外出許可
前回までのブランクアームズ
普通よりちょっと無気力寄りな高校二年生、片羽唯は右腕を化け物に食い千切られてしまった。日常は傾き、アームドレイターと呼ばれる義手を用い、銀色少女……リンと共に戦う道を歩んでいく。
異形の化け物、アロガントの攻勢は苛烈になっていくが、脅威はそれだけではない。
街を支配する研究施設、プラトーが遂に行動を起こしたのだ。手駒であり刺客であるナンバー08は、完成されたレリクス、《アーマード》レリクスとなって唯やリンと敵対する。
《ブランク》レリクスを凌駕する《アーマード》レリクスを前に、唯とリンは敗北してしまう。《アーマード》レリクス……ナンバー08はトドメを刺さず、その場を立ち去った。
双方ともに金髪、双方共に白の衣服を身に着け、双方共に見目麗しい。異様に目立つ二人組ではあったが、この街はそもそも戒厳令の只中、それも事件が起きているとなれば、自ずと人通りは皆無となる。更に付け加えれば、ここは街の中でも特に活気がない。ショッピングモールの猛威を前に、廃れる一方の商店街だ。
朝の匂いを嗅ぎながら、ナンバー08と名乗った青年は街を歩く。年齢は十七歳程、白のコートに長身、金髪は右目が隠れるぐらいに前髪が長く、左腕がない。黙ったまま目を細め、朝日に照らされる街並みを見渡している。かなりの美男子だろうが、人がいない以上黄色い歓声も沸く余地がない。
その後ろを歩く少女もまた、振り返って目で追いたくなる類の妖艶さを兼ね備えていた。年齢は十五歳程、白のボディスーツの上から白のジャケットを羽織っており、細く長い足が黒色を用いなくとも引き締まって見える。金髪は胸の辺りまで伸びており、先端に近付く程癖が強くなっていた。澄んだ碧眼はどこか不満そうで、薄い桜色に染まった唇も、しっかりへの字に曲げられていた。
「ねえ、あんたさ」
少女が口を開く。少し発音に拙さが感じられるものの、会話に問題はない。
「俺のことか?」
「他に人、いる?」
立ち止まり、少女を見下ろしながら青年はふむと考える。
「近くにはいない。そこと、そこの店。奥に誰かいるようだが」
指を差しながらそう告げる青年へ、少女は溜息を返す。
「プラトーで作られた個体なの? 外の世界、初めて見るって顔してる」
こくりと青年は頷く。
「ああ。雑多だが興味深い。自由とはこういうことなのかも知れないな」
そんな青年の言葉に、少女は空を仰ぐ。呆れている訳ではなく、空の先にある何かを見据えようとしたのだ。プラトーの所有する人工衛星が、その視線の遙か先にはある。
「監視はされてるけど。まあマシな方なのかな。信用されてるのね、あんた」
「従順なだけだ。それより、君はプラント産ではないということか?」
青年の質問に、少女はどうしてそう思ったのかと目だけで問う。
「外の世界を見慣れているように見えた」
少女は鼻で笑い、青年の前を歩き出す。
「あんたみたいに栽培されてはいない。でも、こういう世界を見慣れてもいない。あたしの見ていた世界は、もっと獣だらけで生臭かった」
「ふむ。ではあそこか?」
少女は振り返り、青年が指を差す方向を見る。シャッターが僅かに開いているそこは、昔ながらの鮮魚店だった。
「獣はともかく生臭い」
そう青年が補足するも、少女はひらひらと手を振る。
「……なんでもない、忘れて」
「善処しよう」
再び青年が歩き出し、少女がその後ろをついていく。
しばらく無言のまま、シャッターの閉まった一本道を歩き続けていた。
青年が不意に立ち止まり、よそ見をしていた少女が青年に追突する。
抗議の目を青年に向ける少女だったが、気にも留めない様子の横顔を見て溜飲を下げた。そして、その視線を追う。
「……古本? あんた興味あるの?」
そう問い掛けた少女の声に、青年はこくこくと頷いた。
いつものソファにもたれ掛かりながら、片羽唯は量産されていく空き瓶とペットボトルを眺めていた。空き瓶は安いウイスキー、ペットボトルもまた安い炭酸水だ。
お手製ハイボールを喉に流し込んでいるのは、他でもないリンだ。キーボードを叩きウインドウを睨み、手元にある機械に工具を差し込んでは、自身の喉を酒で焼く。
白衣を着た二十八歳の女性がそれをやっている訳だが。リンの身体は成長が止まっており、見た目は十一歳のままだ。しっかり法に触れている。
「ねえ、リンはさ」
中々に鬼気迫る様子だったが、唯は気にせず声を掛ける。リンの特徴的な銀髪は、今は後ろで束ねられていた。
「なに? 飲みたいの?」
こちらを振り返りながら、リンがそう聞いてくる。一言目がまずそれなのか。
「俺は十七歳って知ってるよね? そんなに飲んで、身体に悪影響とかないの?」
リンは笑みを浮かべると、グラスを満たす琥珀色の液体をくいと傾ける。
「質の良いエナジードリンクみたいなものよ。むしろ健康的だわ」
「質の悪い安酒だよねそれ」
リンは短く笑うと、また謎の作業を再開した。
酒がたらふく入っているからか、リンはいつもより上機嫌に見える。だがむしろ、そう見せる為に飲んでいるのでは、と唯は考えてしまう。
或いは、あそこまで飲まないと上機嫌でいられない、とか。
そんな疑問を頭の中でこねくり回していると、特徴的な足音が響く。
扉が開き白衣姿の長身男性、ドクター・フェイスが入ってきた。
唯は口を閉じ、ちょっと縮こまる。ある意味命の恩人なのかも知れないが、掴み所のない雰囲気はどうにも苦手だった。
「リーンドール、君は相変わらず偏執的な作り方をしてるねえ」
リンの作業している机まで歩き、ドクター・フェイスはにやにやと笑みを浮かべている。
「慎重って言って欲しいわ。問題はあった?」
手元で弄り回していた機械を台に置くと、リンはドクター・フェイスに向かってそう問い掛ける。
「なあんにも。君の指示は中々に興味深い。どうしても自分で出来ない箇所だけ、僕を頼るなんて。言ってくれれば僕は全面的に協力するよ? 想定出力は、この設計図より三割増しで実現出来る」
「使うのは私達よ。モンスターマシンみたいな物を作られても困るの。物はある?」
そう言って、リンは右手を出す。手の平を上に向け、何かを催促している。
「勿論。完成するのが楽しみだ」
ドクター・フェイスは、懐から端末のような物を取り出してリンの手の平に置く。リンはその中身を工具を使って検めた後、早速作業を再開した。
退出しようと歩き出すドクター・フェイスだったが、ぴたりと足を止める。
「ああ、そうだ」
ドクター・フェイスの首が回り、唯の方を見た。ばっちり目線が合ってしまい、俺が何をしたんだと口をへの字に曲げる。
ドクター・フェイスは、こちらの居城であるソファに近付き、舐め回すように視線をぶつけてきた。
「あの、何か?」
居心地の悪さをこれでもかと感じながら、唯はそう質問する。用があるなら、さっさとそれを消化して帰って欲しかったのだ。
「君は、唯くんだったね。僕が下手に手を加えないで良かった。君は君で面白いよ。今度ゆっくりと話をしよう」
返答など端から求めていないのか、一気に捲し立てるとドクター・フェイスは歩き始める。特徴的な足音を響かせながら、来た時と同じように帰っていった。
扉が閉まり、力がゆっくりと抜けていく。ソファに身体を沈めながら、唯は勘弁して欲しいと溜息を吐く。ドクターには悪いが、どうも身体が強張ってしょうがない。
「なんかまたよく分からないこと言ってたけど。ようやく名前を憶えたよって話?」
そんな唯の問いに、リンは鼻で嗤って返す。
「そんなかわいいもんじゃないわ。ドクターは、貴方の身体に興味があるの」
唯はソファから飛び起きるようにして身体を起こし、リンを見る。表情はどこか暗く、冗談を言っているようには見えなかった。
「私のミスよ。レリクスは検証段階のプロトタイプ、長期運用がどんな弊害をもたらすのか、考えが及ばなかった」
深酒の理由はそれなのかと唯は顔をしかめるが、自身の身体や左腕を見遣っても変化などない。多少はがっしりしてきたかも知れないが。
「唯、貴方の身体はね。少しずつだけど、変わってしまったの。レリクトへの耐性、そして局地的なコントロール……以前の貴方にはなかった要素だわ」
そう言うと、リンは再びお手製ハイボールを喉に流し込む。衝撃の事実、というには実感が湧かず、唯ははてと首を傾げる。
「俺自身、全然気付いてないんだけど?」
「走行中の車から飛び下りても平気だったの忘れた?」
前回のあれやこれだろう。平気じゃないし普通に痛かった。
「とにかく。レリクトはまだまだ未解明な部分が多いの。本当なら、もう解放してあげたいんだけど。見ての通り、私はまだまだ貴方に頼るつもりでいる」
リンは手元にある謎の機械を、工具で軽く小突いた。
「まあ、頼るのは良いんだけど。お酒なんとかしたら? 別に、俺は気にしてないし。変わった変わってないって言われても、右腕がなくなった時の方が堪えてる」
あれに比べれば、今の自分に訪れている変化などそよ風に等しい。
「お酒はいいの。私そんなに酔わないんだから」
「健康を気にしてんの」
呆れ顔を浮かべ、唯はソファから立ち上がる。
「私の体調を気にするなんて、それなりに暇そうね」
リンは機械を弄りながらそう呟く。
「暇ではあるかな」
唯は背伸びをし、欠伸を一つ吐く。
「そうね。外で羽を伸ばしてきたら? ついでに炭酸水を買ってきてくれると助かるわ」
「飲む気満々じゃん、って外出ていいの?」
背伸びを中止し、唯はリンに驚きの目を向ける。
そんな唯に向かって、リンは小さい何かを投げ渡す。
唯は左手でそれを受け取り、手の平で転がして見せた。
「これ、ちっちゃい子が持つ防犯ブザーだ。ランドセルはあるの?」
「ウェポンラックに改造したカモフラ品ならあるけど。使うの?」
唯はふるふると首を横に振る。なんでランドセルをそんな物騒な状態にしてあるのか。
「危険だと思ったら押して。押すほどでもなかったら端末への連絡でもいいわ。あと炭酸水をお願い」
「炭酸水を求める圧が凄い……」
とはいえ、外をぶらつけるのは大きい。唯は一枚パーカーを羽織ると、ポケットへチビッ子防犯ブザーをしまった。




