異郷(一)
(一)
少女は部屋の端に向かって怪獣の姿をした玩具を放り投げた。
側に居る二匹のポメラニアンが吠え声を上げながら獲物を口に咥えようと駆け出す。そして競い取った方が嬉しそうに尻尾を振り振り先に舞い戻って来る。何度も同じ動作を繰り返しているが、一向に退屈する気配はなさそうである。
「それでパパの居るところにあとどれ位で着くの」
彼女はいつもと同じ問いを、多機能型テーブルのモニターを見ながらコンピュータにデータを入力している母親に投げかけた。
「そうねえ、私達の連邦標準時間であと3日といったところかしら。その星にはパパを始め先発の調査メンバーが私達の到着するのを、首を長くして待っているわ。大気組成も人体に支障なく保護服を着用する必要はないっていうから思いっきり羽根を伸ばせるわ。もう少しの辛抱よ」
その部屋にはキッチン用スペース、ベッド、シャワー、トイレット等も備わっており、宇宙船内の彼女等に割り当てられた居住区でもあった。
「楽しみだわ。自然が魅力の綺麗な星だそうよ。ママ、もう一度どのような所か見てみたいわ」
娘の希望を受けて、母親はつかの間作業の手を休め熱心に説明を始めた。
「そう、デリアの言う通りだわ。その星は生物、植物がまだ進化の途中の穏やかで美しい惑星よ。私達が暮らしていた宇宙ステーションは当然としても母星も人工的に手が加えられ、もともとの自然も破壊尽くされて姿形も全く変わった物になってしまったわ。これから行く星で長年の夢が叶いありのままの景色を体感することになるのよ」
「ふーん、お友達が言ってたわ。まだ人はおろか犬や猫、動物も居ないって」
その間も玩具を使って二匹のペットを遊ばせている。
「ええ、かつて母星に生息していた魚や昆虫の仲間、ねずみ類の小型動物は居るそうだけど鳥類はまだ現れていないそうよ。植物も色とりどりだけど大きな樹木は見当たらないって。それだけに私達が連れて来る動物もペットのようなものは許可されたけど環境を乱す生き物は制限されるのよ」
「ビリーのところは飼っていたトカゲを持って来たかったけど、断られたって、代わりにオウムにしたそうよ」
「そうね。私達も含めこの船の百名ほどの人数が移住することになるけれど、環境を守り、生態系を保護することを最優先にするから、その星での行動範囲は限られた場所になりそうね。それでも今まで味わったことのない景色を堪能することは間違いないわね。じゃあレア、デルタ105星、十一番惑星の映像を映し出してくれる」
すると、壁の一部に並んだ無数のランプが点滅し、人工的な音声が答えた。
『デルタ105星、十一番惑星の映像ですね。ホログラムで投影します』
部屋の空間に立体の色彩豊かな草原が映し出された。遠くには緑溢れる小高い丘陵が見える。
「ウアー、綺麗だわ!」
デリアが食い入るように見詰める。二匹の子犬も突然浮かび上がった光景に驚き、盛んに吠え立てた。徐々にズームアップされる。
「この惑星の生態系は生命誕生からの期間もあるけれど気候に変動が少ないこともあって、生物はあまり大型化してないようね。動植物は小ぶりの物が多いの」
その時、母親に呼び出し音が入った。
「なに?」
「博士、まだ距離はありますが未確認の宇宙船が近づいています。メインブリッジまでお越し願えないでしょうか」
「変ねえ。本部からはそのような情報は入ってなかったけれどね。いいわ、すぐ行きます」
彼女は生命科学が専門分野であったが、その関係で異星生物の種類、区別にも詳しかった。
「デリア、ちょっと行ってくるわ。あとは自分で調べるのよ。それとレア、念のためこの部屋のシールドを強化しておいて」
「ハーイ」
『承知しました。部屋の防御シールドオン、強化開始』
娘とコンピュータ音声が同時に答える。宇宙船本体とは別に、私室等のゾーンごとにも遮蔽バリアを張ることが可能であった。
母親が出て行くと、娘は再び映像に目を移した。更に拡大され生き物の姿がはっきりと映し出された。
「まあ、昔の母星のデータ画像で見たのと良く似た昆虫ね。外見が蝶やトンボにそっくりなものが飛んでるわ。それとあれは蜂みたいね。花の間を飛び回ってる。あら、今地面を動いているのは何かしらレア」
『あれはねずみの仲間です。この惑星で今のところ最も進化した哺乳類のようです』
「へえー、でも小さくて可愛いわ。ここだと双子のワンちゃんも大型の動物になってしまうわね。やっぱり弱くて小さい生き物ばかりなのかしら」
『その通りです。博士の報告書から引用しますと、まだ同惑星の生物の生存対抗力は弱く、外部からの動植物の持ち込みは原則的に禁止するべきとのことです』
そのあと、ホログラムは静かな森林区域、生き物の多い水辺、湖沼地帯も映し出した。宇宙ステーション育ちのデリアだけに、いずれも体験したことのない自然環境であり、珍しさと感動の連続であった。一通りの風景を映し終え、天体図と惑星の位置が立体構成で色別に空間に映し出された。
「待ちきれないわね。早く到着してほしいわ」
見終った彼女の心はもうすっかりこの星の虜になっていた。
突然、ホログラム画像が乱れた。部屋の照明そのものも一瞬消灯。
「ドドーン」
激しい衝撃音。と同時に船体が大きく揺れる。
「キャーァ!」
デリアも体を飛ばされたが、偶然に支柱に摑まることが出来て、辛うじて大事に至ることはなかった。ただ、今度は本当に明かりが消えてしまった。
「い、一体どうしたの。レア、レア、答えて」
辺りが暗闇になり、必死にコンピュータに呼びかける。その声に反応したのか、上部のランプが点滅。調整音の後、音声が届いた。
『・・し・・しばらく・・お待ち下さい。補助電源を作動させます』
船の揺れが酷くまだ摑まってないと立っていられる状態ではなかった。やがて室内の照明が順番に点きだした。
「どうかしたのレア、何があったの」
上部ランプの点滅はより活発になり、動きも速い。
『今のところ何が起こったのか解りません。中央のホストコンピュータともサーバともコンタクトが取れません。引き続きアクセスしております』
「それはどういうこと。どういうことなの」
彼女は不安に駆られてしまった。パニック状態であった。
『一台のサーバにアクセスが可能となりました。データを転送していますが、正体不明の宇宙船から攻撃を受けたようです。被弾箇所はこの居住区と反対側の第三デッキ付近で、どうやら操縦機関室及び動力装置も被害を受けたようです』
「ママは、ママは大丈夫なの。この船はどうなるの」
『今のところ他のメンバーの消息は確認出来ません。又、この宇宙船は現在操縦不能に陥っており、予定外の方向に移動中です』
「誰か居ないの、連絡は取れないの」
『警告します。船体の数箇所に亀裂が入っており、気圧が急激に低下しています。また、本船は負荷のかかる異常な角度で反転飛行しており、このままの状態が続けば、分解する恐れがあります』
「船長はどうしたの。操縦は誰がやっているの」
デリアは体の揺れを防ごうと支柱に縋り付きながら叫んだ。
『ホストはもとより他のターミナルからの操作はありません。つまり、計器類の故障かクルーの不在かいずれかです。警告を繰り返します。船体は大変危険な状況で、正常な制御への復帰作業を行わないとあと数刻で分解し始めます』
その報告でデリアは絶望感に苛まれてしまった。
「どうしたらいいの、ママー、ママー、答えて!」
彼女の悲壮な叫びが宇宙の果てに漂っていた。
草原の彼方からまっしぐらにたてがみを靡かせて疾走する姿に、ムラトは一心に惹きつけられ魅了してしまった。
全身は金栗毛で、たてがみと尻尾の色は銀白。その鮮やかな色彩、コントラストだけでも印象が強いが、常に野生馬の群れの先頭を走り、引き締まってバランスの取れた体型、ダイナミックで優雅な躍動は他の馬達の追随を許さず、一種のヒーローといった感があった。
「そのうち僕のものにして見せるさ。そして思うままに乗りこなしてやるんだ」
ムラトは強い意志の言葉を吐き、草原のヒーローを操る自分を夢見た。
「お父さんはきっと僕を一人前の男として認めてくれるさ」
彼の父親は村の一族の長で、指導力に優れ周りから信頼を集め尊敬されていた。
彼にとっては肉親である以上に、大人としての憧れの的であり偉大な人間としての目標でもあった。
それだけに称賛の言葉を得る事は無上の感激でさえあった。
「そしてお母さんからは良くやったと誉めてもらえるだろうし、生意気な妹も僕のことを見直すに違いないさ」
彼の母親のサラもまた、明るく寛容で一族の女子供をうまく束ねていたし、祭りごとのリーダーとしての役目も果たしていて、ムラトにとっても彼女の期待に応えることは喜びでもあった。
そして、カリンとは三つ違いの兄妹であったが、女の子でありながら狩猟、放牧等の男の仕事にも関心を示した。
今日は一人で朝早く家を抜け出し、彼が野ウサギを捕獲する為に数箇所に作った罠をチェックしたが、成果はなかった。獲物が囮用の餌に食い付いた時に固定した紐の片側が体に引っ掛かる仕掛けであったのだが、一箇所は結び方が弱かったせいか紐も無くなっていた。更にもう一つの役割である食物の採取に、村から遠出してカタクリ草の群生する丘陵まで来てしまったが、カリンはいつも一緒に来ると言って駄々をこねるのだった。
大人しく何事も慎重な性格のムラトとは反対に、明るく活発で積極的なタイプのカリンは誰からも愛され、好かれているものの、彼に対しては甘えたり冷やかしたりする悪戯っ子でもあった。その妹の目を逃れて遠くまで足を運んで来た矢先に、噂で聞いている野生馬の群れに遭遇したのだった。特に先頭で群れを率いる艶やかな勇姿にうっとりと見惚れてしまい、彼等が視界から消えるまで眺め続けた。その光景は彼の瞼に焼き付き夢と希望をもたらした。
その日の夕刻いつもより遅く彼等一族の居住地に帰宅した。そこは彼等が呼ぶところの憩いの森を抜けた恵みの川に面しており石造りの建屋が並んでいた。囲いのしてある空き地にはヤギ、鶏が飼育されていて、木柵に馴らされた馬が数頭繋がれている。
地所に戻るや数匹の飼い犬が尻尾を振りながら駆け寄ってきた。同時に見張り役の男から声が掛かった。
「ムラトか遅かったじゃないか。カリンが置いてきぼりを食わされたって怒っていたぞ」
他の部族の者や流れ者の侵入をチェックするため、交替で見張り番が置かれていた。狼や野生の獣から家畜や食料の盗難を防ぐ目的もあった。
「ああ、わかってる。でも今日は、どうしても一人で行きたかったんだ」
彼には妹のご機嫌斜めの顔を思い浮かべて気が重かった。頬に滴が降りかかった。
「雨が降ってきたぞ」
村人からの知らせでそれぞれの家屋から外に干してある衣類を急ぎ取り込むため、居住者が出て来た。ムラトの住む建屋からも母親のサラが慌しく顔を出した。いきなり彼の姿を捉えて笑みを浮かべた。
「まあ、お帰りなさい。遅かったので心配してたのよ。中でマロンとカリンが待っているわよ」
いつもは村の幹部、長老達との打ち合わせや、用向きで遅くなる父親のマロンも今日は早めに解放されたようである。
「ご免なさい。収穫を増やそうと欲張って、ついつい遠くまで行ってしまったものだから時間が掛かってしまって」
言い訳をしながら中に入ると、案の定膨れ面をしたカリンが駆け寄り食って掛かってきた。
「おにいちゃん、酷い。あれほど一緒に行こうって約束したのに一人で先に行ってしまうなんて。私、予定していたんだから」
予想していたとはいえ憤りの強い口調にたじろいだ。彼も妹から真剣に詰め寄られると弱く、必死で弁解を始める。
「今日、カリンはお母さんの仕事を手伝うものとばっかり思ってたから・・」
「嘘よ。昨日あれほど念を押したのに。忘れたとは言わさないわよ」
旗色が悪くなると読み取って何とかなだめようと方向転換。
「悪かったよ。明日は必ず連れて行くから。今度は間違いなく出発前に声を掛けるよ」
「もう、いつも調子がいいんだから。二度と騙されないからね。必ずよ、また約束破ったら承知しないわよ」
「大丈夫だよ。絶対忘れたりしないよ。ここを出るとき誘うから」
どうやら懐柔に成功し安堵したことで、今日の感動の体験を思い出した。
「お父さん、虹の見える草原で偶然ヒーローを見たよ」
父親のマロンの方を見て興奮気味に言った。
「ほう、あの幻の名馬をか。私もまだ見かけたことはないがどうだった」
「素晴らしかったよ。とにかく速くて綺麗で格好良かったんだ。噂通りの野生馬の王者だったよ。その姿を見ていて今にこの馬を乗りこなせたらなあって思ったよ」
「ハハハ、それは楽しみだな。もしお前が誰よりも速くあの馬の手綱を取る事が出来れば私も鼻が高いよ」
側で聞いていたカリンが羨ましがった。
「そのヒーローって馬。私もぜひ見てみたい。明日絶対付いて行くからね」
「だがあの草原まではここからかなりの距離だ。今日遅くなった理由がわかったよ。けれどもあそこは狼のような危険な獣も出没するような所だ。お前達だけで行くのは止めた方がいいよ」
「気をつけて行くから。もし危ないようだったらすぐに戻って来るから。ねえいいでしょう」
父親であり、族長でもあったマロンも娘には甘かった。困った表情で答えに窮した。その代わりに外から戻って来たサラが反対した。
「駄目でしょうカリン、無理を言って二人を困らせちゃあ。そんな危険な所には私が行かせませんよ。それにこの雨。明日も降るようだと外には出られないわよ」
それを聞いたカリンは恨めしそうに外を眺めた。
ともあれ和気藹々の一家団欒で夜遅くまで和やかな談笑が続いた。
そして雨も降り続く。
更にその雨が、彼等に過酷な運命をもたらそうとは誰一人思わなかった。
『現在本船はメーンエンジン、操舵装置が被害を受け運行不能に陥っています。正常な飛行を可能にするには、補助エンジンを稼動する必要があります。指示お願いします』
「ママー、ママはどうしたの。他の皆はどうしちゃったのよ。何故答えてくれないの?」
『今のところ他のクルーからの連絡はありません。又、ホストはもとより各ゾーン毎に設置されたターミナルからのデータ転送、信号発信は無く安否の確認が出来ない状態です。なお本船は現在反転しながらの異常な飛行状態にあり、各部位に相当な負荷が掛かっております。このままでは数刻後に全面崩壊する恐れがあります』
「誰か助けて。私にはどうすればいいか分からないわ。ママ、助けて」
『船内主要セクションの診断を実施したところ、数箇所で外壁に損傷、破断が見られます。大変危険な状態で、ゾーン毎に点検及び隔離処置を実施することをお勧めします』
「じゃあ、その近くに居た人はどうしたの。大ケガをしているかもしれないわ。いえもっと酷いことに。まさか、まさか、そんなことありえないわ」
『先ほどもお知らせしましたが、他のクルーの状況はデータが得られず不明です。ただ、このままでは被害は拡大する一方です。時間とともに生存の確率が低くなってきます』
「そんなこと駄目。絶対駄目だわ。誰かに助けてもらうのよ。誰か居るはずよ。連絡を取るのよ」
デリアは目に涙を浮かべて点滅するランプに向かって訴えた。
『通路のチェックを行いましたが、この部屋のシールドを解除しデリアが外に出る事は自殺行為で賛成出来ません。従って、残念ながら現状では第三者とコンタクトを取る手段はありません』
「じゃあ、いったいどうすればいいって言うのよ。どうにもならないじゃない」
『これ以上の被害の拡大を防ぐには、こちらからサーバーを通じて主要な装置を作動させる信号を送信、コントロールするしかありません。その為には、デリア、あなたからの指示が必要です』
「私にどうしろっていうの。この船のこと何も知らないわ」
彼女は嗚咽を漏らしながらむきになって反論した。
『その方法は、メモリに蓄積された宇宙船に関する危機対応のマニュアルから抜粋し提示します。そのアクションを実行に移すにはあなたの同意が必要なのです。我々コンピュータには実施する権限はありませんし、私へ指示出来るのはデリア、今はあなたしかいないのです』
彼女はすっかり参ってしまっていた。けれどもレアから聞いた内容を懸命に理解しようと努力した。
「本当に私しか居ないの。皆を助けられるとすれば私しかいないって言うの」
『そうです。あなたはマスターとして登録されています』
彼女にはあとは自分でするしかないという母親の声が聞こえた気がした。もはや思い悩み、嘆き悲しんでも仕方がなかった。
「いいわ。レア、あなたに任せるわ。この船を安全に飛ばすようにして。そして乗り組んでいる皆を助けてあげて」
『わかりました。早速作業に取り掛かります。実施項目の成功する確率をご報告しましょうか』
「その必要ないわ。すぐに始めるのよ。全ていいと思えることをやって」
『それでは初めに補助エンジンの点火を行います。データ送信開始』
そして、その後矢継ぎ早に制御機器の操作を実施していった。
もちろん、装置そのものが故障していたり、末端のターミナルからの遠隔操作でうまく動作しないケースもあった。けれども数刻後には正常に近い宇宙船の飛行が可能となった。
一方では船体の細部チェックを行っていくのに従って、攻撃によるダメージが思った以上に大きいことが分かったが、同時に生存者のいる確率が低くなっていくことでもあった。
『ようやくここまでこぎつけましたが、次の段階は航路を決定することになります。けれども選択範囲はごく限られています。エネルギー製造装置も損害を受けており、この船が飛べるのもあと半日あまりでしかありません。速度も大幅にダウン、とても当初の目的地であるデルタ105星まで到達するのは不可能です。もちろん救助を求める時間的猶予はありません。従って、この船で飛べる距離にある恒星系内に着船するしかありませんが、精査したところ情報データにない唯一の恒星がぎりぎりの地点に存在します。但し、私達が生存することが可能な惑星の存在の有無は近づいてみるまで分かりませんし、場合によっては到着するまで確認出来ない可能性もあります。どうします。進路をその恒星系に取りますか』
「他にどうしようもないんじゃ、行くしかないわ。でももし着陸できる星がなければどうなるの」
『本船はその恒星系を目指し飛行します。それと質問に対する回答ですが、エネルギーが補給不能となった段階で、動力は停止し本船は漂流状態となります。又全ての機能が働かなくなりますが、詳しく説明しましょうか』
「いや、いいわ」
彼女には漠然とその結末を想像できた。けれども他に選択肢はなく運を天に委ねる以外なかった。もはや可能性を問い質しても不安が解消されるはずもなかった。心細さは増す一方である。子犬たちも彼女の心境が伝わったか心配げに鳴くばかりであったが、寄り添ってくれて幾分励ましにはなった。
その後トラブルもなく順調な飛行が続いたが、船内の他のセクションからのコンタクトは相変わらずなかった。何度かレアを通じての呼び掛けを試みたが無駄であった。定期的に運行報告が入ったが、目新しい進展はなかった。
そして半日あまりが過ぎ、ようやく恒星圏内に入った。最遠部の氷結惑星の軌道を通過し、ようやく待ちに待った調査結果の一報がもたらされた。
『当恒星系には周回する主要な惑星が8個存在します。恒星に近接の高温惑星、遠方の低温惑星、ガス惑星、更に重力星は生体に不向きで除外しますと、唯一4番目の惑星のみが着船の候補として残ります』
デリアは一つでも可能性があったことに安堵した。全く該当星がないことも覚悟していたのだった。
『けれども生命の存在、大気成分、環境等生存の適不適の確認は惑星圏外部からは困難です。本来ある程度の距離まで接近し探査ロケットを飛ばす必要がありますが、現状は全く不可能です。更に私達は非常に厳しい試練に直面しており、間もなく燃料の再生が困難となり、制御エンジンが停止してしまいます。4番惑星までは辛うじて保ちそうですが余裕がありません。燃料を節約して直進しますが、まともな着船は期待できませんし、危険を伴います。どうしましょうか』
彼女はためらわず返答した。
「行って。4番惑星に向かうのよ。もう行く以外ないのよ」
『わかりました。4番惑星に着船設定します。なお、これより残存エネルギーを全て着船飛行に活用するため、船内の各装置の作動は必要最小限にします。又、惑星上での不時着位置は無作為に決定、進路も自動設定にプログラムした後は、私からの通信も打ち切ります。それでは順次作業開始します』
その後、部屋の電灯は全てが消され、レアとのコミュニケーションも無くなった。気温も下がったが元々特殊な保護服を着用しており寒さは感じられなかった。子犬たち二匹を抱きかかえ目を閉じた。もっとも周囲は全くの暗闇であり、又宇宙船の推進音以外は何も聞こえなかった。
彼女は心の中で母親を呼んだ。何度も何度も。繰り返し無事を願い、繰り返し祈る。
そして長い緊張の時間が過ぎた。やがて宇宙船が徐々に減速していくのが感じられた。しばらくして何かと接触し激しい摩擦音が聞こえ出し、と同時に室内の温度が急上昇しだした。次に、全身熱気でとても耐えられないと思う間もなく、今度は頭が圧迫され痛みが走る。
そして我慢出来ずそのまま意識を失った。
頬が生温かく感じられる。何かが盛んに擦ってくれているようだ。
「クウーン」
その甘えた声でペットのポメラニアンが側に居ることがわかった。まだ頭痛はするもののゆっくり首を持ち上げることが出来たが、その動作で愛犬は元気に吠え立てた。双子の二匹とも無事であったようだ。
「無事?」
その言葉を口に出した途端、デリアは一気に記憶を取り戻した。
母親と共に乗り込んでいた新惑星への移住船が、未知の宇宙船から攻撃を受け損害を被った。彼女は私室に居たが、メインブリッジに呼ばれて行った母親を含め、他の百名あまりの乗組員の所在を確認出来ないまま、操縦不能に陥った宇宙船の航行の立て直しを、専属のコンピュータであるレアに委ねた。
「レア?、レア、大丈夫なの、レア答えて?」
ようやく体を起こすことが出来たものの辺りは真っ暗で、双子犬がじゃれてまつわりつく物音以外は静寂そのものであった。
どれくらい意識を失っていたのであろうか。船は停止しておりどこかに着いていることは間違いなかった。呼び掛けにも応答はなかった。
「レア、蘇って、あなただけが頼りよ。お願い」
デリアは真っ暗な虚空に向かって必死に呼びかけた。ひたすら見えない人工知能を呼び覚ます以外成すすべがなかった。
「私達どうなったの。ここはどこ。お願いだから答えて」
その時、ほんの微かな発信音が耳に入った。
「レア、レアね。ほんとうにあなたなのね」
もはや彼女にとっては信頼できる友と言ってもよかった。再び呼びかけた後耳を澄ますと、今度ははっきりと断続音が繰り返された。
「ああ、神様ありがとう。レアも無事だったわ」
更に、ランプも点滅しだした。双子犬も興奮したのか元気よく吠え立てる。
『き・・の・・う・・スタート・・します』
バックアップ機能が働き、データチェックを開始しているようだ。しばらくはデリアもその様子を眺めていた。
『補助バッテリー装置の運転開始。正常作動に向けメーンシステム、回線、デバイスの点検を実施』
いつもの見慣れた光景にようやく安心感を抱いた。その内室内の照明も点灯した。
「どう、異常はなかった?」
『入力された声紋はマスターのデリアのものと合致します。コンピューター本体に関しては、数箇所欠損が見られますが復元は可能です。現在、本船のサーバー機、制御装置との送受信を行っております』
「ここはどこ?私達は助かったの?」
最も知りたい疑問を、恐る恐る尋ねた。着船した所がとても生存がおぼつかない惑星であることも否定出来なかった。
『元素分析装置の稼動、及びレーザー光により地形探査実施します。しばらくお待ち下さい』
デリアは固唾を呑んで報告を待った。最悪のケースも考えられた。
『大気成分は窒素、酸素、二酸化炭素、その他で放射能値等の生体に有害な成分は確認されません。本船の着船地点は陸地で、周辺の土壌は花崗岩質ですが、その表面は大部分被子植物に覆われており、所々岩石の露出が見られます。また、現在地より高度の低い場所に水分の存在が確認されています』
「じゃあ、どうなの私達外に出られそうなの」
『はい、重力もこの船の基本設定よりも若干低めで、大気圧も1010ヘクトパスカルでストレスは無いはずです。従ってデリア、双子犬とも防護服を着用せずに外出可能です』
「良かったわ。楽しみだわ。早く見てみたいけどちょっぴり心配」
予想以上の朗報に胸を撫で下ろしたが、宇宙ステーション育ちの彼女にとって、大地に直に足を触れることは、未知の経験であった。映像では見たことがあっても、はたして呼吸が出来るか、地面に直立出来るか、初歩的なことですら不安を感じるのだった。それともう一つ気がかりなことがあった。
「ママは、他のメンバーはどうなったの」
何度も繰り返している質問であるが、再び尋ねた。
『船内の他のセクションからの連絡、データ送信はありません。それと生体反応チェックを実施したところ、三体の生命体が確認されました』
「それは誰、誰なの」
『はい、いずれもこの部屋にあり、デリアとポメラニアン二匹の三体です』
「じゃあ、皆はいったいどうなったの」
『この部屋以外には生命反応は確認出来ません。考えられることは・・』
「わかったわ。もういい!」
もともと彼女には聞くまでもなく答えがわかっていた。怖れていたことがもはや絶望的であり、現実であることを確信したにすぎなかった。彼女は咽びながら母親を想い同乗して来た仲間達を想った。
「何故、私達だけが助かったの」
『博士が出て行かれた際の指示でこの部屋の防御シールドを張り強化したこと、その結果このゾーンの損害が軽微ですみその後もその状態を維持できた事が理由です。被弾場所が船体の逆側で遠かったことも幸いしていますが、船内の大部分は攻撃を未然に予期していなかったことが災いし、他のゾーンではシールドを働かせた形跡がありません。その結果、船内全域で相当深刻な被害が生じたと想定されます』
「ママが私達を助けてくれたのだわ。ママが、ママが・・」
デリアは絶句し顔を覆って泣き始めた。彼等が行く予定だった新惑星の生物について熱心に教えてくれる母親の姿が瞼に浮かぶ。二人して新天地に思いを馳せ、父親との再会する日を指折り数えた。仲間達とともに期待に胸を震わせ、お互いの夢を語り合い、新惑星に到着し感激を皆で分かち合う姿を何度頭に描いたことか。それがもはや不可能となってしまった。自分だけが生き残ってもいったい何が出来るというのか。それも見知らぬ星でただ一人何をすればいいのか。考えれば考えるほど悲しみが募り、心細さが身に染みた。
双子犬が心配そうに彼女に擦り寄ってきた。泣き続ける姿に感情が移ったようで同じように寂しげにみえた。そうこの子犬達も不安なのだ。私がいなければ何も出来ないのだ。そう思うと自分自身を励ます必要性を感じた。この子達のためにもしっかりしなければならない。
(デリア、これからはあなたの力で未来を切り拓くのですよ。見守ってあげますからね)
母親の声が聞こえた気がした。
そして彼女は決心した。
「レア、私はこれから外に出るわ。どんな様子」
『宇宙船の周辺を走査したところ、生命反応に満ち溢れております。それも種類が豊富で情報データに含まれていないものも存在します。ただ今のところ危険な兆候はありません』
「わかったわ。もう何があってもびくびくしないわ。もうこの星で生きる他ないのよ。ドアを開けて。子犬ちゃん達も行くのよ、冒険をしに」
『わかりました。念のため保護スーツを着用しますか』
「いらないわ。このままで行くわ」
『それではデリアは連絡用ツールを持参下さい。私との応答が可能であると同時に、私の目としての役割も果たします。そのツールを通じて質問があれば分かる範囲で回答します。又、双子犬達にはGPS発信機を装着して下さい。位置確認ができます。いずれも作成ボックスに用意しましたので取り出してください』
「ありがとう。助かるわ」
彼女はボックスの扉を開け取り出した。そして発信機を二匹の子犬の首に取り付けた。
「じゃあ。お願い。ドアを開けて」
『わかりました。ドアを開けますので送受信ツールで指示した通りに進んでください。宇宙船の乗降口まで誘導します。左に真っ直ぐに進んでください』
部屋のドアが開けられた。
もう何日も部屋の外に出ていないように感じた。気後れがしたが、勇気を奮い起こして前に進む。
通路に出た途端辺りの光景を見て思わず息を呑んだ。ツールを通じてデリアの声がレアのもとに届いている。
「まあ、壁があちこちで剥がれているわ。天井もよ。通路に散乱して大変な有様よ」
一応、通路の照明は点けることができた。それだけにその惨状が否が応でも目に入って来る。
「裂けているところもあちこちにあるわ。それに燃えた跡もある。なんて酷いんでしょ。よくこんな状態で飛ぶことが出来たわね」
他の乗員にまともに爆風が直撃したのではないかと想像すると、心が張り裂けそうになり足取りが重く感じられた。何とか気を取り直して指示された方向に進み、タラップに通じる扉の前まで辿り着いた。双子犬も好奇心を顕わにして彼女に付いてきた。
二重扉の内側が開く。一歩前に進み誘導ホールに入り乗降口の扉の前に立った。今度はいよいよ外界に足を踏み出すことになる。
「ちょっと待って」
彼女にとって人工宇宙船から出て自然に触れる、生まれて初めての経験。一抹の不安と期待が脳裡を交互に掠める。躊躇いと決意の葛藤が前進を阻む。
「ほんとうに大丈夫なの」
心に生じた怯えが思わず質問を投げかける。
『分析データからは人体に害を及ぼす要因は見当たりません。従って、当惑星の陸地に出て活動しても問題ないと判断されます。念の為、もう一度確認作業を行いましょうか』
「いえ、いいわ。レアを信じる。扉を開けて」
もう後戻りは出来ない。前に進むしか道は残されていない。
(さあ行くのよ。あなたの世界が待っているわ)
再び母親の声が聞こえ、覚悟を固めた。
扉が開き昇降スロープが下りる。
次の瞬間外から風が吹き込み冷気が全身を覆う。そしてかつて微かに嗅いだことのある懐かしい樹木の香りが穏やかな気分を誘った。
初めて目にする山裾から頂きにかけての見渡す限り緑の連なり。色彩豊かな花々も点在し真っ青な空の色との見事なコントラスト。その美しさに心を打たれ、しばらくは身動きせず景色に見とれてしまった。
まず動いたのは双子犬で、未知の大地目指して駆け出した。一刻も早く探検に向かいたい様子である。
ようやくデリアも我に返り満面に喜びを表した。
「うわあ、素敵だわあ、なんて綺麗なんでしょう」
その感動がレアのもとに伝わってきた。それに対してメッセージを返す。
『良かったですね、デリア』
彼等の新たな物語の始まりであった。