辺境(一)
辺境(一)
貿易都市として知られるダモイは、西洋海の航路中央に位置し、陸上輸送の港湾ターミナルとして、或いは、海上交易の中継点として、この時代に最も栄えていた。日中の帆船の出入りは頻繁で、世界中のあらゆる産物が一旦集められ、取引売買され各方面に供給されていく。と同時に、今最も躍進し繁栄を誇るロンバート王国の首都でもあった。
入り江から内地に向かって扇状に家々が立ち並び、道路・用水路も整備されて、近年ますます発展し、商業、政治の中心地として人口増加の一途にあった。
その港を一望できる高台の丘陵に、この国の象徴である王城が聳え立ち、周囲には城を守る臣下の住居が配置されている。有事の際には、いつでも鶴の一声で多数の兵士を動員できる体制が敷かれていたのであった。
やや北方には、洋海に流れ込むシオドス川があり、その河畔に、今を時めき中興の祖と称えられているロンバート四世王から、絶大の信頼を得ている重臣リワード卿の館があった。現在この国が打ち出す重要な方針のほとんどが、彼の提言によるものである事を知らぬ者はいない。折りしも王城から戻ったばかりのリワード侯爵は、家族との会話もそこそこに、早速国政の検討を行うため自分の書斎に入った。
「すぐザビルに来るよう伝えてくれ」
と、いつもと同様家臣に命じた。彼は四十代前半の働き盛りで、口髭を貯えた面長で彫の深い顔の造りは、いかにも利発で聡明な印象が窺えた。また、すらりとした長身であるかたわら、品の良い物腰と温和な目の輝きは、周囲の者に安心感を抱かせる。だが次々と発案された施策が、彼自身の頭脳によって創造されたものではないと知っている人間は一人だけであった。
「ただ今参りました閣下」
黒衣で身を固めた一人の年老いた男性が彼の前に現れた。
「ザビル、待ちかねたぞ。今日も王はいつになったらソロマに移るのだと私に催促された。あと一ヶ月が待ちきれぬご様子だ」
とリワード卿は決して公の場では見せることのない当惑の表情で言い放った。
「確かに先日私が見に参りました時、新都はほぼ完成しておりました。但し、ソロマ湖北方地域の平定、我が国への完全な帰属にはあと二、三週程度必要とみております。そしてその頃が、移転を祝福し歓迎ムードを盛り上げ、不満を抱く人々の気持ちを和らげる絶好の時期とみています。従って、王には季節的に暖かくなる次月が適当とお諌めするのがよろしいかと。不測の事態の発生は、反対派の台頭を許す結果となりましょう。ここは万全を期すのが得策ではないかと思われます」
ザビルは諭すような口調で答えた。
「そうだな。もともとこの王都移転はお主の進言によるもの。その本人が言うことなら間違いはあるまい。私も王にもう少しご辛抱の上待たれるようにと、引き止めておる。ただ、重臣達の中には、この商都ダモイに未練を残し、ソロマに不安を抱いている者がいるゆえ弱っておるんだ」
「だからこそ慎重に事を運ばねばなりますまい。政商が結託するような事態は極力避けねばなりますまいが、だからといって慌てることもありませぬ」
ザビルは意見を述べている間も、終始主を敬う態度を失うことはなかった。
「今から思えばお主の予見した通りだったな。近年このダモイには一攫千金を夢見て多くの地方住民や異国人が移住し人口が増加している。そして富を貯えた階級が政治権力に近づこうと悪知恵を働かせ影響力を及ぼし始めている。それが原因で賄賂が横行し、一方で都内の治安が悪化しつつあることは事実だ。そのためには政権構造の思い切った変革が必要となる。従って今回の遷都は何としても成功させねばならぬ。王もそれは承知されている。今や王自ら陣頭で挙行されようとお苛立ちのご様子だ」
「私も王のご意向に感謝しております」
「だが、お主ほどの人物が、なぜ王との臨見を拒むのか私には理解できぬのだが」
「いえいえ、私にとりましては閣下の下で働くことができるだけでも充分光栄でございます」
ザビルはひたすら謙虚な態度を崩さず答えた。もちろんリワード卿はその返答を額面通りに受け取らなかったが、それ以上追及することは控えた。
「ところで、もう一つの計画も実現の運びとなるが、あと何か注意すべき点はあるか?」
「いえ、もう日程とリストも出来上がっておりますゆえ、あとは出発の日を待つのみでございます。ただ、今ひとつ私からのお願いがございます」
「申せ。この計画もお主が立案したもの。遠慮はいらん」
「は!、今までに決まりました人選については逐一チェックし了承を得ております。編成も既に確定しているのですが、ただあと二人付け加えたい人物がおります」
「誰だそれは?」
とリワード卿が尋ねると、ザビルはその階級と名前が書き込まれた紙切れを手渡した。リワード卿はそれを広げ目を通した。が、見た途端に彼の顔色が変わった。
「なぜだ、なぜこの二人が。何か理由があるのか?」
「それは今は申せませぬ。ただ私からのたってのお願いにございます」
とザイムは慇懃に腰を屈め平伏した。だが彼はその名前の不可解さに、ただ『なぜ?』と繰り返すばかりであった。
*
ダモイ港の早朝は慌しい。埠頭に停泊する貨物船、巡航船を目指して、港通りを多くの船員が出港時間に間に合うようにと急いでいた。
昨日までに荷下し積み込み作業や点検を全て終え、思い思いの休息を過ごした男達の長い航海が再び始まる。突堤から内地に向かって真っ直ぐに伸びるこの通りは、いつも同じような光景が見られる。
船服を着のみ着のままで駆け足で母船に向かう男達。土産物を両手一杯に抱え込む水夫。更に親しくなった女達との別れを惜しむ姿もあちこちで見られた。彼等はいずれも日焼けで真っ黒な肌をし、逞しい体格を持っていた。
もちろんこの近辺には、停船中に彼等が寝泊りする宿所が用意されていた。また、当然のことながら周囲には、船員、乗船客目当ての食堂、土産屋、居酒屋等が点在している。
朝一で次々と帆船が出港していった後、しばらくの間この界隈も静けさを取り戻す。再び大型帆船が入港してくるまでのくつろぎの時間である。次の定期船が現れるまでの間、海上には地元の小型漁船が目立つ程度である。一方で陽が真上近くまで登る時刻を過ぎると、港通りは徐々に活発な様相を呈し始める。港湾関係の仕事に携わり、その恩恵を受けて生活している人々が動き出す。両側に立ち並ぶ店が開けられ、新たな客を迎い入れようと準備に余念がない。そして昼前には人の行きかう姿が頻繁になる。
通りの一角に二十人程度の客を収容できる宿所があった。ここでも既に、客室の後片付けを終え、今夜の宿泊準備の最中である。夕刻までに予定数の部屋の確保と、食料の調達に仲居達が忙しく動き回る。
その中に近くの居住区から働きに来ている娘がいた。
「リーマ二階の整理は終わったかい?」
階下から年配女性の声。
「もうすぐ終わります」
とよく通る声で答えた彼女は、今年十六になったばかりの、顔にまだそばかすの残る幼い少女であった。もう何年も前から毎日、朝早くから暗くなるまでここに通っている。やせっぽっちで、髪を短く切り揃えた風貌は、見た目に少年のような印象を与える。また、性格からも、長年気性の荒い海の男達と接している為か、お世辞にも女らしいとは言えなかった。
彼女は母親との二人住まいであったが、今朝起きた時には横にその姿はなかった。物心付き始めた頃から既に暮らしている集合住宅の借部屋は、二人が満足に生活していく為の充分な広さとはいえなかった。
そして彼女は、母親のパルマが昨夜からどこへ何をしに行っているのかを知っていた。だが、その母親の仕事、言い換えれば生業を心から嫌っていたのである。つまり、パルマは海の男達相手の慰安婦、娼婦なのであった。この事は、娘のリーマだけでなく、多くの人々にも知られていた。彼女は母親の過去を尋ねたことはなかったし、また、知りたくもなかった。
ただ人の噂では二十年ほど前、南の国からこの地にやって来て、そのまま住み着いたとのことである。そして、リーマの父親は海の男達の一人だと聞かされた。
彼女自身、決して母親のようにならないと固く誓っていた。
また、機会さえあれば、母親に対するのと同様の好奇心で見られるこの港を出て、異国に行ってみたいと、いつも願っていた。
「リーマ、買い物に行ってくれないかね」
船乗りの食欲は旺盛である。彼女は大きなかごを手にし、人々でごった返している食料市場に買出しに出掛けた。店頭には各地から運ばれてきた野菜、魚介類、果実等が所狭しと並べられている。彼女はここでも顔を知られており、
「リーマ今日も買出しかい。大変だねあんたも」
「取れたての美味しいメロンが入荷したよリーマ。船乗りさん達に食べさせてあげなよ」
と方々から声が掛かった。彼女は頼まれた食品を求めて各店舗を見回った。時折、珍しい物があると、手にするため立ち止まる。何件か物色した後、果物店で真赤なリンゴが並べてあるのが目を惹いた。彼女はそのリンゴにも手を伸ばす。
が、その時突然、背後から彼女の腕をわし掴みする者がいた。彼女は驚いて振り返る。すると、そこには剣を腰にぶら下げた四人の男達が取り囲むように立っているではないか。
「おい、お前何をしている!」
その内の一人が怒鳴った。彼等は市内を巡回している警備兵であった。リーマはやや気圧されながれも、
「美味しそうだから見ていただけよ」
と答える。ところが彼等はその言い分を全く無視。
「嘘をつけ、お前はその食物を確かに盗もうとしていた。我々ははっきり目撃していたのだ」
一瞬、彼女は信じられない面持ちで、かろうじて言い返す。
「あたい、そんなことしていないよ。ここに買い物に来ただけだよ」
だが、その弁解に対しても聞く耳を持たぬ彼等は、強引に腕を引っ張り誘導し始めた。
「言い訳は出る所に出てするんだな」
兵士は一方的に言い放つ。
「何かの間違いだよ。あたいそんなことしないよ」
リーマは必死に抵抗し逃れようと試みたが、二人がかりで両脇を押さえられ、なすすべもない。彼等はいやがるリーマを連行し始めた。
「誰か助けてよ。あたいは無実だよ!」
彼女の声が市場の隅々に響く。だが兵達を恐れ、彼女の叫びに誰一人応えようとはしなかった。周囲の人々はただただその成り行きを眺めている他なかった。
*
サダクは無我夢中で目前に密生する茂みを掻き分けていた。時折、木株や岩肌に足を取られ転倒しながら必死の思いで前方に這い進む。
体中、雑草の棘や鋭い枝先に傷ついてはいたが、構ってなどいられずとにかく手足を動かす。頭上は灌木に覆われ、行く手は笹の葉や生い茂った野草で視界を遮られている。だが、サダクにはそのような不都合さを気に留める余裕など全くなかった。顔を引きつらせて、迫り来る恐怖に命からがら前進していた。
そして、目指すあてもなく、ただ闇雲に、追跡者から逃れたい一心で藪の中を突き進んでいた。
「ギャアー」
どのあたりであろうか響き亘る人の悲鳴。
サダクは動きを止め方向を窺う。
その声はしばらく続いたが、やがて途絶え元の静けさを取り戻した。
彼は直感した。
「また一人殺られた。あとは俺だけだ」
身震いし絶望感を覚えながらも、自らを励まし再び逃走の決意をした。
「奴等は今度間違いなく俺を襲ってくる、早く安全なところに行かないと・・」
だが彼の焦りに反し、一向に進行がはかどらない。おまけに完全に方角を見失っている。
つまりどの方向に行けば安全なのか知りようもなかった。ただ、追いつかれれば殺されてしまうという極限状態が頭を支配し、無意識に体を動かしているのみ。
相変わらず周囲には雑草が生い茂っている。
擦り傷、打撲等の体の痛みもこの際度外視して、遮二無二阻むものを掻き分ける。
そして、苦労の甲斐があったか、ようやく前方の障害物が消え視界が広がった。そこはごつごつした岩棚になっており、ともかく長い間のもがきから開放されたようである。
しかし彼の期待は甘かった。這ったまま茂みから体を引きずり出し前方を見ると、深い谷を間に挟んで、向いの山がそびえ立っていた。丁度サダクの居る所は、断崖の岩壁に位置していた。
下を覗き込むと、谷間に沿って流れている水面がはるか遠くに見通せる。一気に疲れが押し寄せ岩の上にへたり込んでしまった。
これ以上前には進めない。元の道には恐ろしい敵が潜んでいる。彼の脳裡に漂う諦めの意識。虚脱感が全身を覆う。
が、一瞬彼の指先が腰にぶら下げた袋に触れる。そして中に仕舞い込んだ物を今一度確認した。
「こんな所で殺られてたまるか。必ずこれを持って帰るんだ」
サダクはその膨らみを大事そうに抱え、再び心に誓った。よしこの崖を降りられないか調べてみよう。そこまで奴も追ってはこまいと判断し立ち上がった。
それも束の間、背後の茂みから、
「ガオー」
と不気味な唸り声。
「なぜこんなに早く・・」
サダクは体が硬直してしまった。
「奴にはわかるんだ。俺がどこに逃げようと、俺を殺すまで追い続けて来る」
彼はこの絶体絶命のピンチにすっかり観念した。唸り声が徐々に近づいて来る。一歩一歩後退し、ついに絶壁の縁に立った。もはや彼の後ろには深く裂けた谷間があるのみである。
茂みが動いた。
「どうせ殺られるなら同じことだ」
サダクは大きく息を吸い込む。一瞬、そのものが姿を現した。それと同時に彼は目をつむり体を宙に跳ねた。
「ウワァー」
大声を発しながら、谷底に向って飛び出した。
彼は見た。
消えかかる意識の中で、そのものの恐ろしい姿を。
それは血走った眼で睨み、長い牙を剥き出しにしていた。
*
リーマはこの体験が果たして現実なのか、それとも夢を見ているのか今だに理解できない。いや、考えれば考えるほど納得がいかず口惜しい思いが込み上げてくる。
ここに来てもはや一週間、毎日泣き続けそして途方に暮れた。目の前には鉄格子が立ちはだかり、薄暗い石室に一人で入れられていた。
わずかに上壁にある小さな覗き窓から光が差し込むだけで、生きるための必要最小限の毛皮、水桶、便器類等が備わっていた。いわゆる罪を犯した囚人達と同様、監獄に閉じ込められたのである。
彼女が市内巡回の警備兵に窃盗の容疑で拘束され、ここに収監されて以来、取り調べも身元調査もなく、もちろん面会に来る者もいなかった。当初は盗みの濡れ衣をはっきりと晴らすつもりでいた彼女も、その機会も与えられず、もはやその意志も喪失してしまった。
ついには彼女自身、何の罪で、どのような理由でここに居るのか判らなくなってしまった。業を煮やして見回りの看守に、母親か宿所の主人と連絡を取って欲しいと頼み込んだが、それもなしのつぶて。果たして伝わっているのか、それさえも教えてくれようとしない。
彼女はすっかりさじを投げてしまった。ただ一人で無為な時間を過ごす以外、手の施しようがなかったのである。
やがて、いつものように格子の前の通路から足音が聞こえてくる。リーマはいつもの看守の見回りと察したものの、意気消沈した彼女にはもはや関心が失せていた。
ところが今日は数人の気配を感じ、房の前で確かに止まったのである。そしてうな垂れていた彼女の背後から声が掛けられた。
「おい、お前出るんだ」
同時に房の鍵が開けられた。彼女は一瞬耳を疑い戸惑ったが、直ぐに正気を取り戻し、言葉の意味を理解しようとする。
「あ、あたい出られるのね。ここから、家に帰れるのね」
と一転、満面に喜びを表した。
「だれも釈放するなどとは言っておらん。とにかくここから出ろ」
「じゃあ、いったいどこに行くっていうの?」
「質問は許さん。黙ってついて来るんだ」
判然としないままに、通路に引き出された。いずれにせよ、ここから出られるなら大歓迎と素直に従う。
促されて歩いて行くと、他の房の囚人達が羨ましそうに格子から顔を出しているのが見えた。
けれども彼女はもう一つすっきりしない気分であった。
建物から外に出ると、陽の光が目に眩しく感じた。久し振りに味わう大気に、全身が心地よい開放感を覚える。
ところが、前の道路には囚人護送用とおぼしき馬車が、十人程の警護兵に守られて止まっていた。一体全体どういうことであろうこの物々しさは。明らかにリーマの意に反し、その一隊に向って連行されて行く。
直前に一人の兵士が報告。
「ただ今連れて参りました。これで最後になります」
「よし、わかった。その囚人を中に入れろ」
と上官が命じる。リーマは当惑した。兵達が彼女に近寄ると、やや心細げに尋ねた。
「いったいあたいをどこに連れて行こうというの。あたいの家は港だよ」
「ぐずぐず言うな。逆らうと痛い目に遭うぞ!」
兵が彼女を脅したが、この理不尽な扱いに腹の虫が治まらない。
「いやだよ。行き先を言ってくれないと、あたいは乗らないよ」
と駄々をこねたが、
「已むを得ん、おい」
と上官兵が指示。すると三人の兵士が彼女を取り囲み、強引に馬車の後ろに担いで行った。
「キャアー」
リーマは抗ったが男達には歯が立たない。一人がかんぬきを外し扉を開ける。
そして彼女を無理矢理中に入れてしまった。
再び扉が閉められたが、彼女は顔を紅張させ大声を上げて中から戸を両手で叩きつける。
「開けてよ、ここからあたいを出してよ」
何度も呼びかけたが無駄であった。その内、馬車は動き出してしまった。彼女は途方に暮れ、膝に手を当て俯いてしまう。
するとその時背後から、
「おい、お前」
と声が掛かった。今まで気が付かなかったが、馬車の中には先客の同乗者がいたのである。はっと我に返り振り向いた。中は薄暗くて見え難かったが、目を凝らして眺めると確かに人がいる。
一人二人、徐々に姿、外見が明確になってくる。既に五人の男達が乗っていたのであった。
*
「また奇妙な仲間が現れたもんだな」
と一番年のいった男が不思議そうな口振りで言った。
「何かの間違いじゃないのかい。おい娘、お前いったいどんな罪を犯したんだ?」
今度は一番若いと思われる男がニヤニヤしながらリーマに尋ねる。
藪から棒の質問にやや尻込みしたが、普段、気の荒い海の男達と仕事で接しているだけに、こういった無礼な態度にもすぐ順応できた。
「あんた達は誰?、あたいは何もしていないよ。市場で買い物をしていたら、いきなり兵隊さんに囲まれて連れて来られただけだよ」
と憤懣やる方のない口調で答えた。
「嘘をつけ。何もしてなくて俺達と一緒にされるはずがないさ」
その男は故意に威圧感を漂わせた。リーマは明らかにこの男達が犯罪者であると確信した。
「でも本当だよ。今まで悪い事など何一つしたことないよ」
多少気後れしながらも言い返す。
「じゃあ言ってやろう。例えばこの双子の兄弟は、町役人と兵士達相手に殺傷沙汰を犯したのさ。十数人がこの二人のために墓場と医者へ送られたって噂だ」
と二人の男を指差して言った。
「でも・・」
再び反駁しようと試みたが、双子の一人が口を挟む。
「余計なことを言うんじゃない小僧。俺達のことなどろくに知らないくせに」
二人とも大柄でがっしりとした体格をしており、見るからに圧倒されてしまうが、若者はひるまず挑発した。
「知ってるよ。お前達ドッグ、ロイド兄弟と言えば、無鉄砲で怪力だけが取り得だって獄では皆が噂していたぜ」
「なにお!」
と二人は彼に向って身構えた。
「まあまあ、こんな所で止めとけよ。ハンスお前も口を慎め。俺達はこれから一緒に旅をしなければならない仲間だ。いがみ合っても何も得することはない」
年配の男が諌めると彼等は渋々浮いた腰を下した。が、弟のロイドはその名前に反応した。
「お前がハンスか。思い出したぞ。コソ泥ハンスと言えば俺も耳にしたことがある。あちこちの屋敷に忍び込んでは金品を盗む恥知らずの若造とはお前のことだな」
「ちぇっ、好き勝手言うがいいさ。だがな、俺は大きな仕事しかしない。そして狙ったものは必ずものにする。その鮮やかな手口は誰にも真似の出来ない一級品のプロさ」
自慢げにハンスが答える。
「その一流の強盗さんがまたどうして捕まったのかな」
と年配の男が冷やかす。
「それはようローパスの旦那。俺を探っていた警邏兵が、いつも俺に逃げられて叱られているのが気の毒になって一度捕らえられただけよ。あの牢ならいつでも脱獄できたさ」
「よく言うよ。お前の自惚れもたいしたもんだな。ところでローパスとやらあんたはいったい何をしでかしたんだ」
ロイドが尋ねる。
「わしか、わしはな、ちょっとした才能を持っておってな。そこいらの道端に転がっている小石を宝石と偽って金持ち連中に売りつけた訳だ。いわゆる詐欺ってやつかな。わしは世界中を渡り歩き、ありとあらゆる宝、珍品を知っておるが、欲の皮のつっぱった連中は本物と偽者の区別もつかん。今でもわしが細工した石ころを後生大事に持っておる人間が大勢おるわい」
ローパスが得意げに答えると、すかさず双子の兄のドッグが口を挟む。
「まったくお前達は牢に入れられて当然の事をしている。だが我々は違う。我々は悪徳役人から町を救うために立ち上がったのだ。長年奴等は人々を獣か虫けらのような非道な扱いをし、彼等を苦しめ続けた。今でも決して間違ったことをしたとは思っていない」
「ふん、善人ぶってやがる。だが俺はお前達のように人殺しはしていないぜ」
再びハンスが言い返す。
「殺されても仕方の無いような奴らだ。町人達も喜んでいる。我々が帰れば英雄さ」
「だが、人殺しは人殺しだ。お前達の出来る事といえばそれだけさ」
「なにお、この!」
ロイドは額に青筋を浮き立たせて突っかかり、険悪な雰囲気となった。
が、その時突然、
「ワァー」
と先程から男達の話を聞いていたリーマが泣き出した。
何事、と皆一斉に彼女に顔を向けた。彼女はそのまま構わず泣き続けている。
「いったいどうしたというんだ?」
ハンスが訝しげに尋ねる。
「あ、あたい、ウッ、な、なんでこんな人達と、ウッ、一緒にされなければならないの。ウッ」
途切れ途切れの言葉は彼等にとって面白いものではなかった。
「おい、甘えるんじゃないよ」
とのハンスが投げつけた言葉は、火に油を注いだ格好となり、彼女はますます大声を張り上げ泣き続ける。男達はこれにはいささか持て余し気味。
「わかった、わかったから泣き止めろよ。もう余計ななこと喋らないから」
ハンスも手を焼いてしまったようだ。ローパスも困り顔で話しかける。
「娘さんよ。お前さんが無実らしいことは見ればわかるよ。なぜここに入れられたのかは誰にもわからん。だが、これも何かの縁、仲良くしようじゃないか」
その言葉にリーマも少し気を取り直したようで、
「私達、どこへ連れて行かれるの?」
とべそをかきながら尋ねた。
「いや、それはわしにも判らんのだ。実はお前さん以外は皆同じだと思うが、三週間前にわしの所に役人がやって来て、話を持ちかけてきた。『ローパス、お前はこのまま何年もの間この牢で暮らさねばならぬ。だが、もしお前にその気があるのなら機会を与えよう。お前にある仕事をしてもらう。今はその訳は言えんが、旅に出てもらい、ある役目を果たしてもらう。そしてその仕事を首尾よく終えたあかつきには、お前は放免されるであろう』と。わしはその取引を受け入れた。あの暗い牢で月日を過ごすより、外に出られるだけでもましだからだ。それにこの旅には多数の人間が参加すると言ってた。だが、大変危険な仕事だという以外はどこへ何をしに行くのか教えてくれなかった」
ローパスは淡々と語った。ハンスもそれに応じて言う。
「俺もそう言われて従ったんだ。但しおれの場合、その仕事ってやつに強い関心があってな。役人が囚人
の俺を誘ったんだ。よっぽどの事に違いない」
「じゃあ、誰も知らないの?」
リーマは不安げに問いかける。それに対し男達はお互いの顔を見合わせ黙ってしまった。
その時、今まで一言も喋らずに奥に座っていた男が口を開いた。
「俺は知ってる・・」
と。不意を突かれて他の者は一瞬戸惑い、全ての視線がその男に釘づけになった。彼はもう一度繰り返した。
「俺は知ってる。少なくともどこへ行こうとしてるのかを」
*
アルナ、チコの姉弟は彼等の住む村落から、奥深い山間の渓流に川魚を獲りに来ていた。今の季節は長い冬季を脱し、徐々に気温も上昇して、魚達も活発に動き始める季節にあたっていた。それだけに今日は獲物の引きも上々で、久し振りに豊漁の気分を味わいながら、気が付いた頃には谷川のかなり上流まで足を運んでいた。
「チコ、もうこの辺りまでにしておきましょう。これ以上行くと危険だと村長が言っていたわ」
「大丈夫だよ姉さん。もう少し上がってみようよ。今日の当たりは抜群にいいよ。これだけの釣り日和りはめったにないよ」
と弟のチコは受け合わない。アルナはやや諦め気味に応じた。
「もうしようがない子ね。じゃあもう少しだけよ。それ以上は駄目よ」
「わかったよ。約束するから」
チコは鳥の羽根の目印をぶら下げた竹竿を持って、岩場を駆け上って行く。姉のアルナは川底の石を取り上げては、その裏に貼り付く魚の餌となる川虫や幼虫を探し出し袋に入れていく。
谷川は厳冬期に降り積もった雪解け水で量が増し、水面に手を触れると凍り付くような冷たさを体感する。その時、
「姉さん、姉さん」
と上流からチコの声が聞こえてきた。
「どうしたのチコ」
「姉さん、ちょっと来て大変だよ」
慌てふためいた叫び声。彼女は漁籠を置いて、弟の居る上流目指して岩伝いに上って行った。しばらくして岩棚に佇んで川岸を見ているチコを捉えた。
「どうしたって言うの。何があったの?」
「ほら、あれ」
彼の指先には水面に漂っている大きな枯れ木があった。
その木には人が腕で抱きかかえるように引っ掛かっている。その巨木と一緒に上流から流されて来たようである。彼女は恐る恐る岩場を降り、水辺に近づいた。どうやら、その人は流木にしがみついていたが、意識はなさそうである。チコは不安げにその場を動かず、ただ眺めているだけであった。
アルナは努めて冷静になろうと自分に言い聞かせた。そして必死に頭を回転させる。この凍り付くような冷水の中で、もし生きていたとしても、放って置いては間違いなく死んでしまう。一刻も早く水面から引き上げる必要がある。
彼女はすぐに行動を起こそうと決心した。
「チコ、手伝うのよ」
その流木に近づいて行く。そして、弟のチコと力を合わせて流木を岸辺に手繰り寄せた。
どうやら男のようである。二人は腰まで水に浸かりながら、その男を流木から離し、岸の砂地に運んだ。衣服もズブ濡れで重みは倍加している。
かなり苦労してようやく、その男を地面の上に仰向けに寝かせることが出来た。
顔といい手足といい傷だらけで身に着けている服もあちこちが破れている。もちろん彼等が今まで見たことのない男であった。
耳を近づけると、まだかすかに息があるようだ。しかし完全に気を失っており、半死半生の状態は二人の目にも明らかだった。
彼女は再び頭を働かせ、そして弟に言った。
「チコ、父さんか誰か呼んで来るのよ」
「でも・・」
チコは心配そうに躊躇いを示した。
「早く行くのよ。今なら間に合うわ」
彼女は弟を急かせた。チコは踏ん切りがつき、川沿いに下って行く。
残されたアルナはその男の傍らに腰を下ろし、様子を窺っていた。何者であろう。年恰好からすると、彼女より四、五才上のようである。いずれにしても地元の人間ではなさそうだ。腕に炎を表す刺青があるのが目に止まった。が突然、その男は顔を歪め、苦しそうに口を開けた。そして首を左右に振りながら呻き声を発した。
「早く逃げろ。ウッ、奴に殺される。ウッ」
その男はうなされているようだ。更に二、三度、
「殺される!」
と、怯えもがきながら手を振り上げる。アルナは咄嗟に両手で握り締めた。するとその男は安心したようで、穏やかな顔をして静かになった。何か恐ろしい目に遭ったのだろう。
九死に一生を得てここまで辿り着いたのか。でもいったいどこから来たのだろう。アルナはその流木が現れたのであろう渓谷の上流を見上げた。
そこには彼等村人が魔山と恐れるアルガンの峰々が立ち塞がっていた。
*
「いったいどこへ行くっていうんだ。それになぜお前がそれを知ってる?」
ハンスは護送車に乗り合わせた全ての者が持つ疑問を尋ねた。その男は今まで一言も喋らず目立たなかっただけに、陰気で無愛想な印象が窺えた。
「俺達の行き先はアルガン。俺はその道案内を頼まれた」
その答えに男達は一様に驚きの様相を表した。ただリーマだけは訳も分からず聞いている。
「アルガンだと。まさかあの辺地に在るというあのアルガンか?」
ローパスが問い質す。
「そうだ、あのアルガンだ。我々は選り抜きの兵士達と一緒にアルガンに向う」
「だが、俺の記憶に間違いなければ、ソロマより更に東方にそびえる連峰の向こう側だ。それもまだ開拓もされず、何があるのかも知れない伝説の地だ。そこへいったい何をしに、それにまさか未踏の連峰を越えるというのか?」
ハンスが口泡を飛ばして疑問を吐露した。
「いやそうじゃない。カルム渓谷に沿って辿るんだ。もっとも連峰の唯一の狭間であるカルムの道程も非常に危険なことには違いないがな」
とその男は落ち着き払って答える。
「お前は何者だ、なぜアルガンを知ってる?」
今度はドッグが尋ねると、その男はしばらく考え込み、そしてゆっくり話し始めた。
「俺はシモン。ダモイ北方の地ユナシアからソロマ湖近辺の制圧に駆り出された兵士だった。俺以外にも多くの人間がロンバード王家に忠誠を誓い、実戦部隊に従軍し戦ってきた。
だが長期にわたる戦地滞在でその名目は次第に薄れて、規律は乱れがちになっていった。ロンバートの主流である古参の上官達は、戦いそのものよりも得られた戦利品を自分達で独占、着服することに熱心になった。その一方で俺達には最前線での交戦を命令し、敵地への無謀な侵攻を強要した。
仲間達が傷付き、死んでいっている間も奴等は後方の安全地帯で分捕った品々の横流しに狂奔していたんだ。更に俺達が敵との戦闘に苦戦を強いられている時も、ろくに指示を出そうともせず見て見ぬふりをして、敗れて退却してきた兵士に対しては、命令違反を詰り、懲罰を与えた。
俺達は日頃の鬱憤が積もり重なり我慢の限界に達した。
そしてある日、皆への見せしめの為に仕置きを加えようとした上官達を逆に袋叩きにし、殺してしまったんだ」
シモンと名乗った男は目を伏せ溜息をついた。
「それが今回の件とどう関係があるんだ?」
ハンスが先を促すと、再び話しだした。
「俺達仲間5人は部隊を脱走した。そのまま残っても営倉に入れられ、反乱の罪で裁かれて重い処罰にかけられることが分かっていたからだ。だからといって国には帰れない。又、このロンバード王国に潜んで隠れ住んでも、いずれは捕まるに違いない。
俺達は決心した。あの連峰を越え異国を目指そうと。未知なる地だとしてもここで逃げ回るよりもましだと。
俺達は北上してカルム渓谷に辿り着き、筏を作って川を下った。だが、途中いくつもの滝が進路を妨げ、川沿いに下ることを断念した。そして崖をよじ登り切り立った山塊の縁を進んだ。
道なき道を辿るため一向に進行がはかどらない。途中何度も道に迷い岩場から転落したり、熊に襲われたこともあった。そして野草や山中に生息する生き物を捕らえ、食いつなぎながらようやく脱走してから二十日目にして連峰の東側に出たんだ。
そこにはカルム川流域に広大なシダ類や低木が生い茂っていた。更に下流に行くに従って様々な草花が咲き誇る、美しくなだらかな丘陵が続いていた。
俺達は期待した。安心して暮らすことの出来る豊かな国が存在するのではなかろうかと。再び筏を作り川を下った。確かにその地にも人々が住み集落を作り生活していた。
しかし、俺達が最初に出会ったのは恐ろしく凶暴で残虐な性質の種族であった。半日ほど川を下ったところで、俺達の筏は襲われて五人とも奴らに捕らえられた。そして部落まで連れて行かれた。
男達はいずれも腕に刺青をしており、狂信的な偶像崇拝者達であった。
なぜなら、その居住区の奥には俺たちが今まで見た事もない巨獣の像が座った姿で安置されていた。その額には眼が三つあり、頭に二本の角、また剥き出しにした鋭い歯は見るからに獰猛な性質が窺えて、顔といい胴体といい全身瘤だらけの身の毛のよだつ像であった。だが狩猟民である奴等にとっては、熱狂的に崇める対象になっていたのだ。
それからの俺達は正に悪夢を体験した。その夜、狩の祝祭が催され、像の前の広場に部族民が集まり、赤々と火を燈して狂ったように踊り始めた。
前に備えられた祭壇には、祈祷に使われる品々が並べられている。そして宴が最高潮に達した時、巫女が現れ儀式が始まった。呪文が唱えられると同時に、仲間二人が台座に引き出された。それからは思い出しただけでも身震いがする。奴等は俺達を神体像への奉納として生贄にしたのだ。
即ち、その偶像への信仰の証として人血を捧げるため、縛り上げ自由の利かない二人の体を切り裂き殺してしまった。そして流れた血を盃に集め壇上に差し出したではないか。
今でも二人の絶叫が耳にこびり付いて離れない。もちろん残された俺達も抵抗することは不可能で、指を咥えて見ている以外なかった。大勢の刺青をした男達に取り囲まれ、体を動かす事すらままならぬ状態だった。
三人はその場はなんとか一命を取り止めたものの、いずれ犠牲になることは間違いなかった。
その夜、お互い相談し合って見張りの目を盗み、その部落から抜け出すことに成功した。
だがすぐに奴等は気が付いた。というより故意に仕掛けた罠で、俺達が逃げ出すのを待っていたのだ。
必死に逃走する俺達をじわじわと追跡にかかった。奴等にとっては格好の狩の獲物だった。そして執拗に追い掛け、それぞれが手にした武器で、誰が仕留めるかを、お互いが競い合っていた。
一人殺され、二人殺され、まるで野生牛を狩るように俺達を捕らえた。そしてついに俺だけが残った。
俺は川沿いに元来た道を一目散に無我夢中で駆けた。部落から抜け出し半日が経ったが、それでも執念深く追って来るのが分かった。俺はすっかり疲労し観念した。もはやこれまでだと。
だが天は俺を見捨てなかった。追いつかれる寸前に、奴等と敵対する別の種族に遭遇したのだ。彼等は戦い始めた。だが争いは膠着状態となり、出会った男達と一緒にとりあえず安全な場所に身を隠した。けれどもまだ危険が去ったわけではなかった。彼等は狂信集団である狩猟族の徹底した習性をよく知っていた。
奴等はまだ諦めずに辺りをうろつき俺達を捜していた。
狩猟族のことをパルディンと呼んでいた。そして出会った男達は、もともとカルム河畔に住んでいたが、パルディン達に追われてそこから東南の方角の連峰の麓、アルガンと呼ばれる山々の狭間の一角に村落を構え、農耕を主とした生活を営んでいると言っていた。彼等は我々のように知性もあり文化も高そうでカルデラと名乗っていた。
そして俺達は翌朝まで待ち、別々にその場所から逃れた。俺は部落へ誘われたが、あの残虐極まりないパルディンのいる土地から一刻も早く遠くへ逃れたいと思い、再びロンバートに戻ろうと決心した。そして再びカルム川を上り、体力を使い果たしてようやくロンバート領内に入ったところで兵士に捕らえられた。それから数日の内にダモイに送られ独房に入れられたんだ」
「すると、やはりお前にも俺達同様声が掛かったわけだな」
とローパスが尋ねた。
「そうだ、だが俺の場合はかなり以前だ。最初に話があってから既に6ヶ月が経つ」
「何、6ヶ月だと。そんなに前から計画されていたのか?」
「いや、もっと前だったと思う。俺が兵士に捕まったのは今から十ヶ月前。逃亡中の経緯を役人に話した時、最初は信じてもらえなかった。
それからしばらくして一人の男がやって来た。その男はフードで顔を隠していたが、老人のように思えた。俺があの忌まわしい偶像の姿形を説明し、それを連中が崇めていたことや、そしてアルガンの地が実在することを話すと、何度も俺に質問を繰り返し驚いた様子だった。
その後、俺への裁きが行われぬまま4ヶ月が過ぎ、別の役人が来て彼の地への案内役を強制された。俺の罪は死刑に相当する。当然その役目を引き受けた。殺された仲間の仇討ちをしてやりたいと頼み込むと、もちろんそれも今回の遠征の目的の一つに含まれると言ってくれた。その為に今兵士を選抜している最中だと。最終的には二百人前後の人数になると言っていた。しかしそれ以上は話してくれなかった。
確かに、再びあのパルディンと会わねばならないと思うと、恐ろしくて夜も眠れない。
だが夢の中に仲間達の悲惨な最期が現れ、俺は居ても立ってもいられない気持ちだ」
シモンは瞑目しながら話し終えた。皆一様に沈み込んでいる。
「だがなぜそんな野蛮な地へ俺達が行かねばならないんだ」
ハンスはさっぱり解らぬといった風情で首を横に振った。それに対し、ローパスが思い出したように口を挟む。
「黄金伝説だ。あのアルガンには多量の黄金が宝石と一緒に隠されていると言われている」
「まさか、あれは単なる迷信だ。そんな夢物語を信じて行こうというのか」
とハンスが反論。
「そうとしか考えられん。まだ完全にこのロンバートの領土が安定していない時期に兵を動かすんだ。単なる未開地の調査だけとは思われん」
「じゃあ、俺達の役目とはいったい何なんだ」
「いや、さっぱり分からん」
とローパスですら頭を抱え込んでしまった。がその時突然、
「あたい一度でいいから大きな宝石を手にしたかったの。もし見つけ出されたら私にもくれるかしら」
リーマが顔を輝かせながら言った。男達は一瞬呆気に取られた様子で彼女の方を見詰めた。
「なんで皆じろじろ見るのよ。あたいも女の子よ。女だったら誰だって高級な宝石に憧れるわよ」
彼女はやや慌てながら男達の態度に抗議した。その表情は先程まで泣きべそをかいていた同一人物とは思われぬほど期待に満ちたものだった。
意外なその発言にローパスは苦笑し始めた。
それに釣られて今まで憂鬱な表情で考え込んでいた男たちも一斉に笑い出した。
「ハハハ、まあ何が目的であれ牢から出られたんだ。文句を言う筋合いではないか」
ローパスは自らに言い聞かせながら他の同意を求めた。囚人達の乗った馬車は、暗い雰囲気から一転、明るさが満ち溢れた。
*
この地の人々が魔山と恐れるアルガンの山々を背後に抱えた谷間の一角に、かなり広い範囲になだらかな盆地があった。
そこには多くの家屋が互いに寄り集まり、村落が形成されている。その周囲には人々が開墾したのであろう区分された畑に作物が栽培されていた。
ただ、平地から遠く離れた山間部で、よほど歩き慣れた者でないと樹海に迷い込み来られない場所にあった。
今、その一軒の民家にその村のリーダー格の男達が集まっている。そこには上流の谷で流木にしがみついていた男が担ぎ込まれていた。彼は気を失ったまま寝かされている。
「この男はパルディン。このまま放って置くと我々に災いをもたらすぞ」
「だからといってどうしようというんだ。あのまま見捨てればよかったのか」
「もしかしたら、我々の村を偵察に来たのかもしれん。いやそうに決まってる。いずれ我々の村を襲う時の為の下準備に来て、谷に足を滑らして川に落ちたに違いない」
「そう決め付けるのは早計だ。見ろ、この男は体中傷だらけだ。転落しただけではこうはならん」
「いずれにせよ我々カルデラ族は、奴等に理由もなく襲われてるのは事実だ。眼には眼をだ。この男も奴等狂信者の一人に違いない」
「そうだ。俺の弟もこいつらの為に命を落とした。我々にとってパルディンは憎んでも飽き足らない敵だ。そうだろ村長」
その男を前に村の男達の意見はまとまらなかった。村長は困ったようではあったが、慎重な判断を下そうと努めた。
「遅かれ早かれこの男は眠りから覚める。それから決めても遅くはない」
「でもその人はひどく怯えているようだったわ」
と横合いからその男を見つけたアルナが言った。
「アルナ、お前が口を差し挟むことは・・」
父親が注意しようとしたその時、その男が意識を取り戻した。
「ウーン」
その男の目が瞬く。男達は彼の周りに集まった。男は薄っすらと目を開き、自分の前の顔を見回した。徐々にではあるが、その輪郭がはっきりしてきたようだ。いずれも彼にとっては見知らぬ人間ばかりであった。
「おい、お前、お前の名は?」
男達の一人が尋ねた。
「俺、俺はサダク」
と彼はややうろたえ気味に答えた。
「お前がパルディンだってことは解っている。あんな所で何をしていたんだ?」
「我々の村のことを調べていたんだな。いずれ侵略して来る時の為にな」
二人の男がそれぞれ敵意を剥き出しにして詰問した。彼は彼等がカルデラ族であり、不穏な状況にある事を悟った。そして慌てて打ち消した。
「違う。俺はそんな事はしていない」
「嘘をつけ。それじゃあなぜあんな所に倒れていたんだ」
「あんな所って、いったい俺はどこにいたんだ?」
彼は記憶を手繰りながら反対に質問した。
「この村に流れる川の上流だ。恐らくお前はこの村の様子を探り、誤って谷川に転落したんだろう」
「谷川に倒れていた。すると俺は助かったのか」
「何を訳の分からん事を言ってる。我々は今までお前達に酷い目に遭ってるんだ」
「俺は奴に追われて崖から身を投じたんだ。この村のことは知らなかった。信じてくれ」
サダクと名乗った男は必死に抗弁した。だが村人の不信感を払拭することは出来なかった。
「お前の言うことなど信じられん。じゃあお前はどこに何をしに行ってたと言うんだ」
彼は事態が悪い方向にあると察した。カルデラ族にとっては宿敵の関係にある。彼は観念して、包み隠さず話す決心をした。
「俺は・・アルガンに登ったんだ」
「何、アルガンだと!」
男達は一様に驚きの色を表した。
「そうだ、アルガンの魔宮に仲間達と行った」
「嘘をつけ。何を言うかと思えばあの魔山にだと。あそこに行って戻って来られるわけはない」
「本当だ。俺一人だけが助かった。他の者は皆殺られた。俺は捕まる寸前谷川に飛び込んだんだ」
「誰がそんな話を信じる。作り話をすると痛い目に遭うぞ」
「嘘じゃない。本当だ!」
彼は冷や汗を掻きながら必死で訴えた。
その時彼の脳裡にある物が浮かんだ。
「証拠があるんだ」
と懐を探りながら言う。もう隠しても意味がないと判断し、大事に保管した皮袋を取り出す。
男達は一斉にその中身に注目した。彼はその袋を解き、中にある物を取り出す。
それは眩いばかりに輝く大粒の宝石であった。
「こ、これは?」
誰一人それ以上の言葉が続かない。皆、その光沢と美しさに息を呑んでしまった。
サダクは有頂天に胸を反らして説明した。
「そうだ、これがあのアルガンの宝玉だ」