出来損ないの命
前回までのブランクアームズ
普通よりちょっと無気力寄りだけど何かとツッコミがちな高校二年生、片羽唯は右腕を化け物に食い千切られてしまった。日常は傾き、アームドレイターと呼ばれる義手を用い、銀色少女……リンと共に戦う道を歩む。
異形の化け物、アロガントの攻勢は続く。街を支配する研究施設、プラトーの手駒であり刺客であるナンバー08も、完成されたレリクス、《アーマード》レリクスとなって唯やリンと敵対する。
そんな唯達の元へプラトーに関わり、行き場を失った鈴城緑と狗月光も合流した。更に鴉こと《クロウ》レリクスの襲撃もあり、事態はより混迷を深めていくのであった。
プラトーでの生活は、白という印象が脳裏に刻まれている。床も壁も天井も白い、行き交う人々も白い服を着て、自分達も白い服を着せられていた。どこまでも清潔で、どこまでも果てがない。白は他の色に染まりやすい。だが、プラトーの白は絶対的な白だった。何を受けようと染まらない、絶対の白……この世に産まれてから、自分が見続けてきたプラトーの色だ。
狗月光はプラトーで産まれた。生産された、と言い替えた方が正しい。プラトーが研究で使う人体は、同施設内にあるプラントで生産される。だが、その技術はまだ完成とは言い難い。理想は、素養のある実験体を生産する事だろう。だが、人の身を介さずに人を作ることは出来ても、その素養までは操作出来なかった。
まだまだ未発展の技術だと、研究者は言っていた。だから、プラトーは振れ幅を作ることでその問題を一時的に解消している。欲しい素養があるのなら、何十何百と作ってその素養を見出せばいい。幸い、使い道のない実験体なんてプラトーにはいない。素養に関わらず、生きた実験体を使いたい研究者は山ほどいる。
白い部屋で、少年は友人と共に笑っていた。狗月光は、この時はまだその名前を得ては居なかった。ナンバーL、それが少年を意味する言葉だった。目立った素養もなく、何の価値もない実験体に付けられるナンバー……それがLだ。
反骨心だけはあった少年は、自分のことをライトと呼んだ。LではなくL、蔑称を受け入れながらも、自分の名前として昇華する。同じようなことをする実験体は他にも大勢いた。そうでない人もいたが、みんな自分の名前が欲しかったのだ。それは研究者から与えられなかったとしても手に入る、唯一の物でもあった。
二人の友人にもナンバーと名前があった。一人はポー、プラント産ではない、外からやってきた男の子だ。犬を飼っていたらしく、双子のように育ったと言っていた。名前を付ける際、その犬から名前を貰ったのだ。
もう一人はルナ、プラント産の女の子で、月が好きだった。何を考えているのか分からないけれど、ぼうっと、何時間でも月を見ている。そんな子だ。
二人に共通しているのは、優しくて気弱、ということだった。いつも実験に怯えていたし、誰かの心配をしていた。
狗月光は、ライトはそんな二人を励ましていた。自分は十一歳、ポーとルナは九歳だ。虚勢を張ってでも、空元気だとしても、大丈夫だと言い続ける。自分は年上だし、二人は大事な友達だ。絶対に守る。
ポーがいつか言ってくれた言葉を思い返しながら。ライトはヒーローみたいだって、いつもポーは目を輝かせながら言うのだ。ポーが言うには、みんなを守る、格好いい存在だそうだ。外の世界ではそんな人もいるのかと思いながら、ライトはヒーローになるべく努力した。
ルナは相変わらず何を考えているのか分からないけれど、頼りにしてくれているのは分かる。みんなを守る、なんてことは出来ないかも知れない。けれど、この二人だけは。
その二人だけは、連れて行かないで。泣き出しそうになる心を必死に鼓舞しながら、ライトは研究者に掴み掛かった。ポーとルナを連れて行こうとする研究者に、二人を離せと怒鳴りつける。だって、連れて行かれたらもう会えない。何の研究をしているのかは分からない。でも、連れて行かれて戻ってきた子どもは一人だっていなかった。
何だってする、何だって出来る。自分はヒーローなんだから。みんなは守れなくても、この二人だけは。
強い意志だけを携えて、ライトは抵抗を続けようとした。その瞬間、彼の顔面に銃床が食い込んだ。鈍い音と、何かが折れるような乾いた音……傍に立っていた警備員が、銃のストックでライトを殴り付けたのだ。
ライトは尻餅を付き、両手で自身の鼻を押さえる。ぼたぼたと垂れる血の赤で、白い床が瞬く間に染まっていく。
零れたのはそれだけではない。両目から、堰を切ったように涙が溢れた。白い床、赤い血、透明な涙……それらがない交ぜになって、視界が歪んでいく。
ライトはもう、顔を上げようとすらしなかった。彼がなりたかったヒーローなど、ここにはいない。二人を守れるヒーローは、ここにいたが今いなくなった。
嗚咽を漏らしながら、足音だけが遠のいていく。友達が連れて行かれる。だけど、もう彼は動けない。動こうとしない。
振り下ろされた銃床、その一撃が、ライトの虚勢を全て砕いたのだ。
それ以降、ポーとルナには会えていない。いや、会えはした。どちらも首が無く、胴体に生え揃った牙で何かを貪っていた。
今にして思えば。あの時折れたのは、鼻だけではなかったのだろう。
心の折れた音は、今でも耳の奥で反響している。
毛布にくるまりながらライトは……狗月光は目を開く。浮かんでいた涙を強引に拭うと、一年前か、と溜息を吐く。
友人二人を見捨ててもう一年経った。自分が何も出来ないと気付かされてもう一年経った。そんな情けない思いをしてまで、それでも生にしがみついてもう一年経った。
周囲を見渡す。ここは床、毛布と枕は借り物、リンの部屋だ。
「おはよ、光。目が赤いけど大丈夫?」
鈴城緑の声だ。傍に居たのだろう。こちらが起きた事に気付き、覗き込むようにして見ている。車椅子に座っている緑は、右足がない。不自由ではあるが、それを感じさせないぐらい優しい人だ。
光は、へへと笑ってみせる。
「安心したからかな? ちょっと寝過ぎちゃったみたいだ」
「そうなの? 私はちょっと寝不足かな。リンさんと同じベッドはなんか緊張するよ」
そう言って緑は欠伸をする。
「リン姉はあんなだからろくに気にしてないぞ」
「私が気にするの。光も顔洗ってきたら?」
「そうする」
光は立ち上がり、毛布を枕の上に置く。硬い床で寝たからか、身体が少し痛い。まあすぐに気にならなくなるだろう。
シャワーブースにある洗面台まで行き、言われた通り顔を洗う。蛇口を捻り、水を出しながらそれを両手で掬い、何度も顔を湿らせる。
目の前の鏡には、相変わらず弱虫で何も出来ない男が映っていた。
わざわざ夢で教えてくれなくてもいい。だってそうだろう。
「分かってる……俺はヒーローなんかじゃない」
二人に大丈夫だと嘘を吐き続けた。根拠のない強さを信じて、ヒーローになると虚勢を張った。ただの一度殴られただけで、連れて行かれる二人を見ようともしなかった。
ヒーローだったら、そんな情けない姿は見せなかった筈だ。何度殴られようとも、絶対に諦めなかった。どんなに痛くても、二人を絶対に助けた。
何もかも出来ず、最後に残ったのは情けない自分だけ。
「ヒーローには……なれない」
光は目の前の自分自身から目を逸らし、蛇口の栓を閉めた。




