読書家と猫
沈みかけた太陽を直に見て、夕方だったなと実感する。当たり前の感覚を噛み締めながら、片羽唯は街を歩く。この外出許可がリンなりの気遣いなのか、ただ単に炭酸水を切らしたのかは分からなかったが。ありがたいことに変わりはない。
外に出てから知り合いにあったらどうしようとか、右腕がないという時点で目立つのではとか不安になってきたが。一先ず、炭酸水を確保しておこうと足を進める。
最初はいつものコンビニに向かおうとしたが、顔馴染みの店員がいるかも知れないと気付いたのだ。少し考え、唯は商店街を通って普段行かないコンビニを目指した。
都市再開発の煽りを受け、元々寂れかけていた商店街はしっかりと寂れることになった。しかし、寂れる前も寂れた後もお世話になっていない場所であり、顔馴染みも当然いない。我ながら完璧なのではと考えていたが、とある古本屋を通りがかった時に完璧などないと知った。
「あ」
唯は立ち止まり、挙げ句の果てに声を出してしまった。
古本屋、その店先に座りコーヒーを啜っていった金髪少女が、こちらをじろと見る。
「あ。あんた知ってる」
少女はぽつりと呟く。色白の肌にくせっ毛の金髪、眠たげな碧眼に白のジャケットとくれば、該当人物は一人だけだ。
そして、その横に立っている金髪で白のコートを着た青年もまた、しっかりと顔馴染みの相手だ。
左腕がないその青年は、右手だけで器用に文庫本のページを捲っている。その目がこちらを捉え、三人の間に沈黙が広がっていく。
唯はポケットの上から、防犯ブザーの感覚を確かめる。いざとなればこれを使えばいいのだろうが、びっくりするぐらいに敵意はない。もっとも、金髪少女は黙ったままこちらをじっと見ているし、左腕がない青年も無表情のままこちらを見ている。敵意どころか、何を考えているのか全く分からない。
重苦しくもない妙な沈黙の中、左腕がない青年が咳払いをした。
「やあ友よ。一年振りの再会だ、積もる話も沢山あるだろう?」
そして、無表情を貫いたまま青年はそう切り出した。機械音声を思わせる棒読みに、えらくフレンドリーな内容と、正直気味が悪い。
一歩後ずさり、困惑の表情を浮かべた唯を見て、青年はふむと呟く。
「違うのか。本の通りにはいかないものだな」
青年はそう言うと、心なしか残念そうな様子でページに目を落とす。再度読書を再開した青年を前に、唯は込み上げてきた感情をとりあえず処理することにした。
「まず友かどうか関係性が微妙過ぎるよね? 一年前に俺達会ったっけ? 積もる話は……まあそれなりにあるのかな」
聞きたい事、というカテゴリーなら。それこそ沢山積もっている。
「あるのか。今なら答えてやれるぞ」
「本読んでるのに?」
「可能だ」
可能というのなら質問させて貰おう。そう考えながらも、唯は金髪二人組と一定の距離を保つ。いきなり首根っこを掴まれたりしないようにだ。
青年は立ったまま読書を続け、少女はその足下で座ってコーヒーを飲んでいる。急に襲ってきたりはしないと信じたい。
「えっと、まず確認したいんだけど。今この場で戦ったり、襲ってきたりはしないの? なんか、思っていたよりゆったり過ごしてるけど」
そんな唯の言葉に、青年はこくりと頷く。
「現状の課題にはない。この前も言ったが、レリクスの破壊命令は出ていない。察するに、情報収集の段階なのだろう」
青年の言葉を補足するように、少女が口を挟む。
「一回で壊したりしたら、それ以上はデータが採れないでしょ。だからじゃない?」
そういうものなのか、と唯は納得しようとする。とりあえず、敵意がない理由は分かった。
「君はゼロエイトとか呼ばれてたけど。あれ名前なの?」
「そこ気になるの?」
唯の問いに、金髪少女が呆れ顔を浮かべる。
「ああ。俺はナンバー08だ。プラトーでは、有用な実験体には数字が割り振られる」
確かに、リンもそんな感じのことを言っていた。
「じゃあ、君も?」
金髪少女にそう問い掛けるも、ぷいとそっぽを向かれた。
「彼女は08用備品だ。元のナンバーは知らない」
代わりに、ゼロエイトと名乗る青年がそう答えた。
「ゼロエイトにしても備品にしても、凄い呼びづらいんだけど。他に名前とかないの?」
百歩譲ってゼロエイトは呼べたとしても、少女に向かってやあ備品、とかは言えない。
「俺はプラント産で、そういった個体識別名はない。彼女は」
「やめて」
青年の言葉を、少女が強い口調で遮る。
「……名前なんて忘れた。大体、あんたがそれを知ってどうなるの。結局最後は戦うだけ。そこにいるナンバー08は、プラトーの命令に逆らえない。逆らうって事すら知らない」
「知ってるが」
「うるさい馬鹿」
苛立ちを隠そうともしない少女の様子を見て、唯は一人頷く。過去というのは、彼女にとっては地雷原にも等しい。おっかないし、踏み抜かないようにしよう。
「じゃあさ、プラトーの連中は何を考えてるの? アロガントみたいな化け物を作って、俺達みたいなレリクスも作って。この街をどうしたいの?」
青年は少し考えるも首を横に振った。
「俺は課題に従うだけだ。プラトーについては何も分からない」
「あたしはあんたの方が気になるな。プラトーに関係がないあんたが、フェイスやドールと一緒になって戦ってる。戦うの好きなの?」
少女の問いに、唯は首を横に振る。
「好きとかじゃない。でも、リンに頼まれて。腕も、なくなったし。それに」
なぜ戦うのか。直接的過ぎる問いを前に、唯はしどろもどろになるしかない。
そうするしかなかった。だから腕を付けて、リンと戦う道を選んだ。それに、リンの意思は眩しい程に真っ直ぐで。自分がそうなれなくとも、その手伝いぐらいはしたくなる……そうなれなくとも。
「へえ。てっきり正義のヒーローとかに憧れるタイプかなって思ったんだけど。中身はすかすかなんだ」
少女の顔には、言葉とは裏腹に嘲りや落胆が見て取れない。ただ思ったままを口にしているだけ……それ故に、空虚という感想が強く打ち付けられる。
こちらの顔色を見て、少女自身もそれを感じ取ったのだろう。少し気まずそうな顔をして、残り少なくなったコーヒーカップに視線を落とす。
「悪口を言いたかった訳じゃない。あたし達が無理矢理やらされてることを、率先してやってるあんたが気になっただけ」
「俺は無理矢理という意識はないが」
「黙って本読んでなさいよ」
ふむと呟くと、青年は右手だけでページを捲る。
「……読書、好きなの?」
唯が小声で、少女に向かって聞く。少女はくすりと笑みを零すと、いつもの呆れ顔で溜息を吐いた。
「プラトーにいる間は、娯楽らしい娯楽なんかないから。朝このお店を見付けて、それからずっと。これもおじいさんに貰ったの」
そう言って、少女はコーヒーカップをくいと持ち上げる。おじいさん、というのはここの店主だろう。店の奥に引っ込んでいる為姿は見えないが、二人の珍客を快く迎えているようだ。
「本というのは凄い。内側に別の世界が広がっている」
青年の言葉は素っ気ないものだったが、文字を追う目は心なしか輝いて見える。
「問題があるとすれば、クソみたいな演技力で台詞を読み上げてくることぐらい」
冒頭のやあ友よを食らっている身としては、少女の言葉に頷くしかない。
「それにね、こいつさっき」
少女が話し始めようとした時、電子音が懐から鳴り響く。少女の顔が曇り、ジャケットの内側から端末を取り出すと画面を青年に見せる。
青年は本を閉じ、それを棚に戻す。
「現れたようだな」
青年がそう言うと、今度は唯の懐から電子音が響いた。リンからの着信だ。
青年は歩き出し、少女が立ち上がってその背を追う。
「先程も言ったが。レリクスの破壊は課題にない。だが情報収集は未だに継続中だ。その場にいれば、実行するしかなくなる」
青年は立ち止まり、振り返る事なくそう言う。少女はこちらに視線を合わせ、何を言っているのか分かるでしょ、と目だけで伝えてくる。
警告、或いは忠告……敵対している、だが完全な敵でもない二人を前に、唯は迷いながらリンからの着信を取った。




