加減した試合
フェインの奢りかと思ったら自腹であった特殊空間こと部屋でアガサは一人、特訓という名の大暴れをしていた。壁はもちろん、床に天井などの至るところが巨大な穴が空いていて、砕けたがれきがそこら中に散乱している。
軽く殴っただけで結界をも砕いてしまう威力の拳なので、今まで思いっきり暴れるということが出来なかった。魔法も凄まじい威力で、フェインから禁止されている。なのでアガサがちょっとムシャクシャしても、力任せに暴れるという見た目通りの行動も出来なかったのだが、今は違う。
壊れても時間を巻き戻したかのように自動的に治っていく部屋。音も外に漏れず、部屋の外が膨大な空間となっていて、暴れた時に出る衝撃波も端まで届かない。つまり外に何の影響も出ないということだ。
「ほんっと、この部屋って便利だな」
ここなら何をしても外にバレることはない。
(本当に便利だよな……自腹なのを差し引いても便利だ。その代わりに金欠だけどな!)
食費はフェイン持ちになっているので今のところ大丈夫だが、早く稼がないとその内クビになりかねない。というか、試合に出ることを条件に面倒を見てもらっているのでそろそろ働かないとマズイ。
アガサとしても今の生活は割と気に入っているので何とかして働かせてもらいたいのだが、試合の度に客にまで被害が出るのはどう考えてもまずい。なので、手加減をしなければならないのだが……。
「これじゃあ駄目だよなぁ」
軽く床を殴っただけで周囲の床板も砕け散るさまを見てアガサは肩を落とす。それをフェインが見れば、その軽く殴るのすら常人には速すぎて見えずに死ぬという感想を抱く。それほどのものだったのだが、その常人の強さを知らないアガサがそれに気づくことはなかった。気づいても加減が出来ない現状ではどうしようもないことではあるが。
「んー、フェインに頼んで死んでも良い奴を」
そう呟いてから頭を振って思い直す。自分は人を命を軽く扱うような性格ではなかったはずだと。
(この体が帝国で植えつけられた価値観に引っ張られているのか)
ぺちぺち(本人にとって)と床を叩きつつ考えたが、やはり慣れていくしかないと結論づけたアガサ。既に何人も殺している事に気づかない辺り、価値観が大きく変化していることに気づかないままに。
その後、フェインが来て加減の特訓として魔物との戦闘を繰り返すという方法を提案されたアガサは自分がそれを思いつかなかったことに衝撃を受けながらも実践することにした。
尚、照れ隠しでフェインの膝を蹴ってしまったのはご愛嬌。
そして後日、フェインの伝手で様々な種類の魔物が手配された。
炎をタテガミのように纏っている巨大なサーベルタイガーみたいなのや、巨大な蟻、大きな蛇に背中に刺が生えた熊などなど。それら全てが各々檻に入れられて部屋に運び込まれていく。
「なぁ、こいつらって」
「フレイムタイガーにジャイアントアント、ビッグサーペントにニードルベア。危険な魔物たちだな」
見た目通りの名前らしく、見ただけでどれがどの魔物なのか一目瞭然だ。だが、アガサは薄々感づいているが、確認のためにフェインに尋ねた。
「そんな危険な奴、街に持ち込んでいいのか?」
「駄目に決まってんだろ。密輸だよ密輸」
「ですよねー」
仮面越しに運び込まれていく魔物たちを眺めながら、アガサは簡単に死ななければいいなぁと思う。
「あ、こいつらの料金は肩代わりしといてやるから、早く加減を覚えろよ」
「ぐっ……あ、ありがとうございます」
そしてやはりこれもアガサ持ちだった。
「で、加減できるようになったのか?」
「あぁ。魔物も吹っ飛ばなくなったし、試しに床板を殴っても亀裂が入る程度にはなったよ」
「そうかぁー」
「な、なんだよ。どうしたんだよ」
特訓後、昼食を食べながら報告をするとフェインは遠い目をしながら微笑む。それを見たアガサが戸惑いながら聞くがフェインは何でもないと言うが当然アガサはそれでは納得などしなかった。
楽しいお話をした結果、あの部屋全体の素材はフェインの部屋の壁と同じ素材(当たり前だが)で、襲撃などで籠城することも考えて結構頑丈なモノで出来ており、ヒビどころか傷をつけることすら難しいはずだと。
……うん、バッキンバッキン壁とか床を壊しまくってたな、俺。
アガサも遠い目をしながら昼食を食べ、その後は勉強の時間だ。
今のアガサの一日は、朝起きたら直食を食べ、午前は部屋で特訓をし、昼食後の午後は夕食までひたすら魔法の勉強。そして風呂に入って寝るという完全なヒモ生活であった。
(何とかせねば。何とかヒモ脱却を……!)
現状を打開しようとしてフェインに試合を組むよう頼み込んだが、反応は芳しくなかった。それもそうだ。一撃で相手だけでなく客席にまで被害が及ぶような奴を試合に出したくなどないだろう。加減はダイブ出来るようになってきたし、フェインもちょくちょく様子を見に来ていたが、まだまだ駄目のようだ。
そんなもどかしい毎日を続けていたある日。アガサが入浴を済ませた後にフェインが思い出したように知らせてきた。
「お前の次の試合、明後日だから忘れんなよ」
「……はぁっ!?」
「わりぃ、伝えんの忘れてたわ」
突然のことで一瞬だけ驚いていると、フェインは軽い口調で謝ってきたので飛び蹴りをかましてから詳細を聞き出すと明後日の夜に他のランクで敵無しになっている奴の処分と特訓の成果を兼ねての試合らしい。
「まぁ最近加減できるようになってきたし、行けるだろ」
「簡単に言うなよ……まぁ、でもありがとな」
ケラケラと笑うフェインに御礼を言ったアガサは少し恥ずかしくなりベッドにダイブして毛布を頭からかぶる。それを見たフェインの笑い声が一層大きくなり、イラっときたアガサは近くにあった酒瓶をフェインにぶん投げた。
そして二日後の夜。アガサは二回目の試合出場の為、リングに上がっていた。
フェインから渡された全身を覆う肌触りのいい白いコートとその下に年齢がわかりにくくするための少し余裕のある厚手の法衣。それと真っ黒なグローブと仮面付きの覆面を被り(フェイン曰くちゃんとしたの)、身元バレを無くした完璧装備を着用して。
『さぁ、皆様。自己防衛の準備は大丈夫でしょうか!』
レフリーがマイクを手にし、観客たちに確認を行う。どうやら、アガサの最初の試合の時に居た観客が多いようで、居なかったらしい観客もその惨状を聞いていたらしく、観客たちの顔に最初の試合の時のような嘲りなど一切ない。
それを確認したレフリーは自分の仕事をするべく口を開いた。
『ご紹介しましょう。皆様ご存知。裏舞踏会史上最悪の超絶問題児。裏舞踏会無差別級選手……過剰なる破壊者。アガーサァアアア!』
「……」
それにアガサは声など出さないし、手を上げるなどのパフォーマンスもしない。まだ慣れてないし、と心の中で言い訳をしながら相手を見つめると相手はアガサの事を聞いていないのかロープに寄りかかってにやにやと笑っている。
というか待って。超絶問題児ってなんだ。いや、そう言われても当たり前のことをしでかしたけどさ。過剰なる破壊者はおかしい。絶対におかしい。後でフェインに抗議してやる。と、心に決めたアガサは次に愛艇の紹介を行うレフリーの言葉に耳を傾ける。
『続きまして、裏舞踏会人間魔闘部軽量級殿堂入りを果たし移籍してきました。裏舞踏会人間魔闘部軽量級王者。殴殺王ジレーンンンン!』
「っしゃぉらあ!」
いつもやっていたのか、それとも華々しくデビュー戦を飾ろうとしたのか、それとも気合を入れる為か、右手を掲げて雄叫びを上げた。
それに対して観客たちは数人が軽く拍手を送るだけで、ほとんど反応を示さない。
ジレンとかいうのはそれが不愉快だったのか少し眉をひそめながらもリング中央へと歩み寄ってくると、右手を差し出してきた。
「いい試合をしようぜ、お嬢ちゃん」
ニヤついた笑みのままでアガサを見つめるジレンの顔と手を交互に見てからアガサは同じく右手を上げる。
『では、試合開始!』
そしてその手を手加減なしに払い飛ばした。
宙を舞う血と手だった肉片を呆然と目で追うジレンの腹部に加減ありのパンチを食らわせ、前かがみになった所で顎に掌底を当てると、少し力を入れすぎたようでバク転のように後ろに一回転し、そのままべちゃりと床に突っ伏し動くなるジレン。
「……」
俺を舐めて掛かるからこうなるんだ。
逃げかけたレフリーが固まって見守る中、動かなくなったジレンの髪を掴み、強引に頭を上げる。すると、ジレンと目が合った。
顎は骨が折れたのか開きっぱなし。顔中の穴という穴から液体が出てはいるが、どうやら気絶まではしていない上に闘志も消えていないらしくこちらを睨んできた。
なので、潰さないように加減をしたつもりでリングへ顔を叩きつけ、すぐに頭を上げて見ると、鼻が潰れ、前歯も折れて間抜けヅラになっていた。ちょっと鼻血を出すだけにしようとしたアガサにとって予想以上の惨状であった。
(まだ加減が分かんないな。体の方は大丈夫そうだけど、顔はなぁ。脆いし、重要だから慎重にやんねぇとな)
アガサが大丈夫そうだと思ったジレンの体。実は大丈夫ではなかった。
アガサが試すために砕いていた床板の素材の名は白陽石。日本であればロケットランチャーにも耐えうるほどの頑丈さを持っていた。
そんなものにヒビが入るより少し加減した程度の力で殴られて無事でいられる訳が無い。防御などをしていれば問題ないだろうが、ジレンは自分の右手がバラバラになって飛んでいくことに驚いてろくな防御も出来ていなかった。なので、気丈に振舞ってはいるものの、ジレンの内蔵は破裂し、放っておけば死ぬ瀕死状態であった。
そんなことになっているとは露知らず、アガサはジレンをどうしようかと考えていた。
(殺す、気絶させる、降参させる。一番楽なのは殺すだけどそこまでやるのはなぁ。気絶させるのは自信ないし……降参させるにしても、まだまだやる気十分なんだよなぁ)
「っらぁ!」
考えている隙をついてジレンが無事な左手でアガサに殴りかかるが、反射的に防ぎ、そのまま握り潰す。
ボキボキボキッと骨が砕ける音と感触が手に伝わり、アガサは仮面の下で不快感に顔を歪め、ジレンは腕を握り潰されて絶叫する。
(……足も砕けば終わるかな)
流石に四肢を潰されれば降参するだろう、とアガサは消えた右手でひしゃげた左手を抑えるジレンの両足を踏み砕いた。
「ぐっ……がぐっ……!」
滝のような汗を流すジレンの目の前。ジレンの血を使って習った字で降参を促す。
それを見たジレンは顎が折れていて歯抜けでもあるので聞き取りにくいものの、明確に拒絶した。拒絶され、アガサは困ってレフリーを見ると首を横に振った。
まだまだ戦闘不能と認められないらしい。
そういえばジレンは魔闘とかいう部門の王者なので魔法がまだ使えるので、戦闘不能と判断されないのだろう、と勝手に推測したアガサはジレンの頭を持ち上げ、ぶら下がる下顎を掴んだ。
「ふぁ、ふぁてっ!」
何をするつもりか気づいたジレンが制止しようとするが無視。降参を促したのに拒絶したのはそっちだと言わんばかりに躊躇なく下顎を、アガサは引きちぎった。
『試合終了! 勝者アガサ!』
そこでようやくレフリーが試合終了を宣言し、ジレンに駆け寄って具合を確認する。そのレフリーの足元に下顎を放り投げ、アガサはリングを降りていく。
それを祝福するような大歓声と惜しみない拍手が送られた事で、まだ二試合目ではあるものの、アガサは何となくではあるが観客たちが求めているものを理解した。
強者が折れるその瞬間。予想外の番狂わせ。弱者が踊り、悶え、そしてゴミのように潰える様を見たいのだ。
熱くなるような。血湧き肉踊るような戦いなど見飽きた老獪な裏社会の傑物たち。それが裏舞踏会無差別級の観客達なのだ。
(全く、本当にいい趣味してるよ)
普通なら一歩間違えれば地獄の底へと落ちる綱渡り。アガサはその一つに乗ってしまったんだな、と少し疲れたように小さくため息を付いた。