました」


 ギュンター子爵の母君はそう言った。


「竜の番の第一条件が、この瞳の色です。理由は分かりませんが、王家の血を引く者にだけ現れる、この金緑色の瞳を持つ者にしか……竜は惹かれません」


 明るい黄緑……光の加減でほぼ金色にも見える瞳。


 ――この瞳が、竜を引き付けるというの?


 ふと、会ったこともない自分の父親……既に没した先王のことを考える。

 今まではその瞳が、カレンベルク伯爵との繋がりがないことを証明していた。時にはむしろ、血の繋がりのないことにほっとしていた部分さえある。

 だがこうなってみると、自分の身に流れる「王家の血」というものが疎ましく、そしておぞましい。


 生贄として死なねばならないというのは、もちろん嫌だ。恐ろしいと思っていた。


 でも、人間(ひと)ならざるものへ嫁がねばならないのでは……。相手がどのようなものなのか分からないだけに、なおさら恐ろしく思ってしまう。

 それは竜の一部を持って生まれてくる、と言っていた。たいていは鱗だ、とも。

 

 ――鱗のある人間なんて知らない。まさか全身が鱗で覆われていたりするのだろうか? 他に、竜の特徴って何だろう? 爪? 角? まさか牙があるとか?


「いや……っ!」


 横になってなどいられず、アメリアは思わず起き直った。我が手で我が身を抱いて、震えが治まるのを待つ。長く町へ出入りしていたおかげで、アメリアは閨というものについて、いくらかは耳にしていた。初めては辛い、と聞いたこともある。でもまさか、その相手がもしも人ではなかったらと思うと……。震えが治まるどころか、手足が冷たくなってくる。


 ――怖い。そんな異形のものに身を任せて……私、平気でいられるかしら? もし逃げようとしたり、拒んだりしてしまったら、どんな目に遭うの? 何とか耐えていられても、それが死ぬより辛かったら……!


 いっそ逃げ出してしまおうか。そんな考えもふと浮かぶ。この数年頑張って身につけてきた技術や知識で、一人で生きて行かれないだろうか?

 いや、この町では無理だ。すぐに見つけられてしまうだろう。といって、自分一人では、手の届かない町まで行くことはできない。


 アメリアは何度か深く息をしてもう一度横になり、枕に顔をうずめた。数えきれないため息は枕に吸い込まれ、誰にも聞こえなかっただろう。


 ――落ち着いて、落ち着くのよ。あまり考えすぎて、思い詰めてはいけない。


 アメリアは自分にそう言い聞かせる。息を吸って、吐いて。そう、ゆっくりと。

 ようやく眠りが忍び寄り、アメリアの瞳が閉じていった。

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