嘆きの梅
それは突然の出来事でした。
「戦争に行くことになりました」
兄とも慕っていたお隣りさんの雄二が私の家に挨拶に来ました。
戦争が始まり、沢山の人が出兵をしています。
「…いつ?」
母が硬直した顔で聞きました。
すでに父も戦争に行っていました。
「一週間後です」
私は突然のことに目の前が真っ暗になりました。
一週間後!
もうすぐではありませんか。
覚悟はしていたつもりでした。
でも実際にその瞬間が来てしまうと動転して何も考えることが出来ませんでした。
「そうかい。
頑張ってお勤めをするんだよ」
母が雄二に向かって言っています。
私はそれをどこか遠いところで聞いているような感覚でいました。
雄二は幼馴染でした。
いつも私を可愛がってくれて、いつか雄二と結婚すると幼心に思っていました。
私はただただ呆然としていました。
「聞いていたかい?」
母の言葉で私はハッとしました。
何も聞いていなかったので、首を横に振りました。
そんな私を見て母はため息をついたのでした。
「…明後日、雄二君は祝言をあげる」
祝言!!
「出兵する前に結婚してほしいとお母さんが望んだそうだよ」
ああ、そういう訳か。
雄二に彼女がいないことは知っていました。
だから私は望みを捨てることはなかったのです。
それなのに、雄二は知らない女と結婚までしてしまう。
私は唇をかみ締めました。
母の前で無様に泣くことは出来ません。
分かった、と告げると私は家を飛び出しました。
向かう先は雄二の家でした。
雄二の家には立派な梅の木がありました。
幼い頃はよく登った木でした。
その木はちょうど二階の雄二の部屋の前に太くて大きな枝を伸ばしていました。
私は梅の木に登りました。
咲き誇る梅の香りが体を満たします。
「雄二!」
窓辺から部屋に入ってきた私を見て、雄二はぎょっとしました。
「お前は…!
危ないからここから入ってくるなと言ってるだろうが!」
そう言いながらも雄二は私に向かって手を差し出します。
私はその手をつかんで雄二を引き寄せました。
「結婚するって…」
必死な私の形相を見て雄二は苦笑しました。
「ああ、母さんが言い出したことだよ。
形だけでもって話だ」
そんなに必死になることじゃない。
「どうせ帰ってくるかも分からない戦争だ」
遠くを見て雄二はつぶやきました。
戦争はますます激しくなっているといいます。
誰も戻って来た人はいません。
私は震えました。
雄二を失う痛みに気を失ってしまいそうだったのです。
「…それで雄二はいいの?」
私の問いかけに雄二は頷きました。
仕方ない、と。
「私は嫌!
知らない女が雄二と結婚するなんて嫌。
絶対に祝福なんて出来ないわ」
涙が溢れてきました。
私は顔を隠して泣きました。
「…それでも、どうにもならないこともあるんだよ」
雄二はそう言ってただ立ち尽くしていました。
それは何もかもを諦めてしまっている言葉でした。
雄二が諦めても、私は諦めることは出来ませんでした。
どうすればいい?
どうすれば私は雄二を失うことがないのだろう?
もう時間もありません。
短時間で解決しないといけません。
そうして私は思い出しました。
友達から聞いた話を。
離れることを嫌がった恋人たちは、悲しい結末を選ぶのです。
現世で結ばれることがないのなら、来世で結ばれようと。
はじめ、その話を聞いたときは心を動かされることはありませんでした。
死ぬことよりも生きることの方が素晴らしいからです。
ですが、今はその恋人たちの気持ちがよく分かりました。
雄二がなんと言おうと私は雄二から離れたくありませんでした。
夜が更けてから私は家を抜け出しました。
ギシギシと木がしなります。
私は梅の木を登りました。
目指すのは雄二の部屋でした。
そっと窓枠へ足を乗せます。
物音をたてないように慎重にしました。
部屋の中に入ると小さな寝息が聞こえます。
私はそっと雄二の傍へ寄りました。
子供のような寝顔でした。
あと少ししたら雄二は他の女のものとなってしまいます。
それに耐えることは出来ません。
私はそっと雄二の首に触れて力を込めました。
「…そんな力じゃあ人を殺すことは出来ないよ」
雄二がゆっくりと目を開けて私を見ました。
「こんなに泣いて。
俺が憎い?」
違う、と私は首を横に振りました。
雄二が優しく私の涙をぬぐいます。
そうしてその手は私の首へと向かいました。
気づいた時には私は雄二に押し倒されていました。
優しく、柔らかく雄二が首をしめてきます。
「お前の力じゃこんな程度だ。
でも俺はこのままもっと力を入れてお前を殺せるよ」
暗い部屋の中、雄二の顔はよく見えませんでした。
「…殺して」
私はそう言いました。
このまま死んでしまえば、辛いことも悲しいこともなくなる。
分かった、と雄二が手に力を込めました。
だんだんと息が苦しくなっていきます。
私の頬に何かが流れてきました。
そっと目を開けると雄二の涙でした。
「一緒に死んで、雄二…」
離れないで。
ずっと一緒にいて。
ああ、と雄二が頷きました。
「俺もすぐ行くから、梅子」
そう言って雄二は微笑みました。
私の意識はそこで途切れたのでした。




