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デリアの世界   作者: 野原いっぱい
23/35

デリアの復活(一)


挿絵(By みてみん)


荒野の彼方からの喚声が徐々に近づいてくる。

不気味で恐るべき軍勢が発するどよめき。

彼等が辿ってきた足跡には無数の屍が横たわる。

情け容赦のない殺戮にもはや抵抗することなど不可能と言っていい。

数の面でも圧倒され、戦闘力でもはるかに上回る。

何度か組織された味方の奇襲部隊が攻撃を掛けたが、まるで歯が立たない。

全てが徹底して抹殺され、一人として帰って来るものはいない。

そして彼等の進軍を阻む者も皆無となり、もう間もなく最後に残された砦にやって来るだろう。


彼らとの戦いが始まってから、今までに主な村落、拠点が全て破壊され、勇敢に立ち向かった者は全滅していった。

かろうじて生き残った非戦闘員、女子供達も撤退を繰り返し、そしてついにこの山間の砦に逃げ込んだのであった。

けれどもそこは形だけの柵があるだけで、戦闘を想定して造られた防塁などはなく、全く無防備そのものであった。

更に戦える者はほとんど戦場で命を落としており、とり残された者の運命も風前の灯と言ってよかった。


 「長老、間もなく奴等はやって来る。このまま指を咥えて待っていてもしょうがない。俺は撃って出る」


「まあ待てリク、お前は体に傷を負っている。無茶するもんじゃない」


「すぐにこの場所も奴等が荒らしまわり、どうせ俺たちも間違いなく全員殺されるんだ。むざむざ敵の餌食になるより無駄とわかっていても一矢報いたいんだ。それとも他に名案があると言うのか」


「判っている。奴等の目的は我々の種族の浄化だ。この世界から全滅するまで追って来るだろう。そして女、子供も含め情け容赦なく皆殺しにされてしまう。口惜しいのは我々では全く歯が立たないということだ。奴等は洗脳された冷酷無慈悲な戦闘のプロ集団だ。どうあがいても勝ち目はないだろう。色々知恵を出し合ったが、結局奴等に対抗する方策は無いというのが結論だ」


「じゃあ、いったいどうすると言うの。彼等になぶり殺しに合うのを黙って待つというの」


リクの横にいる女性兵士のカミラが興奮気味に尋ねた。


「逃げるんだ。奴等の追って来られない場所に身を隠すんだ」


「そんな所がいったいどこにあるんだ。俺達が居住する拠点は全て破壊されてしまった。残されたのはここだけだ」


「この砦の背後の山奥に隠れるんだ。奴等の目の届かない場所に潜伏するしかないというのが結論だ。誰も行ったことのない秘境で何があるか分からないし、少なくなったといっても女子供年寄も含めると総勢五百人以上の人数だ。生活することが可能なのか食料があるのか正直心もとない限りだ。だが今はそうするしか我々が生き伸びる方法はないのだ」


長老の言葉にリクをはじめ集まっていた者は皆暗然と立ち尽くし、言い知れぬ不安を抱いた。


「だが奴等のことだ。しらみつぶしに山狩りをしてくるんじゃないかな」


「そうだ。追ってくるかもしれん。いや必ず来るだろう。だから目くらましを放つんだ。誰かが囮になって我々の行き先を隠蔽するんだ。もちろん一時的なごまかしに過ぎないかもしれないが、とりあえず逃げ切ることを考えるしかない」


その時、高台から見張り役が声を張り上げ駆け寄って来た。


「来た、奴等がやって来た」


「何、こんなに早く、なんてことだ」


「遠目で見ても地平を埋め尽くしている。ものすごい数だ」


「もうぐずぐずしてる場合ではない。出発だ。山林の中に向かって出発するんだ。そして手筈どおり一部の者は逆方向に動いて奴等の気を引きつけるんだ」


砦にいる者の大半が説明も不十分なまま指令を受け、戸惑い気味であったが、命に係わる緊急事態であることは承知しており、皆我先に右往左往し始めた。

この時が来るのをある程度予測していたようで、リーダーが声を掛け先導すると、皆恐怖に身を震わしながらその指示に従った。

女性や子供達、年老いた者が多くお互い労わりながら未知の山塊に向かって歩み始める。


一方で志願した者達が敵を陽動するべく砦の外に駆け出した。

彼等は運よく作戦が成功し生き延びた場合には、それぞれが独自に本隊と合流することになっている。

しかしながら極めて危険な役割であることはお互い自覚していた。


「リク、リクはいったいどうするの?」


彼の横でこの様子を見守っているカミラが聞いた。


「俺か、俺はもちろん囮役になる。俺は奴等と戦ったことがあるんだ。肩をやられちまったが右腕は使える。まだまだ役に立つことが出来るさ」


と敵に向かって出発した一隊に続いた。


「待って、私も行く」


カミラも後を追った。


 荒野の砂塵が徐々に広がり、敵軍の先頭が目に入って来た。

見た限りでは数千いやそれ以上の軍勢で、後続も含めると総力を上げ、異種族の殲滅を目論んでいた。

仲間への指示をし終えた長老は砦の高台に移動し、状況を眺めていた。


「長老、ほとんどが出発しました。我々もそろそろ移動しましょうか」


補佐役が近づき声掛けた。


「いや、もう少し待ってくれ。志願部隊の動向を見届けたいんだ。思惑通りにうまく敵の目を逸らせてくれるといいんだが」


彼の目線に山林と反対方向の高原を目指す陽動部隊があった。

敵を引きつける目的があるため、逃走スピードも控え目であった。


「長老、どうやら敵も気付いたようです。先頭が向きを変え始めました」


「どうやらそのようだな。うまくいくといいんだが。あとは志願した者達の無事を祈るしかないな」


明らかに敵軍の関心が陽動部隊に向き始めた。

もはや全容が視界に入り、その膨大な数の軍勢が同じ方向に移動しているのが目の当たりに出来た。

それに対し味方の逃げる速度も速まった。


「よし、今のところ見込み通りに事が運んでいるな。我々も急ごうか」


長老は立ち上がり補佐役を促した。ところが彼は別の方角を食い入るように眺めている。


「あれはいったい何ですかね」


彼が指さした方角に目を向けると、空に浮かんだ黒い塊が彼等の方向に移動しつつあった。それに伴って風が強まってきた。


「雨雲だ。どうやら嵐になりそうだな」


「でも変なんです。私も長年雲の動き気象の変化を見てきましたが、あれほど速く移動するのは生まれて初めてです」


彼の言うようにそれは猛烈なスピードで動いていた。

あたかも敵の大群を追いかけているかのように急速に彼等の頭上に近づいていた。

風は更に強まり、空は暗く覆われつつあった。


 志願部隊は必死に逃走していた。けれども敵は戦闘のプロである。

狙った相手は見逃さない。追走は急で見る間に両者の距離は縮まる。

そしてもはや目と鼻の先まで迫った。


「くそ、追いつかれるぞ。よしこうなったら戦うまでだ。覚悟しやがれ」


そういうや仲間の一人が敵に向かって行った。他のメンバーもそれに続く。

けれども敵の一撃が強烈でまるで歯が立たない。あっさり倒されてしまった。

おまけに敵の数がみるみる増える。それぞれが果敢に手向かって行くも、力の差は歴然としていた。

一人減り二人減り、気が付いてみると、ほとんどが地面に横たわっていた。

残されたのは傷ついたリクと女兵士のカミラのみとなった。

二人とも敵の圧倒的な強さに息を呑んだ。

そしてもはやこれまでと玉砕を覚悟した。


「貴様ら、今度は俺が勝負だ!」


リクが武器を振り上げ立ち向かって行く。その後にカミラが続く。

けれども相手の刃が一閃すると、リクはあっけなく武器もろとも跳ね飛ばされてしまった。


「リク、リク、大丈夫」


地面に叩きつけられたリクのもとにカミラが駆け寄る。

すぐに二人に止めを差そうと敵が近づいた。


『ふん、お前は女か』

彼の口から発せられた乾いた声を耳にし、カミラは振り返り睨みつけた。

けれども彼女は敵兵の奇怪な容貌にひるんでしまった。

その目は緑色の複眼で口の左右から鋭い突起がはみ出している。


『もはやお前達だけだな。だが他にも仲間がいるだろう。言え、皆どこに行った?』


「知らないわ。もっとも知っていてもあなた達に言うはずはないわ」


カミラは倒れて意識の無いリクを庇いながら、精一杯虚勢を張り言い返した。


『言いたくなければそれでもいいさ。探せばいいことだからな。ではお前達にはもう用はない。楽にしてやるさ』


そう言いながら、敵兵は二人に向かって刃を振りかざした。

カミラは覚悟を決めリクにしがみつく。

がその時、彼等に向かって突風が吹きつけた。

更に急激に辺りが暗くなり、轟音と共に幾筋かの稲妻が走った。

予期せぬ突然の気象の変化に荒野を埋め尽くした兵士達は空を見上げその場に棒立ちになった。

彼等の頭上には一瞬の内に黒雲が覆っていた。

そして周囲はみるみる暗闇が増し、猛烈な風が吹き荒れる。

その勢いのすさまじさにほとんどの者がその場にしゃがみこんだ。

何が起こったのかもはや考える余裕さえない一瞬の出来事であった。

がそれも長く続かなかった。その直後、更に衝撃的な現象が起こった。

今度は辺り一面光輝き、その白い渦が周囲に広がった。


その様子を離れた場所にある高台で長老達は見守っていた。

彼等は大気の急激な変化に目を奪われ避難できずその場に止まっていた。

荒野を覆い尽くした暗闇が爆発し吹き飛んで、眩い白色光に取って代わったのだ。

とても正視できず思わず目を瞑った。

しばらくはその現象が続き瞼に点滅を感じた。

そして頃合いを見て恐る恐る目を開ける。

ところが彼等の前の光景を見て、呆然としてしまった。

空は雲一つなく黒雲は消え去っていた。

そして数万とも思えた敵軍の時の声も聞こえず静寂が支配していた。


「長老、何が起こったのでしょう。奴等はいったいどこに行ったのでしょう」


「わからん。一体全体これはどういうことなんだ」


荒野を埋め尽くした敵兵は全てが消滅していた。

彼等の目の先には誰一人いなかった。


*

大通りを先導馬に誘導された貴賓馬車がゆっくりと進む。

何台かの豪華な装飾の馬車と後続に馬上の要人及び軍の幹部が長い行列をつくっている。

沿道にはこの華麗な歓迎パレードを一目見ようと多くの市民が詰め掛けていた。そして彼等にとって主役達は敬意の対象であり憧れの的であった。

場所はギリア王国の首都カンビア。

この日の賓客は隣国ロンバード王国の国主、ロンバード八世王。

彼は父ロンバード七世王が先年のハーン軍との戦いで戦没した後を受けて、皇太子時代の慣れ親しんだアルバートという名を改め、正式にロンバード王として即位したのであった。

ギリア王国の支援を受けて戦役に勝利した後は、出兵した主な将兵の大半を失い、疲弊した国土の復興に全力を注いだ。

そしてようやく国内体制の安定を取り戻し、ギリア王国からの熱心な招請を受けて、今回の訪問となったのである。

そして彼と共に先頭の馬車に乗るのはもちろんギリア王国の若き君主バイブル王であった。

かつての魔王と呼ばれた冷酷な気性の片鱗はすっかり消えうせ、仮面も外した表情は温和な笑顔が溢れていた。

しかしながら現在の円満な王への変貌には、彼にとっては相当な努力と辛苦の日々を要したのであった。

サラミスやハーンと共に魔獣を打ち倒したバイブルは、激しい戦いの衝撃で強制的に修正された気質が消えうせ、元の純真で素直な性格に戻ったのであった。

魔王時代の過酷さは影を潜め周囲の者はその変化を歓迎したが、それと同時に本人にとっては消せる事の出来ない精神的な苦悩が始まった。

前王の崩御前後の混乱した状況で不可避だったとはいえ、反対勢力を自らの手で粛清したこと。更に血の繋がった兄二人を死地に追いやったことは、別人格の決断だったとしても、虫も殺せぬ優しい心根の持ち主としては承服できることではなかった。

しばらくは慙愧の念に堪えず自らを責め続けた。

それを傍らにあって慰め励まし続けたのが、後部座席にロンバード王妃と同乗するリーラ王妃だった。

彼女は現ロンバード八世王の妹で、魔獣との戦いにバイブル王と同行したが、勝利を見届けた後もそのままギリア王国に止まった。

許婚ということもあって、バイブル王の苦悩を癒すことに専念したのであった。

そして彼女の献身的な介助の甲斐あってバイブルは王としての気構えを取り戻したのである。

今度は魔王としてではなく情の通った為政者としての再出発であった。


けれどもそれはリーラ姫あっての新生バイブル王であった。

彼女は折を見て一旦ロンバード王国に帰ることになった。

もちろん二人は婚約者として早期の再会を固く約束したのであったが、彼女が戻るや否や早速ギリア王国からロンバード王国宛に婚儀の申し入れがあった。

これにはロンバート王国の継承者アルバートも驚いた。

同国はハーンの侵略による損害が大きく、体制の立て直しの最中であり、アルバート自身まだ王として正式に即位しておらず正直困惑してしまった。

更に公式書簡とは別に、リーラ姫宛の私信は、


「君がいないと王としてやっていく自信がない。明日にでも来て欲しい」


「今僕が必要としているのはリーラ、君なんだ。王座なんか望んでいないんだ」


といった普通の恋人同士が相手に送る率直な内容が書かれていた。

リーラ姫から聞かされたアルバートはびっくり仰天してしまった。

かつて対面した冷徹非情な仮面のバイブル王からは想像も出来ない告白であった。

彼にいったい何が起こったのか訝しい思いを抱いたが、他でもないロンバード王国の危機を救った恩人からの懇請には否が応もなかった。

更にリーラ姫自身がバイブル王からの求婚に何ら異存はなく、国家間の公的儀式を無視して出発しかねない有様であった。

結局大急ぎで使節の人選を行い、バイブル王、リーラ姫の婚礼の運びとなったのであった。

その際の彼女の立会人として前国王妃、つまり母親がギリア国に同行したのである。


それから6年が経ち、アルバートはロンバード王として初めてギリア国に赴いたのであったが、驚かされてしまったのは、リーラ妃の大衆からの人気の高さである。

もともと母国の窮状を救わんがために死を賭して鎖国中のギリア国に侵入し、魔王時代のバイブルと掛け合ったことは、皆から同情され感銘を受けたが、その明るい性格で誰とも訳隔てなく気さくに接する王妃の登場は従来の堅苦しい王族に対するイメージを一変したのであった。

しかも彼女は幹部階級の人々からも愛されており、何よりもいまだにバイブル王が首ったけだったのである。

この状況はロンバード王にとって大歓迎であった。

バイブルとは義兄弟となり、ますます両国の関係が親密で揺るぎの無いものになるからであった。


パレードは大盛況のままゴールの王城広場に到着し軍隊の閲兵が始まった。

整然とした一糸乱れぬ力強い行進。両王はもとより観覧中の誰もがその迫力に頼もしく感じた。

世界に誇る二大強国の結びつきは、もはや鬼に金棒で敵など存在しないと誰しも思えたのである。

少なくとも当分の間は若い君主を抱いた両国を脅かす相手など存在しないはずであった。

ところがこの時思ってもみない災難が彼等に降りかかろうとしていたのである。


*

「陛下のお耳に入れたいことがございます」


国務長官のパスカルジュニアが貴賓席で閲兵式を熱心に見入っているバイブル王に声をかけた。

彼は父親が引退した後、職務を引き継いだのだった。


「ああパスカル、今日の演出は最高だね。皆満足しているようだ。私からも礼を言うよ」


「ありがたいお言葉を頂き大変光栄でございます。ただ、お話したいのはその件ではございません。実はタミア様のことでございます」


彼は言い難そうに続けた。

タミアはバイブル王とリーラ妃のかけがえのない大切な一人娘で、二人とも大変な可愛がりようであった。今日は人混みが良くないとのことで館に留まっていたのである。


「どうした。タミアに何かあったのか」


タミアの名前が出て、側にいたリーラ妃も聞き耳を立てた。


「は、はい。先ほど公邸より早馬が到着し急な知らせを伝えて参りました。それによりますと、タミア様が邸内のハス池で溺れられ、現在医師が治療中とのことでございます」


「何、それでタミアは大丈夫なのか」


バイブルが血相を変えて質問した。


「いえ、とりあえずお知らせにすぐに館から飛び出したため、その後のことはわからないと言っております」


「バイブル、私戻るわ」


顔を青ざめたリーラ妃が告げた。


「もちろん私も行く。直ぐに馬の用意をしてくれ」


パスカルが大急ぎで手配している間、バイブルはロンバード王に事情を説明して行事の途中で抜ける非礼を詫びた。


「後のことは頼んだぞパスカル。予定通りにとり行うように」


そして馬が連れて来られるや否や、二人は駆け寄って礼装のままで飛び乗り走り出した。

彼等にとって乗馬はお手の物であった。


「殿下、大変申し訳ございません。不測の事態とはいえ国王と王妃お二人自らが歓迎行事の途中から不在になろうとは思ってもみませんでした。重ねてお詫び申し上げます」


パスカルがロンバード王に対して丁重に謝罪した。


「いやいや、以前にも同様のことがあったので気にしていないよ。そうだ。あれはハーンとの戦いの陣中で二人して突然抜け出して行った事があったな。それにしてもタミア姫の身に大事がなければ良いが」


 二頭が城内を駆け抜ける。

仮にも国王夫妻であり護衛が付き従ったが二人には離されがちである。

公邸は王城の奥の河畔沿いに位置し、馬を走らせればそう遠くない距離にあった。


「なぜハス池なんかに。誰か付き添っていなかったの」


リーラ妃が肩を並べて馬に乗っているバイブル王に声を掛けた。


「わからない。いったいどういうことなのか。でも間もなくはっきりするさ」


お互いタミアの無事を心に祈りながら、可能な限り馬を追い加速した。

そしてさほど時間をかけずに、公邸に通じる庭園の入り口に辿り着いた。

二人が駆けつけることを予想してか、門は開けられており衛兵が左右に直立している。

それを振り向きもせずまっしぐらに館に向かう。

園内に入っても速度を緩めず、途中事故のあったハス池も目に留まらないようで、ひたすら手入れされた砂利道を進む。

二人にとっては娘タミアの容態が全てであった。そして不安と格闘しながら館の玄関に乗り入れたのだった。


入り口付近には館で従事するほとんどの人々がこの館の主を待ち構えていた。

皆一様に深刻な表情で、うな垂れて泣いている侍女もいる。

この様子を見て二人とも最悪の事態を予想した。


「殿下、リーラ様、大変申し訳ございません」


馬から降りた二人に、侍従が声を発すると皆一斉に頭を下げた。


「いったいどういうことだ。タミアは無事か。今どこにいる」


「い、いえ全力で介抱しましたが、その甲斐なくお亡くなりに・・」


「どうしてそんなことになるんだ。池に落ちて治療中としか聞いてないぞ」


「ああ!タミア!」


リーラ妃が悲鳴を上げ、両手を顔に押し当てた。

すぐにバイブル王が駆け寄る。


「リーラ、大丈夫か、君は少し休んだほうがいい」


「まことにお詫びの申し上げようもございません。タミア様は子供部屋にお寝かせしております」


それを聞くやバイブルは玄関に入り部屋に向かおうとした。

彼にとっても落胆はひどく足取りは重かった。


「待ってバイブル、私も行くわ。私の娘よ。会ってやらないといけないわ」


「そうか、じゃあ一緒に行こうリーラ」


二人は慰め労わりあいながらゆっくりと一階横の子供部屋を目差した。

その後姿を沈痛な面持ちで従者達が見守る。

二人は部屋の前まで来て一旦立ち止まった。

そして深呼吸をした後、バイブルがノブを回しゆっくり扉を開けた。

悲しみで息が詰まると思った瞬間、彼等は思いがけないものを見た。

部屋の中央で二人を見上げるあどけない笑顔であった。


「まあ、タミア無事だったのね」


リーラ妃が喜びのあまり嬉し涙を流しながら愛娘に駆け寄った。


「冗談にも程がある、一体全体娘の何を見てたんだ」


リーラ妃が抱きかかえたタミアをバイブルも手を伸ばし頬に触れる。

腹立ちの言葉とは裏腹にその顔は一転安堵の色に満たされていた。

部屋の入り口には王夫婦の言葉を耳にした人々が、皆一様に不思議そうな表情で群がっていた。


*

「いったいどうしたというんだ。侍従や衛兵、おまけに典医までもが池から引き上げられたタミアには息が無かったというし、何度も蘇生処置を繰り返して結局無駄だと諦め、子供部屋に寝かしたそうだ」


「よくわからないわ。でも私にとってはタミアが無事でなによりよ。きっと神様への願いが通じたのよ。私たちの強い愛情が伝わったのだわ」


「ハハハ、そうかも知れないな。いや、恐らくリーラの言う通りだ。だが、従者達には厳重に叱責しておいたよ。今回は侍女との隠れっこ遊びでタミアが一人で園内に出て行ったことが発端だが、何分まだ幼い子供のことだ。様々な事柄に興味を惹かれるだろうから、今後は片時も目を離さず世話をするよう言い置いたよ」


バイブルとリーラ夫妻は日も更け、ようやく公邸の自室でくつろいだ会話を交わしていた。

二人は午後に娘との感激の対面をした後、直ぐに外部の信用ある医師に診察させたが、全く異常がないとのことだった。

しばらく寝室で付き添い寝かせて元気な様子を見届けてから、安心して夕方からの城内での歓迎の宴に出席したのであった。

宴席にはロンバード国王夫妻や両国の高位高官が出席していた。

リーラ妃にとっては招待客は出身国の顔なじみばかりで打ち解けた雰囲気の集いである。

列席者は王女タミアの事故の件を知らされており、大事に至らなかったことを口々に祝った。

特にダンとアリス子爵夫妻とは幼馴染で思い出話に花を咲かせた。

彼等とは過去に驚くべき体験を共にした仲間同士だった。

もともと両国はギリア国の鎖国時期を除き、前国王時代から王族や文武高官の行き来は頻繁で、双方に知己も多く、会話は弾み大いに盛り上がった。

そして深夜まで楽器演奏やアトラクションも交えた宴は続き、お互い友好関係を誓い合い両国の絆は更に強くなったのである。

リーラ妃は早めに切り上げ、タミアの様子を見に行った。

彼女は昼間の事故の影響があるようでぐっすりと寝入っていた。

しばらくしてバイブルも戻ってきて、今日の出来事を話し合っていたのである。


「でもおかしいの。タミア笑っているばかりでまだ一言も喋らないのよ」


「溺れて一度意識を失くしたんだ。医者も言ってたがまだその精神的なショックが残っているんだろう。明日になれば元に戻っているさ」


「そうねえ。そうだといいんだけど」


「なに心配ないよ。さあ君も疲れただろう。明日もスケジュールが目白押しで我々も休もうじゃないか」


そして二人は寝室に引き上げ横になった。慌しい一日がようやく終わりを告げ落ち着くかのように思われた。


 ところが真夜中のひっそりと静まり返った頃に、リーラ妃は微かな物音に気付き目が覚めた。

一時のことで空耳のようでもある。けれども昼間のこともあり、一応調べてみることにした。

彼女は起き上がり隣室のタミアの寝所に向かう。なにやら妙な胸騒ぎがする。

覗いてみるとやはり寝台は空であった。

手洗い所に行ったかもしれないが、深夜に目覚めた時には泣くか呼びに来るはずである。

やはりそこにも居なかった。

部屋の隅々まで見回したがタミアの姿はなかった。

そして思いあぐねて寝室に戻りバイブルに声を掛けた。


「バイブル、起きてバイブル!」


「どうしたんだい、いったい」


バイブルは目を擦りながら起き上がった。


「タミアが居ないの。部屋から居なくなったの」


「でもいったいどこに・・いや僕も一緒に探そう」


二人は廊下に出て心当たりの部屋を探し始めた。

彼等の寝室は三階にあり、書斎や居間、物置にも入り声を掛けていった。

階下には侍従達の部屋もあり、現時点では起こすに忍ばず小声で呼びかけた。

けれども一向に見つからない。


「まさか、いまだに隠れっこ遊びの気分じゃあ」


「そんなはずはないさ。もう懲りてるはずだよ。そうだ、もしかしたらあそこかもしれない」


「え、どこなの?」


バイブルの後をリーラが続く。ゆっくり階段を下り、一階に降りた。

そして廊下を進みその部屋の前まで来た。

事故の後タミアが寝かされていた子供部屋である。

扉の隙間から明かりが洩れていた。部屋の中から人の話し声が聞こえてくる。

二人は不可解な思いでお互い顔の見合わせた。

意を決したバイブルがノブを握り静かに戸を開ける。

すると置き台の上を見上げている後ろ向きのタミアがいた。

そこには熊の人形が置かれてあった。


「タミア!」


リーラが呼びかけるとタミアが振り返った。


「駄目じゃない、一人で黙ってこんな所に来たんじゃあ」


彼女は叱りながら近寄ろうとした。

がそれに対するタミアの返事に二人は我が耳を疑った。


「ああ、あなた達バイブルとリーラね。丁度良かったわ」


ようやく言葉を発したものの、その口振りは子供の声でありながらしっかりした言い回しであった。

そして二人を見詰める眼差しは鋭く、幼女とは思えない意志が見られた。


「タ、タミア、いったいどうしたと言うんだ」


呆気に取られたバイブルは思わず絶句した。

リーラも困惑して立ち止まってしまった。


「驚くのは無理もないわ。私はあなた達の娘タミアではないの。デリアと言う名前で、この子の体を借りて過去から蘇ったの」


「じゃあタミアはいったいどこに・・」


「この子が池で溺れて死んだのは事実よ。だから侍従達の言うのは正しかったのよ」


その説明にリーラは思わず悲鳴を漏らした。


「でも安心して。今回の役目が終わりさえすれば、私はこの体から離れ、そこにいる創造者が彼女を元に戻してくれるわ」


置き台の熊の人形の頭が前後に揺れる。

二人にとっては常軌を逸した奇怪な光景であった。

バイブルが気を取り直して尋ねた。


「役目とは何のことなんだ。それに君はいったい誰なんだ」


「そうねえ、じゃあ最初から説明した方が良さそうね。私はデリア、あなた達の祖先よ。今から約五百年前に別の星からこの惑星にやってきたの。いいえ漂着したと言ったほうが正解ね」


「じゃあ、サラミス様が言ってた魔獣と一緒に別の世界からやって来た私たちの祖先というのはあなたの事なの?」


「そう、その通りよ。私はこの地で生活を始め初めて出会った男性と結婚し子供も生まれた。あなた達はその何代目かの子孫になるのよ。私は家族に恵まれ孫まで授かり、幸せなままでこの地に骨を埋めるはずだったのよ。ところが思わぬ敵の存在を知り、息子と一緒に戦わざるを得なくなった。さっき魔獣と言ったわね。つまり何体かの異星獣がこの惑星を破滅させるために送り込まれたの。あなた達も見たようにそのまま放置するとこの地上の全てが焼き尽くされ美しい自然も破壊されてしまう。そんなことさせてはいけないわ。私たちは創造者の協力を得ながら一体づつ倒していった。詳しくは言わないけれど、私たちの手にした武器が異星獣の攻撃力より勝ったの。時には私たちには敵わないとみた相手は、自らを石像化したり洞窟に逃げ込んで身を守ったりしたわ」



「じゃあ、あの北辺境に出現した魔物はその一体」


「そう、その通りよ。私がギリアに与えた能力を引き継いだあなた達が、最後の異星獣に止めを刺したのよ。よくやったわね。私から礼を言うわ。その結果、この地は魔の手から開放され本来あるべき発展の道を歩むはずだった。私も永遠の眠りから覚めることはなかった。けれども私たちの敵は黙って引き下がる相手ではなかったのよ。この地を破滅に導く新たなシナリオを描いてきたのだわ」


「それはどのような方法で。まさかまた魔獣が現れるとでも・・」


二人とも魔獣との対決の当事者だっただけに、デリアの話しは決して奇想天外ではなかった。

固唾を呑んで次の言葉を待った。


「別の次元から強力な虐殺者が送り込まれて来るそうよ。彼等は実際に文明を徹底的に破壊した者達らしいの。どうやら私たちは総力で迎え撃たなければならない相手のようよ。そのため、私はこの娘の体を借りて復活した訳なの」


再び熊の人形の頭が上下した。

二人にとってはもはや他人事ではなかった。

この国のみならず、この世界が危機に直面しているといってよかった。


「それが本当であれば大変なことだ。すぐに手を打つ必要があるのでは」


「そう、その通りよ。どのような敵が現れるのか明らかではないけれど、臨戦態勢を取る必要があるわ。そして一方であなた方にお願いがあるの。私はすぐにでもある場所に向いたいのだけれど、この娘の体では階段を降りるのも難渋したわ。私の足になって一緒に行ってくれる人がほしいの」


一瞬申し出の意味を理解しようとしたバイブルより先にリーラが答えた。


「私が行くわ。あなたの身体は私の大切な娘そのものですもの他の人には任せられないわ」


「じゃあ僕も行くよ。君たち二人では心配だ」


「駄目よバイブル。あなたはこの国の王よ。敵との一戦が生じた場合に軍団を指揮してほしいの」


とデリアが言うとリーラがすぐに提案した。


「じゃあ、ロンバード王国の使節の一員として丁度ダンとアリスが来てるわ。昔から冒険にはいつも一緒だったし私を守ってくれた。彼等には子供もいないし退屈しているそうよ。声を掛ければ行ってくれるはずよ」


バイブルは不満気ではあったが、引き下がざるを得なかった。


「わかったよ。心残りだけれど仕方がない。でもそういうことなら我が国にもとっておきの人間がいるよ。彼にも声を掛けてみる」


「ありがとうバイブル。何かあったらすぐに知らせるから」


二人の仲の良さを見せ付けられデリアは思わず微笑んだ。

そしてその後も打ち合わせは続く。外は夜が明け始めていたが、波乱の事態の幕開けでもあった。












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