ふとした話
1日だけ3人別々になり行動することになった鎌太郎たちだった。
辰五郎親分の屋敷をあとにした3人は、せっかく江戸まで来たんだからと、1日、それぞれ好きなことをしようと話をして、太郎は育った場所の寺へ行った。不動は昔世話になった人のところへ挨拶へ向かった。鎌太郎は、鏡部屋親方のところへと、向かったのだった。
部屋の前に着くと、以前あった稽古場は更地になっていた。近所の人に聞いたら、どこかへ移ったと聞いてはいたが、その移り先を知らなかった。
もう季節は初冬を迎えたのか、空気が冷たく感じて、少し時は早いが、鎌太郎は1件の赤提灯に誘われるように屋台の椅子に腰かけた。
「熱燗一つつけてくれるかい。」
「へい、かしこまりやした」
すぐに出てきた熱燗を手酌で飲んでる横に、1人の姐さんが腰を下ろしてきた。その途端に酒臭い匂いが辺りを包んだ。
「またきたのかい?金はあるんだろうね。それにしてもあんた、飲み過ぎだよ。」
ちらっとそちらを見れば、年は40近くだろうか、はだけた着物に、髪も乱れっぱなしで、冬だというのに羽織1枚持ってはいない。
「ちゃんと持ってるよ。ほら!」とお金を机に叩くように置いて、「これで文句はないだろ?早く酒をよこしておくれ」と持っている徳利を大将に渡した。
大将は、顔を曇らせたまま、その徳利に酒を並々と注ぎいれた。
「ありがとうよ。」
そう言うとフラフラしながらどこかへ歩いて行った。その後ろ姿を見て、大将は、あの人はあんな人じゃなかったのに。
と呟いた。
そして鎌太郎の顔を見て、「あれ?あんた、もしかして御幸山かい?」と聞いてきた。
「昔のことです。今はこんなしがないヤクザです。」と答えた。
「そうかい、ヤクザになっちまったのかい。あーそうかい。鏡部屋も部屋をたたんで今では越後で餅屋をしているんだと。力持ちだから毎日餅ついてるんだと。」
「親方も相撲をやめたんですね。」
「ああ、あんな条例が出たからな。さっきのあの人も昔はあんなんじゃなかったんだよ。この街でも評判の芸者だったんだよ。それはそれは綺麗な人だったんだが、それが悪かった。」
頼んでもいないのに大将は肴を出して、悔しそうな顔をしながら言った。
「あんな黒船なんかが来なければ、今頃、御幸山は横綱になっていたかもしれねー。おれはあんたの相撲が好きだったよ。まだ幕下だったけどなぁ。」
鎌太郎はここ数年、ヤクザの修行やら一家を構えた重みやらで、自分たちのことばかりで何も知らなかったが、世間では、相撲が廃止になった。理由は、外国から来た人達に馬鹿にされてはならないからだった。裸で組み合いをして勝ち負けを決めるそれが野蛮に映る。ただそれだけの理由だった。
「なんだか住みにくい世の中になりましたね。」
「俺はあの人のことが心配だよ。毎日毎日、酒ばかり飲んでるんだ。身体にいいわけない。それでも、飲むのは、飲んで忘れたいことが山ほどあるんだろうよ。」
「あの人のこと、よく知っているんですね。」
「そりゃこの辺りじゃあ有名だよ?知らないかい?お吉さんっていうんだよ。」
「お吉さん?」
「ああ、そうだよ。聞いていくかい?」
と大将は大量に入ったおでんを鎌太郎の前に差し出した。
「俺の奢りだよー。食べてってくんなよ。」
と言った大将は、話を聞いて欲しそうで、鎌太郎はそのおでんをありがたく頂戴することになるのだった。
一件の屋台で、昔の鎌太郎を知る大将につかまった鎌太郎だった。