サンドバッグ体験入学
前回までのブランクアームズ
普通よりちょっと無気力寄りだけど何かとツッコミがちな高校二年生、片羽唯は右腕を化け物に食い千切られてしまった。日常は傾き、アームドレイターと呼ばれる義手を用い、銀色少女……リンと共に戦う道を歩む。
異形の化け物、アロガントの脅威を受け、唯とリンはナンバー08に共闘を申し込む。《ブランク》レリクスと《アーマード》レリクスは、条件付きではあるが仲間となった。
もう一つの脅威、鴉こと《クロウ》レリクスは鈴城緑と狗月光を襲撃、《アールディア》レリクスと戦闘を行う。《クロウ》は撤退したものの、その真意は未だに不透明なままであった。
玉のような汗が、滲んでは流れていく。素早く後方へステップしながら、片羽唯は左手を前に出す。手の平で飛び込んできた小さな拳を受け止めると、掴まれる前にはね除けるようにして押し返す。右腕があれば他に出来ることもあるのだろうが、無い物ねだりをしたところでしょうがない。
目の前にいるのは相方でもある銀色少女、リンだ。相方ではあるが、今はシンプルに敵、或いは厄災だ。訓練、暴行、まあ色々と呼び方はあるのだろうが、リンの方針は最初から今に至るまで変わらない。即ち、戦って覚えろだ。
唯は反撃しようとは思っていない。そもそも見た目が十一歳程度の女の子を蹴り飛ばす気にはなれないし、しようと思った所でどうにもならない。酒を呑んで白衣を着て機械を弄くり回している割に、この銀色少女はアクティブなのだ。
だから反撃は考えず、倒されないことを主眼に置いて唯は立ち回る。だからこそ後退が戦術の軸になるし、正面に銀髪を捉えている間は安心だ。
しかし、そんなことはお見通しだったのか。リンはふっと口元を緩めると身を屈める。銀髪が視界の端に舞い、這入り込まれた事を視覚よりも先に肌で感じた。
後退を止め、右膝を叩き込むようにして懐にいるリンを迎撃しようとする。見た目十一歳の少女を蹴り飛ばすのはどうとか考えていたのは確かだが、余裕がなければ膝ぐらいは出るだろう。
咄嗟の膝だが、的中すればそれこそ小学生を軽く吹っ飛ばせること間違いなしの一撃だった。しかし、膝に感じたのは肉を打つ感覚ではない。リンは片手だけで膝に触れ、ぽんと叩くようにして軸をずらす。
銀髪が視界を埋める。汗を搔いているのは向こうも同じ筈なのに、仄かに石鹸の匂いがしていた。
リンは膝をいなし、更に内側に滑り込みつつある。目で捉えるのは不可能、左の拳をここだという場所に目掛けて振り抜く。
そこから先は、まさに一瞬の出来事だった。間合いに這入り込んだリンを迎撃する為のボディフックは、しかしリンに受け止められて不発に終わった。
まずいと思った時には何もかも遅い。リンは踏み込み、唯の胴に肘を叩き込んだかと思うと足払いをかます。胴に肘が食い込んだ時点で唯は抵抗を止めていたし、何なら呼吸だって止まっていた。
唯は訓練スペースに敷き詰められたマットに背中から倒れ、動こうとしなかった為、追加の肘を胴に頂戴した。
唯は立ち上がり、胸を押さえながら部屋の端に歩いて行く。
「しっかり生身の部分殴るんだもんなあ。多分肋骨とか折れた」
「私の肘で? 貴方の骨はそんなに柔じゃないわ。その胸を開いて弄くり回したのは私よ?」
唯の横を歩きながら、リンが何やらグロテスクなことを言う。右腕は肩すらなく、右胸部は硬質な何かに置き換わっている。その処置をしたのはリンとドクター・フェイスらしいが。想像するとちょっと気持ち悪い。
「胸を開くっていうより、これ何かしらと交換されてるよね」
「デバイスの基部に置き換えたわ。一応、切除した肉は冷凍保存してあるわよ。処置時の写真や映像もあるし。見たいなら出せるけど」
「シンプルにグロ映像じゃん。凄く見たくない。リンは気持ち悪くないの?」
唯の質問を受け、リンは少し考える素振りを見せる。そして、分からないと言わんばかりの表情で小首を傾げた。
「唯は内側も健康体だったから。肺とか結構立派だったわ」
「内臓褒められても嬉しくない……」
壁に背を付け、唯はその場に座り込む。リンは立ったままだ。
「じゃあ内臓以外も褒めるわ。最初に比べれば良い動きをするようになった。ちゃんと反撃の選択肢も出てくるようになってるし。スタミナはもうちょっと付けて欲しいけど」
「三回連続で殴り合った時点でおかしいって。スタミナ保った方だよ」
唯がぶちぶち文句を言っていると、見学していた少年が駆け寄ってきた。少年は、狗月光は目を輝かせながら両手でガッツポーズを取り、ぐっと拳を握り締める。
「唯兄もリン姉も凄い! 迫力が凄かった!」
そんな興奮気味な光を見て、唯は疲れた笑みを浮かべる。
「腕のない高校生がチビッ子に殴られる場面だからね。迫力はあるよね」
「ヒーローも時々生身で戦うんだ! そんな感じだったぞ!」
そのヒーローは、少なくともチビッ子に肘を貰ったりはしていないだろう。唯は少し考え、光を指差す。
「そんなにテンション上がってるんなら、リンに稽古を付けて貰ったら? 体力は付くよ。サンドバッグの気持ちも追体験出来るし」
リンは目を細めてこちらを睨む。お前が休みたいだけだろうと赤い目には書いてあったが、光はこくこくと頷いている。後半のサンドバッグの下りは聞こえなかったのだろうか。
「俺にも訓練してくれるのか! リン姉!」
目がキラッキラになっている光をちらと見て、リンは溜息を吐く。
「……仕方ないわね。唯、光が倒れたら貴方の番よ。休憩時間は短く見積もっておくことね」
こちらにぴっと指を差してから、リンは光と共に広いスペースへ移動する。その小さな背中達を見送りながら、唯は床に寝転がった。
「光、なるべく頑張れ。出来れば五分……いや十五分は稼いで欲しい」
唯はごろごろしながら目を瞑る。穏やかな時と言ってもいいだろう。打撃音や光の悲鳴は痛々しかったが、疲れた身体にごろ寝はよく効く。
そんな唯の頬を、ちょんと何かが突く。虫だったら嫌だなあと思いながら目を開くと、目の前には同じように寝そべっている少女、鈴城緑がいた。
唯は下へ続く階段の方をちらと見て、それから両手で眼鏡のズレを直している緑に視線を向けた。
「もしかして這い上がってきた?」
緑は寝そべったまま、笑顔で頷いて見せた。
「一人は寂しかったので来ちゃいました。車椅子は下に置いてあります」
自分と同年代である少女が、横で同じように寝そべっている。何となく目のやり場に困るので、唯は仰向けになって天井を見た。
「せっかく来たのならリンに稽古を付けて貰うといいよ。今は光が頑張ってる。緑も頑張ってくれれば、それだけ俺の休憩時間も増える」
「私は足がこんな感じだから無理だよお」
緑も仰向けになり、ロングスカートに包まれた右足をひょいと上げた。スカートは不自然な張り方をしている。緑の右足は、膝から先がないからだ。
「俺だって右腕がない。なのに肘鉄を食らうんだ」
唯はげんなりとした様子で喋り、緑はそれを見てくすくすと笑っている。
「光もボコられてます。リンさんはスパルタですね」
「ヒーローみたいだって、光はテンション上げてたよ」
緑は仰向けからうつ伏せになり、リンと光の訓練風景を眺め始めた。唯も横を向き、チビッ子同士が殴り合う所を見る。
「なんかそういう、テレビ番組があるみたいですよ。ヒーローが悪と戦うあれです。私は、小さい頃魔法少女になるやつを見てましたけど。唯くんは男の子だし、光の言ってるヒーローも分かるんじゃないですか?」
緑の問い掛けに対し、唯は首を横に振って返す。それこそ小さい頃見ていたかも知れないが、正直記憶には残っていない。何となく、そういう番組もあったなあ、ぐらいのものだ。
「俺はあんまり憶えてなくて。それに、お世辞にもヒーローとは言えない人生だし。無気力無関心、流されるままにあれやこれってやつ」
唯がそんな返答をしていると、光が背中から叩き付けられて動かなくなった。弟分を容赦なく殴り蹴飛ばし、終いにはぶん投げた見た目十一歳、実年齢二十八歳のリンが、唯を見てひょいひょいと手招きする。
唯は緑を指差すも、それに気付いた緑がぶんぶんと首を横に振る。
「三分ちょいか。まあナイスファイトだったぞ光」
そう言って、唯はのそのそと身体を起こす。
「頑張って下さい、唯くん」
「俺が倒れたら緑の番だってリンに言っておく」
下から高見の見物をしている緑にそう返すと、唯はリンの下へ足を進めた。




