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アメリアの計画

 彼女の身に起こった大きな変化は、まずは三歳のときだった。自分では覚えてさえいないが、母のエリーゼがカレンベルク伯爵に下賜されたことだ。全く愛情などない間柄ではあったが、アメリアには義父ができた。


 次はアメリアが十歳のとき。

 王宮にいたころから面倒を見てくれていた乳母が、伯爵によって郷里に帰された。母親よりよほど慕っていたので、アメリアは数日泣き暮らした。

 ものごころついた頃から、アメリアは義父はもちろん母からも関心を向けられることはほとんどなく、乳母に任せきりにされていた。乳母はいくらか彼女を甘やかし気味に育てたので、それまでの彼女は好きなように毎日過ごしていた。


 その後、代わりに教育係が付けられたが、これが非常に厳格な女だった。ふた言目には「貴族のお嬢様らしく」「伯爵様の名を汚さぬよう」などと言われ、一挙手一投足を注意される。毎日課される勉強も厳しく、息が詰まるような毎日だった。

 他にもう一つ、うんざりするほど言われた言葉がある。

「身分の高い方々の婚姻は、お家のためにするものです」

 これはまったくその通りだった。何しろ義父があの伯爵だ。カレンベルク家の役に立たせる以外に、アメリアに何の価値があるのか。


 子どものころのように好きに生きられないことは、教育係などに言われなくてもはっきり分かっていた。乳母がよく母のことを話してくれたし、貴族の娘ならば常識でもある。

 当然、好きな相手と結婚できるとは夢にも思わない。きっと両親のような、冷えきった仮面夫婦になるのだろう。それでも結婚できれば良いほうで、最悪の場合、以前の母のように誰かの愛人にされる可能性だってある。

 さすがに他の令嬢のように、それを幸せと思い込むことは――アメリアにはできそうになかった。

 どうしたら、少しでも辛くないだろう。全く興味の持てない教育係のお説教を聞きながら、アメリアは必死に考えていた。


 ――仕方ない、誰と結婚させられるかは、私にはどうにもならない。とりあえず我慢するしかないわ。でもその後はどうなるか、誰にも分からない。


 諦めにも似た気持ちだが、アメリアは開き直った。そう、父のことだから親子より離れた相手に嫁がされる可能性だってある。そうしたら、いつか飽きられたり――もしかしたら寿命でも――して、アメリアは自由になれるかもしれない。


 ――一度結婚してしまえば、もうお義父様の言うことは聞かなくていいはず。それならその時こそ、自分のしたいようにするわ。


 世間知らずな娘の、甘い考えに過ぎなかったかもしれない。だが、アメリアは真剣だった。


 ――それに、もしかしたら離婚されるかもしれないし、追い出されるかもしれない。そうなった時に、町の人みたいに手に職がないと生きて行かれないわよね。


 それは新鮮な考えだった。町の人たちは、どんな仕事をして暮らしているのだろう? 少女のアメリアには、それさえあれば自由に生きていけるような、無限の可能性を得られるような気さえした。しかし当時のアメリアは、一人で外出させてもらえなかった。ならば、邸の中で出来ることを頑張るしかない。


「アメリアお嬢様。最近は刺繍に読書、それに書き取りも努力されていますね。大変結構です。これなら良いご縁談を得られましょう」


 教育係が満足そうに笑ったが、アメリアは決して幸せな結婚のために頑張った訳ではなかった。


 ――襟元やハンカチーフに刺繍を入れたものは、町の人も使ってる。刺繍が上手なら、これで食べていけるかもしれないわ。


 アメリアのすべての努力は、「ひとり立ち」に向けたものだった。ちなみに書き取りは、世の中には「代書」という職業があると知ったからだし、どんな職に就くにも知識はあったほうが良いから、読書にも励んでいただけだ。

 ついでに見た目も、見苦しいよりはいくらか有利だろうと思い、お手入れや化粧、ドレスの着こなしなども真剣に学んだ。これも、普通の貴族の娘とは完全に違う理由だったけれど。




 アメリアが十四歳になった時、義父の伯爵は「もう教育係という歳でもなかろう」と、教育係に暇をやった。どうやらプライドの高い教育係は、求める給金も高かったらしい。

 代わりに初めての奉公に出る口を探していたラウラを格安で雇って、アメリアの侍女にした。これがアメリアの最大の転機になった。


 ラウラは王都の生まれで商人の娘。アメリアより四つ年上で、町のこともいろいろ知っていて顔も広い。いわゆる貴族のお嬢様向けのちゃんとした教育を受けた侍女ではないので、大雑把で間の抜けたところもある。

 家にいても家族で顔を合わせることも少なく、会っても挨拶しかしないようなカレンベルク家において、ラウラは主人との距離感など全く気に掛けず、実に気さくに話しかける。初めこそびっくりしたが、それがかえって気が置けず付き合いやすかった。

 

 ――もしかしたらラウラなら、私の味方になってくれるかもしれない。


 アメリアは時々、彼女が喜びそうな小物や菓子などを贈った。それから、仕事ぶりを褒めたり感謝の言葉を伝えるよう心掛けた。ちょっと小細工が過ぎるかとも思ったけれど、ラウラはいつも素直に喜んでくれる。それが純粋に嬉しくて、いつかアメリアの喜びにもなっていた。

 万事おおらかなラウラに、自分が思っているよりもアメリアは助けられていた。そして密かに考えていた計画が、着々と進みはじめたのだった。


 アメリアの密かな計画。それは「一人でも生きていける知識や技術を身につける」こと。およそ貴族の令嬢が考え付くことではないが、アメリアは真剣だった。


 まずは、ラウラの服を借りてこっそり町へ出かけた。次第に町の様子に慣れ、女性がたくましく働く姿にも触れて、アメリアはますます知識の習得に励んだ。

 ラウラの両親に協力してもらい、邸では絶対に入らせてもらえない厨房で、料理も教えてもらった。家族に関心を持たれていないのが却って幸いして、部屋にいなくても気付かれることはなかった。

 

 


「お嬢様、本気ですか?」

「ええ、お願いラウラ。どうしてもやりたいの」


 ラウラは困ったように首を傾げた。


「……まあ、お嬢様はもともと刺繍もなさってたから、すぐにお上手になるとは思いますけど……。でも伯爵家のお嬢様が、なんだってわざわざ仕立てなんて習おうと思うんです?」

「あら、だって。自分でできたら素敵じゃない?」


 それは、十六歳の誕生日を迎える少し前。

 少しずつ町の暮らしや市井の知識を身につけたアメリアは、今度は裁縫、それもドレスの仕立てを学ぶべく、ラウラに頼み込んだのだった。

 おそらく十八歳になるころには、義父によって結婚を決められるだろう。自分に残された時間は、刻一刻と減ってゆく。


「私、刺繍は大好きだから、きっと出来ると思うの。ラウラのご両親の知り合いに、仕立ての親方さんはいないかしら?」


 するとラウラは眉を寄せた。


「お嬢様、それは無理です」

「あら、どうして? お知り合いでは無理?」


 ラウラは首を振り、説明してくれた。


 ドレスの仕立ては、革小物や宝飾品、武具などと同様に、親方を中心に工房で行われる。それは当然師弟制で、弟子は最低でも五年や十年、住み込みで雑用もこなしながら技術を習得するものだ。


「ですから、お料理のときのようにはいかないのです」

「そうなのね……。さすがに住み込みは無理だわ……」


 がっかりするアメリアに、ラウラは慰めるように言った。


「まあ、一応両親に聞いてはみますけど……あまり期待はなさらないでくださいね」


 ところが数日後、ラウラが思いがけない話を持ってきた。


「祖母の知り合いに、昔はドレスの工房をやっていた人がいるんです。今は息子に譲って、ひとりで暮らしてるんですって。教えてくれるかは分かりませんが、とりあえず、祖母が紹介してくれるそうですよ?」


 願ってもない話だ。翌日、アメリアは早速出かけて行った。


 ラウラの祖母の知り合いという女性は、町の外れのこじんまりとした家に住んでいた。


「うちの親戚の娘で、最近この街へ来たのよ」


 そう紹介される。ラウラの家族はもちろんアメリアの素性を知っているが、町の人と関わるときは「親戚の娘」ということにして、伯爵家の名前は出したことがなかった。

 世間話を少しして、ラウラの祖母は帰っていった。するとその女性――ハンナが態度を改めた。


「あなたはカレンベルク家のお嬢様ですね」

「え!?」


 驚くアメリアにハンナは微笑んだ。


「私はこれでも昔、王宮の方々のドレスを手掛けたこともあるのですよ。普通の町の人は知りませんが、私はその色の瞳の意味を存じております。その瞳を持つ以上、あなたは王家の血を引く、貴族のご令嬢」


 ラウラがカレンベルク家へ奉公に出ていることは、きっと彼女の祖母が話したのだろう。それならアメリアに結び付くのは当然のことだ。アメリアは腹を決めた。


「素性を偽ったことをお詫びします、ハンナさん。お察しの通り、私はカレンベルクの娘アメリアです」


 ハンナは深く頷いた。さすがに大きな工房を構えていた女性だけあって、深い洞察力と懐を持つ女性のようだ。


「そのお嬢様が、なぜまた仕立てなどなさろうというのですか。見たところ、ただの気まぐれとも思えません。他所へは洩らしません、理由があるなら教えて下さいますか」


 ――この女性は信用できるだろうか。


 一瞬考えたアメリアだが、この女性に無理ならもうチャンスはないだろう。そう思って、思い切って口を開いた。


「はい、聞いて下さいませ」




 ハンナは途中で口を挟むことはなく、最後まで話を聞いてくれた。


「そこまで思い詰めてこられたのですね……」


 思えば、自分の計画を誰かに話したのは初めてだった。話し終えたアメリアに、小さくため息をついてハンナは言った。


「お嬢様、正直に申し上げて、何の職業でも、どんなに器用な方でも、一年や二年ではそれで食べてゆけるようにはなれません」

「はい」


 やはりだめだろうか。アメリアは下を向いた。


「ですが、本当に二年頑張ってくだされば、自分のドレスくらいなら作れるようになりますし、小さな工房の親方の下で雇ってもらえる程度にはなれるかもしれません」


 アメリアはパッと顔を上げた。


「あとはお嬢様の努力しだいです。少し遠いですが、ここまで通ってこられますか?」


 ハンナの顔が笑っている。アメリアは姿勢を正し、頭を下げた。


「はい、頑張ります。どうか私に教えて下さい」

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