春のささやき ~冬の終わり~
・この作品は、松任谷由実さま(ユーミン)のアルバム『TEARS AND REASONS』に収録されている曲をから着想を得て、その曲を下じきに私が初めて書いた短編小説です。
処女作です。
・元々は2004~5年頃に書いたものを、2018年に少し加筆修正しました。
・感想など頂けたら幸いです。
帰り支度の教室で、君から手紙を渡された。
その手紙は白紙だった。
不思議に思った私は、君の顔をのぞく。
「……誰?」
あれ?
君って誰?
私、誰から手紙を受け取ったの?
私の目の前に立っているのは誰?
君の顔がぐにゃりと曲がった。
その顔は、笑っているようだった。
ジリリリリリリリリリリリリリリリ…………
目覚まし時計の音で私は眠りから覚醒した。
目には何故か涙が溢れていた……。
休みの朝、私は特に何も予定が無かった。
彼氏がいるわけでもないし、仕事でもない。
友人との遊びの約束もない。
まっさらな休日。
「生活リズムを乱さないように」と医者から言われているから、今日もいつもと同じ時間に目覚まし時計をセットしていた。
今は一人暮らしで、一人きりの朝食。
トースト1枚とヨーグルトを食べた。
冬も終わりに近づき、朝もそこまで寒くはない。
カーテンを開けると、悲しいほど天気が良かった。
私は、どちらかというとインドア派で、天気が良くても進んで外に出るタイプではない。
しかし、今日は何故か外に出たくなった……。
外に出て、途方もなく歩きながら、今朝見た夢の事を考えていた。
夢に出てきた『君』は学生服を着た青年。
年頃は高校生くらいだろうか?
顔がよく思い出せなかったが、何故か懐かしい感じがした。
──誰だったんだろう?
どう思い出そうとしても、思い出せない。
ふと、どこからか、懐かしい香りが鼻をツンとさせた。
木の芽の香りかしら?
……香りとともに、何か思い出しそうになった。
「この香り……高校の校庭の脇に咲いていた花の香り……」
しかし、辺りを見回しても、それらしき花は無かった。
私は何故か無性に母校に行きたくなった。
その土曜日。
私は電車を乗り継いで、10年ぶりに母校に足を踏み入れた。
「お世話になった先生方はいるかしら?」
とか、
「私の事を覚えてるかしら?」
とか、色々な思いがよぎったが、予想外に学校はひっそりとしていた。
部活の練習をしている生徒もいない。
校庭の脇に咲いていた花を探したが、もう今は無いようだ。
何故か悲しくなってきた。
しーんと静まり返った学校。
私、ひとり……。
孤独。
寂しい。
寂しさには慣れているはずだった。
親元を離れ、ここ数年、彼氏も作らず、一人で頑張ってきた。
最近は涙を流す事さえ忘れていた。
でも何故か、涙が溢れ出して止まらなかった。
久しぶりに学校に来て、心が若返っているんだわ。
そう……私、高校生の頃は人一倍泣き虫だった。
……そう、いっぱい泣いてた。
悲しい出来事があったから……
……悲しい出来事?
また『君』の顔が脳裏によぎった。
そうだ、悲しい出来事……
『君』と私は恋人同士だった。
初恋だった。
初めて人を好きになる事を教えてくれた『君』。
なのに『君』は離れていった……。
出会いは高校1年の春。
同じクラスになった事がきっかけで、秋頃からだんだん仲良くなって、交換日記を通して付き合うようになった。
当時はポケベルも携帯電話も持っていなかったし、学校帰りにお互いの机の中に交換日記を入れる、という可愛いやり取りだった。
付き合いは高校3年生になっても続いていた。
進路を考える頃、君は大学に進む道を選択していた。
私は当時、シンガー・ソングライターになりたいという漠然とした夢を抱いていた。
夢見る私を、君は笑ってからかっていた。
君は塾に通い始め忙しくなり、学校以外で会う機会も減り、徐々に私と距離を置くようになっていた。
今思えば、進学に向けて頑張る君を応援してあげるのが彼女としての一番の励ましになったのかもしれないが、当時の私はまだ子供だった。
頑張る君が憎らしかった。
置いてきぼりにされるみたいで……。
傷つけあった。
迷った。
淋しかった。
いつからか口もきかなくなり、そのまま顔を会わせる事もなく卒業してしまった。
風の噂で、君は志望していた大学に合格したと耳にした。
私は進学も就職もせず、ギターひとつで作詞・作曲活動に励んでいた。
……本当は、あやまりたいと思っていた。
その思いを作詞して曲にしようと思ったけれど、何を綴っても嘘になりそうで、とても詞にはなりそうになかった。
あれから私は、君には会っていない。
今、何処で何をしているのかさえ分からない。
シンガー・ソングライターを目指していた私だったが、今はただのOL。
同窓会にもずっと行っていない。
本当は、君を憎みたかった。
残された孤独を忘れるくらいに……。
でも何故か、君の顔だけが思い出せなかった。
そんな時、背後から肩をたたかれた。
振り向くと、そこには高校3年生当時の担任の教師が立っていた。
「上田先生……」
10年ぶりに再会する上田先生は白髪まじりになっていた。
「荒井さん、またこの季節になったね。2年ぶりか……」
2年ぶり……?
上田先生、ボケてしまったのかしら?
私と会うのは、高校卒業以来10年ぶりよ?
「先生、私達、高校卒業以来10年間、会ってませんでしたよね?」
「あぁ……また忘れているんだね? 荒井さん、2年前のこの季節、またここに来たじゃないか」
私は混乱した。
2年前、母校には来ていないどころか、私は10年ぶりに母校に訪れたというのに……。
どういう事だろう?
困惑している私に、上田先生は言った。
「卒業から10年。2年ごとに冬の終わりになると、君はここに戻ってくるじゃないか。今年も、もうそんな季節だったね」
「え……?」
私の頭はさらに混乱した。
「上田先生……意味が分かりません」
「君は松谷くんの思い出から抜け出せずに、2年ごとに、ここに戻ってくるじゃないか」
──そうだ、『君』の名は松谷 高政。
………私、まだ高政の呪縛から逃れていないんだわ。
すべて、思い出した。
高政の顔も、声も、思い出も。
私は2年ごとに冬の終わりがおとずれると、あの夢を見る。
内容は今朝見た夢と同じ。
そして、ふらりと母校に赴く。
いつも高政の事を、2年ごとに母校に訪れる事を、忘れてしまっている。
「荒井さん、ちゃんとお医者さんには行っているのかい?」
上田先生は、心配そうな顔で私に問い掛ける。
そう、私は心療内科に通院している。
心療内科の医者の話によると、私は悲しい思い出を断ち切れず、記憶を心の底に押し込んで忘却する事によって精神を保っているのだ、と。
しかし、2年ごとに冬の終わりになると、心の底に押し込んでいた高政との思い出が溢れ出し、2年ごとに同じ行動を繰り返してしまうのだ。
「上田先生……、また……戻ってきてしまいました……」
涙が溢れて止まらなかった。
上田先生は、涙を流す私の背中を優しくさすった。
グラウンドの横のベンチに座り、子供のように泣きじゃくる私。
上田先生は私の横に座り、私が泣き止むまでそっとそばにいてくれた。
そして、こんなことを言った。
「荒井さん、10日前、学校の行事でタイムカプセルを掘り起こしたんだ。そのタイムカプセルを掘り起こした桜の木のそばに、こんなものが埋められていたよ」
私は驚いた。
上田先生が手にしていた物は、いつの間にか失くしてしまっていた、私と高政との交換日記だったのだ。
上田先生が持っていたのは、ぼろぼろになった私と高政との交換日記。
『みゆう と たかまさの交換日記』
と可愛い丸文字で、表紙に書いてあった。
私が書いたものだ。
上田先生から交換日記を渡され、私は懐かしい気持ちで交換日記を読み返していた。
当時の思い出がよみがえり、胸がいっぱいになる……。
交換日記の最後のページに、大きな文字で、こう書いてあった。
──美由、ごめん──
高政の文字だった。
ぼろぼろになって黄ばんだページに、涙がこぼれ落ちた。
高政も、本当は謝りたいと思っていたのかもしれない。
私と同じだけ淋しかったのかもしれない。
私と同じだけ苦しかったのかもしれない。
「10年前の卒業式にね、松谷くんが桜の木の近くに何か埋めてたのを、私は見ていたんだよ。……きっと、これを埋めていたんだね」
そっとささやく上田先生の顔を見つめたが、涙で先生の顔がぼやける。
その時、私の心の中の『何か』が音を立てて壊れた。
※※※※※※※※
あの日から私は、再びギターを弾きはじめた。
実家の押入れの奥から、古びたギターを引っぱり出してきた。
作詞・作曲活動も再開し、高政との思い出を歌にした。
現在、私は、休みの日はギター片手に駅の周辺で歌っている。
いわゆる、ストリート・ミュージシャンというものだ。
若者達が多い中、私のようなおばさんが、ギターひとつで弾き語りをしているなんて笑いものだと思ったが、中には足を止めて聴いてくれる人もいた。
ある夜、私は夢を見た。
内容は、昔から2年ごとに何度も見ていた夢と同じだったが、彼から受け取った手紙は白紙ではなく、
──美由、ごめん。そして、ありがとう。──
と書かれていた。
もう、この夢を見ることはないだろう……。
そして、白い薬ともサヨナラできるだろう。
【完】
■ 荒井 美由
物語の主人公。
名前は『松任谷由実』の旧姓『荒井由実』からモジりました。
──※この小説の主人公が、後の『蚕の出す答え』というオリジナル小説の登場人物として出てきます。
『蚕の出す答え』ではストリート・ミュージシャンのオバサンです。
■ 松谷 高政
主人公の過去の恋人。
名前は『松任谷由実』の旦那『松任谷正隆』からモジりました。
■ 上田先生
主人公の高校3年生の時の担任教師。