雪解けの使者
あれほど降り続いた雪もいつしかなりを潜め、灰色に垂れ込めていた空に時折柔らかい陽射しが混ざるようになった。気づけば少しずつ雪が解けて、地面がのぞき始めている。
暦を見る限りでは、そろそろ王都で春の祭が行われるはずだ。まだ風は冷たく、ところどころ雪が残っているが、庭師のニコラは喜んで庭仕事を始めていた。
ギュンター子爵がやってきたのは、雪が融けて間もないある日のことだった。
「ご無沙汰して申し訳ありません、ヴィルフリート様。アメリア様もお元気そうで何よりです」
そう挨拶をする子爵は、ひどく憔悴した顔をしていた。
「……流行り病と聞いたが、子爵殿もかかられたのか? 顔色が悪いようだ」
ヴィルフリートが訊ねると、子爵は物憂げに首を振る。
「ご心配ありがとうございます。私はかかっておりませんので、ご安心ください。ですが、少々長い話をしなくてはなりません。ご不快かもしれませんが……」
そう前置きして、子爵は話し始めた。
この冬猛威を振るった流行り病は、王都でも多くの死者を出した。民はもちろん、王宮にも多くの犠牲が出ている。
「とくに王家の被害は甚大でした。皇太子殿下をはじめ、多くの方が亡くなられました」
「そんな……」
アメリアは口元を押さえた。そんなにひどいなんて、思いもしなかった。
するとギュンター子爵は、沈鬱な表情でアメリアを見た。その表情にどうしてか不安になり、アメリアの声はわずかに震えてしまう。
「子爵様……?」
「アメリア様、順を追って話したかったので……大事なお知らせが後になったことを許してください。お気の毒ですが、あなたの義父君のカレンベルク伯爵、そして弟君が亡くなられました」
「えっ」
アメリアは一瞬言葉を失った。……あの義父が、そして弟が……? そこで思い出し、せき込むようにたずねる。
「子爵様、母は……母は大丈夫なのですか?」
「大丈夫、夫人はご無事です」
アメリアはほっとした。あまり縁の濃い母子ではないけれど、やはり血の繋がった母が無事だと聞くと安心する。冷たいかもしれないが、弟とはほとんど口をきいたこともないし、義父には愛着もない。亡くなって気の毒だと思うだけだ。
「ヴィルフリート様、順を追って話しますのでもう少しご辛抱ください」
子爵は咳払いをし、アメリアが落ち着くのを待ってから話し始めた。
「王家の血筋に、アメリア様のような明るい緑の目……『竜の瞳』を持つ者が生まれるというのはご存じですね。国王陛下、皇太子殿下をはじめ、先代のご血筋あるいは妾腹のものまで含めると、王宮にはその瞳を持つ者が何十人もおりました。それが……」
そこで子爵は大きく息を吐いた。
「どういうわけか、その瞳を持つ者は……、今回の病に非常に弱かったのです。私の見たところ、普通の人間は四人から五人に一人発病していますが、亡くなるのはさらにその半分以下です。それに対し、竜の瞳を持つ者は……八割近くが発病し、ほぼ全て亡くなっているのです」
アメリアはぞくりと鳥肌が立つのを感じた。確かにその偏り方は、尋常ではない。
貴族のなかには、王家の血を引くものも多い。当主や嫡子を亡くしたところも多かった。王家でも王太子を筆頭に、継承順位の高いものがほとんど亡くなったので、王宮はパニックになっているという。
「直系とはとても言えぬものしか、残っていないのです」
「悪いが、それがどうしたのだ、子爵?」
ヴィルフリートが痺れを切らしたように尋ねた。彼はものごころついて以来、竜の城から出たことがない。だから王都や王宮の惨状を聞いても、今ひとつ想像がつかないのかもしれなかった。
「長々と失礼しました。ですが、本題はここからなのです」
今までヴィルフリートの存在は、王宮の秘密としてかたく守られてきた。公に知られているのは、王家の血を引く者に「竜の瞳」が出るということ、そしてその中から若い娘が「竜の花嫁」として送り込まれること、それだけだ。国のどこかに伝説の「竜」がいて、花嫁とは本当に生贄にされるのだと信じられている。子細を司るギュンター子爵とごく一部の者以外、真実を知る者はいない。
「ですから、ここでこうしてお二人がお暮らしになっていることは、陛下とごく一部の者しか知らないはずだったのです。それが……」
「それが……? 竜の瞳を持つ者がいなくなったからと言って、まさかアメリアを返せというわけではないだろう?」
アメリアは驚いてヴィルフリートに身をすり寄せた。子爵は疲れたように笑う。
「もちろんそのような事、王宮は申しません」
「……王宮は?」
その言い方に含みを感じ、アメリアは思わず問い返した。隣のヴィルフリートが身体を強ばらせたのが分かる。
「実は、カレンベルク伯爵が……」
「……義父、ですか?」
ギュンター子爵が調べたところでは、病気が流行り出して間もなく、アメリアの弟ハインリヒはあっさりと亡くなってしまったらしい。跡継ぎを失った伯爵は逆上したそうだ。早急に養子をとらなくては爵位を失ってしまうが、折しも流行り病で混乱の極みになっている王宮で、そのような人物を探すこともできない。
そんな中、思い出したのがアメリアだった。義理の娘を出世のために「竜の花嫁」として送り出したのは自分だったのだが。
――生贄になったと言われているが、もしかしたら本当は、生きているのではないのか? だとしたら、アメリアを取り戻し、婿を取れば……。
その頃既に自らも発病していた伯爵は、あろうことか病を押して宮廷へ出て、そのようなことを声高に叫んだらしい。
結局、伯爵はそのまま亡くなってしまい、彼の話は病のせいの妄言とされたはずだった。ところが春になって病の流行が落ち着いてくると、その噂がじわじわと蒸し返されてきたのだという。
「そんな、義父が……」
アメリアは愕然とした。確かに地位や名誉、目先の自分の利益にしか目の行かない人だったけれど……。それではまるで、王家の秘密を暴露したも同じだ。
「アメリア、君が気にすることはない。ギュンター子爵、その噂が何か問題があるのか」
「……失礼、ヴィルフリート様のおっしゃる通り、アメリア様には何の責任もないことです。気に病まれる必要はありません。ですが、ヴィルフリート様」
向き直った子爵の表情は硬かった。
「何だ」
「その噂がきっかけで、貴方様を担ぎ出そうとする動きがあるのです」
「私を……?」
ヴィルフリートは唖然として呟いた。
「私の存在は伏せられていたのではなかったのか……?」
「はい、それはもちろん。ですが、王宮には当然知っている方がおられます」
「……母、か」
「はい。――正確には、そのご夫君のハルトムート公ですが」
――ハルトムート公。
その名前なら、社交界へ出ていなかったアメリアでさえ知っている。王妹マルグリット様のご夫君で……。
――ということは、ヴィルフリート様は……!
アメリアは弾かれたようにヴィルフリートを見上げたが、彼は無表情のまま、吐き出すように言った。
「私には関係のない人間だ。その名だとて、今初めて聞いたぞ」
「ヴィルフリート様……」
「私は『竜の末裔』、ここで一生暮らす身だ。親など知らぬ。アメリア、君さえいればいい」
きつく自分を抱き寄せるヴィルフリートに、アメリアは胸が痛くなった。
――ヴィルフリート様。……この方は、何という運命を背負われているのか。
現国王を伯父に持ちながら、その身に『竜の特徴』があったことで両親から遠く引き離されて育った。そしてようやく番と巡り会った今になって、不毛な権力争いに巻き込まれようとしている。
「子爵様、まさか……、ヴィル様をお連れになることはないですよね?」
椅子から腰を浮かせんばかりにして尋ねると、横からそっと手を握られた。そのぬくもりで、取り乱しかけていた気持ちが落ち着くのを感じる。見上げると、金色の瞳はもう平静を取り戻していた。
「話の腰を折って悪かった、子爵」
「とんでもございません。ご不快な話を持ち込んでしまいまして」
ヴィルフリートは、王妹マルグリットとその夫ハルトムート公の間に生まれた。夫妻は「竜の特徴」のある赤子を手放した後、さらに二人の子を得ていた。しかしハルトムート公は今回の病で、二人の子ばかりか妻のマルグリットまで亡くしてしまった。
病の流行が収まるにつれ、空いた次期王位争いが激しくなってきた。失意のハルトムート公は、遠い昔に手放した息子を突然思い出したらしい。公の側近たちは狂喜した。王の甥にあたるヴィルフリートならば、血筋的には何の問題もない。折しもカレンベルク伯爵の暴露の後で、公の発言を疑う者はなかった。
「ですが、これは陛下がお止めになりました。陛下は公をお呼びになり、自ら説得なさったのです。陛下がどのようにお話しになったかは存じませんが、ハルトムート公は考えを変えられました。ですが……」
王宮というところは、権力に取りつかれたところだ。ハルトムート公が翻意しても、事情を知らされぬ側近たちはもう止まれない。怖気づいた主に代わってヴィルフリートを迎えようという、過激な一派が動き出してしまった。
「そんな……」
アメリアは動揺を隠せず、ヴィルフリートを見上げた。だがヴィルフリートは沈黙を守っている。
「今のところ、ヴィルフリート様の情報は一切漏れてはいませんし、ここのことも知られてはおりません。陛下からも後継について軽挙妄動を禁ずるとお言葉がありましたので、上手くすればこのまま納まるかもしれません」
アメリアは思わず大きく頷いた。どうか、そうなってほしい。このままそっとしておいてほしい。
「それでも、思いがけない事態ですし、万一ということがあります。お知らせした上で、お考えを伺っておくべきかと思いました」
「分かった。だが子爵、先にも言った通り、私は『竜の末裔』だ。このままここでアメリアと、密かに一生を送る。それ以外に、何も望むことはない」
子爵は深く頷き、頭を垂れた。
「アメリア、そんな顔をするな」
「ヴィル様……」
夕食をともにした子爵は、翌朝早く出発するため部屋へ下がった。それまでどうにか平静を保っていたアメリアだったが、部屋へ戻って二人きりになったとたんに、不安を抑えられなくなってしまった。
「大丈夫だ。彼に言った通り、私はここを動かない。それに……」
ヴィルフリートは一度言葉を切って微笑んだ。それはアメリアが今まで見たことのない、悲しげな笑顔だった。
「私に親はいない。この館の者たちしか知らない。つい最近まで、産んでくれたことにさえ感謝することもできなかった」
「ヴィル様……」
アメリアはたまらず、ヴィルフリートの手をとった。その手を両手で握り返し、ヴィルフリートが額を寄せる。
「だが今は君がいる。君に会うために産んでくれたというなら、会ったこともない母に感謝してもいい。――そう思っていた」
額をつけたまま喋るヴィルフリートの顔は見えない。でもその声音は、何かの感情を必死で堪えているように思えた。
「だが、その母も亡くなり、父は私を権力争いの道具にしようとした。……やはり私に、親はいらない。君がいてくれれば、それで」
「ヴィル様、います。私が……、ずっとお傍に」
ぱっと顔を離し、ヴィルフリートの金の瞳を見て伝えようと思った。けれど思うように言葉が出ず、代わりに涙が零れてしまう。
「アメリア」
ヴィルフリートの指が、涙をそっと拭った。それでも新たに滲む涙を、今度は唇で吸い取る。
「ヴィル様……」
どちらからともなく、互いの身体に腕をまわす。もう何も言わない。二人は長いこと抱き合っていた。




