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カーテン(番外編2)

 燦々と地上に降り注ぐ、灼熱の日差し。

 真夏の太陽は文字通り、熱量と呼ぶに相応しいエネルギーを地球に分け与えている。

 我々一般的な人類は、その暑さにうんざりし、エアコンや扇風機、あるいは団扇などの文明の利器で、少しでも太陽の暴虐に対抗しようとするのが常だけれど、それが天からの”恵み”であることを思えば不平を言って拒絶するのは失礼に当たるかもしれない。

 なにしろ夏の日差しが降り注ぐことが、秋の実りをそれは豊かにしてくれるのだ。

 だがその一方で。 太陽の暑さが与える恵みは、人間以外のすべての生き物に注がれているという事実を忘れてはいけない。

 夏の暑さは、人間のためだけにあるものではないのだ。



「健介、はい。これ」

 そう言ってスーパーの袋を渡されたのは、ヘルプに呼ばれて臨時でバイトに入った大衆居酒屋の裏手だった。

 今はメインで仕事を入れている訳ではないけれど、忙しいときにはこうやって臨時でシフトを頼まれることがある。

 ちょうど他のバイトと被っていなかった短時間だけの仕事だったので、時間はそれほど遅いというわけではない。

 だが、飲食店でのバイトでは賄が付いてくるところが多く、俺もまたしっかりと食事を済ませた後だった。

「なんだ、食い物の差し入れだったらいらないぞ?」

 だから俺は相手に向かって、素っ気なくそう答える。

 俺に袋を差し出してきたのは、早乙女昌彦といって同じゼミの学生だ。

 どこか浮世離れした柔和な笑顔の持ち主で、他のゼミの女子学生からは「プラナリアみたいで可愛いよね」ともっぱらの評判だ。

 だが、俺はそんなこいつが長らく気に食わなかった。

 早乙女は気前の良い男で、頻繁にゼミ室にケーキやら飲み物やらの差し入れをもってやってくる。それがさらにこいつの評判を高める要因になるのだけれど、日夜バイトに追われ、日々の食費すら節約の対象となる生活を送っている俺にとっては、その余裕っぷりは鼻に付くものだった。

 もちろんそれは単なるやっかみの、八つ当たりに過ぎなかったのだけれど、一方で俺の偽らりならざる本心でもあったのだ。

 もっともそれも、ひょんなことからバイトを共にするようになってからは、だいぶ薄れてはいる。

 だが、それでもこうやって目の前で余裕綽々に施しをされると、反感が浮かぶのは仕方がないと思って欲しい。

「ああ、違う違う。食べ物じゃないよ」

 そうした俺の思いを察しーー、いや気付いてないのだろうが、早乙女はぶんぶんと手を振って、俺の憶測を否定した。

「ほら、この間のゼミ合宿の打ち合わせの時、健介言っていただろう。気配を感じるって」

 俺は一瞬何のことかと眉をひそめたが、ふいに思い出した。

 確かに先日の打ち合わせの合間の雑談で、他のゼミ仲間に愚痴とも世間話ともつかない話題の一環として口にしたような気がする。

「ああ、黒い悪魔な」

 そう、夏になると途端に活気づくあの六本足の害虫の王。

 整頓されているというか、極端にものの少ない俺の部屋に奴が出てくることは滅多にない。だが、どこか外から入り込んできたようで、確かに目にした訳じゃないのだけれど、視界の端に黒い影が掠めることが数回。なんとなくいる気配を感じるのだ。

 増える前に早急に退治しないとと思っていた訳なのだが、それなら尚更だと早乙女はスーパーの袋を俺に差し出してくる。

「これ、すごくお勧めだよ」

「殺虫剤かなんかか。ふぅん、気が利いてるじゃん」

 流石はゼミで気遣い屋の異名を持つだけあると、俺は反感も忘れてスーパーの袋を受け取る。そして中身を覗き込んで、固まった。

「おい、これ……なんか間違えてないか?」

「そんなことないよ、これが意外とすごい効くって評判なんだよ。騙されたと思ってちょっと使ってみてよ」

 あまりに早乙女が自信たっぷりに断言するので、釈然としない思いを飲み込む。俺は礼を言って袋を受け取ることにした。



 掛けもちのバイトを終わらせて、俺が自分の部屋に帰って来たのは日付が変わって二時間近く経った頃だった。だが、この後も数時間の仮眠を取ったら、また次のバイトに向かわなければ行けない。

 少々詰め込み過ぎかとも思うが、今の季節が一番の稼ぎどきだから辛抱のしどころだ。

 もっとも先日の打ち合わせでも、開口一番早乙女から「随分疲れてるな」と言われてしまったくらいだ。だいぶ疲労もたまっている。もう少し余裕ができたらゆっくり身体を休めることにしよう。

 そう思いながら俺は夜食のカップラーメンをすすっていた。その時——、

(む……っ)

 俺は気配を感じ、窓の方を見る。視界の端に、黒い何かがカーテンの裏へ潜り込むのが見えたのだ。

 千載一遇のチャンスだ。

 俺は音を立てないように素早く早乙女から貰ったそれを手に取り、トリガー(・・・・)に指を掛ける。そして、さっとカーテンを捲った。だが、

(は、はぁぁぁ〜……っ!???)

 深夜だということもあり、とっさに大声を出すことは免れた。もっとも状況が許せば、声を大にして喉が枯れるまで叫んでいたことだろう。

 カーテンの裏側に張り付いていたのは、黒い『眼球』。

 本来ならば人間の眼窩に収まっているはずのそれが、まるで薄墨に漬けられたかのような黒に染まり、なおかつカーテンの張り付いている。

 それはぎょろり——と、妙に生々しい濁った眼差しでこちらを睨みつけた。

「——っ!!」

 俺はとっさに手の中のものを噴射する。シュシュ——ッと霧状の薬液が黒い『眼球』に吹きかかった。

 本来だったらまったく違う用途に使うはずの、それ。

 しかしどうしたことだろう。俺を睨みつけた後、目の前でかさかさと、それこそ六本足のアレのように逃げようとした『眼球』は、痙攣したように震えカーテンから落下した。そしてまるでドライアイスが蒸発するように、消えてしまったのだ。

 俺は唖然としてその後を凝視するが、そこには初めから何もなかったかのようにミストが揮発したフローラルな香りが残るだけだ。

 俺は念のためもう二、三度シュシュっと薬液を振りまき、取りあえず全部忘れたことにして就寝することにした。

 明日もバイトが早いのだ。



「それで、あれは一体なんなんだよ!」

 数日後のバイトの合間、様子を見にきたらしい早乙女に俺は思わず詰め寄った。

 のほほんとしたあの顔で、「どうだい良く効いただろ」なんて言われた側としては、出会い頭に叩かれなかっただけ感謝してほしいくらいだ。

「なにって、見ての通り消臭剤だよ」

 布にシュシュっとのキャッチコピーでお馴染みのそれは、トウモロコシ由来の成分で嫌な臭いを消臭してくれるらしい。

 いや、それはもちろんしっている。トウモロコシ由来とかなんとかは知らなかったけど、それが極々普通の市販の消臭剤であることはもちろん俺だって知っている。

 ガクガクと早乙女の襟首を揺さぶりたい気持ちを懸命に抑えて、俺は尋ねる。

「まず、俺の部屋にいたあの黒い眼球は何なんだ」

「え、そこら辺によく居る雑霊だけど」

 早乙女はしれっと答える。

「ちょっ、よく居るってなんだよ」

「よく居るもんはよく居るんだってば。普通だったら取り憑かれることは滅多にないんだけど、酷く気落ちしてたり疲労してたりするとくっついて来ちゃうんだよね」

 俺、この前の打ち合わせの時に言ったじゃん。とか言われるが、まったく記憶にない。

 いや、待て。あの「随分疲れてるな」ってのは、ねぎらいの言葉じゃなくて「憑かれてるな」という意味だったのかよ! じゃあ、あの消臭剤は……?

「実はあれ、消臭だけじゃなくて除霊にも効果があるんだ」

「嘘付け〜〜っ!!」

 俺は思わず早乙女の襟首を揺さぶって全否定する。そんなのパッケージのどこにも書かれていなかったぞ。

 だが早乙女はひらひらと手を振った。

「嘘じゃないって。最近じゃネットとかにもよく書かれているんだぜ」

 検索してみろよ、と至極当然のようにそう言ってくるので俺も強くは言い返せない。

「穀物には古来から霊的な力が宿っているんだよ。日本でも祓いや清めのために、散米ってお米を撒いたりするだろ」

「な、なるほど。つまり、消臭成分の由来となっているトウモロコシが、同じ働きをしてるんだな」

 理路整然とした説明に納得しかけた俺に、早乙女はうんうんといい笑顔で続ける。

「その通り。トウモロコシの糖からできた分子が、お部屋の嫌な臭いの元と霊を閉じ込めてしまうってわけさ」

「それ霊的な力関係ねえしっ」

 否定したいが目の前で効果を実感してしまった今となっては、それもできない。

 すごいよな〜と暢気に笑う早乙女の前で、俺はがっくりと地面に膝をついた。





ファブ◯ーズ

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