冬ごもり
王宮からの荷を届けた馬車が帰って行った後、アメリアはサロンへ呼ばれた。
荷物を運びこんだサロンには、大小さまざまの箱が積み上げられている。エクムントとレオノーラが、それぞれ確認をしているようだった。
春にヴィルフリートが頼んでおいた本、近隣の村や町では手に入らない食材。それらは使用人たちがそれぞれ運び出して行く。そしていくつもの皮袋に入れられた銀貨が、エクムントによって厳重にしまい込まれた。
「アメリア様、ごらんなさいませ。お待ちかねのものですよ」
「まあ……!」
美しい細工を施した箱が、テーブルに置かれた。そっと蓋を開くと、アメリアにも使いやすそうな、小振りだがしっかりした鋏。他に針や指ぬきなど、きれいに整頓された裁縫道具が入っている。
「お好みに合うといいのですが」
そう言って解かれた包みからは、幾種類かの布地。「あまり贅沢でないものを」という希望を汲んでくれ、派手ではないが質の良い、触り心地のよい生地だった。
「ありがとう、お願いしたとおりです」
手触りを確かめてアメリアが頷くと、ヴィルフリートが珍しそうに裁縫道具を覗き込んだ。
「良かったね、アメリア。君がどんなドレスをつくるのか、私も楽しみだ」
アメリアのために用意されたものは、他にもあった。王都にいた頃は身につけたこともない、毛皮の外套や手袋、同じく毛皮で裏打ちされた靴。
「それだけ寒いということだよ」
ふわふわの毛皮を撫でるアメリアに、ヴィルフリートが笑った。
本来ならば荷物と一緒にご機嫌伺いに来るはずのギュンター子爵からは、丁寧な手紙も添えられていた。使いに荷を届けさせる失礼を詫び、アメリアの様子を案ずる言葉と、王都で流行っているという病の様子にも触れている。
「どうも想像以上の人数がやられているらしい。王家や貴族のなかにも罹るものが出ているそうだよ」
ヴィルフリートが手紙から顔を上げて言い、アメリアは眉をひそめた。
本格的な冬が来ると、「竜の館」はほぼ雪に閉ざされる。それまでに大量の食糧や薪、油や蝋燭などを蓄えなくてはならない。庭師の二コラは植木の保護に加えて、館のあちこちの冬支度に追われていた。
ついに小雪が舞った日、アメリアは毛皮のコートに身を包んで、ヴィルフリートと例の崖まで歩いた。
「ここへ来られるのも、今年はこれで最後だろう」
ヴィルフリートがそう呟き、アメリアは黙って眼下の景色に見入った。空は灰色に垂れこめ、雪雲だと教えてもらった重く厚い雲に囲まれている。まだ雪は積もっていないが、広がる風景は寒々しい。
それでも、こうして開けた土地で遥か向こうを見られるだけいいのだ。冬の間中ずっとあの館のなかにいるなんて、アメリアにはまだ少し想像がつかない。
――ヴィル様は、そういう冬をずっと過ごしてこられたんだわ。
その思いつきに粛然とし、アメリアはそっと横に立つ人を見上げた。二人でも気が滅入りそうに感じるのに、この暗くて寒い季節を、あの館で一人で。
「どうした、アメリア?」
「いいえ、ヴィル様。そろそろ戻りますか?」
――もう二度とヴィル様が、そんな思いをしないで済むように。ヴィル様が、笑っていて下さるように。私はヴィル様のそばにいよう。
手袋をした手をとって、二人は並んで館へ戻っていった。
何度か降っては止みを繰り返し、その度に館の庭を白く染めた雪は、ある晩から本格的に降り続いた。
「すごい……」
ふた晩降り続けてもまだ勢いが衰える様子もなく、窓から見る限りアメリアの腰にも届きそうだ。
「王都では雪は降らないのか?」
ヴィルフリートは本から目を上げて微笑んだ。窓に張り付くようにして雪を眺めるアメリアは、いつもより興奮しているようで何だか可愛い。
「年に一、二度は降りました。でも庭を白く染める程度で、こんなに積もるものだとは……」
アメリアはようやく窓から離れ、ヴィルフリートの隣に戻った。傍らに置いていた刺繍の枠を手に取って笑う。
「ヴィル様の所へ来たおかげで、こんなにすごい雪を見られました」
「……私も君のおかげで、初めてこの季節を楽しいと思えるよ、アメリア」
「ヴィル様」
二人は軽く口づけた。
「……ところで、それはドレスのどこの部分になるんだ?」
ヴィルフリートが興味深そうに、刺繍をする手元を覗き込んだ。アメリアが男物は作れないと知ってがっかりしていた彼だったが、目の前で裁縫をしている姿は珍しいのか、時折突拍子もない質問をする。
アメリアは微笑んだ。
「出来てからのお楽しみです」
「……まあ、いいか。どうせ聞いても、たぶん分からないからね」
「うふふ」
銀糸で繊細な模様をかがるアメリアの指先を、ヴィルフリートは飽きずに眺めていた。
三日降り続いてようやく雪が止んだ。陽射しを受けて雪は真っ白に輝き、二階の部屋は眩しいくらいだ。
「さあ、できました」
針を置いて枠を外した白い布を、アメリアは嬉しそうに眺めた。
「ヴィル様、……拙い出来ですけれど」
そう言ってふわりと広げてみせる。それは両手を広げたほどの長さになった。ヴィルフリートは咄嗟に意味が分からず、首をかしげる。
「……アメリア、これは?」
「ヴィル様に何か作りたくて、レオノーラにヴィル様の服を見せてもらいました。でもやはり、私が習った技術では殿方のものは歯が立たなくて。……それで、これを」
そこまで言われればヴィルフリートにも分かる。シャツの襟元に巻くクラヴァットだ。
「……私に?」
「使ってくださいますか?」
ヴィルフリートは言葉もなく、アメリアの差し出す布を手に取った。刺繍しているのをずっと見ていたから、意匠はよく知っている。この「竜の城」の庭に咲く、幾種類かの花。それに蔦をからめた図案が、銀を基調とした抑えた色彩で縁取られている。
「……」
「……お気に召しませんか……?」
アメリアの瞳が不安げに揺れた。
何か言わなくては。そう思うのにヴィルフリートの口は彼の思い通りに動いてくれなかった。どうやら言葉を発することは、当分できそうにない。勢いあまって、ヴィルフリートはアメリアを抱きよせた。
「ヴィル様……?」
「アメリア、ありがとう」
ようやく言葉が滑り出した。腕の中の愛しい人が、その言葉にふうっと身体の力を抜くのが分かる。
「嬉しい。本当に嬉しいよ。大切にする」
「はい……、喜んで下さって良かった」
「喜ばないわけがないだろう」
顔を上げ、まだアメリアの手にあったクラヴァットの端を手に取り、改めて刺繍を眺めた。両端の縁を飾る小さな刺繍に、アメリアがどれだけの時間をかけていたか、彼は知っている。
「すごく綺麗だ」
そのまま布の端にそっと口づけた。自分のドレスより先に、まずこれを贈ってくれたことが、そのために彼女がかけてくれた手間と時間が尊かった。
布を持つアメリアの手を取って屈み、自分の首にかけさせる。アメリアが頬を染めて笑った。
「お似合いです、ヴィル様」
「ありがとう。――愛しているよ、アメリア」
アメリアの返事は、ヴィルフリートに唇を塞がれて言葉にならなかった。
王宮の執務室では、ギュンター子爵が部下の報告を受けていた。その顔には、疲労が濃く浮き出ている。
「……分かった、ご苦労だった。交代して休むがいい」
部下が出て行くと、子爵は手元の書類を眺めて重い息を吐いた。
「フライベルク男爵、ゲイラー伯爵令嬢……、それにヨーゼフ殿下まで。これほどひどいとは……」
「竜の城」へも伝えたとおり、王都では流行り病が横行していた。
高熱が続き、次第に意識が混濁する。眠っている間にすうっと息を引き取ることが多く、これまであまり見たことのない病だった。二、三人にひとりが亡くなっているようだ。
医者たちはどこか遠い国から来たものだと判じたものの、さほど効果的な治療も薬も分かっていない。町の民たちはもちろんのこと、王宮内でも罹るものが増えていた。みな恐れおののいて出仕もそこそこに自宅へ引きこもっていたが、それでもそこここで発病し、死者が出ているらしい。
子爵は「竜」に関わる以外に、王家や貴族たちの戸籍に関わる一切を預かる役目を持っている。部下が持って来るのは、犠牲になった貴族たちの名簿だった。
アメリアは今度こそ、ドレスの仕立てにとりかかった。型紙を置き印をつけ、針で留める。そしておもむろに鋏でじょきじょきと切っていく。迷いのないその仕草はいつものアメリアとは少し違って見えて、ヴィルフリートには新鮮だった。
彼の襟元には、今日もあのクラヴァットが巻かれている。時々思い出したように端を撫で、鏡を見ては微笑むヴィルフリートに、アメリアは恥ずかしそうに笑った。
「ヴィル様、私にかまわず、どうか他のものも身につけてくださいね」
「いや、私にはこれがいいんだ。銀糸の刺繍だからどんな色にも合うと思うし、他の布より暖かいし」
「ヴィル様……」
薄絹のクラヴァットに、暖かさの違いなどそうありはしない。だがヴィルフリートは大真面目だった。
「お気に召していただけて嬉しいです。では、また何か作りますね」
「いや、これで充分だ。あとは君の好きなものを仕立てるといい」
ヴィルフリートは慌てて手を振ったが、目元が緩んでしまっている。アメリアの言葉に喜んでいるのは、誰が見ても明らかだった。
会話の途中でノックの音がして、レオノーラが入ってきた。お茶を注ぎながら微笑む。
「まあ、ヴィルフリート様。本当にお気に入られたのですね。でも明日あたり、そろそろお手入れをさせましょうか」
するとヴィルフリートはぎょっとしたように襟元を押さえた。
「いや、それには及ばない。別に汚してなどいないから」
「でも、長いこと置いてしまうと色が……」
レオノーラは今にも笑い出しそうだ。アメリアは顔が痛いくらいに目じりを下げて微笑んだ。洗濯を嫌がるなんてまるで子供のようだが、そんなヴィルフリートがたまらなく嬉しい。
「ヴィル様、そのほうが長く使っていただけますから……」
アメリアも口を添えると、ヴィルフリートはしぶしぶ頷いた。それでもまだ不安そうに、レオノーラに言い添える。
「アンヌに、とくに丁寧に扱うようによく言ってくれ」
アメリアはたまらず吹き出した。レオノーラは大っぴらに笑っている。
「はい、かしこまりました。よーく言いますから」
レオノーラが出て行くと、ヴィルフリートは照れ隠しのようにお茶を口に運んだ。その左手がまだクラヴァットに触れているのを見て、アメリアはますます頬が緩んでしまう。
「ヴィル様、このドレスが終わったら、ヴィル様にもう一枚作りますね。それともアンヌに、編み物を教えてもらおうかしら」
「いや、いいんだアメリア」
ヴィルフリートの頬が僅かに赤い。もうこれ以上頬の緩めようがなくて、アメリアは涙が零れそうになる。ここへ来るまで、自分がこんなに幸せな思いができるなんて夢にも思わなかった。
――私をヴィル様の番にして下さった運命に、心から感謝します。
いったん止んでいた雪が、またちらちらと降り出した。例え冬中雪に閉じ込められようと、二人には何も問題はない。暖かい部屋で冬ごもりをする、幸せな番たちだった。
「子爵様、大変です……!」
夜会も行われず、謁見さえも控えられ、王宮は不気味に静まり返っていた。そのなかで必死に務めに励むギュンター子爵の執務室に、部下が駈け込んできた。
たった今も、子爵は病の犠牲者を眺めて考え込んでいた。彼の責務上、王家と貴族の主だった者たちのことはほぼ網羅している。だが、ひとつ気になることが出来たのだった。
「どうした、報告せよ」
「はっ……」
部下はひとつ息を整え、顔を上げた。
「お、王太子殿下がご発病と……!」
「何だと?」
子爵は思わず腰を浮かせた。先ほどまで考え込んでいた不安が、最悪の形をもって証明されつつある。
今回猛威を振るうこの病は、多くの犠牲者を出している。それでも半数以上は、無事に回復できていた。だが……。
そこで気付いて部下を労い退出させ、子爵は座り込んで頭を抱えた。
「なぜ、竜の瞳を持つ者が……」
そう、子爵は気づいたのだった。
王家の血を引く印の、明るい黄緑の瞳。生き残った者の中に、それが一人もいない。それ以前に、その瞳を持つ者たちの発病率が異常に高かった。
貴族の罹患者の、八割以上がそうだ。例の瞳を持つ者がもともと十人にひとりほどであることを考えれば、このような偏りはあり得ない。
竜の瞳をもつ者は高確率で発病し、罹れば確実に亡くなっている。
――まるで、竜の血を狙っているかのようではないか。
心の中で思うだけでも、思わず辺りを見回してしまう。うかつに口に出せる内容ではなかった。
子爵は沈鬱な表情で、黙々とリストを埋めていった。




