体育館
「お前に会いたいっていう奴が居るんだが、どうする?」
「断る」
焼きたて熱々のピザを特に熱がらずにアガサはフェインの質問に答えた。
「あちち……相手は裏では有名な女傭兵。紹介料だけで金貨数万枚っつー滅茶苦茶な奴だ」
ピザを手に取って熱がりながら、返事を聞いて尚も話を続けるフェインにアガサは鼻を鳴らす。
裏武闘会無差別級初試合から数日、アガサに会いたいと言って来る裏の人間はこれで10人目だ。試合を観戦していたほとんどの人間から恨まれていると言う自覚はあるアガサは、徹頭徹尾全ての申し出を断っていた。面白い物を見る目で見ていた連中には会ってもいいかなとは思うアガサだが、その連中の顔は知っていても名前など知らないから本人かどうかも分からないのでどうしようもない。
「そんな事よりも、武術を教えてくれる奴は見つかったのか?」
初試合から数日経っているが、未だにアガサは初試合しか試合をしていなかった。
普通は毎日試合を組まれるらしいが、アガサが強過ぎて───会場の修理代も理由ではある───それ以降の試合は組まれていなかった。
そこでアガサは、手加減を学ぶ事も兼ねて武術を習おうとしたが、武術を教えている道場などに足を運んで学んでは目撃情報とかでアガサの居場所がバレる可能性が高まる。それだけは避けたいアガサは、逆に道場の師範などにご足労頂いて学ばせてもらう事をフェインにせがんだのだ。ちゃんとした武術の達人で、口が硬く、学び終えたら殺しても大丈夫なら最高だ。
もちろん、真っ当な武術の達人でそんな条件に当てはまる人物などそうそう居るはずもなく。
「まだ見つかんねぇな。そもそも武術の達人なんて国が放って置かねぇよ。大体は国から指南役として召抱えられる。そうじゃねぇ奴は世捨て人か、地位や名誉に興味のない奴か、まだまだ研鑽を積みたい奴か、何かしらの問題がある奴か。こんな所に来る奴は一番最後の奴くらいなもんだよ。それかただの馬鹿」
「馬鹿は何かしらの問題に入るだろ」
最もな意見にフェインは「確かに」と呟いてピザを口に運ぶ。ちなみにこのピザは、フェインが早起きして作った生地で焼き上げたピザだ。それを知ったアガサが、フェインの家事力の高さに戦々恐々とするのは最早日課になりつつある。
「じゃあ、今日も魔法か」
「そうなるな」
武術を教えてくれる人物が見つからないが、魔法を教えてくれる人物はアガサの目の前にいる。魔法とはかくも奥深く、アガサの持ち前の高い知能を以てしてもまだまだごくほんの一部しか理解出来ていない。これはフェインの教えが悪いのではなく、魔法は知識の記憶と実践の繰り返しだ。しかも、ただ理解するのでは平均レベルとなる。それではいずれ来るであろう帝国の刺客に対して遅れを取る可能性があるので、アガサとしては超一流は無理でも一流を目指している。
なので、アガサの学習は非常に時間と手間がかかっているのだ。触媒が必要な魔法では、更に金もかかる事になる。
まだそこまでに至ってはいないが、もし学ぶ段階になったら、触媒の費用は恐らくアガサ持ちになるだろう。
「さて、前はどこまでいったんだったか」
「下級魔法だな。あれだ、ファイアーボール」
「あれか。俺の酒瓶を燃やした奴だな」
試しに唱えたアガサの手のひらから放たれた馬鹿でかい炎球は、そのままフェインが酒類を置いている棚を含めた家具数点を焼き払った。その時は魔法で煙を浄化したりして大事にはならなかったが、フェインからはゲンコツを貰った。
別に痛くなかったし、逆にフェインがダメージを受けてたけど。割と本気で反省したので、フェインはゲンコツとこうやっていじってくる時にだけしか言ってこない。
「……悪かったって。わざとじゃなかったんだよ」
「わざとだったら叩きだしてるわ。で、ファイアーボールの次は……スプラッシュだな。唱えるなよ」
「分かってるって」
まぁそれからは魔法名の次には「唱えるなよ」になってしまったが。
「噴水は知ってるか?」
「ん、あぁ」
「大体はそんな感じだ。下級魔法を教え終わったら教えるが、魔力をコントロールしたら岩を砕くほどの威力になる」
「へぇ……」
水鉄砲……いや、消防隊の放水みたいなもんか。つまり、魔力のコントロールが無い場合は蛇口を捻っただけの状態。魔力のコントロールはホースの役割をしている感じだな。
「つまり、魔法の方向性と密度と勢いを決めるのが魔力のコントロールって事か」
「……お前は本当に飲み込みが早くて助かるよ」
何だその目は、要領が良いのは良い事だろ。
「全く、可愛げのないガキだな」
「喧嘩なら買うぞ?」
「売ってねぇよ。ほら、続けんぞ」
ポスポスと俺の頭を叩くフェインを俺は軽く睨みつける。
前に殴っても死ななかった事に疑問を呈したら、フェインは胸を張ってこう言った。
『全力で防御している上でお前が手加減していれば1発くらいなら大丈夫だ。死ぬほど痛いけどな!』
その時は胸を張る事じゃないとは思ったけど、よくよく考えてみると今までに殴った相手は全て1発で粉微塵に吹き飛んでいるので胸を張ってもいいのかもしれない。
いや、割とマジで。
「それで、次はテレキネシス。物を浮かせてぶつける魔法だ。これは作り出すんじゃなく、その場にある物だからな」
「……そうか」
聞いた事のある奴だけど、魔法なんだ。魔法だ、魔法。超能力とかじゃないんだ、うん。
アガサが自分に言い聞かせている間にもフェインの授業は続いていく。その全てをアガサは完璧に覚え、理解もするのだが……。
つくづく、ハイスペックな体である。
「今日はこれ位にしておくか。自習しとけよ」
「ん」
仕事の時間らしく、時計を見たフェインが授業を切り上げるとそう言い残して部屋を出ていく。それに教科書から目を放さずに軽い一言を送り、フェインに言われた通りに自習を始める。今見ているページは、魔力とは生命の根幹から生じる力を変換したものであるという書き出しから延々とそれについて、著者の観点から述べている場所だ。
(生命の根幹から生じる力……生命力だよな。という事は、生命力を変換したのが魔力だとすると。治癒魔法とかはどうなるんだ?)
魔力……生命力を対象に送り込んで体しいては細胞を活性化させるのなら、それは治癒ではなく再生の部類になると思う。魔法だからと言われてしまえばそれで終わりではあるのだが、それでは理解が深まりはしないだろう。この世界の住人には、細胞とか言っても分からないかもしれないけども。
いや、帝国の研究者なら理解出来るだろうが。
(結局は、帝国に居た方が何かと都合が良かったんだよなぁ)
望めれば求める以上の学習が出来ただろうし、一々ビクビクする必要もないし、歩く軍事機密だし、一応は血筋的に皇帝の孫に当たるんだから悪いようにはされなかっただろう。そう考えると帝国を逃げ出したのは早まったかもしれない。
一瞬だけそう思ったアガサだが、すぐに実験の日々だったのを思い出して最後の2つを頭の中から消し去る。
(あのまま居たら洗脳装置とか取り付けられそうだったなぁ。あるかどうか知らないけど)
ありそうで怖いのだから、流石は帝国と言った所だろう。
「ん?」
ペラペラとページをめくり、項目は魔術の深淵に移る。そこには、種族特有の魔術が存在しており、全てを使える存在は居ないと書かれている。学習のためにと種族特有の魔法がつらつらと書かれているが、それらは代表的なものであり全てが乗っているわけではないようだ。
「ふーむ」
まだ学習途中ではあるが、ある程度は理解出来るそれらを眺めながらアガサは唸る。使えるようになるギフトを作れば、使えるようになるのかもしれない。
作らないけど。
使えないはずの魔法を使えるのを見られたら、言い訳のしようもない。でも、もし使えたら面白そうなものばかりではある。
植物を一気に成長させて操ったり、骸骨を操ったりなど、どの種族のものが丸分かりではあるがとても面白そうな魔法の数々。
まさに王道の魔法たちだ。
「使ってみたいけど、無理だよなー」
ここには植物も骸骨もない。使ったとしても、大惨事になることが目に見えているのでフェインが使わせてくれないだろう。
「はぁー……もっとファンタジー要素をくれー」
益体もない事を呟きながら、アガサは魔法への理解を深めていく。その姿は、研究者のそれと同じであった。フェインの授業と自習を繰り返していたアガサに朗報が飛び込んできたのは、その数日後の事だった。
いつも通り、フェインが作り置きしておいてくれた昼食を食べているアガサは顔をニヤニヤさせるフェインが帰って来ると開口一番。
「きもい顔してんじゃねぇよ」
「きもっ……!」
ぐっと言いたいことを堪えたのかフェインは大きく息を吐くと自分の後ろを指差した。アガサは顔を動かして見ると、そこには白髪の男性が立っていた。
それを見た瞬間に誰、なんで、どうしてなどと様々な言葉がアガサの脳裏をよぎってからアガサは結論づけて立ち上がった。
「……裏切りやがったか」
「待て待て待て!」
正体を隠すという約束を破ったフェインに拳を握りながら襲いかかろうとしたアガサにフェインは大慌てで待ったをかけた。これまでの恩もあったことでアガサは遺言くらいは聞いてやるかと思い視線で先を促す。
「こいつは空間屋って言ってな。空間をデカくしたり小さくしたりすることが出来る奴で、お前が暴れても問題ない場所を作る為に呼んだんだよ」
「……へぇ?」
「ちゃんと口も堅い。だから情報が漏れることはないから安心しろ!」
フェインの言葉にアガサが空間屋を見ると、男性は頷いた。
「もちのろんどぅえ~す!」
「……口が軽そうに見えるけどなぁ?」
「こんなのだけど口だけは硬いんだ!」
「ふぅん?」
「本当だって!」
「あっのー、どこにやればいいか教えてもらっていっすかぁ?」
アガサとフェインの睨み合いの最中に元凶はどこ吹く風で尋ねてきたので、仕方なくアガサはフェインへの問い詰めを後回しにして椅子に戻る。それに安堵したフェインは空間屋に何もない壁へ案内すると壁を指差した。
「ここで頼む」
「りょっでぇーす」
そう言う否や、空間屋は指ほどに太い杭と金槌を取り出して壁に打ち付けた。それを見てアガサは目を丸くするが、フェインはそれを黙って眺めている。金属同士がぶつかるかん高い音が何度か部屋に響き、我に返ったアガサはすぐに横から空間屋の仕事を覗く。
杭がどんどん壁に沈んでいき、十分な深さまで沈むと同時に杭が小さくなった。
「……は?」
あまりに一瞬の出来事過ぎて、アガサは小さくなった杭とフェインを何度も交互に見る。それを全く気にせずに空間屋は空いた穴に指を入れると。
「!?」
その穴が一瞬で横に大人が三人並んで通れる程の大きな長方形の穴になり、空間屋がその穴に歩を進めると穴の奥行がどんどんと増えていく。フェインもそれに続き、アガサも驚きながらも慌ててついていく。
奥行が十数メートル程になった所で空間屋がフェインに尋ねる。
「どぅのくらいの大きさどぇすか」
「そうだな……とりあえず横60に奥100、高さは30で頼む」
「りょうくぁいでぇーす!」
「うぇっ」
再度、穴が広がったと思ったらあっという間に目の前に巨大な空間が出現した。その空間は、まるで体育館のようだ。バスケットゴールなどは全くないコンクリート打ちっぱなしの何もない白い空間。アガサは変な声を漏らしたが、その空間を見てすぐに感嘆の声を漏らす。
「おぉー……!」
「大きさはこのくらいでいいか?」
「倍にしてくれ!」
「お嬢ちゃんかぁいいねー。サービスしちゃう!」
アガサの要望通りに空間の広さが倍(面積は八倍)になり、アガサは目を輝かせる。
(魔法って凄い。こんなことも出来るなんて!)
「後は壁の向こうとの距離をめちゃくちゃ広く。後は防音と自動修復も付けといてくれ」
「りょうでーす!」
その間にフェインは追加注文をし、空間屋は流れるような手際の良さで作業を終えると「チャオ☆」と言って去っていった。
空間屋が帰ったことにも気づかずにいまだに目を輝かせて見て回っているアガサ。フェインは微笑みながら肩を竦める。
「ここなら暴れても問題ない。魔法なりなんなり思いっきり練習してもいいぞ」
「本当か!?」
「あぁ。この空間は空間と空間の狭間で、音も漏れないし、お前が思いっきり……いや、殴っても大丈夫。壊れても修復する。好きに使っていいぞ」
「おぉ……!」
「それと、受け取れ」
フェインが投げたものを受け取り、アガサはそれをつまんで目の前にぶら下げる。それはどこからどう見ても鍵だ。アンティーク感のある古ぼけた鍵。
「それがこの空間の鍵だ。扉に使え」
「扉……あれか」
このひらけた空間までの道にいつの間にか両開きの扉がついており、今は開け放たれている。この扉にこの鍵を使えということだろう。
「俺の部屋の方にも扉があって、こっちの扉でもあっちの扉でも締めればこの空間への道は閉じられる。スペアは俺が管理するが、構わないな?」
「あぁ」
受け取った鍵をポケットに放り込み、アガサは何もない空間に向かって軽くストレートを放った。
はるか向こうの壁が豪音と共に砕け散り、大きな穴が空く。そしてすぐに時間が戻るかのように破片が元あった場所に戻り、ヒビひとつない元通りに戻る。
なるほど、自動修復って奴か。
続けてファイヤーボールを放ち、爆炎が壁を黒く焦がす。同じように瞬く間に元通りになったのを確認してからアガサは頷いた。
「うん、気に入った。ありがとうな」
「別にお礼なんていらねぇよ」
その時のアガサはフェインにすごく感謝をしていた。こんないいプレゼントをくれるなんて、なんていい奴なんだ、と。アガサはすごくいい笑顔でお礼を言うとフェインは照れ隠しなのかタバコに火をつけると顔を背ける。
それを見たアガサはからかってやろうと口を開いた。
「なんだ、照れてんのk「代金はお前の口座からだからな」
「……え?」
「え、じゃねぇよ。空間屋に頼むのは高いんだ。ただ頼むだけじゃなく、口止めもするんだからより高い。お前が稼いだ金のほとんどがふっとぶ位にはな」
「……お、おまっ」
「残金の確認でもするか? 明日の飯も買えねぇはずだぞ」
「お前ぇえええええ!」
この後、アガサの幾つもの罵詈雑言が空間に響いた。
そしてフェインが用意した魔道具で調べた結果、アガサは自分の口座の残高を見て膝から崩れ落ちた。これが、アガサが生まれて初めて膝をついた瞬間であった。