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六本木抄  作者: 東亭和子
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幻の柿

 小さな妹が柿をねだりました。

 指差す先には熟した柿がなっています。

 私は柿の木を見上げました。

 その木はとても高く、私に登ることは出来そうにありませんでした。

 首を横に振って諦めるよう妹へ告げました。

 それでも妹は諦めようとはしなかったのです。

 ですから私はその木に登りました。

 大きく、高い木に登るのは初めてでした。


 震える手を枝に伸ばし、一生懸命に登りました。

 やがて私は柿を手に収めることができたのです。

 喜んだ一瞬、私の手は枝から離れてしまいました。

 何が起きたか分からない内に私は木から落下していました。

 硬い地面を想像していた私は、柔らかさに驚きました。

 恐怖のために閉じた目を恐る恐る開けます。

 私は何かの上に座っているようでした。


「大丈夫?」

 私の下から声が聞こえました。

 私は驚き立ち上がりました。

 私の下にいたのは人でした。

 青年はホッとしたように笑いました。

「良かった。怪我はなさそうだね。

 でもこんな高い木に一人で登るのは危険だよ」

 私は青年の言葉に頷きました。

 そうして今更その恐怖に震えたのでした。

 青年は泣き始めた私の頭を優しく撫でてくれました。

「怖かったね。もう大丈夫だよ」

 優しい手が私を慰めてくれます。

 泣きながら私は青年にお礼を言いました。

 青年は頷くとまた私の頭を撫でてくれました。


 それが出会いでした。

 私と青年は会うたびに挨拶をするようになり、言葉を交わすようになりました。

 そうして私は恋をしました。

 青年は私の思いを受け止めてくれました。

 あの柿の木を通るたびに私は木を見上げました。

 もし、あの時この木に登らなかったら、私たちは出会うことはなかったでしょう。

 それをとても不思議に思いました。

「お姉ちゃん、幸せ?」

 妹がそう尋ねました。

「幸せだよ」

 愛する人と一緒になれて、もうすぐ家族も増える。

 こんなに幸せなことはないでしょう。

 良かった、と妹は嬉しそうに笑いました。


「一瞬でもそう感じることがあったなら、それはとても幸せなことだよね」

 妹の言葉に引っかかりを覚えました。

 一瞬?

 どういう意味でしょう?

 私は妹を見つめました。

「お姉ちゃん、これはね夢なんだよ」

 そう言うと妹は私の膨れたお腹を指差しました。

「ここには赤ちゃんはいないよ。

 ほらぺったんこだよ」

 私は自分のお腹を見ました。

 そうして驚きました。

 今まで膨れていたお腹が平らになっていました。

 感じていた鼓動も消えていました。

 ね?と妹は笑っています。

 私は意味が分かりません。

 どうしてよいのかも分かりません。


「すべてが夢なんだよ」

 妹が残酷に真実を告げます。

 私は自分の体を抱きしめ震えました。

「…嫌、このままここにいたい」

 私は首を横に振りました。

 涙が溢れて止まりません。

「本当にそれでいいの?」

 悲しそうな顔の妹が言いました。

 幸せなままでいたかった。

 そうこれはきっと私の未来。

 幸福に溢れた私の未来だったのです。

 私は静かに目を閉じました。

「さようなら」

 妹の声が聞こえました。

 さようなら、と私も答えました。


 目を開けると青い空が見えました。

 私は地面に横たわっていました。

 柿の木から落ちた私を受け止めてくれた人などいませんでした。

 手には柿を握り締めています。

「お姉ちゃん…」

 泣いている妹の声が聞こえました。

 きっと恐ろしくて泣いているのでしょう。

 私は妹を呼びました。

 そうして柿を渡しました。

 体の節々が痛みます。

 頭も撃ちつけたのでしょう。

 血が流れているのが分かりました。

 恐怖で動けない妹を哀れに思いました。


「家に帰ってお母さんを呼んできて」

 私は妹にそう言いました。

 それでも妹は動こうとしません。

「早く!家に行って…」

 やっと妹が動き出しました。

 私はその足音を聞いてホッとしました。

 きっと私は助かることはないでしょう。

 それでも私はいいと思いました。

 幸せな夢を見て、心が満たされていました。

 視界の端に柿の木が見えました。

 熟した柿を妹は食べることが出来るでしょうか?


「大丈夫!?」

 青年が私の顔を見下ろして慌てています。

 それは夢で出会った青年でした。

 出会えたことに私は微笑みました。

 すべてが夢ではなかったのです。

「今、誰かを呼んでくるから!」

 そう言うと青年は離れていきました。

 私は静かに目を閉じました。

 もう何も考えることは出来ませんでした。


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