失恋
鎌太郎の決意は固かった。
お花の旅籠はお花が元に戻るにつれて賑わいが帰ってきたようで、大将も忙しそうにぐるぐると歩き回っていた。
お花が鎌太郎御一行を連れているのを見かけて、「あ!お帰りなさい!」と言うと、あとはお花に任せるように足速に板場へと歩いて行った。
「えらく忙しそうだねえ。」
「そうなんですよ。どうしちゃったんですかね。2、3日前まではそうでもなかったんですよ。」
季節はいつのまにかもう初冬が訪れていた。
「そういやあ、もうすぐ今年も終わりだなぁ。雪が積もれば歩くのも厄介になってくるし。だからかもしれないな。」
「だなぁ、不動の兄貴。俺らも帰らなくちゃいけないものな。けど、これだけ忙しくちゃあ、、、。」
お花ちゃんを連れて一家に帰るのは無理かもしれないとは、言えなかった。
黙り込んだ太郎をみて、鎌太郎は言った。
「早く帰らなくちゃいけないなぁ。一家に帰ったら辰五郎親分が首を長くして待ってるだろうからな。」
「あら、辰五郎親分さんが鎌太郎親分さんの一家に?」
「そうなんだよ。俺の嫁さんになる人を連れて早籠に乗って先に行ってしまったんだ。」
力なく、下を向いて、嬉しいはずのその話を悲しそうな顔をして鎌太郎はお花に言った。
お花は、
「そうなんですか?鎌太郎親分さんにはまだお嫁さんがいらっしゃらなかったんですか?もうてっきり居るんだと思っていましたよ。良かったですね。帰ったら祝言かぁ。お幸せになってくださいね。」
にこにこと顔は笑っているのに、お花ちゃんは、涙をいっぱい溜めていて、それが溢れてポロポロと溢れだす。その涙を見せまいとお花はくるっと後ろを向くと、ごゆっくり休んでくださいね。と言い残し、その場をあとにした。
太郎と不動は、鎌太郎を黙って見ていた。下を向いて、お花の顔も見られない、そんな鎌太郎にかける言葉は2人には見つけられなかった。
「これでいい。これで良かったんだ。」
そう言って鎌太郎は静かに笑った。
大将が酒を持って訪ねてきた。
「お花から聞きました。親分さんは一家に戻ったら祝言を挙げるそうで。これは手前からの御祝儀です。あと一足早ければお花を貰って頂きたかったが、お花もまたいつ病気になってしまうかわからないし、この旅籠にはお花は必要なようでして。」
「この旅籠はお花ちゃん目当てでくるお客さんが沢山いるでしょう?」
「ハハハ。実はそのようで、お花がいると聞いて来てくれるお客さんがいる事に私も驚きました。」
「実はね、大将、本当はね。。」
そう言いかけた鎌太郎の口を塞ぐように大将は、
「今日は本当に忙しいですねえ。猫の手も借りたいくらいですよ。では、私はまたお膳の用意をしてきますね。」
と言うとサッと部屋を後にした。本当に忙しいらしく。おーい、大将!飯はまだかなぁとお客さんの呼ぶ声が聞こえてきた。
「お膳をお持ちしましたー。」といつもの明るい声がして、お花がお膳を持ってきてくれた。
「あら、まだ飲んでないんですか?あ、お風呂が先の方が良かったですよね。ごめんなさい。」
「お花ちゃん、一杯だけついでくれるかい?」
お花ちゃんは、ニコッと笑うと鎌太郎の持つお猪口にお酒を注ぎ込む。
「ありがとう。」
その酒をクイッと飲み干すと、
「美味い!これは良い酒だねえ。」
「実はこれ、父がいつも隠して飲んでいる代物なんですよ。やっぱり良いお酒だったんですね。」
「お花ちゃん、飲んだことないのかい?」
「父が隠しているのでないですよ。」
「じゃあ、味見にちょっと飲んでくかい?」
「じゃあ、ちょっとだけ。」
お花は鎌太郎から父の隠して飲んでいるお酒をお猪口に少しだけいれてもらい、それをちょこっと飲んでみた。
「うわー、このお酒!」
「美味しいだろ?」
「はい。」
フフフとお花は笑って鎌太郎をチラッと見て言う。
「私が飲んじゃった事は内緒にしてくださいね。」
ほんの少ししか飲んでいないのに、ほんのり赤くなった頬をパンパンと叩いて、立ち上がると、ペコっと頭を下げて部屋を後にした。」
他の部屋からお花ちゃんー、こっちにも飯運んでくれるかい?」
と大きな客の声が聞こえてきた。
「今日は本当に忙しいみたいだなぁ。」
「兄貴、、、。」
「兄弟、、、、。」
「俺はこう思うんだよ。祝言挙げる相手を別に好きになる必要はないんじゃないかって。見たことも会ったことも話した事もない人と俺は祝言を挙げる。誰も知られず、告げず、他の人の事を好きでいても良いんじゃないかって。それでも、目の前にいる人を幸せにできるかもしれないだろ?」
「、、、。」
「、、、、。」
「兄弟!お前、さすが一家を構える親分だな!」
「俺には俺を慕ってついてきてくれる奴が沢山いるからな!そいつら守れないならたった1人の女だって守れねーだろ。俺にとってお花ちゃんは俺の心に咲くたった一つの花だよ。その花をずっと咲かせていたいじゃないか。」
「兄貴、惚れてもいい?」
「俺に惚れても無駄だけど、太郎の心の中に、俺の花が咲いていると思えば悪い気はしねえ。どんどん惚れてくれ!」ハハハハハハと笑う鎌太郎を、不動と太郎はにこにこと笑って見ている。
一生こいつについて行こう。そう心で決めたことは、鎌太郎には内緒にしたのだった。
心に咲いた花を鎌太郎はずっと咲かせていく事を決めたのだった。