こうして夫は出て行った
彼女は自宅に戻りすぐに交換日記の手配をしたのでしょう。
あれから三日で交換日記は我が家に届きました。
丁度、分厚い一冊が書き終わったばかりのようで今は二冊目を使って交換日記はしている様子。
ならば、いつまででも借りていられるなと思い中身を拝読しました。
「まあ、随分と仲がよろしいみたい」
「ほう、公園でボートですか」
「ええ、有名なホテルでの夜の様子まで」
「随分と明け透けなく書いてますな…」
「これを人に見せるなんて勇気のある方」
私なら絶対に見せません。
と言いますかそもそも交換日記などやりません。
「しかし、筆跡は間違いなく旦那様のものですね…」
「本当。あの人の悪筆がこんな証拠になるなんて」
あの人の文字は真似しようにも出来ないほど特徴的な悪筆です。
もう、日記を開いて三秒で彼女の言葉の裏付けは取れたと言っていいでしょう。
「今夜は確か彼も早く帰ってくるし、私も時間がとれそうだわ。
今夜、彼から彼女の事を聞いてみるわね」
「あなた、ちょっとお話がありますの」
「な、何…?何かあったのかい…?」
偶々夕飯を一緒に食べる事になりましたので、いい機会だと声をかけてみました。
そうしたら、彼は怯えた野ねずみみたいな目を向けてきます。
…この人が包容力のある大人…ね?
私にはそう見えません。
確かに年相応の包容力は持ち合わせているでしょう。
でもそれを決して上回る器の持ち主というわけではありません。
そして私は年相応の包容力を感じた事すらございません。
いつだって彼は小さく息を潜めて私を避けているのです。
「実は、我が家にこんな手紙が届きましたの」
「て、手紙…?君宛に…?」
「ええ…どうぞお読みになって」
許可を出せば彼は手紙を手に取ります。
そして読み進めていくに従い顔色を悪くしていきます。
どうやら、手紙も日記も事実無根というわけではないようですね。
「こ、こんなものは…で、デタラメ…!
し、信じたりなど…君はしてないだろう?」
「まあ、でしたらこれも嘘偽りと?」
「そ、それは…何故君が!?」
「勿論、その手紙の差出人…ユリア様が律儀に送ってくださったのです」
「な…!」
暫く絶句。
彼の頭の中が整理されるまで暫く待ちます。
たっぷり10分経ち、漸く彼は口を開きました。
グラスワインが空になりサイモンに二杯目を注いでもらいます。
「全て知ってしまったんだね…」
肩を落として口を開きました。
どうやら、開き直って全てを告白する気になったようです。
「ええ、もう一から十まで余す事なく」
「そ、そうか…!
だったらユリアは私の恋人なんだ…!
でも、恋人と妻は別物というか…わかるだろう?」
「おほほほほほ!」
私はおかしくなって笑います。
「な、何で笑うんだ…!?」
「まさか、浮気した事を開き直るだけでなく、正妻公認で愛人を囲おうとするなんて!
貴方、ご自分の甲斐性わかってます?
今時は王族ですら側室など持ちませんのよ?」
「そ、それは…」
「と言いますか、その手紙では彼女は私と貴方の離縁を望んでいましてよ?
彼女、第二夫人なんて嫌なのでは?
もしかしたら、第二夫人になるくらいならばと別の男性に輿入れするかもしれませんね」
「そ、それは困る!」
「あら?何故?」
「…私は…彼女を本気で愛しているのだ」
「本気の恋だと申しますの?」
「ああ…君との結婚を後悔してるわけではない。
だが、彼女と過ごす時間はいつも楽しくて時間があっという間に過ぎていくんだ」
「まあ、何事も楽しい事はあっという間と申しますしねぇ」
そして辛くて苦しい事程時間は遅々として進まないものです。
「彼女と出会っていかに自分が疲弊しているかがわかった。
彼女といると心が落ちついて…そう、癒されるんだ。
彼女と話していると心が穏やかになり、こんな私でも優しい人間になれる気がしたのだ」
「…私達は政略結婚。結婚式で初顔合わせ、初夜こそ共にしましたが、
失敗に終わって以降は手すら握りませんものね。
当然会話も仕事関係に終始して、雑談など五本の指で足りるほどしかしてません。
それに貴方は社交性がお世辞にも高いとは言えませんから、
パーティーの出席は毎回心苦しいものだったのでしょう。
そんな中、あのような素朴な花が笑顔を向ければ心惹かれるのは当然といえば当然です」
「わかるか!?なら…」
「でも、だからといって貴方とユリア様の関係を認める事は出来ません」
ピシャリと言い放つ。
「ここは男らしく政略に囚われない…そう、真実の愛とでも申しましょうか…を貫かれるべきかと思いますわ」
「……!」
「あなた、選択の時ですわよ?」
「そうか……ならば…仕方ないな…。
エミリア、私はお前と離縁する」
そう言って彼は翌日、家から出て行きました。