彼女に潜む憎悪
かつてプラトーの地下施設があったその場所は、もう立派な廃墟となっていた。地下施設は爆弾によって崩落し、ダミーの建物は地震後を思わせる崩れ方をしている。
こんなことぐらいしか出来ないと、鈴城緑は目を伏せていた。車椅子で入れる限界まで進み、膝の上にある花束を手頃な残骸の上に置く。
「ちゃんとしたお墓に入れてあげたいな。しばらくは……無理だけど」
緑はそう呟き、周囲を見渡す。瓦礫塗れの光景が広がっており、とてもじゃないが立ち入れるようには見えない。せめて足があれば、と自身の右膝を撫でる。膝から先がない自分の足を。
車椅子を押してくれている狗月光は、この廃墟に入ってから黙ったままだ。何を言って良いのか分からないのだろう。それでも構わないと緑は思っていた。背中越しに伝わる悲哀、それだけでいい。父である鈴城巧は、この遙か下で眠っている。そのことを、一緒に悲しんでくれるだけでも充分だった。
緑は眼鏡を外し、込み上げてくる弱音と涙をハンカチで拭う。
それでも尚、拭いきれない言葉が零れていく。
「やっぱり、後悔は消えないね。私が事故に遭わなければ、私が歩きたいって言わなければ。こうはなってなかったのに」
そうすれば父はプラトーに関わることなく、真っ当な研究者として生きていく事が出来た。プラトーに関わってさえいなければ、こんな死に方はせずに済んだ……かも知れない。
緑は後ろを振り返り、悲しい目をしたままの光と視線を絡める。
「まあ、そうなると光には会えなくなっちゃうから、それはそれで嫌なんだけどね」
そう言って、緑は困ったような笑顔を浮かべる。光は目を逸らし、首を横に振る。
「足と博士の方が、どう考えたって大事だよ。俺だってそれぐらい分かる」
「どっちもどれも大事なの。それぐらい分かって欲しいな」
緑と光は互いに目を合わせ、同じような困り顔で笑う。後悔は本当だが、どれも大事というのも本当だ。
残骸に囲まれたまま、緑と光は思い出話を始める。父について話すことが出来る、それだけでも緑にとっては嬉しいことだった。
談笑を繰り返した後、どちらからともなく空を見上げる。崩れた天井の向こうにある太陽を見据え、お昼時を過ぎてしまったとお腹をさすった。
「……戻ろっか。父さん、また来るからね」
この廃墟を、父の墓標代わりにするつもりはない。緑はそう言外に伝える。光は頷き、車椅子をその場で旋回させる。
光は気を付けて車椅子を押してくれているが、地面の凹凸によってどうしても身体は揺れてしまう。そんな不規則な揺れに身を任せている中、緑の膝に黒い羽がはらりと落ちてきた。
鴉の羽……緑と光は背後を振り返る。抜け落ちた黒い羽が舞い、音もなく花束の上に着地した鴉、《クロウ》レリクスが同じようにこちらを振り返った。
「研究者一人を弔う割には豪勢な墓場だな、些か殺風景だが。まあ死人に口はないしな」
黒い外套に黒い体躯、舞い散る黒い羽に、人を小馬鹿にしたような合成音声……《クロウ》レリクスは、花束を踏み付けたまま両手を広げる。
「……ここを、父の墓場にするつもりはない。私達は帰るから」
際限なく込み上げてくる怒りを、緑は呼吸を整えて抑え付けようとする。目の前には父の仇がいて、今尚父を侮辱していたが。あの鴉が目の前に出て来た以上、撤退するのが正解だと冷静な自分は判断している。
「いや、ここを墓場にした方が面倒がないだろ。お前の父親は、自分が仕掛けた爆弾で吹っ飛ばされたんだぞ? 火葬をすっ飛ばして跡形もないんだからさ。新しい墓石をどこかの霊園に押っ立てた所で、その中身は空っぽだ。アホらしいとは思わないか?」
《クロウ》レリクスは、足下に転がっている瓦礫を一つ拾い上げた。
「それとも何だ? 適当にこういうの拾ってきて、これが父さんですって決め付けるのか? 俺はどうかと思うけどなあ」
そう言って、《クロウ》レリクスは拾った瓦礫を背後に放り捨てる。瓦礫が瓦礫にぶつかり、音を立てて幾つかの残骸が崩れていった。
緑は、まずいなと自身の胸に手を当てる。心臓がうるさい。目の前の鴉が挑発しているのは分かっている。分かっているのに、怒りが頭の中を駆けずり回って。
「しかしなんだ。こうなるって分かってれば、蹴り飛ばさずに持ち帰っておくべきだったか」
鴉がくぐもった笑い声を零す。聞いてはいけない。聞けば多分、後には退けなくなる。
しかし、緑は《クロウ》レリクスの目を見てしまった。黒い空洞を。
《クロウ》レリクスは自身から抜け落ちた羽を掴むと、拉げた棚にそれを投げ付けた。羽が通り過ぎた後に拉げた棚は半ばから切断、音を立てて崩れていく。
「鈴城巧、お前の父さんが抵抗するもんでな。気乗りはしなかったが手首を切った。正直いらないから蹴っ飛ばしたんだが」
棚が崩れ、連鎖的に瓦礫が崩れる。けたたましい音、くぐもった笑い声、無意識の内に、緑は右足を、レッグドネイターを握り締めていた。
「他でもないお前の為だ、持ち帰ってれば良かったのかねえ。手首だけでも、空っぽの墓よりは格好が付くだろ? はは!」
《クロウ》レリクスは右足で花束を踏み締め、それを蹴り上げた。ぐちゃぐちゃになった花達が、抜け落ちた黒い羽と共にそこかしこに散らばる。
「……あんたに、何も、言われたくない!」
緑は心臓が暴れるままにそう叫ぶと、スカートをたくし上げて右足型レッグドネイターを装着した。そのまま流れるような動きで後部、ふくらはぎに弾倉を叩き込み、脛にあるチャージングハンドルをスライドする。
『Connected Leg』
光が右隣に移動する。ちらと見えたその表情に不安を感じ取ったものの、緑はもう止まるつもりはなかった。
緑は両足で立ち上がり、車椅子を背後にはね除ける。光が左腕を伸ばし、こちらの右足、レッグドネイターに触れた。触れた先から黄色の光に変換され、光はガイドとしてレッグドネイターに取り込まれた。
『ArchiRelics......《R》』
緑は右足、レッグドネイターを僅かに後ろに引き、爪先で地面を二回叩く。
「フェイズ、オン!」
『PhaseOn......FoldingUp......』
右足、レッグドネイターの爪先から翡翠と黄色の光が放出される。螺旋を描きながら上昇、軽装鎧を思わせる外装を形成していく。
二色の螺旋は頭部まで上がり、反転し残る装甲やスカーフを展開していく。翡翠と黄色、交互に灯っていた複眼が、端から黒に染まって瞬く。
螺旋の光が消える。外装展開の反動で爪先が跳ねるが、右膝を折り畳み、左足のみで直立するようにして反動を消す。
そのまま右足を上げ、踵を振り下ろすようにして地面を砕いた。
『......《Rdear》Relics』
名前が宣告される。緑は……《アールディア》レリクスは、右足を踏み締めた体勢のまま、爪先にある銃口から楕円系の大剣、ラウンドソードを形成した。
剣身が上、柄が下にある。その為、《アールディア》レリクスは爪先で柄を横に蹴飛ばした。大剣を回転させ、飛び込んできた柄を右手で掴む。
「レッグドネイターか。大好きな父さんが残してくれた足って訳だ。二本足で立った感想ってのは、どんなもんなんだ? ええ?」
残骸から飛び下り、《クロウ》レリクスはフードを目深に被り直す。
「最悪だけど……あんたを蹴り倒せば少しはマシになる」
そう答えるや否や、《アールディア》レリクスはラウンドソードを逆手で構え、《クロウ》レリクスに向かって駆け出した。




