誰かの平凡
自動運転の車に揺られながら、片羽唯はリンに手渡された‘腕’に視線を落とす。運転席にリンが、助手席に自分が座っている。
「……ドクター・フェイスが言ってたんだ。身体を機械に置き換えようとしたけど、リンはそうしなかったって。行方不明って処置も、ちょっと疑問だったんだけど」
あんな化け物と戦う上で、生身の身体はきっと大きなハンデになる。ドクター・フェイスの言う事も一理あるだろう。それこそロボットみたいになってしまった方が、戦う上では良いのかもしれない。自分の身体という前提で考えると、嫌だなと思うのも確かだが。
それに、行方不明という処置を通すよりも。いっそ死んだと処理した方が、何かと無理はないだろう。それについての詳しい経緯は聞いていないが、それも多分彼女が提案したのだと思う。
「元の生活に戻れるように、君が色々手を焼いてくれている。これって、そういうことなのかなって」
リンは少しの沈黙の後、口を開く。
「私と貴方は、あまりにも生きてきた経緯が違う。貴方の人生は、そうね。とても平凡で、どこか空虚で。それでも、価値のあるものだと私には見えたわ」
自分は実験体だと、リンは言っていた。そこで見てきた物と比べれば、確かにそうなのかも知れない。
「どうしてこんなにも違うのか。私と貴方の間に、何か是非があるのか。まあ、考えれば分かることだけど。そんなものはないの。ましてや、貴方は何も悪くないし間違ったこともしていない」
リンの言葉に棘はない。むしろ、こちらを安心させようとしているとすぐに分かる。
「因果応報って言葉が正しいのならば。貴方は何も報いる必要はないの。でも、私には貴方が必要で。レリクト兵装のテストモデルである変換デバイス、アームドレイターは私だけでは使えない」
そして、それがないとアロガントは倒せない。
「だから、私が貴方を元の世界に戻そうとするのは、ある種当然のことよ。正当な報酬、とは言い難いけど。貴方は元の世界に戻るべきなのに、戦えと私は要求している。矛盾してると思うけど、これはそういうことなのよ」
言葉を素直に捉えれば、とんでもない話なんだと思う。理不尽を要求しているけれど、これはそういうことだから受け入れろとリンは言っている。だが、言葉の端々からその横顔から。それとは違う想いが込められているような気がするのだ。
「……やっぱり、よく分かんないな」
それらしい答えは浮かんでこない。唯は正面を見据えながら、これは自分の意思なのかと考える。
流されるままに生きてきた。それに抗った結果、右腕を失って今ここにいる。それどころか、これからまた戦うのだ。
状況に流されているな、と我ながらに思う。
リンの言葉にも。
短い電子音が鳴る。目的地が近いのだ。
「準備をしておいて。アロガントは、本来こんな昼間に動くような生態じゃなかったの。あのショッピングモールに居た個体もそう。変化しているのか適応しているのか、進化しているのかはまだ分からない。でも気を付けて」
答えを拾い上げる前に、リンが有無を言わさぬ口調でそう告げる。
車が徐行し、ゆっくりと止まった。
街の郊外、移転予定の廃工場だ。あからさまな雰囲気に、ちょっと足が竦む。
「大丈夫よ。貴方は私より強い」
リンは唯の身体に触れそう言う。彼女はこちらの返答を待たずに、ジャケットを脱ぐと車から降りてしまった。
「不安そうに、見えるんだろうな」
実際不安だが。リンが大丈夫だと言う度に、少し情けない気分になる。
そこまで考えてようやく、そうかと唯は納得出来た。リンはこちらを流そうとしている。悪い意味ではない。励まし、勇気付けて、元の世界に戻れるように引っ張っていくつもりなのだ。
唯も車から降りる。周囲を窺っていたリンに近付くと、遠くの方で獣が動く音がした。大型の獣……人間の成れの果て、アロガントだ。
「リン、質問があるんだ」
リンは唯をちらと見る。後にしろと一蹴してもおかしくない状況だが、彼女はそれをしない。
「俺はやっぱり分からない。街を守らなきゃとか、放っておけないとか。そういう気持ちも浮かんでこない」
ただ、何かを失ったという喪失感だけ。それだけがこの胸にはある。
「ずっとそうなんだ。流されるように生きてきた。無難だった、楽だった、でも何もなかった」
獣の音が近くなる。こちらを見付けたのだ。
「君を見付けて、追い掛けた。他の人が何とかするって思ったけど、それでも俺は追い掛けた」
大きな足音が響く。リンと共に音の方向を、後ろを振り返る。
首のない化け物、アロガントがそこには佇んでいた。両腕の爪で地面を搔きながら、胴体にある馬鹿でかい口を開けている。
「君の意思はどこにある? 君のやりたいことって、結局は何なの?」
もっと端的に言えば。君は流されているのか、と聞いた。流されているのなら、流そうとしている奴がいるのだ。
アロガントが口を閉じ、低い唸り声を上げる。
「……誰かの平凡な人生に憧れてる。でも、それは憧れてる時点で手に入らない。恨み妬みすら浮かばないぐらい、憧れてるの」
リンは両手を握り締める。その目の奥に、あの強い光が宿る。
「誰かの平凡を、誰かの勝手で壊すような真似は許せない。だから戦うの、私の……意思で!」
リンの言葉は、思っていた通り強かった。それこそ、流されてしまってもいいとさえ……そう強く思えるぐらいに。
唯はリンと共に一歩前に出る。
自らの意思で、戦いの舞台へと足を進めたのだ。




