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Another Water

「ーー何これ。どう、なってるの?」


 目を覚ましたキヨミは、信じられないといった風に呟いた。

 ほぼ同時に起きたチズルも、同じ様な事を呟き、キョロキョロと辺りを見渡している。


 目を覚ましたら、タクシーが水中にいたのである。


 3人でタクシーに乗り込んで、暫くしたら急激な眠気に襲われたのだが、他の記憶はなかった。


 密閉された車内。浸水の気配は無い。

 運転主はいなくなっていた。

 フロントガラス越しに見えるのは、濁った深い青緑色の水中と、水中に伸びるヘッドライトの明かりだった。


(なんで!? なんでこんな事に!?)


 自分の呼吸音と心音が頭に響く。

 直後、酷い耳鳴りに、頭を抑えうずくまった。


 マスターとの会話を思い出し、ある可能性に思い至った。

 そしてきっかけとなったであろう人物へ向き直った。


「ミカ、あなた……大学はA県よね?」

「…………」

「裏野ドリームランドに行ったことある?」

「……」

「デートで行ったの?」

「…………」

「彼氏の名前は?」

「………………………ゆうくん」


 行方不明者の名前は、川口ユウジ。


「チズル! ミカを抑えて!」

「……!」


 その事実に気づいた瞬間、キヨミは叫ぶ様にチズルに言った。

 チズルも言われるが早いかミカの両腕を力一杯に掴み、ドアノブに手が触れる直前で阻止した。チズル自身もミカを異様な気配に気付きいつでも拘束出来る姿勢になっていたからだ。


「ゆうくん、ゆうくん、ゆうくん、ゆうくんーー」

「やめろ、ミカ! ミカ!」


 ドアから引き離されたミカは暴れこそしないものの凄まじい力でドアノブを掴もうとする。キヨミも加勢してやっとドアから1シート分ひき話すことができた。チズルがすかさず、ミカを羽交い締めにする。


「ゆうくん、ゆうくん、ゆうくん、ゆうくんーー」


 拘束されてもなお、ミカは手脚をドアへと伸ばしそれぞれをバラバラに蠢かせた。


「ミカ! 落ち着きなって、ミカ!」


 チズルが耳元で言うが、ミカ一切反応を示さずいなくなった恋人の名前を呟き、手脚をわきわきと動かし続けた。


「ゆうくん、ゆうくん、ゆうくん、ゆうくん」

「あなたの彼氏はもう死んだの!」


 キヨミが叫ぶ。

 昆虫じみた手脚の動きがピタリと止まった。


「し、ん、で、ない、よし、んで、な、い、よ、ゆ、う、く、んは、しん、でな、い、よ」


 言葉が変わっただけだった。そしてまた、手脚をもぞもぞと動かし始める。

 ぎこちない、まるで何者かが人間の言葉を真似ている様な、生理的な嫌悪感を感じさせる声、言葉。


 車内の空気が更に澱んだのがキヨミには分かった。


 その時、キヨミの全身に未だかつて感じたことこない悪寒が走った。


「ーーーーひぃっ!」


 無理やり絞り出した様な悲鳴が喉から漏れた。

 キヨミの背後、薄いドアの向こう側、水中を何かが通り過ぎたのだ。

 背中越しに感じたおぞましい気配に全身に鳥肌が立つ。

 震える全身を抱き締め、命乞いの様な言葉を吐き、


「もう、いやよ。やめてよ。助けーー」

「ここに、いるよ、ゆうくん、ここにいるよ」


 顔を上げ、固まった。

 ミカの視線の先、右側のドアガラスの向こうに、『それ』を見てしまった。

 ミカは溢れんばかりの笑みと熱のこもった視線で『それ』を見つめる。

 チズルはミカに遮られ、まだ『それ』に気付いていない。


「ーーーーぁ。ぁ」


 叫び声は出なかった。叫ぶ事さえ諦めるほどの絶望がキヨミを襲う。

 恐怖を超えた深い絶望が、逆にキヨミを冷静にさせた。それは、諦観に近かった。


「な、なに? どう、したの?」


 二人の様子の変化に、チズルが気づく。

 チズルはまだ『アレ』に気付いていない。なら、あんなものは見ない方がいい。

 そう判断したキヨミは冷静に、動揺させない様にとクギを刺した。


「……チズル、見ちゃだめ」

「ーーえ?」


 不用意に顔を上げてしまったチズルは、ミカの頭越しにあるものを見た。


「ーーーーーーーーーー………」


 チズルも、『それ』を見てしまった。


 人間を、そのまま無理やり魚の形に引き伸ばしたバケモノ。

 表面は腐りかけの生々しい肌色。人間より何倍も大きい『それ』はドアガラス程度では体全体が見えなかった。

『それ』は頭部と思われる部位(目がある為頭部と推察される)をドアへと近づけて来た。無理やり空気を入れて膨らました様な眼球がガラスに押し付けられ形を変える。

 それは中を見ていた。視線の先にはミカがいた。

 ミカは暴れることも呟くことも止め、涙を流しうっとりと恍惚の表情を浮かべていた。

 そして眼球が、キュッっとガラスの擦れる音を立てて動く。

 その不気味な濁った視線が、チズルを捉えた。


「ひ、いやぁああああっああああああああ!」


 眼球と目があったチズルの口からは絶叫が迸り、両手で頭を抱え震える出す。


「ぁ、チズル、ダ」


 キヨミが気付いた時には、既に手遅れだった。

 チズルの拘束が解かれた瞬間、ミカがドアへと飛び付き、ガラスにべっとりと張り付いた。


「ゆうくん、あいたかったよ」


 そしてドアノブに手をかける。



 ------------------------------------



 翌朝、C県M市**川の川底からタクシーが引き上げられた。

 タクシーは**橋の欄干を突き破り川に落下したと思われる。

 車の発見場所から下流に20メートルの場所で運転手の遺体が発見された。

 乗客はまだ見つかっておらず今もなお捜索行われている。


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