表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
デリアの世界   作者: 野原いっぱい
18/35

魔獣(一)


挿絵(By みてみん)


リーラは全身に喜びを感じていた。

久し振りに味わう自然との触れ合い。

彼女は愛馬に跨り、スミレ、タンポポ、サクラソウ等が色鮮やかに咲き乱れる丘陵を、一人で疾走していた。

しなやかになびく黒髪、藍色に輝く瞳、スラリとした容姿は、さながら神話の処女神を連想させる。

吹き付ける風も心地よく、眩しく透明の春の陽射しは、彼女にとっては思い切り体を弾ませる誘惑を感じさせた。


「うわあ、素敵だわ。何て美しいのかしら。この気分最高だわ」


小高い丘を駆け下り、ブナ、ナラの樹木が繁茂する一帯の、木立の傍らで愛馬を止めた。

遠くの山々の稜線が、澄み渡った青空の彼方にくっきりと見通せる。

彼女は悪戯っぽく微笑みながら、


「うふふ、今ごろダンとアリスは口惜しがってるでしょうね。私だって手綱を取れば速く走れるんだから、ね、アトラス」


愛馬に向かって言った。

彼女は馬から降りて、芝生に座り、新鮮な空気を思い切り吸い込んだ。

飛び回る蝶も、さえずる小鳥も全てが自然の恩恵である。


その時、林の奥から馬の蹄の音が耳に入った。

咄嗟に起き上がるや、木立の暗がりから男達を乗せた5、6頭の馬が出てくるのが見えた。

いずれもラフな格好で額に黒いベールを巻き、腰のベルトに剣を差し込んでいる。

徐々に近づいて来るのを見て、用心のため愛馬の近くに移動。

先頭の男の話し声が聞こえてくる。


「うーん、なかなかの可愛子ちゃんじゃないか。どうする兄貴」


横の男が答える。


「そうだな。俺達は運がいいぞ。これなら高く売れそうだ」


周囲の男達は下卑た表情で一斉に笑った。

彼等がならず者であると直感。後退りしながらも自らのプライドを意識して言った。


「何者ですか、あなた方は。私をロンバート王家の者だと知っての態度ですか。狼藉を働くようなら許しませんぞ」


まだ若くて世情に疎いとはいえ、あまりにも正直な告白で分別が足りなかったようである。

彼女の身分を聞いてリーダー格の男は驚き、頭を巡らしながら周りを見やった。


「ロンバート王家だと。確かロンバート王国には王女が一人いると聞く。年が十五、六だったと思うが、なかなかの別嬪さんだとの噂だ」


「私がその王女リーラだとしたら、どうしようと言うのです」


身構えて発言したものの、ますます相手の好奇心を刺激してしまった。


「リーラだと、そうだ間違いない。俺達はとんだ掘り出し物を見つけたようだ。カムイ様のもとに連れて行けばたっぷりご褒美をもらえるぞ」


彼女は危険を察知、愛馬に跨ろうとした。

が既に遅すぎた。彼等の一人が馬の手綱を押さえ、もう一人が引きずり降ろす。


「キャーッ」


ありったけの声を張り上げ抵抗を試みたが、無駄であった。

力強い男達に腕を取られ、なす術もなく捕らえられた。


「何をするんですか。こんな事をすると後で酷い目に遭いますよ」


「あきらめろ。お前は俺達にとっては宝物だ。命が欲しかったら大人しく従うんだな。おい皆、カムイ様の所に急ぐぞ」


一頭の馬に彼女を無理矢理乗せ、出発しようとした。


ところが、その時木立の中の茂みが動いた。

藪から棒に一人の男が出現した。

何も武器らしき物は持っていないが、彼等が驚くに充分な異様な風態である。

髪はぼさぼさで髭も伸び放題。衣服はあちこちがほころび、顔は異常に黒ずんでいる。

更に目を引いたのは、手首から血が流れており、口も切っている様子であった。

男達は正に向かい合う格好となり、面食らってしまった。


「な、なんだお前は。そこをどけ。どかないと痛い目にあうぞ!」


その男は何やら怯えている様に見えた。が、目を鋭く輝かせてその場を動かない。

男達は剣で威嚇し、退かせようとした。

一方でリーラはこの機を逃さず男の手を振りほどき、


「助けて!」


と叫んで馬から飛び降りてしまった。

けれども不自然な姿勢であったため、うつ伏せで体を地面にぶつけてしまう。

ところがその後、信じられないことが起こった。

彼女の背後で、


「ウアー!」


と男達の悲鳴が、つむじ風が吹き注ぐ音と同時に聞こえてきた。

馬達が騒ぐ声、そして走り出して行く気配。いずれも一瞬の間に起こった出来事である。

彼女はどこも怪我をしていないと悟り、ゆっくりと振り返った。

すると、先ほど忽然と現れた男はまだ同じ位置に立っていたが、ならず者達は遠く離れた所に、いずれも気を失って倒れているではないか。

理解不能の状況ではあったが、気を落ち着けてその男を観察した。

奇異な外見ではあったが、彼女にとっての印象は、悪い感じではなかった。


「あなたね。私を助けて下さったのは。ありがとう」


彼女はその男に感謝するために近寄った。薄汚れた顔をしているが、その表情から情緒が不安定な様子が窺える。


「あら、血を流しているじゃない」


と彼女は心配そうに言った。


「チカヨルナ」


その男が不意に当惑しながら小声で拒絶するのが聞こえた。

けれども彼女は一向に構わず笑みを浮かべながら近づいた。


「何言ってるの、こんなに血が出て、痛いでしょう」


そして、身につけたショーツを破り、ゆっくりと男の口元の傷を拭い、更に手首の血をふき取り、その切れ端で縛った。

その男は微かに震えていたが、ぎらぎら輝く目が一瞬、何事か訴えようとしているのを感じた。

定かではないが、リーラより少し年上の若者のようである。


「リーラ様、リーラ様」


後方から何度か呼びかける声が耳に入った。


「あ、ダンとアリスよ。ちょっと待っててね。あなたに紹介するから」


とその男に伝え、彼等を見渡せる場所に移動した。


「ここよ、ここ、ダン、アリス」


二人の男女の騎士が大急ぎで近づいて来る。


「もう危ないじゃないですか。王女様一人でこんな所まで。あ!、これは?」


男性の騎士が倒れている男達を見て驚いた。リーラは慌てて釈明する。


「ご免なさい、ダン、アリス。やっぱり私危ない目にあったの。でも安心して、そこに居られる方に助けて頂いたのよ。あっという間だったわ」


「そこにおられる方とは?」


ともう一人の女性の騎士が尋ねた。


「あら、おられるじゃない、私の後ろに・・」


彼女は振り向いたが、先ほど立っていた場所には男の姿はなかった。



「ばか者、お前の無鉄砲な行動には呆れてものも言えん。今回ダンとアリスが片時も離れずに守るからとの約束で、特別に許したんだぞ。それが二人を置き去りにして一人で野山を駆け回るとは何たる軽はずみ。もしその山賊まがいの連中に連れて行かれでもしたら、私にもどうすることも出来なかったんだぞ」


「ご免なさい。あまりにも自然が美しかったから、ついつい走りたくなって・・」


「お前を助けたと言う男も、得体の知れない悪党だったかも知れん。二人が駆けつけなかったらお前をさらったかも知れん。いいか、お前がロンバート王国の王女であることを一時も忘れてはならん」


今しも、ロンバート七世王はリーラ姫を相手に、懇々と諭している最中であった。


「でもその男の人、薄汚いなりはしていたけど、悪い人のようには見えなかったわ」


「もうよい、リーラ。しばらくはこの王宮の外に一歩も出ることはまかりならん」


これを聞いたリーラ姫は、少々不満気ではあったが、不承不承同意した。

ダンとアリスの従卒は先ほどから、方膝を付き、神妙に頭を下げたままである。

その時、一人の青年が剣を差したまま、この接見室に入って来た。


「父上、お知らせしたいことがあります」


兄のアルバートであった。彼は叱られているリーラ姫を見て言った。


「リーラ、父上からたっぷり絞られているとみえるな。だがあの辺りは数年前から山賊が出没している危険な所なのだ。特に最近カムイと言う盗賊が力を誇示して、周囲のならず者を手なずけてるらしい。我々も何とか取り押さえようと警戒しているんだが、頭領のカムイはなかなか用心深く捕らえられず弱っている」


「そう言えば、ならず者の一人がカムイって言うのを聞いたわ」


「いずれにしてもリーラ、お前は当分の間謹慎しておるのだぞ」


父王はリーラ姫に繰り返す。


「ところでアルバート、私に聞かせたい事とは何だ?」


「以前にもお耳に入れたことがありますが、南国の国々の異変についてです」


「ああ、あのハーンとか何とか言ったな。若造のことか」


「そうです。ハーンは昨年最南方のゴルゴ国を乗っ取った後、近隣の国々にも徐々に勢力を拡大し始めています。彼はカムイのようなならず者集団を相手にしているのでなく、完全に訓練した武装集団を率いて、自ら王を名乗っております。最近になって、中原にある我国の友好国エンゼル国にもちょっかいを出してきており、兵士、市民に投降を呼びかけているとのこと。場合によっては我国も応援を出す必要が生じるのではないかと」


「馬鹿な、そんな一年足らずで組織された武力国家に何が出来る。南方にはまだまだ多くの歴史ある国が控えている。大国の我国が名目も不充分なままで出て行ってみろ。必ずそれらの国が疑い出して混乱を生じてしまう」


「私もそう思います。ところがハーンその者がかなりの腕の立つ武人で、一人で数十人の騎士を倒したとの噂です。ここはひとつ、密偵を遣わしまして調査だけでもと。ハーン自ら覇王を名乗っているとかで、世界を統一するために神が使わした超能力者だとも言っているそうです」


「ふん。そんな大言壮語ぬかしおって、こわっぱめ。よい一応偵察隊を出しておけ。だが我国の軍隊を動かす必要はない。仮に南国全てを従えても、最強国の我国が控えておる。

おまけに東方には同じ大国のギリア国も存在する。この二国が協力して当たれば、ハーンなどひとたまりもあるまいぞ」


「ところが父上、そのギリア国ですが、国王のギニス王が病いがちだとか。その息子の二人が現在、次の王座を狙って暗躍しているようです。二人の間はお互いうまくいっていない模様です。更に第三子のバイブル王子もその抗争に巻き込まれたものか、依然行方不明で何やら不穏な雲行きです」


「うむ、ギニス王もさぞかし頭の痛いことだろうて。王も既に六十を半ば超えておられるはず。ところが今だ後継が決まらんのは、二人の兄弟の王としての資質、器量に問題があるせいだ。以前会った時の印象は、二人とも権力欲だけが旺盛で、人格も教養も劣る凡庸な息子達だったわい。父王が立派な方だけに、決めかねておられるのも無理はない。ただ、小さかったが、第三子のバイブル王子だけが見所あるとおっしゃっていた。私も一目で聡明そうで優しく感じたものだ。ただ、生きているものやら、死んでいるものやら」


二人の会話はその後も続いていた。けれどもリーラは全く別のことを考えていた。

『あの男の方は一体誰だったんだろう。身なりは異様だったけれど、確かに若い青年だったわ。私に何を言おうとしてたのかしら・・』


*

数年の歳月が流れた。ロンバード王国は表向き平和そのものであった。

だが周囲の情勢はその間、目まぐるしく変転していた。南方の国々は徐々に覇王ハーンに力ずくで従えられていった。

そしてついにロンバード王国の近隣諸国にまで、その勢力が及ぶに至る。

もちろん、ロンバード王国はハーンの武力拡大に指を咥えて眺めていた訳ではない。何度か友好国の救援要請に応えて、兵を送ろうと意図したが、思わぬ状況が発生し、諦めることを余儀なくさせた。

一つには国境部の山賊カムイ率いる集団での略奪行為である。何度も討伐に向かったがいずれも逃げられて、その後現れる度に勢力が拡大する一方で、年々襲撃対象、規模は大きくなり、しかも悪質なものになってきている。時期が重なったこともあり、ハーンと結託して行動している疑いも取り沙汰された。

更に大きな要因として、東方の隣接するギリア国の政情不安にあった。

病身の父王の次の王座を反目し合う二人の兄弟が狙っていたが、三年前に突然、病床のギニス王のもとに、行方不明になっていた第三子のバイブルが現れた。

王は彼を一目見て認め、王子の一人として再度列した。

当然他の二人の兄弟は異議を唱える。ほんとうにバイブルかを公の場ではっきりさせてほしいと申し出たのだ。

しかし王は二人の要請を拒絶。そのバイブル当人も宮廷の奥深く閉じこもったままで、姿、顔を表さない。

やがて、ギニス王の容態が急激に悪化、後継者が決まらないまま没してしまう。

お互いが疑心暗鬼の中、国葬が営まれたが、その葬儀の最中バイブルは復帰後初めて公に姿を現した。

何と驚くべきことに仮面を被り素顔を隠した姿で。

冥界のサタンを連想させる仮面は人々に不気味な印象を与え、否が応でも脚光を浴びることとなった。

脅威を感じた二人の兄弟は、葬儀の後、次々と刺客を差し向けたが、バイブルは文字通り魔法を使うがごとく、逆に返り討ちにしてしまう。

業を煮やした二兄弟はそれぞれ公然と兵を挙げ、国権を掌握しようと図ったが、二人の王座を歓迎しない重臣達がバイブル側に付き、国内は混乱に陥った。

ロンバード王国にも二兄弟からの応援要請があったが、王はギリア国内の問題として、見て見ない振りを装った。


結局、評判の芳しくない二兄弟を、勢いのあるバイブルが打ち負かし、いずれも捕らえてしまい、新たなギリア国王となった。

ところがこれから先の非情さが、魔王と呼ばれる由来となる。彼に許しを請う二人の兄を即処刑してしまった。又、捕らえられた者達もいずれも重罰が下され、更に逃げた兵士達も徹底的に追及、処分されていった。

この様な状況を懸念し、長年友好関係を維持してきたロンバード王は、寛容な処置を要望する内容の書簡をバイブル王のもとに送ったが、聞き入られず、逆に隣国との国境を全て閉鎖されてしまった。

ロンバート七世王は激怒したが、その後ギリア国内からの音信が途絶え、情報が入り難くなってしまった。完全な鎖国状態となり、国外へ逃亡しようとした者、逆に潜入してくる者は容赦なく罰せられた。

運よく脱出に成功した人々の話では、ギリア国内は、バイブル王に反抗を試みる反乱勢力、地下組織が多く存在しており、混迷状態にあるとのことであった。



*

ここで覇王ハーンが登場する。

結果的にはギリア国の分裂状態の収束が、バイブル自身の力ではなく、彼の出現によってもたらされたのは皮肉と言えよう。

世界制覇を目論むハーンはその政情不安に付け入るため、軍団を西の大国ギリアに向けた。

ここは千載一隅のチャンスと判断したハーン自らが指揮し、大軍を率いて国境に侵入。

この報を受けギリア国内は動揺する。政変に不平不満を抱く人々も、ハーンの野蛮で攻撃的な性格を聞かされており、とりあえず一致団結して侵入してきた軍隊に立ち向かうこととなった。

また、それまで反抗してきた敵対勢力もバイブルの軍勢に加わった。ハーンは大軍をもって進み、バイブル指揮の迎え撃つ軍団と、平原を挟んだ小高い丘で正ににらみ合った。

ところが、ここで不思議なことが起こった。両軍の将同士、共に先頭で馬に乗りお互いを見合っていたが、突然何を思ったかハーンは自ら槍を振りかざし、バイブルの立っている丘めがけて思い切り投げつけた。

槍は意志を持ったかのごとく猛スピードで、真っ直ぐにバイブルに向かって突き進んで行く。

間違いなく相手を貫くと思われた瞬間、信じられないことに、その槍が急反転、今度はハーン目指して飛び始めたではないか。

ハーンは戻って来た槍を避けもせず片手で受け止めたが、覇王と呼ばれ怖いもの知らずのその顔が引きつり、青ざめていた。

そして、しばらくバイブルを睨みながら、


「まさか、あ奴・・」


と言った後、踵を返し全軍引き返してしまった。

周囲の者はバイブルに敵わぬと判断したとか、或いはその魔力に怯えたとか、ハーンが翻意した理由を詮索した。

それはバイブルにとっては好都合で、ギリア国内は向こう所敵なしの感が強かったハーンの侵略を無血で退けたことで、バイブルの力を畏怖した。

今まで抵抗していた不満分子達も急激に力を失い、いずれも軍門に下だった。

また、彼の鎖国政策にも渋々ながら従い、国内の混乱も一応収まった。


 一方、ハーンは東方への進出は手控えたものの、領土拡大の野心は変わらず、一転北方諸国にその矛先を向けたのだった。

南方諸国をほぼ手中に治め、ついに最大のロンバード王国と一戦を交える寸前までに至る。

即ち、国境を接する最友好国ムガール国からの応援要請。

これを受けロンバード七世王は、ついに覇王ハーンに戦いを挑む決意をし、国内の軍隊を召集した。

ここにロンバード、ハーンの戦いの火蓋が切られることとなった。



*

「お父様、お父様」


とリーラ姫はロンバード七世王がいる居間に入っていった。王は将軍達と最終的な打ち合わせをしているところであった。

リーラは構わず父王に問い質す。


「お父様、どうしても出陣なされるのですか。でもなぜお父様が行かなくてはならないの?」


王は娘の心配そうな様子を見て、将軍達に言い含めて下がらせた。


「リーラか、丁度いい、私もお前のところに行こうと思っていたところだ。今回は私が行かないようでは士気に影響するのでな。なに大丈夫だ。何も心配いらん。この大国ロンバード王国の総力をもって戦うからには、ハーンなど敵ではない。すぐ戻って来るさ」


「でも、それならお兄様か、誰かにお任せしたらいいんじゃ。皆お父様のお年を心配しているわ。もうお若くないんだし」


「ハッハッハ、何を言う。私はまだ若い者にはまだまだ負けんぞ。それよりリーラ、私も今まで国外情勢が不穏で気が回らなかったんだが、お前ももうそろそろ婿の相手が決まっても不思議でない年だ。舞踏会とか公的行事で、ますます美しくなるお前を見て、同じ年頃の男性の誰がお前のお眼がねに敵うか皆気にしとるぞ」


「私のことよりお父様が心配で、お母様も最近元気がない様子で・・」


「まあ聞くがよい。実は以前お前の婿に我が国の友好国の王子をと考えとった。今だから白状するが、その内でも隣国ギリアのギニス王とバイブル王子が大きくなったらと約束しておった位だ。小さい頃はなかなか見所があり、いい青年になるだろうと思っていたが、とんだ見立て違いじゃった。他の国もハーンの為に滅ぼされてしまう始末だ。私ももうそのことは諦めた。このロンバード国の王族、貴族いや文官、武官の中にこれという男がおれば私に言うがよい。国内外に知られたお前のことだ。まさか断る人間いまい。いいなリーラ、私がこの戦から戻って来る時までには、これといった男を決めておくがいい」


「お父様たら・・」


リーラ姫は少々困惑の態。彼女にとって現在のところ心に掛かる男性は思いつかないのである。


「ハッハッハ、何も心配することはない。アルバートは残る。私の留守中困ったことがあれば、アルバートと相談するがよい。ほれ、その当人がやって来たわい」


リーラ姫の兄アルバートが居間に大股で入って来た。


「父上、明朝の出発の準備、全て完了しました。第三軍までの陣容も打ち合わせ通りに配置、あとは出陣を待つのみです。各部隊の騎士達もハーン軍に一泡吹かせ蹴散らせてやろうと意気込んでおります」


「それでよい、それでよい。しかしあまり血気に逸り過ぎて体調を崩さぬよう、明日からはきつい。今夜はぐっすり休むよう伝えよ」


「は、父上。ところで父上自ら出陣される事には私ももう反対はしませんが、せめて私もご一緒に。留守は第四軍だけで充分果たせますが」


「何を言うアルバート。私に万が一のことはあるまいと思うがの。仮にそのような事が起こった場合、お前しか託せる人間はいないではないか」


「では、せめて用心のため、直属の親衛軍を伴われては・・」


ハッハッハ、三個軍団とムガール軍を合わせれば、ハーンの軍団をはるかに上回る。初め私はこの半分の兵力でもよいと思ったが、我が国も平和な時期が長く、戦の経験のない者が多い。その点、ハーンは侵略につぐ侵略で戦い慣れしている。だから私が先頭に立って行くのだ。いくらハーンでもこの数では我々の敵ではない」


「わかりました。私ももうこれ以上申しません。ただくれぐれも常に状況のお知らせを。ご指示があればすぐ援軍を出して駆けつけます」


「わかった。その点抜かりなきよういたそう。ところでアルバート。先程リーラにも申したが、リーラももう年頃だ。私が帰ったら誰かよい婿をと思うが、お前に心当たりはないか」


「まあお父様、こんな時に私のことなど気になさらないで」


「リーラ、父上の申される通りだ。どうなのだ、お前の気に入った相手はいないのか。幼馴染のダンはなかなかの好青年でいいと思うが」


「まあ、お兄様も。ダンは私のこと妹のようにしか思ってないわ。でもお父様、無事にお帰りになられたら、私も真剣に相談させて頂きます」


「ハッハッハ、わかった。それなら私も一刻も早く戦を片付けて戻って来ようぞ。アルバートも今の言葉しっかりと聞いただろうな」


と目を細めて笑った。

その後はロンバード親子の和やかな会話がなされ、時折笑い声が聞こえる出発前夜の歓談となった。


そして、翌朝ロンバード王国軍は宿敵ハーンを討つために出発して行った。

しかし、これが親子の最後の別れになろうとは、誰一人想像すら出来なかった。



*

「カムイ、今がチャンスだぜ。ロンバードのやつ等が行ってしまってハーンの軍隊と戦ってる間に、俺達思う存分暴れまわってやろうじゃないか」


「幸い俺達の人数も一頃よりかなり増えた。ロンバードの治安部隊も手薄になってるはず。派手に略奪してやろうぜ」


ロンバード王国の国境山中のアジトで、山賊達が頭領カムイを中心に話し合っていた。いつもはワイワイ騒がしい主役のカムイも、今日は奇妙に沈み込み物思いに浸っている。


「な、カムイ、やろうぜ、俺達もここんとこ、こんな山中に閉じ込められてうずうずしてたんだ」


と一人が盛んにけしかけている。

が、カムイは応えない。


「どうなんだカムイ」


周りの男達もたたみかける。ようやく、カムイはゆっくり喋り始めた。


「いや、俺は今回はやらない」


びっくりして一人の男が問い返す。


「どうしたんだ。びびっちまったんかようカムイ」


「いや、そうじゃない。俺は、俺はライズ河を渡る」


思い詰めたように答えた。


「何故、何故なんだ。あんな辺境に。おまけにあそこは人っ子一人住めない土地だって言うぜ。見渡す限り岩山で、草木一本生えてない所だそうだ。一年の大半は雪に閉ざされている不毛の土地じゃないか」


と別の男が不思議がる。


「まあ聞け。俺達が山賊として平地の人間から恐れられるようになってからもう六年になる。確かに俺達も人数が増え、小さな町位は充分襲える勢力を持つ規模にはなった。多少の警備分隊ぐらいなら戦いを挑んでも引けを取らない位に強く、成長した」


「それは頭領のカムイが俺達をうまくリードしてくれたからじゃあないか。皆そう思っているよ。でもライズ河を渡るって言うのは何故なんだよ」


「まあ黙って聞け。確かに俺達は大きくなった。でも山賊は山賊でしかない。これからも俺達は略奪する一方で、追跡されてこの山中に逃げ込む。そして頃合を見計らって適当な襲撃先を追手の目を逃れながら捜す。それの繰り返しでしかない。情けないじゃないか。いずれ俺達も年を取っていく。そこで俺も考えた。もうそろそろ一国を乗っ取る位の行動を始めないといけないんじゃあないかと」


カムイは一息吐いた。


「じゃあ、どうしようって言うんだカムイ」


皆、固唾を呑んでカムイの言葉を待つ。


「俺は知ってる。俺だけが知ってる。あの辺境の地に一国、いやこの世界を乗っ取る力を持った怪物が眠っているのを。実際、俺の親父がそいつを見ているんだ、間違いない。今から百年近く前、今のギリア国を征服したギリア王が、北方の辺境地域も自国領にするため、兵を進めライズ河を越えた。ところが、王自らそいつの存在を確認してその土地の開拓を断念した。そいつが眠りから覚めた場合、ギリア国すらも危ういと判断したらしい。そこで俺は考えた。今のままでは、ハーンがこの地も制圧するだろう。そうなっては俺達もここには定住はどのみちできない」


「どうしてだカムイ。ロンバード王国の総力を挙げて、ハーン軍を討ちに行くって話だぜ。まさかこの大国がハーンに敗れると思っているんじゃ・・」


「お前達は知らないが、ハーンは恐ろしい男だ。奴を止められる人間などいやしない。俺は昔一緒だった時期がある。8年前仲違いして分かれたが、奴はあっという間に南方諸国を征服してしまった。奴の底なしのパワー、野心を俺は嫌っていうほど知っている。おまけに情けなど皆無で、俺達のことなど虫けらの様にしか思わないだろうし、あっさり片付けられるに決まっている。そこで俺は考えた。奴をも打ち負かす方法を」


「いったいどうしようって言うんだようカムイ」


「俺はな。俺はあの辺境の地で眠っている怪物を解き放ってやり、俺の意のままに操ってハーンの奴を見返してやる。もう数百年も閉じ込められているんだ、出たくてうずうずしているに違いない。うまく事を運び、その怪物に貸しを作り開放してやれば、従うことは間違いないさ。必ず成功する。そして、そいつの力をもってすれば、国の一つや二つものに出来る」


その後もカムイは自分の考え、計画を熱っぽく仲間達に語った。

最初は途方もない夢物語と思われた意見も、彼の多弁で巧みな説得によって、徐々に現実味の帯びた名案となっていく。

ただ、それがどのような結果をもたらすかは、カムイ本人すらも予想できなかった。



*

 その山賊カムイが、仲間達を引き連れて北方の辺境の地に旅立った二週間後、ロンバード王宮は、次々と伝令部隊によってもたらされる悲報によって憂色に包まれていた。

ハーン打倒を旗印に出発したロンバード王国軍は、ムガール国に入り、敵軍と一戦を交える地域まで進んだが、そこで彼等を待っていたものは、ムガール軍の裏切りであった。

まさか、ムガール政府内で謀反が起こっており、昔から親ロンバードの国王を始め、主だった重臣達が軟禁状態になっていようとは知る由もなかった。

突然の反乱分子のクーデターは恐らくハーンと前もって計ったものであろう。

情報収集が拙列だったと言われても仕方がない。ハーンに寝返ったムガール軍は、ロンバード軍に襲いかかる。

本来であれば圧倒的優位であると見られていたロンバード軍に油断があった。味方であるはずのムガール軍に反旗を翻されて、完全に浮き足立ってしまう。

正面からはハーン軍に背後からはムガール軍に挟み撃ちにされ、防戦一方となった。軍団は予期せぬ状況に立て直しが効かず、混乱状態に陥った。

こうなれば百戦練磨のハーンのこと、次々とロンバードの陣営を打ち破っていった。そして、ついに大国ロンバードの誇る正規軍団は総崩れとなり、戦いに傷つきながらも生き延びた兵士は、それぞれ散り散りに敗走していった。

 留守を預かるアルバート王子のもとには、続々と敗報が入ってきた。当初はすぐに応援軍団を差し向ける予定であったものの、あまりの早い敗退に国境付近で立ち往生してしまった。

既に多数の敗残兵が引き上げて来る場面に遭遇、生き延びた兵士の多くは傷ついており、その者達の介護、手助けに精一杯の有様となった。

また、将軍、士官クラスの戦死の報が相次ぎ入ってくる。

そして、敗戦、撤退から二日過ぎ、ついに最悪の報告がもたらされてきた。

ロンバード七世王の戦死。誰よりもこの戦いの勝利を信じて疑わなかったロンバード王が戦没したのである。

王として口惜しかったであろう。残念だったであろう。

この戦いの判断の誤り、経緯に最高指揮官として責任を痛感し、最後まで前線に残ったとのことである。

アルバートをはじめとする王族、並びに国民は全て嘆き悲しみ、憂鬱で重苦しい空気が支配し、危機感を抱いた。

訃報を聞き王妃は病いに就き、王女リーラも悲嘆に暮れた。


 しかしながら、喪に服し悲しんでばかりいる訳にはいかない。日を経ずしてハーンの軍団が弱体化した国内に侵入してくることは間違いなかった。

戦略の立て直しに迫られ、残った重臣達が集まり対応策を練る。

けれども、これといったいい知恵は誰も思い浮かばなかった。北方にある海湾三国の援軍兵力も微々たるもので、当てにならない。

かつての友好国の隣国ギリアとは現在、国交断絶状態にあった。誰しも結論はわかっていた。残された兵力でハーンの侵略に対抗する以外なかった。

もっとも、ハーンに降伏するという意見も出なかった。というのは、今までハーンに制圧された国々のほとんどが、圧政を強要されたからである。

一方で、国民の多くが約五百年もの長い歴史をもつ、ロンバード国の民であることに誇りと愛国意識を抱いていた。

結局、国境近くまで進んだ軍勢を退かせ、首都ソロマ近辺でハーンを迎え撃つこととなった。

まだ無傷である第四軍、王宮親衛軍、非常召集兵、志願兵が続々ソロマ湖周辺に集まって来た。


*

それ以来、ロンバード王国は首都を中心に慌しさに包まれている。

戦乱を避けようと地方に逃れる市民の行列、反対にハーンとの戦いに、国を守ろうと軍役に志願してくる若者。防壁、塹壕を築こうと行き来する兵団が入り乱れ、騒然とした状況に陥っていた。

今、世界一美しいと言われるこのソロマ湖周辺は、人々の不安と混乱の様相を呈していたのである。


「リーラ、リーラ入っていいかい」


ロンバード七世王が敗死して、政務の責任を一身に負わされることになったアルバートが、妹リーラ姫の部屋を訪れていた。


「どう、もう落ち着いたかいリーラ、私も連日の打ち合わせに忙しくてなかなか来られなかった。でも母上同様、お前のことはいつも気に懸かっていたよ」


「お兄様、お兄様も毎日大変でしょう。自分のことより周りのことに気を使って。私のことなら大丈夫よ。お兄様こそあまり無理されては体を壊すわ」


「ああ、有難う。でもそう聞いて安心したよ」


「ええ、でもお父様が亡くなられたと聞いて、何日も泣きはらしたわ。お母様はもっとショックだったと思う。お兄様も覚えているでしょ。お父様と過ごした最後の晩のことを。私のことを大変心配なさっていたわ。虫の知らせってよく言うでしょう。今でも一言一言思い出すたびに私・・」


とリーラ姫は絶句した。


「ああ、私もはっきり覚えているよ」


アルバートも涙をこぼすまいと、宙を仰ぎ答えた。


「でも私は思ったの。いつまで悲しんでいても始まらない。辛いのは私だけじゃない。戦いで亡くなった方のご家族のことを思うと、ロンバード国の王女だからこそしっかりしなけりゃって。お父様もそう望んでおられるはずだって」


「そうだリーラの言う通りだ。我々ロンバード国民はこれから敵の侵略に備えなければならない。五百年続いた王国がみすみす、五、六年で成り上がったハーンの配下となる訳にはいかないんだよ。幸い多くの若者がハーン軍と戦いたいと殺到してきている。今我が軍の組織も徐々に立て直しつつある。決して父上の死は無駄にしないつもりだ」


「私にお役に立てることがあれば何でもおっしゃってお兄様」


「うむ、そう言ってくれるのは有り難いよリーラ。でもその気持ちだけ受け取っておくよ。実はな、突然でなんなんだが、明日、母上、私の妻達と一緒にアナシア国に出発して欲しいんだ」


「え!、なぜ急に」


リーラ姫は驚いて聞き返した。


「我々皆で相談したんだが、おそらくもう十日もするとここは戦場になる。戦のことだ、何時どのような事態が生じるとも限らん。そこで婦女子だけでも、この戦いが終わるまで難を避けたほうが賢明ということになった。幸いアナシア国には叔母がいる。必ず歓迎してくれる。だから安心して行ってほしいんだ」


「どうして?、ロンバード国を皆で一丸となって守るってお兄様はおっしゃったわ。私もこの国が大好きよ。他の人は行っても私は残るわ。私もここで戦います」


「聞き分けのない事を言うんじゃないリーラ。我々が精一杯、思う存分の力を発揮する為にも、非力な女性、子供達は戦場から離れていたほうが安心なんだよ」


「では、お兄様、私のことを女だと思わなければいいでしょ。皆の足手まといにならないようにするから」


リーラ姫は兄を説得しようと必死だった。


「それほどまでに言うならリーラ、お前にだけには正直な所を話そう。実はな、我がロンバード軍は無傷の第四軍、王宮親衛軍、新たな召集兵、志願兵を合わせると数の上では多くの兵団を編成する事は可能なんだが、総合力の比較からすると、以前の戦力から半減していると見るのが妥当なんだよ。ムガール戦は最強の軍団で臨んだ。事前の予想では圧倒的に優位の見方がほとんどだった。にもかかわらず敗れたのは、亡くなった父上には申し訳が立たないが、ムガール国内の謀反を察知出来なかった諜報の甘さと、大軍ゆえの油断があったことは事実だ。その点ハーンは謀略に長けている一方で、戦闘能力においても我々を上回る。残念ながら我が国には奴に匹敵する知将、軍将はいないんだよ。更に最新の情報で、ハーンの軍隊はムガール軍を吸収しただけでなく、以前より倍近くの軍団に膨れ上がっているようだ。手柄を立てた者はロンバード国の領土を恩賞として与えるとの約束で人集めをしているようだ」


「では、状況としてどうなの我が国は?」


「そうだ、正直言って不利だ。だが我々は戦わずして屈する訳にはいかない。今まで征服した国を抑圧しており、また奴の性格からいって、政体を徹底的に破壊するだろう。従って我々は戦う以外に道はない。もし我が軍が戦いに敗れれば、彼等寄せ集めの軍隊は我が国の民に略奪行為を働くだろう。そして弱い婦女子は乱暴さらないとも限らない。特にリーラお前は他国でも名を知られている。だからお前にもアナシア国に避難してほしいんだ」


リーラは兄の言葉を聞き、ショックを隠し切れなかった。

しばらく黙り込んだが、無駄と分かっていながら藁をも掴む思いで問い質す。

「我が国を助けてくれる国はないの?」


「ない、唯一ハーンを打ち負かせるとすればギリア国だ。残念ながらバイブルが王となってから断絶状態だ」


「以前、よく行き来していたわ。なんとかお願いしてみたのお兄様」


「もちろん、一応使いを出したが、国境で追い返されてしまった」


「でもハーンも人間よ。何か弱点があるはずよ」


と僅かな望みに期待を繋ぐ。


「ハッハッハ、リーラもすっかり大人になったな。だがハーンは単なる野心家というだけではなく、相当な武術者でもあるようだ。いや戦う鬼神と言ったほうがいいだろう。この前の戦いで敗れ退却してきた兵に聞いたところ、奴は馬で数人がかりで向かって行った我が軍の兵を、両腕を前に突き出し、居合いもろとも吹き飛ばしたそうだ」


「吹き飛ばした?」


「そうだ、ハーンはその場を一歩も動いていないのに、風切音が聞こえるや否や、馬上の兵達は周囲に吹き飛び倒されてしまった」


リーラは何かを思い出そうと過去を振り返る。


「帰ってきた者が皆、ハーンは超人だと言っている。そのような人間に死角なんて思いつかん。今から思えばギリア国のバイブルも同じような能力を持っているとのことだ。まさか二人が結託しているとは思わんが・・」


アルバートは一息ついた。


「長々と説明したが、そういう事情だ。明日行ってくれるなリーラ。なあに心配いらん、我々もみすみす敗れやせんさ」



*

兄アルバートが部屋から出て行った後、その言葉を反芻していた。


『風を切るような音』


『馬から吹き飛び倒れていた』


リーラは昔の記憶を手繰り、五年前の体験が目に浮かんだ。


『確か私がロンバード高原で山賊に襲われた時、異様な身なりをした男の人が私を助けてくれた。彼は場所を動きもせず、あっという間に、風が吹く音がすると同時に男達を倒してしまった』


『まさか、まさか、あの男の人がハーンだっていうの。私が見た限りでは怯えて優しい人のようだったわ。いやハーンはあの頃既に南方諸国で活動していたはず。ではいったい誰?』


兄の言葉を噛み締めるように繰り返す。


『ギリア国のバイブル王も同じ能力を持っている。汚れて血を流していたけれど若い青年だったわ。確かバイブル王はあの当時行方不明だったはず。お父様も言っていた。昔のバイブルは優しそうで、私の許婚にしようって』


しばらく彼女は自分の思考に浸っていた。そしてにわかに決心する。

部屋から出て、近習にダンとアリスを呼んで来るように伝えた。


 半刻の後、軍服姿のダンと、アナシア国行きを言い含められたのであろう幾分不満顔のドレスを着用したアリスが部屋に入って来た。

リーラ姫は二人にドアを閉めるように言い、他に誰もいないのを確かめた上で静かに切り出した。


「ダン、アリス私二人にお願いがあるの。私・・ギリア国の首都に行こうと思うの」


「え!、何と言われましたリーラ様」


ダンは仰天し聞き返す。


「私、ギリア国に行き、バイブル王に会おうと思うの。だから二人に手伝ってほしいの」


とリーラは繰り返す。

二人は真意を理解しかねた。


「でも、あのギリア国はご存知の通り、見張りが厳重で以前の様には簡単には入れませぬが」


「だから、あなた方に知恵を貸してほしいの。私は死を覚悟しています。この愛するロンバード国、いや民を救う為にも無駄かもしれないけれど、バイブル王に応援を頼んでみたいの。このまま黙ってハーンに国を乗っ取らせるつもりはないわ。私もこの国の王女として非力かもしれないけれど、賭けてみたいの」


そして内密にと前置きした上で二人に、兄のアルバートがハーン軍に対してかなり不利であると予想していること。

ハーンが特殊能力を持った超人であり、ギリア国のバイブル王も同様の能力を保有しているとの噂。

ギリア国の支援を得られれば逆に有利となるが、その為には、バイブル王に直接会って説き伏せる必要があり、もし間違ってなければ、昔リーラ姫を山賊の狼藉から助けたのはバイブルその人ではなかったか等、自分の考えを簡潔に説明した。


「大変危険なことは百も承知よ。兄も大反対するわ。でも私には逃げるなんてことできない・・」


と最後には喉を詰まらせながら言った。


「でもリーラ様」


ダンが諌めようとすると、今まで黙って聞いていたアリスがそれを遮り口を挟んだ。


「リーラ様、リーラ様はご立派ですわ。私も行きます。ぜひ最後までお供させて下さい」


「アリス・・」


ダンは見た目に戸惑った様子だが、アリスは構わず続ける。


「私もアナシア国に避難するように言われて憤慨していたところです。やりましょう。リーラ様のお気持ち私も同じ女性として理解できます」


「有難うアリス」


とリーラ姫は感謝を込めて言った。ところがダンはまだ躊躇っている。


「ダン、あなたはいいのよ。無理をしなくって。ただお願いがあるの。ギリア国の首都カンビアへの道を教えて欲しいの」


「リーラ様、私ある程度存じておりますから大丈夫です。カルム河に沿って進めば行き着きますわ」


二人のやり取りを聞いてダンもようやく決心した。


「わかりました。女性のお二人がそこまで決意されて、なんで私が怯んでなぞいられましょう。私も参ります。リーラ様」


「ダン有難う。でもあなたにはソロマを守る役目もあるわ。私達だけで何とかやり通すわ」


「いいえリーラ様。今度の戦いでの私の任務は、微力ながらもハーンに一矢報いることに他ありません。ただその第一段階がギリア国になるだけのことです。それにカルム河沿いに真っ直ぐ下れば、見張りの兵士に捕らわれてしまうだけです。北側から迂回する方が賢明です。私が案内致しましょう」


「感謝するわダン。お願いするわ。でもあなた方にはいつも私の我儘に付き合わせてご免なさい」


「なあに、それは慣れっこですよ。リーラ様と私は幼馴染で、お役に立てて光栄です」


「あらダン、それは私も同じことだわ。私達はいつも一緒よ」


とアリスが言うと、三人とも気持ちが和み顔を見合わせ笑い合った。

ただ、今度の遠乗りが今までと違い、困難な道程になるだろうとの思いから心を引き締めていた。

















評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ