狩場
自動運転の車に揺られながら、片羽唯は外の景色を眺めていた。時刻は夕方を過ぎ、夜に差し掛かっていた。人も車もまばら、戒厳令は相変わらずのようだ。
隣に座っている銀色少女をちらと見る。リンは真っ直ぐ前を向いたまま、焦りが表面に出ないようにしていた。それぐらいの機微は読み取れるようになっている。
焦りが出ればミスを生むし、何より不安を呼び寄せてしまう。だからリンはそれを表に出さない。リン自身の為でもあるし、きっとこちらを気遣う為でもある。
何か話していれば気も紛れるだろう。唯はそう考え、そういえばと口を開く。
「あの変身する時にさ」
「外装展開のこと?」
初手で訂正され、切れ味は変わらないなと唯は苦笑する。
「うん、それ。《ブランク》レリクスって言うじゃん。あれ、何でブランクなの? 空っぽとか、そういう意味でしょ? わざわざ名前にするもんかなあって」
気楽な質問として、現状最もどうでもいい‘名前’に関して聞いてみた唯だったが。押し黙ってしまったリンを見て眉をひそめる。
「あー、えっと。別に、ちょっと気になっただけでどうしてもって訳じゃなくて、その」
仕切り直そうと唯は口を開くが、リンが首を横に振って制止する。
「隠すようなことじゃないわ。あれは」
リンの言葉は、車を揺さ振る衝撃と轟音で掻き消された。ボンネットが拉げ、フロントガラスが砕ける。それでも車は前進を続けていたが、それが保たなくなる時はすぐそこまで来ているだろう。
「唯!」
リンの声を受け、理解するより前に身体を動かす。シートベルトを外し、左手でアームドレイターを掴み右肩に接続する。
胸に飛び込んできたリンの身体を、右腕のアームドレイターで抱き留めるようにして保護、扉に体当たりして、唯は車外に飛び出した。
地面を転がりながら数秒、全身の痛みを無視しながらその回転を止める。
「……ッ! 馬鹿、外装を展開しながら飛び出しなさいよ!」
「いや、そんな素早く操作出来ないし。ほら」
先程まで乗っていた車は、完全に拉げ爆散している。車にのしかかり、強襲してきたアロガントは、こちらに向かって唸り声を上げていた。
「義手はともかく、一般人は銃の装填なんてやらないでしょ」
「……訓練メニューに追加しておくわ」
藪蛇だったかと口を噤みつつ、唯は立ち上がり右腕のアームドレイターにレリクト・シェルを一発込める。フォアエンドをスライドし、初期起動を済ませた。
リンに右腕を伸ばすと、些か乱暴なハイタッチで答えてくれた。触れると同時に灰色の光に変換され、リンはアームドレイターの中へ消えていく。
『ArchiRelics......《blank》』
機械音声が戦いの刻を告げる。唯は右腕を引き、短く息を吸う。
「フェイズ・オン!」
撃発指令を叫びながら、唯は右腕でストレートを放つ。
『PhaseOn......FoldingUp......』
右腕のアームドレイターを中心に、灰色の外装が展開されていく。真っ赤なツインアイが光を宿し、右腕が展開の反動を受けて後方に跳ね上がる。
『....《blank》Relics』
右腕を正面に戻し、拳を構え直す。唯とリンは……《ブランク》レリクスはアロガントに正対する。
しかし、《ブランク》レリクスは左右と後ろを順番に確認していく。
「初手で奇襲の時点で、嫌な予感はしていたけど」
リンがそう呟く。僅かに切羽詰まった声、それもそうだろう。
「アロガントが一体と三体。しかもあれ、ステージ4って奴でしょ?」
《ブランク》レリクスを囲うようにして、四体のアロガントがじりじりと間合いを詰めてきている。体躯は大きく、四肢は変異していた。
「ええ。何をしてくるのか分からない。特性を見極めてから撃破するわ。足を止めない、的を絞らせない立ち回りを心掛けて」
「分かった、やるだけやってみる」
《ブランク》レリクスは、まず真正面のアロガントに向けて駆け出す。囲われて殴られる前に、ペースを掴む為だ。
アロガントの四肢は、蓮の花を思わせる穴が大量に空いている。
生理的な嫌悪感が湧き出てくるも、《ブランク》レリクスは足を止め三度ステップを踏む。地面を捲り上げる程の踏み込みを仕掛け、右の拳でストレートを放つ。
アロガントは抵抗せずに打撃を受け、たたらを踏むように後退する。自身の勘を信じるなら、ここで攻め立てれば一体は倒せそうに思えた。しかし、リンの助言と警戒心を優先して、側面を位置取るようにステップを踏む。
殴られたアロガントは、駄々を捏ねるように両腕を振っている。接近を警戒しての殴打に見えるが、レリクスの目はその微細な粒子を見逃さなかった。アロガントの両腕、無数の穴から、何かが放出されている。
接近するという選択肢を消し、《ブランク》レリクスはブラフのステップを踏む。前に出ると思わせたのだ。その動きを見て、アロガントは両腕を振り下ろす。腕から稲光が生じ、充満した粒子が一気に赤熱化する。
《ブランク》レリクスは、飛び退くようにして後退した。と同時に、充満した粒子は夜を照らす程の爆発を生じさせる。
後退し避けた筈なのに、《ブランク》レリクスは衝撃波で吹き飛ばされた。
立ち上がり、爆心地にいるアロガントを睨む。
「厄介ね。火薬に電気、《パウダースパーク》アロガントって所かしら」
《パウダースパーク》アロガントは、爆発によって自身もダメージを受けていた。だが、その傷は刻一刻と再生している。
攻め立てるべき機会、しかし他のアロガントが既にここへ辿り着いていた。
右側面から来たアロガントは、両腕から生えたスクリューを回す。生じた風は冷風となり、次の瞬間には氷を形成する程の吹雪となって《ブランク》レリクスを包もうとする。
「冷凍庫でも喰らったのかしら。《ファンフロスト》アロガントとするわ」
《ブランク》レリクスは、完全に避けるのは無理だと判断、吹雪を突っ切るようにして暴風から逃れる。装甲の一部が凍り、動きが鈍くなる。
左側面に現れたアロガントは、その場に留まっている。四肢には金属線が絡んでおり、両腕を何度も振るってその金属線をばらまく。
四方から迫る鉄糸の群れを、《ブランク》レリクスは地面を転がるようにして避ける。しかし、その一部が右腕に絡み付く。
金属線はべたべたと濡れており、瞬く間に硬化していった。
「ワイヤーと接着剤、《ワイヤーグルー》アロガント。シェルを使って強引に逃げて!」
リンの言う通り、《ブランク》レリクスは腰のホルダーからレリクト・シェルを取り出し、右腕のアームドレイターに装填、フォアエンドをスライドする。腕を走るエネルギーの奔流が、硬化した接着剤とワイヤーを強引に引き剥がす。
降り注ぐ新たなワイヤーを、《ブランク》レリクスは駆け出すようにして避ける。
目標は後方から迫る一体のアロガント、右腕を引き拳を構えた。
そのアロガントの四肢は、丸い目玉を思わせる変わった変異をしていた。どこかで見た事ある造形だったが、大小様々な目玉を見ていても何も思い出せない。
接近は一瞬、右の拳は灰色の光を纏い、全てを粉砕するエネルギーを目の前にアロガントに叩き込もうとする。
しかし、アロガントは四肢を広げる。威嚇を思わせる動作だったが、そこでようやく目玉達の正体が分かった。
「スピーカー、下がって!」
リンも同じタイミングで気付いたのだろう。しかし、《ブランク》レリクスは地に足を付け、右のストレートを放ってしまった。
アロガントの四肢が鳴動する。瞬間的に生じた殺人的な爆音が、圧を伴って《ブランク》レリクスを吹き飛ばす。
吹き飛ばされながら、唯とリンは苦痛の声を上げる。レリクスが吹き飛ぶ程の音圧……音のハンマーでぶん殴られたようなものだった。
地面を転がり、数秒間地に伏す。歪む視界と頭痛を伴う耳鳴りを無視し、《ブランク》レリクスはふらふらと立ち上がる。
「……《ショックウェイブ》アロガント、レリクトの手に掛かれば何でもありね」
さすがのリンも苦しそうだ。《ブランク》レリクスは拳を構え直すも、じりじりと間合いを詰める四体を前に、どう攻めるべきか考え倦ねていた。
「何か、凄くやりづらい」
「攻撃範囲が広く、動きを阻害するような変異が多いわね」
「……なんかそれ」
嫌な仮説が頭を過ぎる。まるでアロガントが、レリクスへの対策を講じているように思えたのだ。
「そうね。そう考えた方が自然かも」
リンの声に確かな焦りが見て取れる。
「退いた方がいい?」
「……でも」
唯の問いに、リンは口籠もる。仮説として、相手は《ブランク》レリクスを仕留める為に変異した。氷とワイヤーで動きを止め、爆発と衝撃波で削っていく。どう考えても不利だ。
しかし、ここで退けばステージ4の個体を全員取り逃がす事になる。それが何を意味するのかは分からない。だが、間違いなく誰かの日常は崩壊する。リンが憧れ、それ故に守りたいと願う誰かの日常は、化け物の口の中にすっぽりと納まるだろう。
「改造手術、受けといた方が良かったかな?」
じりじりと包囲網を縮めるアロガントを見遣りながら、唯はそんな軽口を叩く。《ブランク》レリクスの両手と両足に力を込め、直ぐにでも動けるようにする。
「そんな、こと。絶対ない!」
リンにしては珍しく、はっきりとした口調での否定だった。唯は苦笑を浮かべながら、ならやるだけやるしかないと覚悟を決める。
間合いが狭まり、アロガントが両腕を構えた。
攻撃が来る……《ブランク》レリクスは身構えるも、アロガントはぴたりとその動作を止める。奴等に目はないが、四体のアロガントは同じ方向を見た。
そこに居たのは、一組の男女だ。
男の方は白いコートと長身、そして金髪が特徴的だった。年齢は十七歳程で前髪が長く、右目は完全に隠れている。そして何より、左腕がない。
女の方は、まだ少女と言っても差し支えないだろう。年齢は十五歳程、薄暗い夕刻であっても、その金髪と碧眼が綺麗に映る。毛先に進むにつれ癖のある金髪は、肩口を越え胸の辺りまで伸びていた。こちらは白のボディスーツと、白のジャケットを羽織っている。
二人の目は冷たい。少なくとも、化け物を見て恐怖に震えているようには見えない。
「……目標を確認した」
青年はそう呟くと、右手に持った義手を……アームドレイターを前方に掲げた。




