黒の絶望、白の希望
緑と光は、離れた位置で戦いを見守る事しか出来ない。動く時があるとすれば、《クロウ》に隙を見出した時のみ。それ故、《ブランク》レリクスはがむしゃらに攻め続ける。
唯とリンは……《ブランク》レリクスはひたすら前進する。相手の方へとステップを踏み、踏み込むと同時に拳を叩き込む。
速度の乗った拳を、《クロウ》レリクスは後退しながら捌いていく。《ブランク》の拳は以前よりも重く速い。それを裏付けるように、《クロウ》は両手を駆使してそれらを防いでいた。以前戦った時、《クロウ》は片手でこちらの攻撃を捌いていたのだ。
以前よりも動けている。だが、それだけだ。まだ、絶対的な差を埋めるまでには至っていない。
正面からの攻撃は効かない。ならばと《ブランク》は二回ステップを踏む。前身するだけではなく、追い越す為のもう一手だ。《クロウ》の脇をすり抜け、追い越した瞬間に《ブランク》は裏拳を放つ。振り返り様の殴打、不可視の一撃だ。
《クロウ》はそれを同じく振り返り様に防御、不可視の一撃を見るまでもなく防いだ。
《クロウ》の腕が動く。《ブランク》の裏拳を掴もうとしている。感覚だけでそれを察知し、《ブランク》は地面を蹴る。後退は間に合わない、ならば前進しかないと《クロウ》にタックルを仕掛けた。裏拳を諦め、次の行動に入るまでコンマ数秒……腕を押さえ込もうとしていた《クロウ》へ、強引な体当たりが命中する。
《ブランク》の肩が《クロウ》へと入ったその瞬間、《クロウ》は腕を諦めたのだろう。手を離し、右膝を思い切り突き上げてきた。
《ブランク》のタックルは命中し、《クロウ》の膝蹴りもまた命中する。両者の距離が離れ、互いの視線が絡み合う。
「痛み分けねえ。気に入らんが」
合成音声に含まれた嘲りに、僅かな不満を感じ取る。痛み分けですら、《クロウ》にとっては業腹なのだろう。
だが、と唯は目を細める。今の攻防は、痛み分けと言える域には達していない。こちらのタックルは、命中しただけで有効打ではない。距離を取り、仕切り直す為の一手だ。
しかし、《クロウ》の膝蹴りはこちらの胴に入っている。致命傷ではないが、有効打に変わりはない。
痛みを無視し呼吸を整え、《ブランク》は再度詰め寄ろうと動き始める。右手からバレルフェイザー、ブロークンソードを形成し、それを逆手で握った。剣身が半ばから消えているブロークンソードは、ソードよりもナイフとして使った方が良い。
《クロウ》は嘲笑を返し、両腕を交差させる。そして後方に跳ね飛びながら、交差させた腕を開いた。跳躍によって舞い落ちる黒い羽、その向こう側から、投擲された羽が突き抜けるようにして殺到する。
対処法は幾つかあるだろう。順当に考えれば回避、可能ならば回避した上で詰め寄って反撃……浮かんできた考えを即座に否定する。回避に徹すれば《クロウ》に先手を取られ続け、回避から詰め寄れる程《クロウ》は甘くない。
対処法は幾つかある、だが《クロウ》に迫る為には一つしかないだろう。《ブランク》は両腕で頭部を守りつつ、殺到する羽に向けて……苦痛の群れへとその身体を飛び込ませた。
真正面に跳躍する《ブランク》、その身体に黒の羽が幾重にも突き刺さる。
「だあぁらああ！」
細く鋭い痛み……注射にも似たその苦痛を誤魔化す為に唯は叫び、着地しようとする《クロウ》目掛け右手のブロークンソードを振り下ろした。逆手に持ったソードを、力任せに叩き付けたのだ。
《クロウ》は舌打ちし、両腕でガードの体勢を取る。《ブランク》のブロークンソードは、《クロウ》の両腕に直撃し火花を散らす。
傷が入った、捨て身の攻勢が効いた……唯のそんな意識が隙となったのか、次に動いたのは《クロウ》の方だ。
ガード体勢に入った両腕が、円を描くように動く。それだけでブロークンソードの振り下ろしは目標を失う。それだけではなく、《クロウ》の腕は《ブランク》の右腕をしっかりと捕縛した。
《クロウ》の着地を捨て身で狙った《ブランク》だったが、これにより攻防は逆転する。《クロウ》は空中にいる《ブランク》を、そのまま後方に投げて地面に叩き付けた。
地面がひび割れる程の衝撃が走るも、その投げ自体は脅威ではない。レリクスの装甲は堅牢だ。そこにダメージを与える為には、攻撃にレリクトがどれだけ込められているのかが重要となる。この地面はただの地面で、装甲は傷付かない。であるならば。
「唯、来るわよ！」
「分かってる！」
地面に伏した《ブランク》目掛け、《クロウ》が跳躍し右足を振り下ろす。リンの警告を受け、尚且つ自身の感覚でもそれを予見していた唯は……《ブランク》は地面を転がりその一撃を避けた。
先程とは比べ物にならない勢いで地面が砕け、破片がそこかしこに散る。
息を整える間もなく、《ブランク》は立ち上がり右腕を素早く付け替えた。
『......《blade》Relics』
左腕に小盾、右腕にブレードを展開し、《ブランク》レリクスは《ブレイド》レリクスへと姿を変える。
破片を突き抜けるようにして突撃、踵落としをかましてきた《クロウ》へと、右腕のブレードを振り抜く。
《クロウ》は飛び退いて回避するも、その間隙を縫うようにして《ブレイド》は更にステップ、今度こそ右腕のブレードが《クロウ》の胴を捉える。
「……なるほどな、ただ遊んでるだけじゃねえと」
《クロウ》の合成音声に、滲み出るような怒りが混じる。
唯に答える余裕などない。一撃でも多く攻撃を与える、それだけを考えて《ブレイド》は《クロウ》に食らい付く。
《ブレイド》が繰り出したのは最速の刺突、射程も相俟って回避は至難の技だろう。
しかし《ブレイド》が貫いたのは黒い影、舞い散る羽だけが目の前に映る。
「だがこんなもんじゃないぞ。プラトー、実験体、そういうもんが何をやっているのか、お前は未だに見誤っている」
合成音声は背後から聞こえる。《ブレイド》は振り返り、接近、斬撃を一瞬で行った。捉えたのは黒い影、羽だけが散っていく。
「何も知らん一般人が、程々の犠牲で何とか出来ると思ったのか？」
声の方向を《ブレイド》は見た。離れた位置に《クロウ》は佇んでいた。両腕、胴の傷はまだ残っている。その傷から、黒い靄が徐々に噴出していく。
《クロウ》は姿勢を低く保つ。
「戦いの真似事は終わりだ。お前の未来を教えてやる」
《クロウ》の宣戦布告、ここからが本番だという事実に絶望しそうになるも、それ以上の怒りで唯は鞭を入れる。
「そうかい。お前は喋ってばかりだもんな！」
地面が割れる。《クロウ》の姿が掻き消え、周囲の地面にヒビが入っていく。それは文字通りの足跡だった。《ブレイド》の目でも捉えきれず、黒い影がそこかしこに踊る。
「ならそろそろ」
《ブレイド》の真横に《クロウ》が出現する。出現した以上、その足が胴を捉えるのは必然だった。
「口だけじゃないと証明してやるか」
《ブレイド》は吹き飛び、そのまま壁に激突する。《クロウ》は黒い影となり、地面が割れていく。
激突した壁から落ちるだけの猶予もない。《クロウ》は真正面から飛び込み、再度蹴りを放ってきた。それに対し《ブレイド》は、左腕の小盾を構えることしか出来ない。
押しやられ、壁を突き抜けて地面に落ちる《ブレイド》、その周囲を黒い影が舞う。
絶望的な状況、しかし唯の心に絶望はない。
共に戦っている相方、リンが諦めていないからだ。ここでリンが撤退を叫ぶようなら、それこそ打つ手なし……絶望すべき状況という訳だ。
《ブレイド》は《クロウ》を見続ける。《クロウ》の動きは速く、捨て身の攻勢をした所でもう効果はないだろう。そもそも攻撃が当てられない。
となれば必然、《ブレイド》は防御に徹する。
背後に生じた《クロウ》が、《ブレイド》に向けて拳を叩き込んで来る。音だけを頼りに、《ブレイド》は右腕のブレードを振り抜く。拳とブレードがぶつかり合い、ブレードがパワー負けする。地面が砕け、再び《クロウ》が黒い影になった。
かと思えば真正面に生じた《クロウ》が、顔面目掛けて回し蹴りを放つ。反射で左腕の小盾をかざすも、当然のようにパワー負け、《ブレイド》は体勢を崩す。
影が翻る。《クロウ》が真横に生じ、《ブレイド》の足を蹴り抜いた。膝を付くようにして倒れる《ブレイド》、苦し紛れに振るったブレードは、やはり羽を浮つかせるだけ。
地面が割れる、しかし音の方向にはいない。
「上！ ガード！」
リンの警告、今度は分かったと言う間すらなかった。《ブレイド》は両腕を交差し、頭部を守るようにして身構える。
上方に飛び上がった《クロウ》は、猛禽類の狩りを思わせる急降下を見せていた。直下に撃ち出された跳び蹴り、それが《ブレイド》に突き刺さる様は、まさに着弾という表現が正しい。
黒い羽とレリクトの爆発を撒き散らしながら、《ブレイド》はひれ伏し《クロウ》は少し離れた位置へ着地する。
《ブレイド》の両腕は損傷し、右腕の肘から先が光となって消失した。それに伴って粉砕された左腕の小盾も消え、《ブレイド》は《ブランク》に戻っていく。
「く、そ。まだ……！」
《ブランク》は立ち上がろうとするも、その動きはあまりにも遅い。
「唯……時間さえ稼げれば。でも」
リンの言葉は助言ではない。その声に不安を感じ取り、唯は時間を稼ぐということだけを考える。だが身体は動かない。力を込めようと怒りを募らせようと、《ブランク》は地面に伏したままだ。
「さてと。もう右腕はないんだろ？ 次はどこを吹っ飛ばされたいんだ？ 好みがあれば聞いてやるよ」
《クロウ》の嘲笑を受け、《ブランク》は顔を上げる。《クロウ》は腰の後ろから、円形のデバイスを取り出していた。中心にグリップがあり、全体の印象はメリケンサックにも似ている。
それを見た緑が動こうとしたのだろう。《クロウ》は緑の方を指差し、その動きを制止した。
「黙って見てろと言った。愛しのパパと同じように、あそこにいる一般人が死ぬぞ」
《クロウ》の機動力なら造作もないだろう。結局、自分が何とかしなければ人質の白田稔は死ぬ。唯は全身に力を込める。ゆっくりと立ち上がり始めるも、その動きは何もかも遅すぎた。
緑は傍観者でいるしかない。《クロウ》は円形のデバイスを使おうとしており、《ブランク》は未だ立ち上がる途中だ。
絶望的な状況、しかし誰もがその手を止めた。《ブランク》も動きを止め、緑も周囲を見渡す。《クロウ》でさえ警戒を強める。
異変はすぐにやって来た。工場の壁を破壊し、複数のアロガントがなだれ込む。
その内の一体をサーフボードよろしく踏み付けながら、白の重装が《クロウ》と《ブランク》の間に入り込む。
乱入者は自分の足下で暴れているアロガントを、騎槍で突き刺して爆散させる。そして周囲を見渡して、ふむと呟いた。
「アロガントを追い込んでいたら、とんでもない所に来てしまったようだ」
騎槍をくるりと回して構え直し、《アーマード》レリクスはいつもの棒読みをかましてきた。
