風呂場にて
鎌太郎の思いが固まったのだった。
旅籠というのは鍵がない。だから貴重なものはいつも目の届くところに置いておくのが旅人には当たり前なのだが、鎌太郎たちはそのまま置いてきた。
お花がその部屋から出ていっていたら、盗まれているかもしれない。
そんなことを鎌太郎たちは考えてもいなかった。
「良い風呂だなぁ。」
と旅の疲れを流していた。
そういえば、石けんを作ったことがあったのをふと思い出す。
「この石けん、作るまでにはえらく時がかかる。」
「兄貴、よく知ってんだなぁ。どのくらいかかるんだ?」
「ひと月かかった。しかも何個も実を集めて、やっとできたのは5つほどだった。」
「そんなにかかって5つか。」太郎は石けんを持って感慨深げにながめている
「簡単に出来るもんじゃねえんだよな。」
太郎を見ながら鎌太郎が言った。
「なんでもそんなもんかもしれねえよ。時がかかるもんかもな。」
広い湯船に大の字になって不動が言った。
「お花ちゃんを嫁に迎えるにはどうしたらいいんだろうか。」
「兄貴、お花ちゃんを嫁にしたいのか?」
「ああ。」
冗談ではなさそうな顔を見て、太郎は言う。
「兄貴、お花ちゃんはこの旅籠の一人娘だぞ。後はどうなるんだ?」
「どうとでもなるだろ。」と不動が言った。
「しかし、お花ちゃんは病いを抱えている。いつまたどうなってしまうかわかんねーぞ。兄弟、そうなったらどうするんだ?」
「なあ、お花ちゃんのあの笑顔を見たか?」
鎌太郎を見て2人は頷く。
「あの笑顔を守りたいと思ってさ。ずっとこの先も守りたいと思うんだ。」
鎌太郎は湯船に浸かり、大きなむき出しの梁を見つめてそう言った。
「兄貴はなんでもすぐ決めるもんな。そういえば気に入ったらすぐ兄弟分になってたな。嫁にしたいってすぐ決めるのも良いんだが、、、兄貴、大事なことを忘れてるよ。」
「そうだ。兄弟、おまえ、たしか辰五郎親分に頼んでたじゃないか。あれ、どうすんだ?」
「そうなんだ。それなんだよ。どうしたもねか。」
「辰五郎親分のことだから今ごろ探してくれてるぞ!それ断るなんて出来ないぞ。」
義理、人情を重んじて生きてきた不動の言葉は重い。
「もう一度、江戸へ行ってくる!太郎と不動は疲れてるだろ。ここで待っていてくれるか?」
「いや、俺たちも付いていくよ。1人で謝るより、3人の方がいいんじゃねえか?」
「いいのか?付いてきてくれるか?」
「ああ、ついてくよ。でも兄貴、お花ちゃんが嫁にくるの嫌がったらどうすんだ?」
鎌太郎は太郎を真っ直ぐに見つめて言った。
「俺はお花ちゃんを嫁にすると決めたんだ。もし断られたその時は、もう嫁はいらねえよ。だから大丈夫だよ。」
「、、、おまえ、そこまで覚悟ができてんのか。」
「俺がお花ちゃんだったら喜んで嫁にいくわ。」
「俺もいくわ。」
と言ってハハハと笑う2人を見て、鎌太郎は言う。
「兄弟、今、幸せかい?」
「ああ、幸せだよ。」
「なら良かった。」満足気に鎌太郎はそう言ったのだった。
3人は次の日、旅籠をあとにする。