単純な要求
現代医療は発展を続け、死という終着点を変えられないまでも道程を伸ばすことには成功した。たとえそれが寝たきりになって、全身を管に繋がれていても、一応生きているという風に認識される。
人を中心に据えた管の群れ……スパゲティのようだと揶揄する声もあるだろう。その是非については、自分はよく分からないが。
自身の身体を覆う機械を見ながら、気分の良い物ではないな、と片羽唯は眉をひそめた。いつもの隠れ家だが、いつものソファでもいつもの訓練場でもない。となれば必然、残るのはもっとも居たくない場所……ドクター・フェイスの研究室だ。
唯はベッドの上で横になりながら、至る所に機器を取り付けられている。健康診断で、心電図を取るときを何となく思い出したが。それよりも機械の量が多く、第三者から見ればまさにスパゲティだ。
「平常時の数値は変化が乏しいわね。ドクター、アロガントの基礎データは出せる?」
「これだね。こちらは目に見えて数値がでかい。唯くんは無意識に調整しているのかな」
小さな銀色少女と、痩せ形の男が自分について話している。どちらも白衣を着ており、この時ばかりは背丈も立場も関係ないように見えた。
リンとドクター・フェイスは、モニターを覗き込みながら難しいことを言ったり書いたりしている。この部屋にいる上で、唯一安心出来るのがその点だ。
リンが警戒せず話しているということは、まだ慌てなくていい。ドクター・フェイスがおっかないことをしでかそうとしても、リンがその前に察知してくれるだろう。他力本願ではあるが、自分が警戒しているよりも遙かに速い。
ドクター・フェイスに頼まれ、全身のチェックを行うことになったのだ。データが欲しいというのが第一目標だ。そして、それならばとリンも立ち会うことになった。リンもデータは確認したがっていたし、こちらの身体に置き換わっているデバイスの具合も調べたがっていた。
唯はその時の感覚を思い出す。生きたまま胸を開けるのは勘弁して欲しい、その一言に尽きる。自分の身体は右腕がない。そして、アームドレイターを接続する為のデバイスが、右胸半分に置き換わっている。そこをこう、まるでエンジンルームを確認するかのような気楽さで開けたのだ。
リンは表情一つ変えずに……それが恐ろしいことだと考えもしない目でこう言っていた。
唯、胸を開けるから横になって。麻酔? 何で? 開けるのは機械の方よ。痛くないわよ。
「そういう問題じゃないよ……」
結果、半べそをかきながら胸のデバイスを開ける羽目になった。
痛みはない。だが意識はばっちり覚醒状態、胸の奥に手がするりと入っていくあの感覚は、どうにも気持ちが悪い。
「過去のデータを参照しても、彼がレリクトのコントロールを行っているのは明確だ。対して、アロガントのそれは同じコントロールであっても出しっぱなしって感じだねえ。著しい身体変化はその表れかな?」
「つまり、コントロール出来れば身体変化は抑制出来る?」
ドクター・フェイスの言葉に、リンがそう問い掛けた。研究者が二人並び、自分の身体についてあれこれと言っている。
「少なくとも、知性がなくなるような事態は避けられるだろう。アロガントはまず、頭部を胴体に格納してしまう。急所を守るという動作だろうが、それに伴って知能レベルは大幅に下がる」
「私の身体は? レリクトの影響を受けて、成長が止まったこの身体は。身体変化を抑制しているの?」
「前提が不明瞭だなあ。レリクトの影響か、そもそも前任者が行った実験の影響か。レポートには目を通してあるけど、どちらがどう影響しているのかは、正直判別出来ないんだよね」
二人の会話を聞き流しながら、唯は早く終わってくれないかなと目を閉じる。眠気はない。危険な場所にいる、という感覚はどうやっても消せないからだ。
何か起きてくれれば、大手を振ってここから出られるのに。そんなことすら思い始めた矢先、遠くの方で着信音が鳴り響く。
唯は目を開けて音の方を見る。検査する前に脱いだパーカー、そのポケットで、携帯端末が鳴いているようだった。
着信音から、それがアロガント出現のアラームでないことは分かった。通話だろうと見当を付け、唯はその方向を指差す。
「リン、あれ取って」
肩を竦め、リンは脱ぎ捨てたパーカーに近付いてごそごそとまさぐった。ひょいと投げられた端末を左手で受け取り、知らない番号と対面する。そこまで考えて、知らない番号ではないと気付く。下四桁が全部七、幸運の電話番号だぞ、とバカみたいなことを言っていた友人の顔を思い出す。
「シロからの電話か。何だろ」
そう、これは白田稔の電話番号だ。この状態になってから、一度会ってしまった。街を出ろと言ったが、何かしら話したいことでもあるのだろう。まあ、当然かも知れないが。いきなり右腕のなくなった友人に、街を出ろと言われたら誰だって混乱する。
口元に笑みを浮かべ、その通話を受けようとする。しかし、その時理性が一つの答えを差し出した。そもそも、この端末は自分がこうなってから渡されたものだ。友人がこの番号に掛けてくることはあり得ない。
口元の笑みは消え、僅かに呼吸が乱れる。変化を感じ取ったのか、リンがこちらをちらと見た。
機械のことなどお構いなしで唯は上体を起こすと、通話を受けて端末を耳に当てる。
「……鴉か?」
そして、唯は電話口にいる誰かに向けてそう問い掛けた。確信していた訳ではない。ただ……そうあっては欲しくないが故に、問い掛けたのだ。
しかし、返ってきたのは合成音声のくぐもった笑い声……間違える余地すらない、鴉だ。
『勘は良いんだな。なら、俺がこれから言うことも分かってるんじゃないのか? ん?』
すっと胸の奥が冷えていく。
「シロを巻き込むな。あいつは普通の人間だ」
『お前もそうだろう? まあ、そもそも普通か異常かなんて、俺の知ったことじゃない。場所と時間は後で送ってやる。そこで楽しもうぜ』
交渉はしない、と鴉は言っている。唯は歯噛みしながら、絞り出すような声で問う。
「お前は何がしたいんだ。俺と戦いたいならそう言えばいいだろ」
『戦いたくはないな、殺したいとは思うが。まあこっちも仕事でね』
そう言うと、鴉はくぐもった笑い声を上げる。
『そうそう、現地には鈴城緑も連れて来い。お前らは悪知恵が働くからな、裏から侵入して救出とかされたらつまらん。目の届く位置にいて貰わないとな』
退路は既にない、活路は次々と塞がれていく。くべられているのは己の命ではなく、無関係な友人の命……少しずつ、左手に力が込められていく。
『俺とお前、一対一の勝負だ。それっぽくて格好良いだろ? はは!』
合成音声、その笑い声が、正常な意識を掻き乱していく。
『はったりだと思って、無視してくれたって良い。お前に新しい‘右腕’を届けてやるっていう結末でも』
「黙れ!」
唯は怒鳴りながらも、鴉の言う言葉を理解した。理解したからこそ怒鳴ったのだ。
鴉の思惑通りにこちらが動かなければ、白田稔の腕を切る。こいつはそう言っている。
「シロに手を出したら、お前を」
『殺すか? まあ、それぐらいの意気込みは欲しい所だな。待ってるぞ』
鴉の声はもう聞こえない。唯は左手で握り締めた携帯端末に、じっと目線を落とす。画面にはヒビが入り、本体自体も少し拉げている。
間もなく、一件のメッセージが届いた。簡素に場所と時間だけが記載されており、現在の時間とそれを交互に見る。指定は夕刻、今は昼だ。
舌打ちを一つ、それだけで何とか感情に折り合いを付け、唯はベッドから下りる。身体に付けられた機器を乱暴に剥ぎ取ると、シャツとパーカーを突っ掛けて歩き出す。
リンがその背中を何も言わずに追い掛ける。会話内容から、何となくの事態は察しているのだろう。
重苦しい空気の中、ドクター・フェイスだけが笑顔のまま、モニターの中の数字を眺めている。
「……数値が上がったみたいだねえ、唯くん」
そう、いっそ穏やかにすら聞こえる声で。ドクター・フェイスは一人呟いていた。




