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おじさんは勝てない  作者: 秋谷イル
シーズン1
9/26

姪っ子vs散髪

「友美よ、顔を洗うぞ」

「うん」

 朝、飯を済ませた俺達はいつものように身支度を始める。歯を磨き、ヒゲを剃り、まず自分の顔を洗ってから次は友美を持ち上げた。

「んっ、んっ」

「どれ」

 蛇口から流れる水を手ですくい、顔を洗った友美。その顔をタオルで拭いて確認する俺。

 うむ、今日も恐るべき肌艶よ。これが若さか。

「目ヤニもついておらんな」

「いたっ」

「む、どうした?」

 突然瞼を閉じて俯いた姪っ子の顔を覗き込む。理由はすぐにわかった。

「髪が目に入ったのか」

「いたい」

「こするなこするな、ほれ、取れたぞ」

 目に入った髪を指でのけてやった。まだ違和感があるのだろう。しきりに目を擦ろうとするので再び持ち上げ、水で洗ってやる。

「大丈夫か?」

「だいじょうぶになってきた」

「ならばよし」

 しかし、おかげで気が付けたが、こやつだいぶ髪が伸びたな。スマホを取り出してここへ来たばかりの頃の写真と見比べたら、やはり前髪が数センチほど伸びている。

 おなごだから後ろ髪は多少伸びても構わんかもしれんが、前髪が目にかかっておるのはいかん。今のようなことがまた起きてしまう。

「友美よ、髪を切るか?」

「いいよ」

「切ってもいいということか?」

「うん」

 よし、同意は得た。だが、どうしたものか。


『お兄ちゃんのばかっ!!』


 昔、妹が小学生だった時の苦い記憶が蘇る。髪を切りたいと言うので俺がやってやると買って出たのだ。当時、まだあやつの髪はおふくろが切っていた。しかし、あの時は不在であった。

 それでまあ、まっすぐ切り揃えてやったらこれが不評で……しばらく口をきいてもらえなくなった。友美はあと六日しかおらんのに、同じ悲劇を繰り返したくはない。

(俺が切るというのは無しだ)

 となると床屋に連れて行くしかないが、いつも行く店は三歳の子供の髪も切ってくれるだろうか? 自分が子供の頃は親父にバリカンで刈られていたからわからん。

 まあ、どうせすぐそこだ。行くだけ行ってみよう。ついでに俺の髪もだな。早速電話を取り出す。

吉竹(よしたけ)、お前、三歳児の髪は切れるか?」




「おー、この子が美樹ちゃんの子か」

「うむ」

 俺は幼馴染の内藤 吉竹が経営する床屋までやってきた。近所も近所、我が家の真裏である。親の代から家族ぐるみの付き合いで、俺が就職した後は六年間美樹を預かり面倒を見てくれてもいた恩のある一家だ。

「はじめましてー、おじさんは吉竹。友美ちゃんのおじさんの友達だよー」

「はじめまして……」

 あまり人見知りしない友美だが、吉竹のことは若干怖いようで俺の後ろに隠れつつ挨拶を返す。

「あ、こわくないよー。ほら、おじさんと友達、ね?」

 そう言って俺と肩を組む吉竹。呆れながら指摘してやる。

「まず、その見た目をどうにかしろ」

「うるせえよ、お前にだけは言われたくねえ。ただでさえ強面のくせに、なんで今時和装なんだ。どこぞの食通な陶芸家か」

 そういうこやつは金髪で真っ黒に日焼けしており、綺麗に整えたアゴヒゲまでもが金色。オマケに上着はアロハシャツだ。これでサングラスまでかけていたらヤクザかチンピラにしか見えん。今でも十分それらしく見えるが。

 高校の時までは爽やかな好青年と呼ばれる見た目をしておったのだが、俺が実家を離れ二年後に一度帰省した時にはすでにこんな感じになっていた。何があったのかは頑として語ろうとしない。ただ、一緒に飲みに行った時に酔い潰れて一言だけ吐露したのは「なんでや……」の一言だった。いつから関西人になったのか。

 まあ、見た目はこんなだが腕は確かだ。俺の髪も実家に戻って以来毎回切ってもらっておるしな。

「で、ちょうど今日は暇だったから二人続けて切るのはいいんだけどさ、どっちから先にやる?」

「俺からだ」

 ここへ来るまでに状況をシミュレートしておいた俺は、そう即答した。待っている間に友美はおそらく飽きるだろう。そして、いつの間にやら外へ出てしまっているかもしれん。その結果、事故や誘拐といった悲劇に見舞われる可能性が考えられる。それだけは絶対に避けねばならん。

 だから俺の散髪が先だ。幸いにもここには子供用の絵本も置いてある。友美があれらを読んでいる間に……。

「あ」

「どした?」

「しまった、友美はまだ字を読めん」

「ああ、なるほど」

 その一言でいとも容易く俺の懸念を看破したらしい。吉竹はノートPCのようなものを持って来た。いや、あれはポータブル型のDVDプレーヤーか。

「友美ちゃん、アニメ好き?」

「……」

 まだ怯えている友美は待機用の一人がけソファに座ったまま小さく頷く。

「この中に見たいのある? どれでも見ていいよ」

「……これ」

 頭がパンで出来ている国民的ヒーローを選んだ。

「じゃあ、ささっとおじさんの髪の毛を切って来るから、その間これで観ててね。ここに置くからね」

 と、椅子の横の小さなテーブルにプレーヤーを置く吉竹。友美は食い入るように画面を覗き込む。あの様子ならすぐに飽きたりはすまい。

「なるほど、お前も色々考えているのだな」

 散髪用の椅子に腰を下ろしつつ感心する。

 吉竹は「ヘッ」と笑った。

「当たり前だろ。ちっちゃい子も相手にしなきゃいけない客商売はどこも同じさ」

 ふむ、そういえば前に入ったラーメン屋でも同じようなことをしていたな。駄菓子屋の電子マネー対応もしかり、色々と厳しい昨今、商売人達は生き残るため暗中模索しているのだろう。

(友美が大人になる頃には、もっと生きやすい世の中になっているといいが……)

 違う。大人である俺達が、そういう風にしておいてやらねばならんのだ。

 やはり職を探すか。家でだらだら寝転がって川柳ばかり詠んでいても世の中は何も変わらん。

(俺が何かをしたところで、大きな変化など起こらんだろうがな)

 それでも多少は何かを為せるはずだ。

「まーた、なんかめんどくせえこと考えてるな。お前の場合はもうちょい気楽に生きろよ。美樹ちゃんのために十五年もきっつい仕事をしてきたんだからよ」

「もう十分に休んだ。そろそろ体を動かさんと腐ってしまう」

「真面目過ぎんだよ」

 馬鹿を言うな、俺は必要なことしかせん男よ。

 ただ、必要なことが存外多いだけだ。




「よし、終わった」

「うむ」

 いつも通りの仕上がりに満足した俺は椅子から降りると、まだアニメを見ている友美に声をかけた。

「友美よ、待たせたな、お前の番だぞ」

「……」

「何をしておる? 来なさい」

「アニメなら見ながらでいいよー。豪鉄、持って来てやんな」

「うむ」

 頷いてプレーヤーを持ち上げると、友美はたちまち不安そうな顔に。むうっ……もしやこやつ。

 目の前に屈み込み、確認する。

「髪を切りたくないのか?」

「……こわい」

「あの男は俺の友達だ。怖がることはない」

 だが、友美は頭を振った。

「はさみ……」

「そっちか」

 まあ、たしかに赤の他人が顔の近くでハサミを使うのだから、子供にとってはそう簡単に受け入れがたいことかもしれん。

 しかし、これも試練よ。耐えてみせろ。

「俺が近くにいる。大丈夫だ」

「……うん」

 ようやく信用してくれたらしく、立ち上がる友美。そして俺の手で抱き上げられ椅子に座る。

「えらいなー友美ちゃん。ちゃんと来てくれたね」

「……」

「友美、アニメだ。見るか?」

「うん」

 ならばと目の前にプレーヤーを持って来る。

 すると友美は、そんな俺の右手を掴んだ。

「て、つかんでて」

「よかろう」

 こんな手で足りるならいくらでも掴まっているがいい。

「うらやましいねえ。うちの娘なんか、もう全然くっついて来なくなったぜ」

「こやつも、いつかはそうなるだろう」

 その時が楽しみだ。お前が俺の手を必要としなくなった時、どのように育ち、いかなる世界で生きているのだろうな。

 多少はマシになっているように、微力ながら俺も努力しておくぞ。




「さっぱりしたな」

「うん」

「怖いの我慢できた友美ちゃんにはご褒美だ」

 飴玉を三つ渡す吉竹。

「内緒だぞ? 本当は一つしかあげちゃいけない決まりなんだ」

「……」

 友美は二つ返そうとした。

「あっはっはっ、いいんだよ、ご褒美だから全部持ってきな。いや、それにしてもこの子、髪質もそうだけど、やっぱお前に似てんな豪鉄」

「そうか」

 思わず頬が緩む。そうか、俺と似ている部分もあったか。

「あ、ありがとう」

「お、どういたしまして」

 勇気を振り絞り礼を言った友美の頭を撫でる吉竹。すると、ここに来てからずっと緊張しっぱなしだった顔にもようやく笑みが浮かんだ。


 ──短い帰り道、友美の手を引きながら空を見上げる。幸い今日も快晴のようだ。こう晴天が続くと農家は困っているかもしれん。だが、こやつが帰るまではずっとこうあって欲しいものよ。


「さて、髪もさっぱりとしたところで友美よ、今日はどこへ行く?」

「だがしや!!」

「そうだな、あの婆さんにも見せてやるか。ついでに床屋での武勇伝を語ってやれ。多分褒めてくれるぞ」

「おかしくれる?」

「それには期待するな。ちゃんと買ってやるから、ねだるんじゃないぞ」


 髪軽く 足取り軽い 帰り道


「せっかくだ、明日は例の写真屋にでも行くか」

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