プロローグ
「む…ここは何処だ」
俺は家の布団で寝た記憶はしっかりとある。そして俺の部屋はこんな陰気臭いコケの生えたゴミ溜めみたいな場所ではなかった事もしっかりと記憶している。
目の機能が正常の稼働し始めると、少し心に余裕が出来る。
まずは状況確認から。登山で遭難した時などの基本である。
床の広さは1辺が10mの正方形程度、高さは体感3mほどであろうか?窓はなく、壁、床ともに石で形成されていると思われる。コケが生えているためそこそこの湿気があり、食料と水さえあれば一定時間は生存できそうな場所である。
ここから何故ここにいるかに想像をめぐらす。
誘拐、という線も考えたが、そもそもドアが見た限り確認出来ない上に、足跡などが一切ない事から可能性は低い。
神隠しという線もあるが、非科学的である。
まぁこんなもの分かったとして、対処方がある訳でもないので思考を打ち切り、状況確認に戻る。
石作りの部屋の中には一つ、奇妙な物体があることに気が付く。
手にすっぽりと握れるほどの、何かの結晶である。微量に発光しているが、温度は石の床や壁と同じくひんやりとしているだろう。
形はひし形で、先端がとがっている。凶器にもなりうるが、殺傷性はそこまで高くないと思われる。
直に触れてみると、体から力が抜けるような不思議な感覚に襲われる。
パッと手を放す。
本能的な危険、とでも言おうか?そのようなものを感じた。
とりあえずこの物体の処置は保留とし、別のモノに目を向ける。
コケ、見た限り這苔の類であろうか?直射日光が当たらなくても生えるが、部屋の中に何故か存在する光で育っている事を考えると新種の可能性も否めない。試しに触れてみると、通常の苔以上に湿っていた。水滴が指先につく程度である。
そこまで湿度が高くはないと思うのだが、この苔の特徴であろうか?ますます新種の可能性が高まる。
次に目を向けたのは天井である。
天井にも苔は生い茂っているが、よくみると微妙に光っているような気がする。
触れる事が出来ないが、これが光源になっている可能性もある。
これ以外のモノは存在していない。さぁどうするか。
食料、苔のみ。肉類などは一切無し。水分、苔から摂取出来ればある程度は存在する。光源、不確定だが天井にある苔、何かの結晶。
若干詰みの状態のような気がするが、打開策を思考する。
1、石をどうにかする。
どうにかする方法が現状無い。俺の肉体では石を砕く事は出来ないし、石垣のように積まれた石を取り除いたらこの部屋が崩落し、俺が潰れてしまう可能性もある。
2、助けを呼ぶ。
一切隙間の無い場所と思われるこの石の部屋の中で叫んでも誰かが現れる可能性は非常に低い。そもそも人がいないだろう。
こんなものであろうか?現状、ものの見事に詰んでいるが、アクションを起こす他はないだろう。誰かが救助に来る可能性は0に限りなく近いだろうし、このまま苔を食って餓死、というのも死に様としては悪すぎる。
とりあえず謎の結晶は一体何なのか、について調べよう。そう決めるとまず、適当に服を破いてそれで掴んでみる。
実験は条件を一つ変えて試していくのが基本中の基本である。
すると、力が抜ける感覚は無いが、布の中の水分が吸収されていくような気がした。どんどんと乾燥させたようにカピカピになっていく。
水分を吸収するのか?と思い至り、近くの壁に生えていた水分をため込んでいる苔に押し当ててみると、どんどんと乾燥していく。
水分を奪い取る、そういう特性を持った物質の結晶であろうか?炭の色を抜いたものだろうか。火をつけて実験してみたいが、残念ながら煙草を吸わないのでライターを持っていない。
しかし、触れただけで、布と言った水分を取り出しずらいものから水分を吸収できるのであろうか?という疑問が頭に浮かぶ。
不思議な物質の結晶である。発表したらノーベル賞取れるかもしれんな。
天井の発光する苔に当てたらどうなるんだろうか?そう思いつくと、上に投げて苔に当ててみる。
すると、その苔の周囲が暗くなる。
「ほう…」
これにより判断材料が増えた。で、この結果に対する回答は二つほど思いついた。
まずその1、結晶が作用した。
結晶が水分を奪う、という効果とは全く別の効果である。という回答だ。これについては実験材料が少なすぎて分からない、がそういう可能性もあるという事だ。
その2、苔の効果。
結晶が水分を奪う、という効果で、この苔が水分がある状態で発光する、という効果をもっているという回答である。子の場合、水分が再び溜まればこの苔は発光する、と言う事となる。苔がどれくらいで水分を吸収するのかは知らないが、再度発光すればこの回答という確率が高まる。
やはり、実験材料が少なすぎる。実に惜しい。もう少し実験が可能ならばもっと正解に近づけられるのに。
そんな事を思っていると、不意に体が光に包まれる。
反射的に目を閉じる。
目を開けると、さっきのジメジメした石の部屋とは似ても似つかない純白の空間にいる事を認識する。
「君は…いい。素晴らしい」
何をいきなり言っているのだろうか?この女は。
「考えている……絶望的な状況にぶち込まれても生き残る術を考えている…」
そりゃ死にたくないからな。
「ああ、すまない。自己紹介が遅れたね。私は神、のようなものだ」
神って実在したのか。えらくひ弱そうだが。
「早速本題に入らせてもらおう。あぁ、事情を説明するとき錯乱されても困るから言葉は発せないようにさせてもらっている。まぁちょっと我慢してくれ」
まぁ特に話す事もないしどうでもいい。
「さっきのは、まぁ試験みたいなものだ。あの物体をどのように扱うか、という試験だ。その中で、君は一番、という程ではないが正解に近づいたし――まぁあれ以上のことを考えられるのはキチガイぐらいだろうが――何より思考を止めなかった。自暴自棄にもならず、ただどうやってこの状況から脱出するか、それを考えていた。それが何よりも素晴らしい!」
お褒めに預かり光栄です、とでも言っておけばいいんだろうか?声は出ないが。
「あの物質についてだが、あれはものの性質を奪い取る物質だ。人間が触り過ぎると植物人間になる。服はすぐに着られる状態じゃなくなるし、苔に当てれば水を吐き出し以降一切の効果がなくなる」
ほぉ。なんともまぁ恐ろしい物質である。
「で、君に頼みたいのは、私の管轄の世界の内一つ、まぁ君たちでいうところの『剣と魔法のファンタジー』という世界だ。その中のダンジョンを一つ管理してほしい。それだけだ」
俺にメリットは?目的は?と問いかけたいところだが声が出ない物は仕方がない。
「目的、と言えば、単純に実験だ。いずれ気付くだろうから今言っておこう。『どのような思考をしてどのようなモノを作るのか』そういう実験だ。まぁ君たちでいう宿題、のようなものだ。神と言うのも面倒でね。で、メリット、と言えば、時間を潰せる、と言う事か。君はいつでも元の世界に戻ることが出来るし、どんなタイミングでもその世界に来ることができる。時間の進みは自由だ。元の世界の100倍でもいいし、その世界を停止させて考えてもいい」
ふむ。まぁ一つのゲームとすると中々に面白そうである。
「ああ、君は死なない。安心してくれ。私の加護みたいなもので保護されるからな。勿論、君はダンジョンの外に出る事も出来る。君は所謂ゲームマスターみたいなものだ。基本的に上位存在だ」
基本的に?と言う事は、他に同等の存在か、この神のようなものと似たような存在がいる、と言う事か。
「ただ、この頼みを引き受けた場合、1日に1時間はダンジョンで作業してくれるとありがたい。勿論、その世界での時間だが」
「そして最後に、この頼みには、yesと答えてもいいし、noと答えてもいい。どうする?」
一瞬の違和感の後、発声が出来るようになった。
「じゃあ、ちょっと質問をしてもいいか?」
「ああ、3個だけならば」
「まず、yes、no、どちらかに違いはあるか?」
「君は疑り深い人間だな。まぁ答えよう。無い。どちらにしてもダンジョンの運営はしてもらう予定だった。noと答えた場合は若干手荒になるがね」
ふむ。怖いな。神様の手荒な真似と言う言葉ほどの脅迫は中々に存在にしないのではないだろうか?
「では、神のようなもの、と言ったが、神ではないのか?」
「ああ、それについては触れないでくれるとありがたいんだが、まぁ答えよう。神の成れの果て、または生まれた直後と言った方がいいか。私は一旦滅びたんだが、神と言うのは生命体ではなく、概念のようなものでね。いくらか時間がたてば、元の記憶を持ったまま、別の姿で復活するんだ。そして、復活したら、より上位の神から指令が来るんだ。今回は、さっき言ったように実験だった、と言うわけだ」
「それは、神のようなものと、神との違いの説明にはなっていないな。もうちょっと材料をくれるとありがたいんだが」
「ふむ。ならば、『神のようなもの』は神の下位互換、使いっぱしりのようなものだ。これがいくつかの指令を完璧にこなす事が出来ると、正式に『神』となる」
「察しが悪くてすまないな」
「いやいや、私の説明下手のせいさ」
軽く笑いあうと、最後の質問を口に出す。
「最後、要求、提案は通るか?」
「それは、私との、と言う事かい?」
「ああ、勿論だとも」
「ふむ…『検討する』とだけ言っておこう」
可能性はなくはない、と言う事か。
「では、要求、及び提案をしたいんだが、いいだろうか?」
「まぁ、いいだろう」
「では、俺がyesを選択した場合、説明書、のようなものをつけてくれ」
「許可しよう。実験が進まなかったら私も君も、どちらも無駄な時間を費やした事になる」
ふむ、これはokか。
「なら、説明書、に付属して、事典、のようなものを付けてくれるとありがたい」
「ものによる。どのようなものだ?」
「その世界の歴史、及び、生物、神、生活習慣などはどうだ?」
「そこまでならば許可しよう」
「ちなみに、魔法という物は存在するか?」
「それは質問だろう?質問は3つまで、と言ったはずだ」
ふむ。どさくさに紛れて質問するのはダメ、と。
「ならば、魔法の事典は追加できるか?」
「ふむ……」
追加できる、と言えば魔法自体が存在することになる。かなり便利な一手であるとわれながら思う。
「可能、だな」
「ありがとう」
「では、以上か?」
「ああ、最後に一つ、いつでも貴女と会話、または情報が伝達できるようにすることは許可できるか?」
神のようなものは若干思考を始める。体感1分、回答が出たようだ。
「一日一度、それが限度だ」
「ありがとう。それでは、俺は貴方の頼みにyesと回答しよう」
「了解した。それでは、グッドラック、と言うんだったか?君の世界では」
「そうだな」
俺の体が発光し始める。どうやら、これからのようだ。
「譲歩ありがとう。それではまた」
そう言い残し、俺は目を閉じた。今度は反射ではなく、自分の意思で。