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おじさんは勝てない  作者: 秋谷イル
シーズン1
5/26

おじさんvs家事

「ごち、そう、さま、でし、た!」

「うむ、ごちそうさま」

 朝食を終え、友美と一緒に手を合わせる。自分だけで飯を食っているとつい忘れがちになるが、本来これは食材を生産してくれた人間や食材そのものへの感謝を示すものだろう。もちろん自分以外の作ったものなら作った人間への分も含めて、しっかりと礼を言わねばならぬ。

 片付けも終えた俺達は庭へ。俺の片手には洗濯物の詰まったかご。物干し竿の前で地面に下ろすと早速友美が動き出した。

「おじちゃん、はい、はい、はいっ」

「待て待て、そう急いで渡されても追いつかん」

 次々に洗濯物を引っ張り出しては俺に差し出す友美。こちらはそれにハンガーを通すと、洗濯バサミで留め、物干し竿にひっかけていく。数が多い……子供がいると洗濯の回数も増えるな。

 それにしても食器洗いの時もそうだったが、友美は俺が家事を始めると何かと手伝いたがる。最初は義務感からそうしているのかと思ったが、どうも違うらしい。もっと単純に大人の手伝いをすることが楽しいようだ。

(そういえば、あやつも俺が飯を作っていると手伝わせろと言ってきたな……)

 学生時代、親は共働きで忙しく、俺が晩飯を作ることも多かった。そんな時、妹の美樹は何が楽しいのかよく隣で手伝っていたものだ。

(最初の頃に食材や使った器具の洗い物ばかりさせていたらブチ切れたな……)

 そんな雑用ではなく“調理”をしてみたかったらしい。やむをえず炒め物を作らせたらあっさり機嫌を治した。野菜炒めはだいぶ焦げたが。

「おじちゃん」

「ん? ああ、すまん」

 焦げた野菜炒めの味を思い出していたら手が止まってしまっていた。

 だが俺が洗濯物を受け取ろうと手を差し出すと、友美は俺の向こう側を指差す。

「ひよこ」

「何?」


 ピヨッ!


 気のせいだろうか妙な音がした。振り返ると、音の発生源かどうかは知らんがそこにはたしかにヒヨコがいる。否、もうニワトリか。

「どうした麻由美?」

「お、おはようございます先輩」

 笹子(じねご) 麻由美は頭を下げた。




「なくなっちゃった」

「友美ちゃんがお手伝いしたから早く終わったね。えらいな〜」

 空っぽの洗濯かごを無念そうに見つめる友美。素早く屈み込み頭を撫でる麻由美。友美は照れくさそうにもじもじした。俺は眼光を鋭くする。

(手慣れておる……流石は一児の母)

 こちらも負けてはおれん。

「友美よ、よくやった。褒美に今日のおやつは五百円までにしよう」

「むだづかい、めっ!」

「先輩、可愛いのはわかりますけど、そんなにほいほいご褒美とかあげてたら、かえって教育に悪いですよ。報酬無しじゃ何もしない子になっちゃいます」

「ぐ……ぬう」

 ぐぅの音も出ん正論とはこのことか。たしかにその通り。俺としたことがとんだ過ちを犯すところであったわ。

「と、ところでヒヨ……ではなかった、麻由美よ。今日は月曜だが、仕事はどうした?」

「仕事の一貫です。先輩達のことが気になったんで、ちょっと様子を見に来ました」

「ほう? たしか市役所の臨時職員と言っていたが……」

「市民福祉部の子育て支援課なんです」

「なるほど」

 詳しいことは知らんが、名前の響きが今の俺の状況に合っている気がする。そうか仕事で来てくれたわけか。

「ほんとは休みを取って様子を見に来たんスけど……」

「何か言ったか?」

「いえっ! というわけで、今日は先輩と友美ちゃんの生活をしっかり観察させてもらいますね!」

 ほほう、今時のお役所は意外と親身になってくれるようだ。

 まあ、今のところお上の世話にならねばならんほど困っていることは無いが、だからといって断る理由も無い。知り合いなのもありがたいしな。

「よかろう、存分に見ていけ」



「──と言われたのに、なんでアタシはアニメを見てるんスか?」

「決まっておろう、俺が掃除中だからだ」

 子供がいると家は加速度的に汚れやすくなる。砂場で遊んで砂を運んできたり、菓子や食事の食べかすが落ちてしまったり、走り回って埃が立ったりするからな。

 だから友美が来て以来、一日一回掃除機をかけている。これまでは週に一回やればいい方だったが、これもあやつを一人前の大和撫子に育て上げるためよ。

「アタシも手伝うッス!」

「ならばそこで友美と青狸を見ておれ」

 友美は掃除機の音も気にならんのか熱心に国民的アニメのDVDに見入っている。普段なら途中で飽きて掃除を手伝うと言い出し駆け寄って来る頃合いだが、一緒に観てくれる仲間がいると違うのか、今日はその気配が無い。ふふふ、捗る。

 一通り掃除機がけを終えて戻って来ると、ちょうど一話目が終わっていた。

 突然、麻由美が一時停止ボタンを押す。

「おい」

 友美が怒るぞと言おうとしたのだが、何故かその友美は勢い良く立ち上がってこちらへ走って来た。

「ともみも! おそうじする!」

「……」

「フ、フフ……友美ちゃんがこう言ってるので、アタシも手伝うッスよ」

 こやつ友美を懐柔しおった。ニワトリとなった麻由美、やはり侮れん。




「ふ〜んふふふ〜ん♪」

 何が楽しいのか鼻歌を歌いながら窓を拭く麻由美。掃除機がけが終わったので他に任せられる仕事を思いつかなかった。

(掃除好きなのか……?)

 高校時代にそんな話は聞かなかった気がする。だがまあ、当時とてこやつのことに特別詳しかったわけではない。この十五年で変わったという可能性も大いに有り得る。

(見た目は実際変わった)

 化粧の濃い派手な金髪ギャルだったのが、今や黒髪で長さも肩にかかる程度。昔は鳥の骨のようにほっそりしていた手足は、シングルマザーとして鍛えられた結果かそれなりにしっかり肉がついている。

 化粧も薄い。昔とは本当に別人のようだ。

(よく考えると、素顔に近い状態は今になってようやく見たわけだ)

 ことさらに美人だとは思わんが、前に勤めていた会社のやたらと男にモテていた後輩はあんな感じの顔だった。親しみの湧く顔立ちというか……いや、人の外見について勝手にあれこれ評価するのは失礼だな。ここまでにしておこう。

「あ、先輩。トイレ掃除終わったんですか?」

「うむ」

「おじちゃん、みてみて」

「見ておるぞ、上手ではないか」

 友美は内側から、麻由美は外から同じ窓を拭いている。友美は麻由美の動きに合わせて雑巾代わりの濡れた新聞紙を動かすのが楽しいようだ。

(おかげで畳までびちゃびちゃになっておるがな……)

 俺は無言で新しい雑巾を持ってくると、畳を拭いた。




 友美が喜ぶのでついつい掃除を楽しみすぎた。家中綺麗になった頃には、すでに昼飯の時間。うむ、動いた分だけ腹も減ったな。

「昼にしよう。しばし友美と待て」

 ここまでしてもらってタダで帰すわけにはいくまい。俺は麻由美の分まで含めて三人分の飯の支度を始める。

 すると、待ってましたとばかりに立ち上がる麻由美。

「アタシが作るッスよ!」

「座っておれ」

「ひゃい」

 一睨みすると、腰を抜かしたように座り込む麻由美。そうだ、客人に掃除などさせた上、飯まで用意させたとあっては俺の沽券にかかわる。

「麻由美、貴様食えん物はあるか?」

「え、えっと、納豆ときな粉が苦手ッス」

「大豆が駄目なのか?」

「いえ、その二つだけッスね」

「そうか」

 ならば問題無い。

 俺はさっと昼飯を作った。

「できたぞ、食おう」

 ちゃぶ台の上に置いた大皿を見て、取り皿などを友美と共に用意してくれていた麻由美は目まで皿のように見開く。

「ま……麻婆豆腐!?」

「嫌いか?」

「い、いえ……でも、こんな手の込んだもの……」

「別に手は込んでおらん。現に短時間で作っただろう」

 麻婆豆腐なぞ必要な調味料と材料さえ揃っていれば誰でも簡単に作れる。調味料も今回は甜麺醤と醤油、粉末だしにみりん程度だ。俺だけが食うなら豆板醤とニンニクも入れたかった。

「甘口にしたから友美も食えるはずだが、駄目だったら他のものを作ってやろう」

「おいしそうなにおい」

「そうか、口にも合えばいいがな」

「いた! だき! ます!」

 取り皿に分けてやると、友美は早速スプーンで口に運んだ。

「おいしい」

「うむ」

 子供には少し濃い味付けかもしれんと思ったが、杞憂に終わった。刻みネギも気にせず食べている。

(先に炒めて辛味を飛ばしておいて正解だった)

 火を通せば甘味も出るからな。

 豆腐も事前に一度湯通ししたので崩れておらん。

 友美は麻婆豆腐をおかずに白飯を二杯も食った。少なめに盛ってあるとはいえ、うちに来て以来の最高記録。

「ごちそーさまでした!」

「うむ、ごちそうさま……麻由美、どうした?」

 俺達が食い終わっても麻由美はまだ食事中。よく弁当をたかられていたので覚えている。学生時代はそんなに遅くなかっただろう?

「ア、アタシより上手……やばいッス、これじゃやばいッス……」

 何やら心ここにあらずの様子。やはり口に合わなかったか?




「さて、友美よ昼寝を」

「しない!」

「……」

 今日も駄目か。最初の頃と違って最近は昼寝を嫌がる。そんなことより遊びたくてしかたないらしい。

(まあ、疲れたら寝るだろう)

 近頃はひたすら走り回ってはしゃいで遊び倒した後、突然眠気を訴えてだっこしてやると眠るというのがお決まりのパターン。

 問題は、何の遊びを要求してくるかだが──


「おままごと!」

「くっ……」


 よりにもよって俺の一番苦手な遊びか。いや、しかし待て。今日は奴がいる。

「友美よ、今回は麻由美が遊んでくれるそうだ」

「へあっ!? あ、は、はい! お付き合いさせていただくッス!」

 まだ呆けていた麻由美はハッと気が付き顔を上げた。大丈夫か、ちゃんと話を理解しているか?

「おままごとできる?」

「あ、おままごとね。大丈夫大丈夫できるよ。うちの子ともいっぱいやったからね」

 よし玄人だ。これなら今回、俺の出番はあるまい。

「おじちゃんはあかちゃん!」

「……あるのか」

 俺は諦めてゴロンと床に転がった。




「あかちゃんごはんですよ〜」

「……ばぶう」

「ブフッ!!」

 おもちゃの哺乳瓶を口に当てられた俺を見て吹き出す麻由美。

 貴様、後で覚えていろよ。

「せ、先輩が……あの先輩が……」

「こっちのあかちゃんもごろんして!」

「え?」

 なんと麻由美も赤ん坊だったらしい。偏った配役だ。

「は〜い、ごはんですよ〜」

「ば、ばーぶー、はーい」

「ブフッ!」

 今度は俺が吹き出した。

「先輩……」

「き、貴様それではイ◯ラちゃんではないか」

「しかたないじゃないッスか! 赤ちゃんをイメージすると誰でも思い浮かぶでしょ!」

「まあ、たしかにな」

「あかちゃんしゃべっちゃ、めっ!」

 いかん、叱られてしまった。

 大人二人が黙って床に寝転がっていると、友美はなにやら独り言を言いつつ手を動かす。

「まったくもー、またいっぱいおしっこしてー、さっきもしたでしょー」

「……」

 今のセリフはこやつが赤ん坊だった頃に美樹がよく言っていた気がする。あんな小さな時の記憶もあるのか?

「おとうさんなかなかかえってこないわね。またあんにゃろうにつかまってのみにつれていかれたのかしらー」

 友也よ、悪い友人でもいるのか?

「まあ、おなかがすいたの? しかたないなあ、ごはんよういしてくるからまっててね」

 言うなり友美は俺達を寝かせたままどこかへ行ってしまった。すっかり役に入り込んでいる。

「女優の才能もあるかもしれん……しかし芸能界か……」

 芸能界は心配だ。詳しくはないがとにかく不安だ。

「ブフッ!」

 またしても隣で麻由美が吹き出す。そちらを見ると腹を抱えて笑っていた。

「き、気が早すぎッスよ先輩。アタシなんか九年近く子育てしてんのに、まだ小学生なんスよ?」

「わかっておる」

 とはいえ心配なものは心配だ。それに、友美の人生の中で俺が関われる時間は親に比べれば遥かに少なかろう。

 つまり、この一ヶ月も俺にとっては大きな割合を占めているのかもしれん。

 俺が少しばかり悩んでいると、麻由美は起き上がりながら言った。

「あの……先輩。アタシ、また遊びに来てもいいッスかね?」

「……遊びに来たのか?」

「あっ!? いやっ、次はってことッス!」

 やれやれ、嘘をつくのが下手なやつだ。俺にバレるようでは誰一人騙せまい。

 とはいえ、心配して休みまで取ってくれたのだと思えば叱責する気になどなれなかった。心配させたこちらも悪い。

 独身の中年男がいきなり三歳の子を一ヶ月も面倒見ることになったのだ。周囲は案じてしまうだろうとも。

(ここは素直に甘えるか)

 俺も起き上がりつつ頷いた。

「そうだな、ここに来てから二週間。そろそろ友美も俺一人と遊ぶのには飽きた頃だろう。残り二週間だが、これからもたまに面倒を見てやってくれ」

「ッシャ!」

 ほう、ガッツポーズを取るほど友美を気に入ってくれたか。フッ、あの可愛らしさでは無理もないがな。

「あ、えと、これは」

「ん? 待て、友美はどこまで行った?」

 一向に戻って来ないではないか。

「あ、あれ? そういえば──」

「ただいま〜」

 俺達が立ち上がろうとしたちょうどその時、友美が戻って来た。

「ごはんですよ〜」

「あああああああああああ」

「待て、止まれ!」

 おもちゃの哺乳瓶いっぱいに満たした水をこぼさないよう慎重に歩いて来る友美。だがフタをきちんと締めておらん。水にばかり気を取られて周囲も見えていない。

 案の定、入り口の段差に躓いて転んだ。畳はまた水浸しになった。




 友美が遊び疲れて昼寝した頃、洗濯物を取り込んで畳んでくれた麻由美は「近いうちにまた来ます」と言って帰って行った。

 昼寝セットの上で静かに寝息を立てる友美を見つめ、さっきまでこやつの馬として家中闊歩していた俺はようやく一息つく。

 今日は長い一日だったな……。

「いや、まだ終わったわけではない」

 これから風呂を洗い、晩飯を作り、友美に飯を食わせたら風呂に入れ、服を着せ、歯を磨かせて絵本を読んで……やることはまだまだある。

「麻由美が変わるわけだ」

 保育士、教師、そして父、母──子育てに携わる者達の苦労を、この二週間で一端なりとも知ることが出来た。


 無論、喜びも。


「お前も日々変わってゆくな」

 最初は簡単に昼寝をしてくれたのに、最近はそうでなくなった。子も一日一日変化している。成長かどうかはわからんが、少なくとも同じのままでいてくれはしない。

 毎日同じことをしているようでいて実は常に新しい。それが子供のいる日常というものなのだろう。

「子か……」

 俺もそろそろ身を固めた方がいいのか? 幸い、妻一人子一人を養うくらいなら十分なだけの金がある。その気になればまた職も見つかるだろう。


 頭の中に、とある母子が浮かんだ。


「いやいや」

 何を考えているのだ俺は。あやつはそういう関係ではなかろう。

 そう、たしか俺達のような関係には適切な呼び方が……。

「おお、そうだ“ママ友”だ」

 俺はママではないがな。自嘲気味に笑っていると、どこか遠くからクシャミが聞こえた気がした。




「クシュン!」

「どうしたのママ?」

 帰り道、たまたまばったり会ったママと並んで歩いていたら突然クシャミが飛び出した。

「風邪?」

「いや、これは違う。この感じ、多分また先輩が的外れなことを言ってる!」

「マジ?」

 私は感心半分、呆れ半分の顔で肩を竦める。

「クシャミ一つでそこまでわかるの? もうエスパーじゃん」

「中学高校の時にずっと見てたからね」

 ママいわく、あの人はほんとーにもう鈍感で鈍感で、自分が女子に好かれるとは一ミリたりとも思っていないんだそうだ。まあ、あの怖い顔じゃしかたないかも。

「ならストレートに告ればいいじゃん」

「それが出来たら苦労しないの。歩美も恋をしたらわかるわ」

 ヘタレ。あの人が鈍いというより、私はうちのママに積極性が足りないんだと思う。

「しかたないなあ」

 次はアシストしてあげよう。親の片想いなんて長々見てて楽しいもんでもないし。


 母の恋 娘のアタシが 押し通す


「あのおじさんには悪いけど、大人しくママのものになってもらおう」

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