疾・風・迅・雷
赤に染まった魔物は目にも止まらぬ速さで駆ける。
しかし、俺の未来視と、狂化によって上昇した稲の動体視力で対処はできた。
「オォオオオオオオオオォオオッ!」
魔物の鋭爪が、飛翔した俺を貫かんと伸びる。
俺は風羽を羽ばたいて螺旋状に躱し、渦を描くように腕に太刀傷を刻み込む。
同時に、地上では稲妻の一条が馳せ、閃いた紫電が脇腹を斬り裂いて過ぎた。
「オオォオオォオ……」
螺旋状の傷を負った腕をだらりと下げ、裂けた脇腹を押さえて怯む。
だが、それも一瞬のこと。
次の瞬間には血が止まり、傷が塞がり、全快する。
そして、先ほどよりも高速で駆動し、繰り出されるは巨躯からなる爪撃の乱舞。
舞うように魔物は爪を振るい、石材の壁が削られ、鏡面のような床が抉られる。
爪の一撃一撃は出鱈目ではなく俺達を的確に狙い打ち、近づくことを許さない。
「どうにかして動きを止めないと」
未来視によってどうにか爪撃は躱せているが、反撃の余地が見当たらない。
地上にいる稲も攻めあぐねていた。
紫電が魔物の周囲を巡っているが、懐まで潜り込めないでいる。
爪撃に合わせて腕に反撃を見舞ってはいるが、それさえも再生能力によってなかったことにされてしまう。
速度と再生能力。
この二つを攻略しないことには刃が命に届かない。
「――そうだ」
ふと異次元に仕舞っておいた毒矢のことを思い出した。
毒牙がまわれば動きが鈍り、再生能力が衰えるはず。
だが、この状況化で毒矢を射るには稲に踏ん張ってもらうしかない。
「稲っ! しばらく一人で耐えられるか!?」
虚空を引き裂いて振り下ろされた鋭爪を躱して稲に問う。
「――任せて! でも、長くはもたないよ!」
稲はそう答えて、よりいっそ紫電を迸らせる。
「それで十分!」
俺は風羽を大きく羽ばたいて魔物の間合いから離脱した。
そうして左手に魔力を集め、魔法で風弓を形作る。
弦に毒矢を番えると、旋風が鏃の先まで包み込んだ。
「大丈夫だ、落ち着け」
毒矢を限界まで引き絞りながら未来視のスキルを使用する。
どのタイミングでどの方向に矢を放てば、爪撃の乱舞を躱して胴体に当てられるのか。
何度も何度も未来を見て、その好機を待つ。
一人で魔物を引き受けている稲を思えば思うほど気持ちが焦る。
ただそれでも俺は確実に射抜けるその時を待つ。
そして――
「ここだ」
鏃を魔物から大きく外した方向に向け、毒矢を放つ。
一見してそれは無駄な一矢に終わるかのように見えた。
だが、毒矢の軌道上に吸い込まれるように巨躯が移動する。
そして、なにも知らない魔物の背中を風纏う毒矢が貫いた。
「オォオオォオオオォオオオオッ!」
毒は瞬時に全身へとまわり、患部からどろどろに溶けていく。
思った通り再生能力が正常に働かず、動きが極端に鈍った。
未来の俺はあんな強烈な毒を右肩に受けていたらしい。
「稲っ! これで決めるぞ!」
「あはは! オッケー!」
風羽の出力を全開まで上げ、疾風の如く翔る。
地上では紫電が輝きを増し、迅雷の如く駆けた。
風を纏い、紫電を帯び、振るわれる爪撃を躱して懐へと入り込む。
狙うは一つ。急所である心臓。
言葉を交わさずとも鋒と剣先は一所を目指し、貫いて馳せた。
「オォオオォオ……」
心臓を貫かれ、その衝撃のまま壁に叩き付けられ、魔物は力なく声を上げる。
まるでそれに乗って命が天に昇るように、声音が掻き消えると共に命を落とした。
「なんとか、倒せた」
稲を連れて地上に降りると共に、俺は盛大に尻餅をついて仰向けに倒れた。
魔力を使い過ぎたのか、疲労感が途轍もない。
稲も同じなようでその場にしゃがみ込んでいた。
「流石は……深度、弐……すごく、疲れた」
「あぁ、でも、どうにか倒せた」
上半身を起こして視線を天井からクリスタルへと向ける。
あのクリスタルは勝利の輝きだ。
「ほら、最後の一仕事だ。行こう」
「は、はい」
脱力した足腰に無理矢理力を込めて立ち上がり、クリスタルに手を伸ばす。
掴み取ったそれが光の粒子となって肉体に吸い込まれ、またすこし存在の次元が引き上げられる。
心なしか疲労もすこし回復したような。
「帰りにどこか寄って行こうか? 腹が減った」
「うん……稲も、お腹……減りました」
「何がいいかな」
そう思案するうちに足下に魔法陣が現れ、転移してダンジョンを後にした。
ダンジョンの入り口にまで戻ってくると、すでに空は茜色に染まっている。
すべてが夕焼けに染まる中、目の前には秋葉パーティーがいた。
「お、お前たち……攻略したのか」
そう呟くように言ったのは、パーティーの一人である男性だった。
声音は驚きと悔しさが混ざったようなもの。
よくよく見てみると、彼の片足には酷く血が滲んだ包帯が巻き付けられていた。
「あぁ、そういう」
彼らはダンジョンを攻略できなかったみたいだ。
途中で彼が深手を負い、やむなくダンジョンから離脱したと言ったところか。
「情けないですね。稲に、あなたに、あのようなことを言ったというのに」
茜色に染まる金髪を揺らして、秋葉が立ち上がる。
「ま、待ってくれ、お嬢。これは俺の責任で!」
「パーティーメンバーの負傷は主たる私の責任です。私が至らないばかりに失敗した。これは覆し用のない事実です……本当に自分が情けない」
秋葉の言葉に、負傷した彼は悔しそうに閉口した。
「俺は別に情けないとは思わないけど」
そう言うと相手方のパーティーメンバーの視線が一斉にこちらを向く。
「命の危機を感じたら恥を捨てて逃げろって忠告したのはあんただ。プライドと仲間の命を天秤に掛けて、あんたは仲間のほうを取った。立派なことじゃあないか、な?」
稲に話を振る。
「うん……稲も……そう思う、よ……えらい」
稲のその言い方にすこし笑った。
「じゃあ、そういうことで」
俺達は秋葉パーティーの目の前を通り過ぎて帰路につく。
「稲」
ふと秋葉が稲を呼び止める。
「知らない間に、別人のように強くなりましたね」
「うん……稲、強くなった」
不意に稲がこちらを見た。
「未来さんの……お陰」
「俺? なんか、むず痒いな」
こうして中難易度ダンジョン深度弐の攻略は無事に完了した。
このあと二人で飲食店に入り、腹一杯になるまで料理を堪能した。
あと、以外と稲は大食いだった。
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