真夜中のキッチン
深夜のキッチン。そこには貴方の知らない世界がありました。
誰の家にもあるであろうキッチン。
いつもはお母さんが食事の準備をしたり、後片付けをしたり。
もちろん、テーブルで食事をとったり。家族団欒したり。
また、冷蔵庫を意味もなく一日何度も開けてみる貴方がいたり。
キッチンはある意味、家の中心でもあります。キッチンと聞けば、
普段は明るく、賑やかな印象があるのではないでしょうか。
しかし、真夜中のキッチンには貴方の知らない世界があるのです。
***
時計の針が午前2時を示す頃、耳を澄ますと聞こえてきます。
始めは、冷蔵庫のモーターの唸りかな?と思いがちです。
しかし、そのモーターの唸りの向こう側、聞こえてきませんか?
キッチンに住んでる、住人達の囁き声が。
「…だからね、アンタはお高くとまってるから嫌いなのよ。ふふっ、
名前の通りにバカ●じゃないの?」
「…あ! 言ったわね、その言われ方が一番嫌いなのに! この安
物女が!」
「安物? 結構じゃない。考えて御覧なさいよ。食器は使われてナ
ンボでしょ? 私なんか毎日使われて大忙し。その点アンタは一年
に一回? 二回? 記念日用? 何それ? それじゃ食器としての
意味なんか無いわね。ふふふっ」
「言ったわね? 私は食器として価値があるの。だからもったいな
くて使えないの!」
「ヘン! 気取っちゃって。あくまでも食器は使われてこそなの!
ホントは悔しいんでしょ?」
「キーッ! もうアンタは黙ってなさいよ! この安物!」
「へーんだ、食器もどき!」
これはバカ●のグラスと百均グラスの言い合いです。彼女たちは
初対面からこんなです。ま、もっともこれはグラスに限った事では
ありません。お皿にしてもお碗にしても、そう、スプーン、フォー
ク、ナイフ、お箸、果ては包丁に至るまで、百均モノと高級モノと
の間では言い争いが絶えないのです。
あ、こちらでも言い争う声が聞こえますね。
「何がティ●ァールよ! ルー●? ダイヤモンドコーティング?
高けりゃいいってもんじゃないのよ。確かに私たちに比べたら長持
ちするわよ。でもスーパーで売ってる千円の私たちをなめないでよ
ね? そりゃ、持ちは確かにあなたたちより短いかもしれない。で
も、一年は充分に御奉仕出来るの。それでまた新品に買い換えられ
たら。それが私たちの存在意義なのよ!」
「ふん! エコにも反する考え方だわ。良い物長く! これが本当
のエコなのよ。使い捨て? ああ、おぞましい…」
「何ですって! もう一遍言ってみなさいよ! この似非貴族が!」
「うるさい! この使い捨てもん!」
今にも取っ組み合いをしそうなのは、フライパンたちです。
「まぁまぁ、貴方たち、お下品ですわよ。手を出してはいけません
わ」
そう口を出したのはティ●ァールのお鍋。それを受けて同門フラ
イパンが
「アンタは黙っときなさいよ! この無水鍋が! 所詮は異端児の
くせに!」
「え? 同門のあなたがそういう事を言いますか? せっかく良か
れと思って…」
「そうだそうだ! 異端児上等!」
横から口を出したのは圧力鍋です。キッチンの現場では、最近は
出番が少ないので、ここぞとばかりに口が出ます。
「ふふん、異端児は異端児さ。やっぱり正統はアルマイト鍋。俺な
んか毎日使われてるもんね。無水も圧力も所詮は異端。あ? 外道
かな?」
「あーっ? 外道? ふざけんなよ? 俺たちは使い手次第でどこ
までも高みに登れるの! それが出来ないのはお母さんのせいな
の!」
これを聞いてキッチンは静まり返ります。
「それを言っちゃ、おしまいよ」
「そうだぞ! お母さんは我々の、言うなれば主なんだからね」
「確かに彼女は新しいもの好きの、でも、飽きっぽい性格だけどさ。
それでも彼女は我々の主、これは疑いようも無い事実だよ」
「あ! そうだった。さっきの発言は取り消します。ごめんなさい」
意外と素直な圧力鍋であります。
その時、ドタドタという足音が聞こえてきました。飲んで帰って
きたお父さんが、キッチンにやってきたのです。灯りがつく前に、
キッチンの住人たちは何も無かったかのように、元の姿に戻りまし
た。
お父さん、良いこんころもちで、冷蔵庫を開けてビールを出して、
魚肉ソーセージを齧りながら暫し安らぎの時間。それから歯を磨い
て電気を消して、キッチンから出て行きます。時間は深夜の二時十
五分。
「もう行ったかな?」
「あ~あ、びっくりしたな、もう。でもお父さん、最近飲みすぎじ
ゃない?」
「うん。ま、付き合いもあるからしょうがないよね。けど…」
「え?」
「ビールを飲む時にはグラスを使って欲しいな。缶のままじゃ味気
なくないかな?」
グラスの彼女に、皆は何となく頷きます。
「おい、お前ら、もう少し静かにしてくれないか? 俺は仕事中な
んだから」
こう言ったのは電気炊飯器です。タイマーがセットされて、朝の
六時にはご飯を炊き上げなくてはいけないのです。
みんなはこれを聞いてちょっと反省します。でも、冷蔵庫が言い
ました。
「いやいや、みんなが憂さを晴らせるのも、この時間だからこそじ
ゃないか。炊飯器さん、アンタもその辺りを考えてみてやってくれ
よ」
「いや、年中無休の冷蔵庫さんにそう言われたら俺はもう何も言え
ませんや。よう、みんな悪かったな」
物分りのいい炊飯器さんに、みんなも笑顔になりました。
「私らはみんなこの家の人達の為にご奉仕する。それが存在意義な
んだから。立場は違えど、それだけは同じだよ」
冷蔵庫さんのこの言葉に皆も感銘を受けているようです。
そうしてもう少しの間、住人たちはストレス解消、リクリエーシ
ョンの一環として言い合いを楽しむみたいですよ。
もしあなたが真夜中にキッチンに入る時は、事前に足音を立て、
今から入るよという合図をしてあげてください。キッチンの住人
たちの為にもね。キッチンの住人たちは、今日も明日もあなたの為
に一生懸命働いてくれるのですから。真夜中の息抜き位は大目に見
てあげましょうね。
キッチンの住人たちを、大切に扱ってくださいね。住人たちは貴方を愛していますから。




