魔獣(プロローグ)
『我子等よ、選ばれし我子等よ、目覚めよ、そして武器を持て、忌まわしきものから、この地を、弱き人々の集うこの地を、永遠に守れ』
地中の洞窟奥深くを、手にした松明で暗闇を照らし通路を探りながら慎重に進んでいる二人の男がいた。
黒衣に身を包んだ男の一方の手には幾何文様の描かれた刀剣が掲げられており、もう一人は身を震わせながら片方の手に護符を握り締めている。
後ろの男が怯えた声で前の男に尋ねた。
「サラミス様、ほんとうに奴はこの洞窟で眠っているのでしょうか?」
「分からぬか、先ほどから奴の息づかいが感じられるのが。カリム、くれぐれも私の言った通りにしろ。奴を見ても決して慌ててはならぬぞ」
と前の男は念を押す。
奥に進むほど複雑で異様な臭いが鼻をつんさく。まるで焼け焦げ腐乱した動物の屍が、そのまま放置されたような。
松明の光が届かない場所は全くの暗闇に包まれている。
やがて狭い通路を抜け出て広い空間が出現した。
今度ははっきりと風を切るような息づかいが断続的に聞こえてきた。
前の男が小声で囁く。
「奴がいた。この岩の向こう側だ。準備はいいなカリム」
そして二人は大岩の反対側を遠巻きに近づき、松明で照らした。
「奴だ!」
と前の男は言った。
後ろの男にも、そのものの姿が目に入った。見た瞬間、彼の身体が凍りついた。
「な、なんだこの怪物は!」
もはや恐怖が極限にあり、思わず後退りしてしまった。
運悪く彼の後ろ足が転がっていた石を蹴飛ばしてしまい、その音が静寂であった洞内に反響した。
そのものは、物音に気づきゆっくり目を開き、二人を見た。
「しっかりしろカリム」
前の男が叱ったが、その直後にそのものが発した重く脳に響く唸り声に圧倒される。
「ウワアー」
パニック状態となった後ろの男は、やって来た通路を一目散に逃げ出してしまった。
前の男は、
「馬鹿者、待てカリム、落ち着け!」
と逃げた男を追った。
そしてようやく追いつきその顔を平手で打つ。
「しっかりしろカリム、駄目だ、そうだその護符を私に渡せ」
背後から地底を揺るがすような地響きが聞こえてくる。
「仕方がない。もう少し向こうに岩柱があった。そこまで走るぞ。早く、奴がやって来る」
カリムと呼ばれた男を急かせた。目標地点まで来るとすかさず、
「よし護符をここに貼るぞ。カリム、この剣を持て」
と命じた。その間も大きな地鳴りが近づいて来る。
サラミスと呼ばれた男は精神を集中し、呪文を唱え、拳を振り上げる。
そして大声を上げると同時に、岩柱に打ち下ろした。
その一撃は岩肌に一気にひびを入れ、亀裂が生じ、その勢いで周囲の壁が崩れ始めた。
「早く洞窟から出るんだカリム、閉じ込められるぞ」
二人とも入り口まで闇雲に走る。
洞窟は大音響とともに周囲から崩れていく。頭上から降り注ぐ岩石を必死に避け、命からがら外に出た。
しばらく岩洞の壊れる音が続いたが、完全に崩れ終わると静かになった。
黒衣の男はその姿形の変貌した岩盤を見やりながら呻いた。
「失敗だ。奴に止めを刺せなかった。残念だ」
もう一人の男は傍らで膝と両手をつき泣き喚いた。
「申し訳ありません・・サラミス様・・私奴を見て、恐ろしくて・・」
「馬鹿者!、今さら嘆いても始まらん。三十年だ!、あの護符では三十年しかもたん。その時私は年老いすぎている。いいかカリム。奴が復活するまで我々は奴と対決できる人間を育てねばならぬ。時間がないぞ。時間が・・」
二人の男は、その場に呆然と立ち尽くしていた。