1 なぜか法律事務所の前にいた
ホラーのつもりです。
昨晩も眠れなかった。
一時間でも眠れれば良い方。
昨晩はまったく眠っていない。
起きるのがつらい。
デパスがないと動けない。
心療内科で処方された『デパス』
この精神安定剤のお陰で助かっている。
最近はこの薬で何とか一日を乗り切っている。
なのに、もうデパスの残りが少ない。
この薬がないとロクに動けない。
クリニックに行かなくちゃ。
薬をもらいに…。
吐き気がするけど、ゆっくりトイレになんていられない。
まだまだ仕事が残ってる。
憂鬱な仕事。
必死にやっても、全然成果が上がらない。
私はなんてダメなんだろう。
何度もダメ出しされて、修正して、最後は上司があきらめたように受け取る。
その繰り返し。
せめて少しはマトモな出来にしておかないと…。
時間をかけて資料を作れば、調べた分だけ情報が多いので、見栄えはする。
だけど、とにかく時間がかかってしまって、毎日のように残業している。
いろいろあって、同郷から出て来た昔からの友達とも疎遠になってしまった。
一番の友達だったけど、あんな子とは思わなかった。
もう私の味方はデパスだけ。
死にたい。
毎朝が希死念慮との戦いになっている。
考えることは死ぬことばかり。
死にたい、死にたい
死にたい死にたい。死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい殺して死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい。死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい殺して殺して死にたい死にたい死にたい死にたい死にたいシにたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい。死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい殺して死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい。死にたい殺して死にたいコロして死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい殺して!死にたい死にたい死にたい殺して死にたい死にたい殺して死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい。死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい殺して殺してシニタイ死にたい死にたい死にたい。死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい殺して死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい殺して。死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい殺して殺して死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい、死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい殺して死にたい死にたい死にたい死にたい誰か殺して死にたい死にたい死にたい死にたい
なんで私生きてるの?
死にたいよお願い誰か私を殺して。
死にたいよ、お願い誰か私を殺して。
死にたいよお願い、誰か私を殺して。
死にたいよお願い誰か私を、殺して。
死にたいと考えることだけが救いのような気さえする。
ダメ、ダメ・・・
これは駄目・・・
理性のどこかで、死を望むのは間違っていることを分かっている。
だから病院に行かなくちゃ。
デパスをもらうために。
遅い時間までやってる、かかりつけのクリニックに行こうとしたんだけど…
……行くつもりだったのに。
ここはどこ…?
薬の服用のし過ぎなのかな。
なんでこんな場所にるんだろ、私…。
まったく知らない場所。
大通りから外れた住宅街の通りみたい。
道の真ん中にポツンと私は立っていた。
人通りはなくて、なんだか物悲しい。
戻らなくちゃ…。
それで、今度こそクリニックに…。
そう思い、来た方向に戻ろうと向きを変えたとき。
その一角にある建物。
街灯の明かりに照らされて、看板の文字が目に入った。
『御鳥法律事務所』
法律事務所?
こんな路地にあるものなの?
普通は東京の法律事務所って、大きなビルの中にあるものじゃない?
…でも法律事務所か。
そういえば法律事務所って労働相談とかもやってるんだよね。
デパスはよく効く薬だけど病院代が結構かかる。
以前、労災を申請出来ないかと思ったことがあった。
上司に相談してみたところ
「あ? そんなの労災下りないよ。君の生活が不規則だから病院に行くんでしょ」
すげなくそう言われた。
けれど、その通りだ。
眠れないのは、私がダメだから…。
それに、どうやら労災の申請には事業主の署名が必要らしい。
上司がそう言うなら、申請はできそうにない。
そう思ってあきらめたんだった。
でも一度くらい弁護士に相談してみてもいいかも。
この『御鳥法律事務所』で、相談…してみようかな。
予約してないから断られるかも知れないけど、別に断られたら仕方ないや。
その場合は、帰り道だけでも聞いて帰ろう。
私はドアの脇についている呼び出しチャイムを押した。
中の音が聞こえないから、ちゃんと鳴っているかどうかは分からない。
数秒待ったけれど、反応がない。
もう時間も遅いから、営業時間が終わっているのかも。
諦めてドアの前から去ろうとすると、不意にそのドアが外側に向けて開く。
中から出て来た男の人とバッチリ目が合ってしまった。
その眼は、虹彩の部分がなんだかとても黒くて…。
変な表現だけど、光を反射しない底知れぬ闇のように暗い。
「ひ…」
私は一瞬身をすくめた。
「や。いらっしゃい。どうぞ中に入って」
その人物は愛想の良い笑顔で私を歓迎した。
「え…?」
何も聞かずにいきなり中に通されるとか。
あり得るんだろうか。
よく分からなかったけれど、促されるまま事務所に通されてしまった。
内装は、まあ普通の事務所風かな。
応接室には応接用のソファとテーブル。
無駄なものはなく生活感がない。
奥の、びっしりと書籍が並んだ本棚が法律事務所っぽい。
そのままソファに腰を掛けることになった。
「あの、ここ法律事務所なんですよね?」
「そうですよ。僕は弁護士の新井です。よろしくね」
この人が弁護士なのか。
そう言われればそれっぽい気がする。
しっかりスーツを着込んでいて、やや細身で長身。
笑顔に隙はないし、容姿は整っていると言っていいかも。
でも、まだ若そうかな。
羽振りが良いという感じではない。
けど、その方がいい。
儲けてる弁護士はそれだけで委縮してしまう。
それに儲かってる弁護士なんて相談料が高そうだし。
借金はないとはいえ、私も裕福とはとても言えない。
デパス代でお給料の多くが飛んでしまう状況なんだから。
ちょっと相談に乗って欲しいだけ。
相談料だけならそこまで高いお金は必要にならないよね…。
そうだ、相談料。
「あ、あの。相談料はおいくらですか?」
「うん? 通常の料金は30分5,000円かな」
自分の財布の中を思い出す。
病院に行くつもりだったから、一応数万円入れて来た。多分大丈夫。
「でも今回は相談料は要らないですよ」
え!?
どういうこと?
お金は要らないなんて胡散臭い。
「ああ、話がうまいとか思ってます? えっとね。弁護士としてはわりと普通のことなんだけど、事件を受任する場合には相談料を取らないことも多いんですよ。あなたの場合は確実に受任案件ですからね」
なんだそうか…。じゃなくて。
なんで『受任』が確実なの?
受任って、つまり弁護士を雇うことでしょ?
そんなつもりない。相談するだけなんだから。
確実ってことは誰かと勘違いしてる?
・・・あ! ひょっとして別の来客予定と重なってたのかも!
「ごめんなさい!人違いです。私、予約していないんです。急に思い立ってここに来たので」
けれど新井弁護士はまったく意外なことでもない様子で。
「大丈夫、人違いなんてしていませんから」
そう言うとにっこりと笑った。
この弁護士、ちょっと目が怖いと思ったけど、愛想はいいな。
笑顔はほっとする。
不機嫌な態度を取られるよりずっといい。
うちの上司みたいに…。
「じゃあ、なんで受任とか…」
「この先そうなりますよ。でも手順というのは大切ですからね。ちゃんとお話を聞いてそれから契約しましょう。その際には契約書も交わします」
「はあ…」
どういうことなんだろう。
そういえば弁護士は相談だけでは儲からないって聞いたことがある。
ひょっとして無理やり契約させて依頼料を巻き上げるタイプの悪徳弁護士…?
「警戒してますね? ふふ。でも警戒しても意味ないですけどね」
「どういう意味ですか」
なんか今、バカにされなかった?
「だってあなたそうでしょ。今までずっと用心深く警戒して生きてきたつもり。でも『これはおかしい』って思いながらも、いつもズルズル流されてきた。それで今に至ってるんだ」
「なんでそんなこと…」
反論をしようとしたけれど、新井弁護士は相変わらずニコニコとしていて調子が狂う。
でも少し冷静に考えられるかも。
そっか。
私、偶然目の前にあったこの事務所に、結局流されるまま中に入って来ちゃってる。
それを指摘されたのかな。
「あなたの『警戒』は意味がないんです。本来警戒って生き物が生き残るためにその身に備わった回避本能なんですけどね。下手に理性が発達してしまったから本能を等閑にしちゃって。それで人間は自ら危険を受け容れるようになってしまった」
行動に移さないなら警戒は意味がないってことか…。
「まあ報酬のことは心配しないで。発生するのは契約書を交わしてからです。それまではどんなに僕がアドバイスしようと何も支払う必要はありません。ほら、まだ僕は契約書の用紙すら出してないでしょ。安心してしゃべっていいんですよ。そろそろ肝心の話を伺いましょう?」
それもそうか。
一応弁護士と言えば社会的な地位のある人達だもん。
悪徳業者みたいなことはしないはず。
「ではその、相談なんですけど…。労災のことで…」
私は広告代理店で働いている。
広告スケジュールの納期が常にギリギリで残業続き。
その上、企画の提出が通らなくて、ここ数ヶ月ほとんどまともに寝られず数ヶ月前から心療内科に通院している。
そこで『デパス』を処方された。
デパスがあると、ある程度眠れるし、起きてから動くことが出来る。
今ではデパスがなければ動くこともままならない。
だから私にはデパスが必要なのに、心療内科の受診料も薬代もバカにならない。
この通院に関して、労災が認められないかという話をした。
「申請のためには事業者のサインが必要なのに人事部は署名してくれないんです。心療内科の受診は身体のケガとは違うし、これは仕事上の怪我ではないということで」
確かに眠れないというのは個人的な事情だから、仕事上で怪我をしたとは言えないのかもしれない。
上司にそう言われれば引き下がるしかなかったのだけれど…。
縋るように新井弁護士を見る。
「労災申請は程度にもよりますが精神疾患でも下りますよ。労災かどうかを決めるのは労働基準監督署であって会社じゃありません。診断書などはもちろん必要ですが、会社の証明なしでも労働基準監督署に提出できます。すると労働基準監督署が職権で調査をしてくれるでしょう」
わあっ!
なんか胡散臭いと思ってたけど、やっぱりこの人弁護士なんだ。
「じゃあ、労災の申請もできるってことですか?」
「認められる可能性はあったでしょうね」
良かった。
じゃあ今からでも申請すれば労災が下りるかも知れないんだ。
「もう………れ、ですけどね」
新井先生が何か言ったけれど、聞き取れなかった。
とにかく聞きたいことは聞けた。
法律相談だけで済みそうでほっとしちゃった。
「ありがとうございました。もう遅いのでこれで失礼します」
相談料を支払うために財布を出そうとすると、新井先生は軽く手を挙げてそれを制止した。
「池原さん、労災の申請ができればあなたはそれで満足できますか?」
新井弁護士は変なことを言う。
「もちろんです。労災が下りれば 薬代を負担してもらえます。それだけでも随分助かります」
「満足、してるとは思えませんけどねぇ」
この弁護士の笑顔はどうも不安定だ。
幼い笑顔かと思うと、ときどき影がちらつくような。
「まあいいや。あなたはまたここに来ることになりますよ」
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変な弁護士だったな。
妙に引っかかる言い方をするところが胡散臭い。
弁護士ってみんなああいう感じなのかな。
知り合いにいないからよく分からない。
でも、労災が申請できることは分かったから、収穫はあったと思う。
ちょっとそれで気持ちが緩んでいたのかも知れない。
どうやって家まで戻ってきたか、覚えてない。
そもそも、あの法律事務所はどこにあったんだろう。
デパスの副作用か、どうもこう記憶があいまいなことが最近多くて。
仕事のミスが多いのもそのせいかも。
でもデパスがないと私は眠れない。起き上がれない。
ふう…。
労災の申請、面倒くさいな…。
仕事が早く引けたら、その足で役所に行けばいいのかな…。
ああ、面倒くさい…。
死んでしまいたい。
死んでしまえば、もう労災の申請もしなくていいし…。
会社からの電話に怯えなくてもいい。
夜の電話は本当に怖い。
間違いなく、会社の上司から。
急に「明日の朝までのこの仕事をやっておくように」と言われると、そのまま会社に戻って仕事の続きをしなければならなくなってしまう。
金曜の夜だろうが日曜の朝だろうが、関係ない。
会社からの電話、着信は来てるだろうか…。
そう思って恐る恐るスマホを確認しようとしたところ
「あれ…? スマホがない…」
どこかに忘れて来たのかな。