Episode8.身中の虫
「ほんっとにごめんなさい! あ、あの、イグニスさん、私反射的に、あの、ううっ……な、なんてお詫びすれば……!」
「いや、今回の件は全体的に隊長が悪いんで、シアさんは謝らなくていいですよ」
あれから。全体重を込めた渾身の右ストレートをお見舞いしてしまったシンシアは、半泣きになりながら喧嘩中の三兄弟を呼んできた。
倉庫の部屋で倒れているイグニスを治療班のリコが診察。経緯を話す行程でアルフレッドとシュナイダーにも自分の性別を(特に隠していたわけではないが)バラした。ちなみにリコは最初から気付いていたらしい。女の勘は鋭い。
アルフレッドとシュナイダーは心底驚いていたものも、シンシアを少年扱いしたことを深く謝った。
「……というか隊長が一瞬でも気絶するってすっごい威力だな。反射的にこんな重い右ストレートをうっちゃうって、何があったの」
「それが……私昔っから男に間違われることが多くて、からかい半分に男子が胸に触って小っちゃいって言うんですよ。頭にきてさっきの技をうったら次からはからかわなくなったので、ついつい触ってきた人全員を……こう」
顔の前で猫の手のように丸めた右手を少し振ってみる。
そんな可愛いもんじゃなかった!! イグニスは心の中だけでそう叫んだ。非がイグニス側にある以上、どんな理由があれシンシアを責めることはできない。
そりゃ誰もからかわなくなるわ。シュナイダーは聞こえないよう小さく呟いた。
「でも、私ってそんなに女に見えませんか……? こうも皆さんから誤解を受けると、さすがに落ち込むんですが……」
「いや……最初見たときも男にしては随分線が細いなとは思ったんだけどな。まさか女のジョーカーが現れるとは思ってなくて……」
「あの、結構何度も聞くそのジョーカーっていうのは何なんですか? 私はジョーカーなんですか」
「……それも含めて全部話す。リコ、母さんを連れて先に休んでてくれ。あとシンシアが女だっていうことは絶対に人に漏らすな、いいな?」
リコは頷き、老女の背中に手をやりながら部屋を出て行った。
二人が鉄の扉の奥に消えたのを見計らうと、先ほどまで書いていた羊皮紙を取り出し、説明を始めていく。
「まず俺たちレジスタンスだが、総勢3000人ほどいる。いくつものチームに分かれ、それぞれの隠れ家に身を潜めて暮らしている。ここは中央B地区で、俺は中央B地区の支部隊長をしている。場所は教えられないが本部ももちろん存在し、その本部の長でレジスタンスのリーダーが、来る途中あったバルサザールという人だ」
「顔も厳つければ名前も厳ついよね……」
シュナイダーのげんなりした言葉に思わず同意しそうになって、慌てて姿勢を正す。レジスタンスのリーダーっていうとイグニスの上司にもあたる偉い人じゃないか。敬意を持たなければ……。
「いくつものチームに分かれているといったが、そのチームに必ず一人はいるのが“ジョーカー”と呼ばれる存在だ」
羊皮紙に「ジョーカー」と書き込んでいく。そして何故か「吸血鬼」の文字から矢印を引っ張ってくると、矢印の先で×印を書いた。
「ジョーカーは人間の中から稀に生まれる、吸血鬼の能力に耐性がある人間だ。記憶操作も洗脳も受けにくい。牙の毒もジョーカーには効かないから噛まれても生還できる。それだけじゃない、取り込んだ毒を体内で変換して、吸血鬼と同等の身体能力をえることができる。今までなかった特殊能力もだ」
「これが“覚醒”っていう現象な! 覚醒したジョーカーは目が赤くなるのが特徴なんだ」
シュナイダーは別のペンを使って「ジョーカー」の横に目蓋がぱっちり開いた瞳の絵を描いた。まつげが妙に長くて気持ち悪い。
「すごいですね! 特殊能力って、念力とかですか?」
「そういう奴もいるな。こればっかりは人によりけりだから、後で個別に聞いてくれ。話を続ける。……シンシア、本来ならば消されているはずの記憶をお前は持っていた。紛れもない、ジョーカーだという証だ。唯一吸血鬼と同等に戦っていける人間として、存分に活躍してほしい。――だが、自分が女のジョーカーだというのは隠しておけ」
「え……? 何でですか?」
「何かまずいんですか、隊長」
シンシアのみならず、アルフレッドも戸惑ったようにイグニスを見上げた。
ちなみにシュナイダーはまつげの長い瞳を6つも描いている。なんかもう色々気持ち悪い。
「……ジョーカーと人間との間に子供は望めない。ジョーカーが体内で変換した吸血鬼の毒が、体液に混じるからだと言われている。毒はかなり薄まっているから交配相手には影響はないが、子供が生まれた前例はない。ならばジョーカー同士ならばどうかという話になるが……女のジョーカーというのはかなり希少な存在なんだ。今レジスタンスには50人あまりのジョーカーがいるが、女はシンシア、お前しかいない」
「……話が見えてきました。ジョーカーと人間の間に子はできないけど、ジョーカーとジョーカーの間なら子供を作れるかもしれない。そう思った男から襲われる可能性があるって言うことなんですね?」
「そんな……っ」
アルフレッドが付け加えた言葉にシンシアは顔を青くした。
彼女は今まで異性から一度も迫られたことがないため、自分が見知らぬ男に襲われるというのは想像しがたかったが、それが女の尊厳を踏みにじる行為であることは理解できた。
「……それだけじゃない。ジョーカーから生まれる子供はジョーカーになる、そう盲信している連中が少なからずいる。女のジョーカーの存在がバレたら……戦力を増やすため、……っ」
「あ、あの、全部言わなくても分かります。私絶対バレないようにしますから……!」
子供を産む道具として使われるのなんて真っ平だ。シンシアは震えながら胸の前の服を両手で握りこんだ。
敵だけじゃなく、味方にも怯えないといけないなんて――私は一体、誰を信じればいいのだろう。
猜疑心に蝕まれるシンシアの背後から、「そいや!」と声を上げてシュナイダーが抱きついてきた。突然のことにシンシアは声もなく固まる。
「うん、大丈夫! ちょっと華奢だけど鍛えれば硬くなる!」
「へっ? あ、あの……」
「胸だってさらし巻けば触られても胸筋かなって思うだろうし、喉仏はチョーカー巻いて隠せばいい。風呂の時は俺たち三人の誰かが見張ってる。話し方も“私”なんて男でもざらにいるし、ちょっと語尾かえれば気付かない!」
「は、はあ」
「もし万が一億が一バレたら、俺たちが絶対に守る! だからシアは心配しないで笑って暮らせ!」
「ひゅ、ひゅひゃいひゃーひゃふ」
後ろから両頬を引っ張られて「シュ、シュナイダーさん」が変な発音になる。多分これは笑えということなんだろう。なんて乱暴な。
一頻り頬を弄くった後は飽きたのか、「それじゃ、俺もう寝るわ!」と明るく宣言して部屋を出ていった。
これから寝る人間にしては元気のよすぎる背中を呆然として見ていると、アルフレッドがくすくすと堪えきれずに笑った。
「あんな思い切りよく宣言しといて、結局恥ずかしがっちゃったね、あいつ」
「え……あれ恥ずかしがってるんですか?」
「そう。走って寝床にいくのは照れ隠しの証拠。今頃絶対耳赤くして顔押さえてるよ。……ああやって簡単に人の気持ちを明るくさせるところは、我が弟ながら尊敬するけどさ」
「明るく……」
「シアさんの顔を見れば分かるよ。本来味方であるはずの組織に対して怯えてたのに、あいつの勢いで拍子抜けしたでしょ?」
「は、はい。言われてみれば確かに、気持ちがすっと軽くなったような……」
シンシアは胸に手を当てて答える。レジスタンスに対しての警戒心はまだあるが、先ほどまでの暗い気持ちは嘘のように消えていた。
多分、誰を信じればいいのか、という問いにシュナイダーが明確に答えをくれたからだ。根拠も何もない答えだけれど、シンシアにとっては何よりも嬉しかった。
「あいつは考えなしだけど嘘は吐かない。きっと身を挺して君を守ってくれるよ。……今日会ったばかりの僕たちを信じるのは難しいかもしれない。だから少しずつでいい。僕たちと一緒に暮らして、僕たちを信用してくれ。僕も弟も隊長も、君のことを絶対に守るから」
「……はい、ありがとうございます、アルフレッドさん。それからシュナイダーさんにも」
「うん、僕から弟に伝えとくよ。寝床隣だしね。――隊長、もうよろしければシアさんを寝室まで案内しますが」
「……ああ、頼む」
言葉を詰まらせた後沈黙していたイグニスは、顔を上げることなく頷いた。
なんだか様子のおかしいイグニスに疑問を持つも、アルフレッドに手を取られシンシアは尋ねることもできず退出しようとした。
「っ、シア」
「え、あ、はい!」
「絶対に守る。――今度こそ」
「え……? あ、あの、ありがとうございます。おやすみなさい!」
最後の言葉は、シンシアには小さすぎてよく聞き取れなかった。
誰もいない部屋で一人、イグニスは黙考する。まさかシンシアが女のジョーカーだなんて思いもしなかった。しかも17歳と若く、健康的な身体を持っている。これをあの連中が知ればどんなことが起きるか、想像するだけで恐ろしい。
また自分の部下か。思い出したくない、しかし忘れることは許されない記憶が蘇る。
――『この、獣どもが』
女のジョーカーは今は、シンシアただ一人だ。
注意書きの女の尊厳云々っていうのはつまりこういうことですね、はい。タグの甘くない逆ハーレムっていうのはつまりこういうことですね、はい。
これから主人公は恋愛対象じゃなく子供を産む道具として周囲に狙われます。なんかもう、色々不憫。
ともあれ、これで一通りの説明回は終わりです。後は追々物語の中で発覚してくると思います。
次回ガウェイン視点を挟んでから、この章を閉じたいと思います。